3 / 12
3.
生きている痛み
しおりを挟む今から二ヶ月前。
七月になり、梅雨が明けた。
夏はさわやかなにおいがする。
窓の隙間から舞い込む風が、病室に外の気配を連れてくる。
庭に植った背の高いけやきの木の枝が風に揺れ、サワサワと緑の葉を震わせている。
じわじわと鳴く蝉の声と、ガタンゴトンというのどかな電車の音。
私は時々、死にたくなる。
死にたい、というか、
生きていることを手放したくなる。
風がこんなにも、さわやかなにおいをしている日でも。
憂うつな気持ちは、私を毎日追いかけてくる。
朝ベッドで目を覚ましたら、憂うつな気持ちが私の隣で目を覚ます。
昼間も、私の胸の中に、憂うつはグズグズとわだかまる。
そして、夜、眠りにつくまで、ずっと私を追いかけてくる。
そんな毎日だけど、
たまに、憂うつな気分を忘れていることがある。
テレビを見て、笑っていて、
〝あ、今、私、普通に笑えてるな〟と思う瞬間がある。
でも、そう意識してしまったらもうダメだ。
意識した瞬間、憂うつな気分は私の中に戻ってくる。
どうして、憂うつは私のそばから離れないのか、考えてみたことがある。
生い立ちだとか、家族のこととか、
悩みはいろいろあるけれど、
毎日そんなことばかりを考えているわけじゃない。
むしろ、私は頭の中がぼうっとしていることが多い。
何か考える気力がない時もあるし、
頭の中のネジが回らなくなったみたいに、
何にも考えられなくなる時もある。
それでも私は、なんとか受け持ち看護師さんと話し合って決めたスケジュールを、毎日守っている。
ここでは、
消灯時間が決まっている。
おやつの時間も決まっている。
朝起きる時間も。
なぜか、毎朝ラジオ体操をしないといけなくて、
食事は患者全員で大広間に集まって食べないといけない。
受けないといけない作業療法という治療がある。日中は、作業療法を二時間ほどこなしている。
作業療法では、絵を描いたり、音楽を聴いたり、畑仕事をしたり、いろんな作業を行なう。
どんな作業を行うかは、患者さんの病状によって異なるので、作業療法士さんが一人ひとりにあったプログラムを考えてくれる。
私のプログラムはこんなふう。
月・水 ちぎり絵の制作
火・木 ウォーキング
金 陶芸
作業療法士さんいわく、作業療法は、作業を通して気持ちを安定させたり、生活リズムを整えたり、社会生活を送るための練習をしたりするものだそうだ。
気持ちが沈んでいる時は、
足を一歩持ち上げることすらしんどいと思うことがあるので、
正直なところ、作業療法に参加するのには努力がいる。
でも、「さくら園」での暮らしも似たようなものだったから、
私の生活は入院前とさほど変わらない。
気持ちの沈み具合も変わらない。
入院したけれど、自分の状態にあまり変化がないので、焦りを感じることもある。
薬も飲んで、
看護師さんやお医者さんや、心理士さんの言うことを、真面目に聞いているつもりだけれど、
一向に楽にならない。
ずっと、このままだったらどうしよう。
もう、治らないのかもしれない。
そう思うと気持ちがズンと重たくなる。
もう治らないのかもしれないーー。
そう思うたび、
なぜ、ここまで生きてきちゃったんだろうと考えてしまう。
ここまで、歯を食いしばって、踏ん張って生きてきたけど、
もっと早く〝カタ〟をつけていたら良かったのに。
そんな気持ちがわいてくると、わたしは自分の体を痛めつけたくなる。
ーーなんで、こんなことをするの?
自分の体を傷つけるたび、看護師さんからそう聞かれる。
縫合された傷の上にガーゼを当て、包帯を巻く看護師さんは、少し怒ったような顔をしている。
ーーもうしないって約束したのに、どうしてなの?
私はその問いにうまく答えられない。
死にたいから?
つらいから?
考えようとしても、自分でもよくわからない。
〝死にたい〟と、
〝生きたい〟と、
〝助けて〟を、
同じくらい大きな声で叫びたい。
そんな気持ち。
七月。
毎日、空は青い。
空に向かってその三つの言葉を叫んで、
次の日から心の中がカラッと晴れていたらどれだけいいだろう。
私は空に焦がれるように、窓枠に手をついて窓の外を眺める。
病棟の窓は五センチくらいしか開かない。
隙間から入る微風が、髪をサワサワと顔の脇で揺らす。
庭のけやきの木の下で、スケッチをしている患者さんが数人いる。
作業療法士さんがそのそばに立っていた。
スケッチをする患者さんの中に、レンがいた。
庭の風景を眺めながらスケッチブックの上で鉛筆を動かすレンを、窓辺からじっと眺める。
すると、レンがふとスケッチブックから顔を上げ、こちらを見た。
木漏れ日がレンの顔におちる。
まぶしそうに目を細めるレンと目が合った。
痩せっぽっちのレン。
私と話している時はそうでもないけれど、他の患者さんと接する時には、小動物みたいに警戒心の強い目をしているレン。
どこか、いつもさみしそうなレン。
そんなレンが、窓辺にいる私を見て微笑んだ。
嬉しそうに手を振る。
私もレンに手を振り返した。
夏の日差しの差し込む窓辺と、けやきの木の下。
七月。
夏は、さわやかなにおいがする。
手を振ると、真っ白い包帯を巻いた腕が、ズキズキと傷んだ、
〝生きている痛みだ〟と私は思った。
続く~
10
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる