2 / 8
悪夢の続き、「好き」って?
しおりを挟む
仕事を辞めさせられ、監禁された2日は地獄だった。
初日は目隠しをされ手錠で両手を繋がれ、雪也が仕事に行っている間はバイブをアナルに入れて放置。帰ってきてローションガーゼでペニスをいじめられて、最後は雪也の凶器のようなペニスが俺のアナルを蹂躙する。
2日目はエネマグラとかいうやつをアナルに入れられ、貞操帯をつけられて、右手と右足、左手と左足を縛られて、身動きが許されない状態で放置。雪也が帰ってきて、何度も何度もイかされ、精液の色が無くなっても、空イキになっても止めてもらえず、気絶するまで抱き潰された。
ここ2日の生活のせいで昼夜も分からず日付感覚がなくなっていたが、どうやら今日は土曜日らしくて、雪也が休日で家にいる。
俺は手錠を外すことを許されて、「これなら着てていいよ」と渡された、俺からしたらかなり大きい雪也のTシャツに袖を通す。下着やズボンは履くことは許されなかった。それでも何も着ないよりは幾分かマシだ。Tシャツでも、服を着ると体温が少し上がって「寒くない」と感じられた。
久しぶりに暗い寝室から出ることも許された。
最初はベッドから降りて(落ちて)暫く足腰も立たず子鹿のように立ち上がれなかったが、何かに掴まれば歩行が可能になった。2日間、ベッドで拘束され、寝転がされて喘ぐだけの生活は、俺の体力と筋力をかなり奪っていたらしい。
やっと、明るいリビングダイニングキッチンの部屋に行くと、ダイニングで雪也が大きめのスケッチブックに鉛筆を夢中で走らせていた。
「…ユ、キ……」
何日も散々喘がされてカサカサになった俺の声は、3日間抱かれた疲れもあり、いろんなものが相まって気の弱い声だった。
「ああ、おはよう。どうしたの?喉乾いた?お風呂?それともお手洗い?ご飯かな?」
矢継ぎ早に聞く雪也に、緩く首を振って、小さく「それ、絵?」と訊ねてみた。
「ん?そうだよ。見る?」
渡してきたスケッチブックを両手で受け取り、さっきまで描いていたページを見せてもらった。
人物画だ。というより、ワンシーンが描かれている感じ。手が顔より上で纏められていて、足はピンと伸び、腰は引けて背中が弓なりに反っている。ペニスが見える…ペニスに棒が刺さってる?…これ、あの日の……ペニスに棒を突き立てられ散々いじめられたあの日のスケッチ?
(…じゃあ、この泣きそうな…よだれをこぼしながらいやらしい顔してるのは、俺?)
タッチが柔らかく、鉛筆のみのスケッチなのに写実的で今にも動き出しそうで、陰影のせいか、かなり卑猥だった。そこらへんの上手い絵とかじゃなくて、モノクロ写真のような絵。本当に鉛筆だけで描いたのか疑うレベルの絵だった。だから、余計に現実味があって生々しかった。
顔を真っ赤にしてスケッチブックをゆっくり雪也に返した。
「もういいの?」
「うん、ありがと…絵、上手だね。凄い」
顔が赤いのを隠すように、手の甲を口に当てて顔を雪也から背ける。Tシャツの裾をものすごく引っ張った。
雪也はおもむろにTシャツを引っ張る手を掴むと、Tシャツから手を離すタイミングを失った俺の手ごとペロリとTシャツをいとも簡単に捲る。
「…あっ」
「あはは。どうしたの、これ。俺のスケッチ見て興奮しちゃったんだ?」
「違っ…」
「違わないでしょ。絵の中の自分のエッチな姿を見て、興奮したんでしょ?」
俺の立ち上がり掛けたペニスを、さっきまで鉛筆を握っていた指でピンと弾き、中指と人差し指で雁首を挟むと、亀頭だけをグリグリと親指が虐める。
いきなりの刺激に、Tシャツから手を離しかけたが、「ちゃんとTシャツ上げててね」と釘を刺された。
「あっああっ、やめ、やらッさきっぽばっか、やっ…アアッんんっ!!!」
腰を引いて逃げようとするがしっかり反対の手を腰に回されてホールドされる。
「やあぁあっらめっ、出る、も、やぁっ!出ちゃ…から、ひァッアッアアアッ」
ぷしっ、と情けない音を立てて俺のペニスから放たれた精液が雪也の手を汚した。3日前からずっと犯され続けた俺の精液は、微かに白濁をしただけの、粘り気もない量の少ないものだった。
身体から力が抜けて、雪也から離れるように2歩後ろに下がって、ペタンと座り込んでしまった。
はあ、はあ、と肩で息をする俺に、同じ視線になるように椅子から降りてしゃがんだ雪也が頭を撫でた。
「俺も、あの時の盟を思い出しながら描いてて興奮してるんだ。盟、手伝ってよ」
そう言ってダイニングチェアに腰掛けた雪也がジーンズを寛げてペニスを取り出す。
「さあ、こっちに来て、手伝って?」
「…て、手伝う、って……俺、何する、の…?」
「フェラ…もしかして知らない?まあ…盟がしたことも、されたこともあったらびっくりだけどね。俺のペニスを咥えて、口で扱いて、舐めて、吸って?ほら、ここに来て」
「く、口で?……む、無理だ、それ入らない…」
首を振って拒否をしていると、手首を取られて強い力で引かれた。
雪也の前まで来て、ペニスの前に座らされる。目の前で尿道口からつぷりと汁が滲んで幹を伝っていった。
あまり拒否していると、また手錠で繋がれるかもしれない。そう思ってゆっくり口を開くと雪也のペニスを口に含んだ。
大きくて、顎が外れそうになる。恐る恐る亀頭の辺りを舌先でペロリペロリと舌を這わす。歯を立ててはいけないというのは、同じ男だからなんとなく分かった。
「初めてだからしょうがないけど、下手だね。咥えきれないところは両手で扱くんだよ。ほら、両手出して」
両手を取られ、雪也のペニスを掴まされる。ドクドクと脈打つ熱い幹に、手を離したい気持ちになる。だって他人のなんて、人生で一度も触ったことない。
雪也の言うとおりに両手でただただ上下に扱く。言われたとおり頭を前後に動かして喉の奥までペニスを含む。えづきそうな先走りの味、でもえづいたらきっと雪也は機嫌を損ねる。雁首を舌先で舐めて尿道口を吸った。必死で、目をキツく閉じて、「早く終わって」と思いながら手と口を動かす。涎か、先走りが口の端から溢れて顎を伝ってポタポタと糸を引いて床に落ちる。
「動きが良くなってきた。飲み込みが早くて俺は嬉しいよ。…そうだ。舌ピアスあいてたよね。ピアスのところで先を抉ったら気持ちいいかも。」
ピアスは舌の中央より少し先の方についている。咥える角度を変えてピアスを擦り付けるように亀頭を舐める。雪也は何も言葉は発しなかったが、ペニスの幹がビクビクと強く脈打ってまた太さを増したのを、手で扱いている時に感じた。…嫌だ、これはもしかして。「早く終わって」とは思っていたが、口の中に射精するつもりなのか。
怯んで一度舌を引いたら、頭を撫でられ、グッとペニスを深く含まされた。
「ぅぐっ」
「出すよ、飲んでね」
────びゅるっびゅるるるるるるっ
喉の奥に打ち付ける熱くて苦いものに吐きそうになるが、ペニスが落ち着くまで口を離せなかった。
そして落ち着いた頃、押さえつけられていた手が離れて、口を離すと、ごぷ、と口から溢れてしまった精液を食い止めるため、慌てて両手で口を押さえる。指の間から少し漏れたが、ちょっとずつ、ちょっとずつ飲み込んでいく。
味わったことのない、苦くて、えぐみがあって、青臭い、粘ついて、濃い、他人から出た体液。ちょっと飲んでは吐きそうになり、ちょっと飲んでは吐きそうになりを繰り返す。およそ飲むものでは無いとは分かっているが、雪也が「飲んで」と言うなら、飲み込むしかない。口を覆ったまま下を向いて暫く飲み込むのに一生懸命で動けないでいると、時間がかかりすぎているからか、頭の上から「…平気?」と降ってきた。
「食べ物も食べるの苦手なのに、精液飲むのは、盟にはかなりキツかったかな。俺の配慮が足らなくてごめんね」
そう言ってティッシュを差し出してきたが、俺はやっと精液を飲み終わり、雪也の方へ顔を向けて、パカ、と口を開けてすべて飲んだことを証明した。
「飲めたの?凄いね。もしかして、普通の食事より、精液のほうが好き?」
「あはは」と笑った雪也に必死で首を横に振ると、気持ち悪さで胃が震え、未だ粘着く喉で声を振り絞る。
「…っちが、やだ…、も、のめない」
そう言った直後、胃が殴られて思いっきりひっくり返るような感覚に、思わず両手で口を覆った。
────べシャッ
吐いたのだ。出てきたのは先程の精液と胃酸。それに血混じりの何か。青臭い苦味と酸っぱいものと鉄の味が吐き出され、口を覆っていたが指の間から殆ど漏れ出た。喉は胃酸で焼けるように痛くて、雪也のTシャツを汚してしまったのが嫌で、雪也の目の前で吐いた事が怖くて、俺はなんでこうなったんだろうと思っている内に、目の前がグラグラしてくる。視界がだんだん狭くなって、浮遊感に襲われた俺は座り込んだ体勢を維持することができなくなってフローリングに倒れ込んだ。
「盟?…盟?!」
近くで俺のことを呼んでいるはずの雪也の声が、遠くに聞こえる。
普段聞くことのない、焦ったような呼びかけに、反応しなくちゃと口を開くが、音が出なくて、目を動かそうにも、視界は暗転していて目を開いているのか閉じているのか分からない。手足は思い切り吐いたせいか、全身が痺れていて動かすことが叶わない。
なにも、反応を返す手立てがない。そのうち、なんとか繋げていた意識すらテレビの電源を消すように切れた。
目が覚めて、まず目に飛び込んできたのは寝室の天井。身体に何かがのしかかってる、と身体に目を向けるといつもの紺色の掛け布団が首まで掛けられていた。もぞ、と手足を動かすと拘束はされていない。
(なんで?俺、てっきりユキを怒らせたと思っていたのに…)
「…盟、起きた?気分はどう?」
雪也は笑っていなかった。心配そうに眉をしずめて俺の頬をひと撫ですると、「少し待っていて」と言って、寝室から出ていった。
リビングの方から話し声が聞こえる。お客さんが来てるんだろう。俺は雪也の迷惑にならないように、大人しく、存在しない人間のように息を潜めていればいいや、とまた目を閉じた。
────ガラ
すぐに寝室の引き戸が引かれて、目を開いた。雪也と知らない人が入ってきたことに驚いて身を固くする。
(……だれ……。なんでココに入ってくるの…)
神経質そうな顔つきのノンフレームの眼鏡の男性。身長は雪也より少し低いくらい。でも、世間的には高身長と呼ばれる部類の方だろう。灰色のワイシャツに紺のスラックス姿で、手にダイニングチェアを持ってきていた。
ベッドの横に、ドカと椅子を置くとそこに座る。
雪也もベッドサイドに腰を下ろした。
「初めまして、一ノ瀬君。百舌の友人の佛斑です。百舌から連絡をうけて、今回こうして来ている。」
眼鏡のブリッジを押し上げて、低い声で機械のように喋る。
「ホトケさんは、俺より少し年上で、大学病院でお医者さんをしてるんだよ。」
「俺の担当は外科だがな。おまえがあまりに必死な声で電話をしてくるから、最初は何事かと思ったよ」
雪也には少し人間味のある返事を返すのか。外科医の人がなんの用なんだろう。
そう思っていたら、佛斑さんは腕を組み、足を組んで俺をじっと見た。ゆっくりと口を開く。
「百舌から頼まれて、君を診察しました。君は吐いて倒れたあと泡を吹いたらしい。俺が来た頃にも高熱による全身痙攣もあった。本来なら救急車ですぐにICU行きだが、事が事なので、まずはこのまま自宅で診察することにしました。……何から言うべきかな。…とりあえずここからか。…百舌から聞いているが、食事が苦手だと。それは合っている?」
「…はい。」
「何故か聞いてもいい?」
「…怖い、から…。お前に与えるものはないって殴られる…」
「昔の経験のトラウマ、と言うことかな。」
俺はゆっくり一つ頷いた。
「君の異常なまでに痩せている理由、摂食障害の理由が分かりました。じゃあ、次のお話をしよう。…眠れないそうだね」
「…寝たら、朝が来る…」
「朝は嫌かい?」
「……日の出てる間ごはん無いから」
「ご両親の居ない、または寝ている夜中にしか食べ物を食べれなかった?」
頷く。
「バレれば、夜中でも、殴られた。…でも俺が悪いから…仕方ない」
「辛いことをよく話してくれたね。これも、トラウマかな。今まで人の顔をよく見て機嫌を伺ってきたよね、きっと。辛かったね」
雪也がいる手前、返事がしづらかった。この3日間は、特に雪也の顔色ばかり気にしていたから。
「……次は本題に入ろう。先程、君が眠っている間に、一通りの身体の方を診察をした。現時点、先程より少し熱は下がったが、君は39度の高熱を出している。体中にも手首や足首に擦り傷や腫れているところを確認した。…それがあったから、百舌を問い詰めて、すべて白状させた。激しい性暴力、仕事を無理やり辞めさせたこと、監禁、今までの合意のない性行為、酷い孔虐、体力の無い君への長時間にわたる性的虐待。本来なら刑罰ものだ。……君はストレスと百舌への恐怖、性行為の過労で限界が来たんだ。…分かるね?」
何も言えなかった。ちらりと雪也の事を見ると、笑顔が消えたまま下を向いていて、指を固く組んでいた。
「…俺、べつに…ユキの事、怖くないです…」
「…え?」
佛斑が怪訝そうに聞き返す。
雪也も俺の言葉に振り返って目を見開いて俺を見る。
「ユキ、怖くないです。優しいです。…ユキを悪者にしないでください…。ユキは悪くない…俺が悪いから…」
「なんで…」
雪也はこのあとの言葉が紡げないようだった。「ユキが怖い」この言葉が返ってくると思っていたのだろうと言うのは、強く指を組んでいる時から何となくわかっていた。雪也が何かを反省しているときはいつも指を強く組んで、力んでその手が震えていたから。
「俺が、ユキの事、知りたいって言わなきゃ、ユキの中に土足で入らなきゃ、ユキはこんな事しなかった。…だから、悪いのは、全部俺なんです…」
「違う…!」
雪也が声をいつもより強い口調で吐き出した。
「なにが違うんだよ。俺馬鹿だけど、ユキが悪者じゃないことくらいわかる。…だって、手錠掛けてベッドから離れられない生活になっても、何かするときは必ず何かするって言ってくれた。それって、優しいのとは違うの…?」
それに、と俺は続ける。
「あの時『受け止めて』って言われて、俺なりに考えた。ちょっと特殊なのが好きだから、俺にしてきたんでしょ。俺が体力無いから着いてこれなかっただけ。ユキのこと、なにが好きで、施設出てからどんな生活を送ってたのか。どんな友達がいたのか。そういうのが聞きたくて聞いただけだったんだけど、それが少し俺とユキの間ですれ違っただけ。…ユキは悪くないよ。」
俺が目尻を下げて少し表情を和らげてそう言うと、雪也は俺に背を向けて頭を左右に振って、ベッドの縁を強く握りしめる。
「違う、違うよ。俺は盟が思ってるほど聖人じゃないし、ホトケさんの言葉を借りるなら、『狂ってる』。俺が常に笑顔理由も施設に来た理由も盟を家に引き入れた理由も、話したことないよね?ホトケさんは俺が施設に行った経緯も何年か前に話して何もかも全部知ってるから…………ここで盟にも話すよ。」
一つ深呼吸をした雪也は身を捩って俺を振り返る。
「父親は海外に長期の単身赴任で帰ってくることなんて殆ど無かった。母親は金持ちのわがままな一人娘。そんな家で育った。最初こそ愛情を受けて育ったと思う。比較的裕福で、幼稚園までは問題なんてなかった。小学校に上がるとテストが増えて勉強もやらなきゃいけなくなる。100点満点じゃないと、母親は木の棒で俺を殴るようになった。会話をするときは笑顔で接しないとまた殴られた。言葉遣いが少しでも悪いと殴られた。小学6年終わりに小学校共通全国模試で少しヘマをして、点数が全国一位じゃなかったのを見た母親は大激怒して身体に熱した天ぷら油を掛けた。中学1年のはじめの頃たまたま体育の着替えで、友達にガーゼの貼ってある治りかけの火傷と沢山のアザを見られて、友達は先生に報告。児童相談所が家に乗り込んで、俺は施設に来た。その頃には笑顔で接する癖はついてしまっていたし、愛想がいいと言われるか、気味が悪いと言われるか、どちらかだった。実際、施設でも俺を『気味の悪い子』って大人が話をしているのを聞いていた。ちっちゃくて、やせっぽちの盟だけは無垢に俺に懐いてきて、俺は弟ができた気分で、勝手に『守らなきゃ』って思ってた。だから、俺の中で盟はずっと『特別』だった。『俺だけのもの』って思ってた。海外にいた父が事態を聞きつけて元々家同士の決めた政略結婚だったらしいけど、なんとか離婚して急いで親権を取って迎えに来て。俺と盟はそれから離れ離れになってしまったけれど、社会人になって帰国して、仕事をしながら施設の近くのスーパーやコンビニ、道端を歩いているときでも、盟を探した。やっと盟に会えて、住む家に困ってるって聞いたときは天にも登る気持ちだった。これでずっと一緒にいれる。俺が盟を守る。俺だけが盟を幸せにできる。…機会をずっと伺ってた。盟は人一倍他人の顔色を見る子だったから、どうやったら今以上に気を許してくれるだろうか、ずっと考えた。盟が、俺の事を知りたいって言ったときは、今だ、と思ったよ。ぐちゃぐちゃに判らなくさせて、俺のものにしようって決めた。………でもそんなの、俺の自己満足で、盟を縛るだけ。頭では分かってた。セックスに走ったのも、盟がそういうのに極端に疎そうだったから。何かにつけてセックスで判らなくさせて、気絶させて、起きた盟を犯して潰して、手錠で逃げれないようにして。それって盟は幸せじゃないよね、って我に返っては自己嫌悪した。でも、盟の事を見ると歯止めが効かなくなって、自分のことを自分じゃ止められなかった」
長く喋った雪也は「俺って馬鹿だね」と一言付け足して、黙った。
「ユキが一年中長袖しか着ないのも、火傷のあとを隠すため?」
「……うん」
俺は雪也が着替えている姿を見たことがない。風呂も。施設にいた頃も、今の生活でも。行為のときも雪也は服を着ていた。寛げていたのはジーンズの前だけだ。水仕事をするときも、袖を少し上げるだけで肘まで絶対に捲くらない。
「何かを隠したくて長袖を着てるのはずっと分かってたよ。…火傷、痛かったな」
俺が労りの言葉を言うと、雪也はこくりと一つ頷いた。
今までの生活で雪也の料理で揚げ物が出てこなかった理由もわかった気がした。俺は料理は苦手だけれど、子供の頃に天ぷら油を掛けられたら、怖くて俺でも料理するのを避けると思うから。
ずっと黙っていた佛斑が眼鏡のブリッジを押さえながら、口を開いた。
「百舌は確かに気が狂ってる。やってる事や思い込みがおかしい。犯罪レベルだ。しかし一ノ瀬君もこの男が優しいと感じるとは大概麻痺している。かなり拗れてはいるが、要はお互い、『好き』なんだろう?恋愛感情として」
『好き』?好きって、何。頭がぐるぐるする。男の人と女の人が付き合うときに言う、アレだよな。小説とかで読むような、あの感情だよな。
…確かに俺は雪也の事は好き。でもその好きは友達としてではないのか?恋愛感情?…恋愛をしたことがないから、いまいちピンとこない。
「そう、だね。俺は盟を愛してる。この世の誰より。本当は一番ちゃんと幸せにしたい」
雪也は俺の目を見てはっきり言ってきた。
でも、俺は『恋愛感情』が分からないから、返事ができなかった。代わりの言葉を一生懸命探して、布団から右手を出すと、雪也の布団の上に置かれた手を握った。
「おれ、は…恋愛とかしたことないから……『好き』が分からない。だから教えてよ、ユキ…」
なかなか雪也から返事がなく固まっているのを、溜息を深く吐いた佛斑が「おい、」と雪也の肩を軽く殴った。
雪也は顔を少しそらすと、握っていた手をさらに強く握った。
「また、歯止めが効かなくて、盟に酷いことをするかも知れない。俺は、感情が高ぶるとそのへんのコントロールが効かないから、……正直自信がない。教えるにしても盟が嫌なときは、気にせず嫌って言ってほしい。止められるか分からないけど、止める努力はする。」
「さっきの、お前の世紀の大告白と大きく矛盾するが…まあいいだろう。お前は…お前だけは一ノ瀬君を苦しませる、悲しませる真似は絶対にするなよ。…次、お前のせいで一ノ瀬君が倒れて俺を呼ぶ、または病院に運ぶことをしてみろ。俺がお前のことをメスでズタズタに切り刻んで山に捨てるからな。…分かったか。」
物凄い剣幕で佛斑は雪也に告げると、胸ポケットから紙を取り出した。
「百舌、薬局に行ってこのリストに載ってる薬を買ってこい。今日は個人で呼び出されているから俺は処方箋を出せない。このリストの薬で代用が効くから、今すぐ買ってこい。今すぐだ」
「分かった。……盟、ホトケさんと二人で大丈夫?」
「俺が手を出すとでも思っているのか。さっさと行け」
「ホトケさんだって、ゲイのくせに」
「煩い、早く行け!」
佛斑は一喝すると、雪也は「はいはい」とベッドから立ち上がって、寝室の入り口で俺の顔を見て微笑むと「行ってくるね」と言って、部屋を後にした。
部屋に静寂が流れる。俺は布団を口元まで引き上げて気まずい気持ちになっていた。
少し経って、俺がポツリと口を開いた。
「…佛斑さん、ゲイなんですか」
「何か問題でも?」
「…あの。好きってなんですか?」
「恋愛漫画や、その手の映画やテレビなどは見たことはないのか?」
「ないです。…多少小説を読むけど、だいたい昔の推理小説ばかりで」
「…そうだな…その人を見るとドキドキしたり、今相手が何しているのか意味もなく考えたり。頭の中で相手がチラついて、何も手がつかなくなったり。好きになりたての症状と言ったらこんなものか。」
「まるで病気ですね」
「恋の病、とも言うからな」
「そういう経験、あるんですか。他の考え事に手が付かないくらい相手のことを考えたこと」
「無いわけじゃない。だが、大体の人間は成長過程で大人になるまでにそういうものはコントロールが出来るようになる」
「…今、お相手はいるんですか?」
「…聞いてどうする」
「気を悪くしたら、すみません。」
「いるにはいる。お互い医療関係者で忙殺されてるから、なかなか会えんがな」
「そうなんですね…すごいや…。好きに、なる、っ…て…」
いきなり襲ってきた眠気に、俺は佛斑との楽しい話の途中だったのに、寝落ちをしてしまった。
「……百舌からずっと話には聞いて、あいつが潰して殺してしまう前に医者として早くはやにえから助けてやらんと、とは思っていたが……この子の心は傷だらけだが、24歳と言っていたか…その歳にしては純粋すぎる。それがあいつの付け入る隙を与えた挙句、暴走に拍車を掛けたんだな」
佛斑は訥々と、独り言を話す。
「愛しくて愛情が歪んだ者と、愛を知らない者、か。……壊れもの同士だな」
初日は目隠しをされ手錠で両手を繋がれ、雪也が仕事に行っている間はバイブをアナルに入れて放置。帰ってきてローションガーゼでペニスをいじめられて、最後は雪也の凶器のようなペニスが俺のアナルを蹂躙する。
2日目はエネマグラとかいうやつをアナルに入れられ、貞操帯をつけられて、右手と右足、左手と左足を縛られて、身動きが許されない状態で放置。雪也が帰ってきて、何度も何度もイかされ、精液の色が無くなっても、空イキになっても止めてもらえず、気絶するまで抱き潰された。
ここ2日の生活のせいで昼夜も分からず日付感覚がなくなっていたが、どうやら今日は土曜日らしくて、雪也が休日で家にいる。
俺は手錠を外すことを許されて、「これなら着てていいよ」と渡された、俺からしたらかなり大きい雪也のTシャツに袖を通す。下着やズボンは履くことは許されなかった。それでも何も着ないよりは幾分かマシだ。Tシャツでも、服を着ると体温が少し上がって「寒くない」と感じられた。
久しぶりに暗い寝室から出ることも許された。
最初はベッドから降りて(落ちて)暫く足腰も立たず子鹿のように立ち上がれなかったが、何かに掴まれば歩行が可能になった。2日間、ベッドで拘束され、寝転がされて喘ぐだけの生活は、俺の体力と筋力をかなり奪っていたらしい。
やっと、明るいリビングダイニングキッチンの部屋に行くと、ダイニングで雪也が大きめのスケッチブックに鉛筆を夢中で走らせていた。
「…ユ、キ……」
何日も散々喘がされてカサカサになった俺の声は、3日間抱かれた疲れもあり、いろんなものが相まって気の弱い声だった。
「ああ、おはよう。どうしたの?喉乾いた?お風呂?それともお手洗い?ご飯かな?」
矢継ぎ早に聞く雪也に、緩く首を振って、小さく「それ、絵?」と訊ねてみた。
「ん?そうだよ。見る?」
渡してきたスケッチブックを両手で受け取り、さっきまで描いていたページを見せてもらった。
人物画だ。というより、ワンシーンが描かれている感じ。手が顔より上で纏められていて、足はピンと伸び、腰は引けて背中が弓なりに反っている。ペニスが見える…ペニスに棒が刺さってる?…これ、あの日の……ペニスに棒を突き立てられ散々いじめられたあの日のスケッチ?
(…じゃあ、この泣きそうな…よだれをこぼしながらいやらしい顔してるのは、俺?)
タッチが柔らかく、鉛筆のみのスケッチなのに写実的で今にも動き出しそうで、陰影のせいか、かなり卑猥だった。そこらへんの上手い絵とかじゃなくて、モノクロ写真のような絵。本当に鉛筆だけで描いたのか疑うレベルの絵だった。だから、余計に現実味があって生々しかった。
顔を真っ赤にしてスケッチブックをゆっくり雪也に返した。
「もういいの?」
「うん、ありがと…絵、上手だね。凄い」
顔が赤いのを隠すように、手の甲を口に当てて顔を雪也から背ける。Tシャツの裾をものすごく引っ張った。
雪也はおもむろにTシャツを引っ張る手を掴むと、Tシャツから手を離すタイミングを失った俺の手ごとペロリとTシャツをいとも簡単に捲る。
「…あっ」
「あはは。どうしたの、これ。俺のスケッチ見て興奮しちゃったんだ?」
「違っ…」
「違わないでしょ。絵の中の自分のエッチな姿を見て、興奮したんでしょ?」
俺の立ち上がり掛けたペニスを、さっきまで鉛筆を握っていた指でピンと弾き、中指と人差し指で雁首を挟むと、亀頭だけをグリグリと親指が虐める。
いきなりの刺激に、Tシャツから手を離しかけたが、「ちゃんとTシャツ上げててね」と釘を刺された。
「あっああっ、やめ、やらッさきっぽばっか、やっ…アアッんんっ!!!」
腰を引いて逃げようとするがしっかり反対の手を腰に回されてホールドされる。
「やあぁあっらめっ、出る、も、やぁっ!出ちゃ…から、ひァッアッアアアッ」
ぷしっ、と情けない音を立てて俺のペニスから放たれた精液が雪也の手を汚した。3日前からずっと犯され続けた俺の精液は、微かに白濁をしただけの、粘り気もない量の少ないものだった。
身体から力が抜けて、雪也から離れるように2歩後ろに下がって、ペタンと座り込んでしまった。
はあ、はあ、と肩で息をする俺に、同じ視線になるように椅子から降りてしゃがんだ雪也が頭を撫でた。
「俺も、あの時の盟を思い出しながら描いてて興奮してるんだ。盟、手伝ってよ」
そう言ってダイニングチェアに腰掛けた雪也がジーンズを寛げてペニスを取り出す。
「さあ、こっちに来て、手伝って?」
「…て、手伝う、って……俺、何する、の…?」
「フェラ…もしかして知らない?まあ…盟がしたことも、されたこともあったらびっくりだけどね。俺のペニスを咥えて、口で扱いて、舐めて、吸って?ほら、ここに来て」
「く、口で?……む、無理だ、それ入らない…」
首を振って拒否をしていると、手首を取られて強い力で引かれた。
雪也の前まで来て、ペニスの前に座らされる。目の前で尿道口からつぷりと汁が滲んで幹を伝っていった。
あまり拒否していると、また手錠で繋がれるかもしれない。そう思ってゆっくり口を開くと雪也のペニスを口に含んだ。
大きくて、顎が外れそうになる。恐る恐る亀頭の辺りを舌先でペロリペロリと舌を這わす。歯を立ててはいけないというのは、同じ男だからなんとなく分かった。
「初めてだからしょうがないけど、下手だね。咥えきれないところは両手で扱くんだよ。ほら、両手出して」
両手を取られ、雪也のペニスを掴まされる。ドクドクと脈打つ熱い幹に、手を離したい気持ちになる。だって他人のなんて、人生で一度も触ったことない。
雪也の言うとおりに両手でただただ上下に扱く。言われたとおり頭を前後に動かして喉の奥までペニスを含む。えづきそうな先走りの味、でもえづいたらきっと雪也は機嫌を損ねる。雁首を舌先で舐めて尿道口を吸った。必死で、目をキツく閉じて、「早く終わって」と思いながら手と口を動かす。涎か、先走りが口の端から溢れて顎を伝ってポタポタと糸を引いて床に落ちる。
「動きが良くなってきた。飲み込みが早くて俺は嬉しいよ。…そうだ。舌ピアスあいてたよね。ピアスのところで先を抉ったら気持ちいいかも。」
ピアスは舌の中央より少し先の方についている。咥える角度を変えてピアスを擦り付けるように亀頭を舐める。雪也は何も言葉は発しなかったが、ペニスの幹がビクビクと強く脈打ってまた太さを増したのを、手で扱いている時に感じた。…嫌だ、これはもしかして。「早く終わって」とは思っていたが、口の中に射精するつもりなのか。
怯んで一度舌を引いたら、頭を撫でられ、グッとペニスを深く含まされた。
「ぅぐっ」
「出すよ、飲んでね」
────びゅるっびゅるるるるるるっ
喉の奥に打ち付ける熱くて苦いものに吐きそうになるが、ペニスが落ち着くまで口を離せなかった。
そして落ち着いた頃、押さえつけられていた手が離れて、口を離すと、ごぷ、と口から溢れてしまった精液を食い止めるため、慌てて両手で口を押さえる。指の間から少し漏れたが、ちょっとずつ、ちょっとずつ飲み込んでいく。
味わったことのない、苦くて、えぐみがあって、青臭い、粘ついて、濃い、他人から出た体液。ちょっと飲んでは吐きそうになり、ちょっと飲んでは吐きそうになりを繰り返す。およそ飲むものでは無いとは分かっているが、雪也が「飲んで」と言うなら、飲み込むしかない。口を覆ったまま下を向いて暫く飲み込むのに一生懸命で動けないでいると、時間がかかりすぎているからか、頭の上から「…平気?」と降ってきた。
「食べ物も食べるの苦手なのに、精液飲むのは、盟にはかなりキツかったかな。俺の配慮が足らなくてごめんね」
そう言ってティッシュを差し出してきたが、俺はやっと精液を飲み終わり、雪也の方へ顔を向けて、パカ、と口を開けてすべて飲んだことを証明した。
「飲めたの?凄いね。もしかして、普通の食事より、精液のほうが好き?」
「あはは」と笑った雪也に必死で首を横に振ると、気持ち悪さで胃が震え、未だ粘着く喉で声を振り絞る。
「…っちが、やだ…、も、のめない」
そう言った直後、胃が殴られて思いっきりひっくり返るような感覚に、思わず両手で口を覆った。
────べシャッ
吐いたのだ。出てきたのは先程の精液と胃酸。それに血混じりの何か。青臭い苦味と酸っぱいものと鉄の味が吐き出され、口を覆っていたが指の間から殆ど漏れ出た。喉は胃酸で焼けるように痛くて、雪也のTシャツを汚してしまったのが嫌で、雪也の目の前で吐いた事が怖くて、俺はなんでこうなったんだろうと思っている内に、目の前がグラグラしてくる。視界がだんだん狭くなって、浮遊感に襲われた俺は座り込んだ体勢を維持することができなくなってフローリングに倒れ込んだ。
「盟?…盟?!」
近くで俺のことを呼んでいるはずの雪也の声が、遠くに聞こえる。
普段聞くことのない、焦ったような呼びかけに、反応しなくちゃと口を開くが、音が出なくて、目を動かそうにも、視界は暗転していて目を開いているのか閉じているのか分からない。手足は思い切り吐いたせいか、全身が痺れていて動かすことが叶わない。
なにも、反応を返す手立てがない。そのうち、なんとか繋げていた意識すらテレビの電源を消すように切れた。
目が覚めて、まず目に飛び込んできたのは寝室の天井。身体に何かがのしかかってる、と身体に目を向けるといつもの紺色の掛け布団が首まで掛けられていた。もぞ、と手足を動かすと拘束はされていない。
(なんで?俺、てっきりユキを怒らせたと思っていたのに…)
「…盟、起きた?気分はどう?」
雪也は笑っていなかった。心配そうに眉をしずめて俺の頬をひと撫ですると、「少し待っていて」と言って、寝室から出ていった。
リビングの方から話し声が聞こえる。お客さんが来てるんだろう。俺は雪也の迷惑にならないように、大人しく、存在しない人間のように息を潜めていればいいや、とまた目を閉じた。
────ガラ
すぐに寝室の引き戸が引かれて、目を開いた。雪也と知らない人が入ってきたことに驚いて身を固くする。
(……だれ……。なんでココに入ってくるの…)
神経質そうな顔つきのノンフレームの眼鏡の男性。身長は雪也より少し低いくらい。でも、世間的には高身長と呼ばれる部類の方だろう。灰色のワイシャツに紺のスラックス姿で、手にダイニングチェアを持ってきていた。
ベッドの横に、ドカと椅子を置くとそこに座る。
雪也もベッドサイドに腰を下ろした。
「初めまして、一ノ瀬君。百舌の友人の佛斑です。百舌から連絡をうけて、今回こうして来ている。」
眼鏡のブリッジを押し上げて、低い声で機械のように喋る。
「ホトケさんは、俺より少し年上で、大学病院でお医者さんをしてるんだよ。」
「俺の担当は外科だがな。おまえがあまりに必死な声で電話をしてくるから、最初は何事かと思ったよ」
雪也には少し人間味のある返事を返すのか。外科医の人がなんの用なんだろう。
そう思っていたら、佛斑さんは腕を組み、足を組んで俺をじっと見た。ゆっくりと口を開く。
「百舌から頼まれて、君を診察しました。君は吐いて倒れたあと泡を吹いたらしい。俺が来た頃にも高熱による全身痙攣もあった。本来なら救急車ですぐにICU行きだが、事が事なので、まずはこのまま自宅で診察することにしました。……何から言うべきかな。…とりあえずここからか。…百舌から聞いているが、食事が苦手だと。それは合っている?」
「…はい。」
「何故か聞いてもいい?」
「…怖い、から…。お前に与えるものはないって殴られる…」
「昔の経験のトラウマ、と言うことかな。」
俺はゆっくり一つ頷いた。
「君の異常なまでに痩せている理由、摂食障害の理由が分かりました。じゃあ、次のお話をしよう。…眠れないそうだね」
「…寝たら、朝が来る…」
「朝は嫌かい?」
「……日の出てる間ごはん無いから」
「ご両親の居ない、または寝ている夜中にしか食べ物を食べれなかった?」
頷く。
「バレれば、夜中でも、殴られた。…でも俺が悪いから…仕方ない」
「辛いことをよく話してくれたね。これも、トラウマかな。今まで人の顔をよく見て機嫌を伺ってきたよね、きっと。辛かったね」
雪也がいる手前、返事がしづらかった。この3日間は、特に雪也の顔色ばかり気にしていたから。
「……次は本題に入ろう。先程、君が眠っている間に、一通りの身体の方を診察をした。現時点、先程より少し熱は下がったが、君は39度の高熱を出している。体中にも手首や足首に擦り傷や腫れているところを確認した。…それがあったから、百舌を問い詰めて、すべて白状させた。激しい性暴力、仕事を無理やり辞めさせたこと、監禁、今までの合意のない性行為、酷い孔虐、体力の無い君への長時間にわたる性的虐待。本来なら刑罰ものだ。……君はストレスと百舌への恐怖、性行為の過労で限界が来たんだ。…分かるね?」
何も言えなかった。ちらりと雪也の事を見ると、笑顔が消えたまま下を向いていて、指を固く組んでいた。
「…俺、べつに…ユキの事、怖くないです…」
「…え?」
佛斑が怪訝そうに聞き返す。
雪也も俺の言葉に振り返って目を見開いて俺を見る。
「ユキ、怖くないです。優しいです。…ユキを悪者にしないでください…。ユキは悪くない…俺が悪いから…」
「なんで…」
雪也はこのあとの言葉が紡げないようだった。「ユキが怖い」この言葉が返ってくると思っていたのだろうと言うのは、強く指を組んでいる時から何となくわかっていた。雪也が何かを反省しているときはいつも指を強く組んで、力んでその手が震えていたから。
「俺が、ユキの事、知りたいって言わなきゃ、ユキの中に土足で入らなきゃ、ユキはこんな事しなかった。…だから、悪いのは、全部俺なんです…」
「違う…!」
雪也が声をいつもより強い口調で吐き出した。
「なにが違うんだよ。俺馬鹿だけど、ユキが悪者じゃないことくらいわかる。…だって、手錠掛けてベッドから離れられない生活になっても、何かするときは必ず何かするって言ってくれた。それって、優しいのとは違うの…?」
それに、と俺は続ける。
「あの時『受け止めて』って言われて、俺なりに考えた。ちょっと特殊なのが好きだから、俺にしてきたんでしょ。俺が体力無いから着いてこれなかっただけ。ユキのこと、なにが好きで、施設出てからどんな生活を送ってたのか。どんな友達がいたのか。そういうのが聞きたくて聞いただけだったんだけど、それが少し俺とユキの間ですれ違っただけ。…ユキは悪くないよ。」
俺が目尻を下げて少し表情を和らげてそう言うと、雪也は俺に背を向けて頭を左右に振って、ベッドの縁を強く握りしめる。
「違う、違うよ。俺は盟が思ってるほど聖人じゃないし、ホトケさんの言葉を借りるなら、『狂ってる』。俺が常に笑顔理由も施設に来た理由も盟を家に引き入れた理由も、話したことないよね?ホトケさんは俺が施設に行った経緯も何年か前に話して何もかも全部知ってるから…………ここで盟にも話すよ。」
一つ深呼吸をした雪也は身を捩って俺を振り返る。
「父親は海外に長期の単身赴任で帰ってくることなんて殆ど無かった。母親は金持ちのわがままな一人娘。そんな家で育った。最初こそ愛情を受けて育ったと思う。比較的裕福で、幼稚園までは問題なんてなかった。小学校に上がるとテストが増えて勉強もやらなきゃいけなくなる。100点満点じゃないと、母親は木の棒で俺を殴るようになった。会話をするときは笑顔で接しないとまた殴られた。言葉遣いが少しでも悪いと殴られた。小学6年終わりに小学校共通全国模試で少しヘマをして、点数が全国一位じゃなかったのを見た母親は大激怒して身体に熱した天ぷら油を掛けた。中学1年のはじめの頃たまたま体育の着替えで、友達にガーゼの貼ってある治りかけの火傷と沢山のアザを見られて、友達は先生に報告。児童相談所が家に乗り込んで、俺は施設に来た。その頃には笑顔で接する癖はついてしまっていたし、愛想がいいと言われるか、気味が悪いと言われるか、どちらかだった。実際、施設でも俺を『気味の悪い子』って大人が話をしているのを聞いていた。ちっちゃくて、やせっぽちの盟だけは無垢に俺に懐いてきて、俺は弟ができた気分で、勝手に『守らなきゃ』って思ってた。だから、俺の中で盟はずっと『特別』だった。『俺だけのもの』って思ってた。海外にいた父が事態を聞きつけて元々家同士の決めた政略結婚だったらしいけど、なんとか離婚して急いで親権を取って迎えに来て。俺と盟はそれから離れ離れになってしまったけれど、社会人になって帰国して、仕事をしながら施設の近くのスーパーやコンビニ、道端を歩いているときでも、盟を探した。やっと盟に会えて、住む家に困ってるって聞いたときは天にも登る気持ちだった。これでずっと一緒にいれる。俺が盟を守る。俺だけが盟を幸せにできる。…機会をずっと伺ってた。盟は人一倍他人の顔色を見る子だったから、どうやったら今以上に気を許してくれるだろうか、ずっと考えた。盟が、俺の事を知りたいって言ったときは、今だ、と思ったよ。ぐちゃぐちゃに判らなくさせて、俺のものにしようって決めた。………でもそんなの、俺の自己満足で、盟を縛るだけ。頭では分かってた。セックスに走ったのも、盟がそういうのに極端に疎そうだったから。何かにつけてセックスで判らなくさせて、気絶させて、起きた盟を犯して潰して、手錠で逃げれないようにして。それって盟は幸せじゃないよね、って我に返っては自己嫌悪した。でも、盟の事を見ると歯止めが効かなくなって、自分のことを自分じゃ止められなかった」
長く喋った雪也は「俺って馬鹿だね」と一言付け足して、黙った。
「ユキが一年中長袖しか着ないのも、火傷のあとを隠すため?」
「……うん」
俺は雪也が着替えている姿を見たことがない。風呂も。施設にいた頃も、今の生活でも。行為のときも雪也は服を着ていた。寛げていたのはジーンズの前だけだ。水仕事をするときも、袖を少し上げるだけで肘まで絶対に捲くらない。
「何かを隠したくて長袖を着てるのはずっと分かってたよ。…火傷、痛かったな」
俺が労りの言葉を言うと、雪也はこくりと一つ頷いた。
今までの生活で雪也の料理で揚げ物が出てこなかった理由もわかった気がした。俺は料理は苦手だけれど、子供の頃に天ぷら油を掛けられたら、怖くて俺でも料理するのを避けると思うから。
ずっと黙っていた佛斑が眼鏡のブリッジを押さえながら、口を開いた。
「百舌は確かに気が狂ってる。やってる事や思い込みがおかしい。犯罪レベルだ。しかし一ノ瀬君もこの男が優しいと感じるとは大概麻痺している。かなり拗れてはいるが、要はお互い、『好き』なんだろう?恋愛感情として」
『好き』?好きって、何。頭がぐるぐるする。男の人と女の人が付き合うときに言う、アレだよな。小説とかで読むような、あの感情だよな。
…確かに俺は雪也の事は好き。でもその好きは友達としてではないのか?恋愛感情?…恋愛をしたことがないから、いまいちピンとこない。
「そう、だね。俺は盟を愛してる。この世の誰より。本当は一番ちゃんと幸せにしたい」
雪也は俺の目を見てはっきり言ってきた。
でも、俺は『恋愛感情』が分からないから、返事ができなかった。代わりの言葉を一生懸命探して、布団から右手を出すと、雪也の布団の上に置かれた手を握った。
「おれ、は…恋愛とかしたことないから……『好き』が分からない。だから教えてよ、ユキ…」
なかなか雪也から返事がなく固まっているのを、溜息を深く吐いた佛斑が「おい、」と雪也の肩を軽く殴った。
雪也は顔を少しそらすと、握っていた手をさらに強く握った。
「また、歯止めが効かなくて、盟に酷いことをするかも知れない。俺は、感情が高ぶるとそのへんのコントロールが効かないから、……正直自信がない。教えるにしても盟が嫌なときは、気にせず嫌って言ってほしい。止められるか分からないけど、止める努力はする。」
「さっきの、お前の世紀の大告白と大きく矛盾するが…まあいいだろう。お前は…お前だけは一ノ瀬君を苦しませる、悲しませる真似は絶対にするなよ。…次、お前のせいで一ノ瀬君が倒れて俺を呼ぶ、または病院に運ぶことをしてみろ。俺がお前のことをメスでズタズタに切り刻んで山に捨てるからな。…分かったか。」
物凄い剣幕で佛斑は雪也に告げると、胸ポケットから紙を取り出した。
「百舌、薬局に行ってこのリストに載ってる薬を買ってこい。今日は個人で呼び出されているから俺は処方箋を出せない。このリストの薬で代用が効くから、今すぐ買ってこい。今すぐだ」
「分かった。……盟、ホトケさんと二人で大丈夫?」
「俺が手を出すとでも思っているのか。さっさと行け」
「ホトケさんだって、ゲイのくせに」
「煩い、早く行け!」
佛斑は一喝すると、雪也は「はいはい」とベッドから立ち上がって、寝室の入り口で俺の顔を見て微笑むと「行ってくるね」と言って、部屋を後にした。
部屋に静寂が流れる。俺は布団を口元まで引き上げて気まずい気持ちになっていた。
少し経って、俺がポツリと口を開いた。
「…佛斑さん、ゲイなんですか」
「何か問題でも?」
「…あの。好きってなんですか?」
「恋愛漫画や、その手の映画やテレビなどは見たことはないのか?」
「ないです。…多少小説を読むけど、だいたい昔の推理小説ばかりで」
「…そうだな…その人を見るとドキドキしたり、今相手が何しているのか意味もなく考えたり。頭の中で相手がチラついて、何も手がつかなくなったり。好きになりたての症状と言ったらこんなものか。」
「まるで病気ですね」
「恋の病、とも言うからな」
「そういう経験、あるんですか。他の考え事に手が付かないくらい相手のことを考えたこと」
「無いわけじゃない。だが、大体の人間は成長過程で大人になるまでにそういうものはコントロールが出来るようになる」
「…今、お相手はいるんですか?」
「…聞いてどうする」
「気を悪くしたら、すみません。」
「いるにはいる。お互い医療関係者で忙殺されてるから、なかなか会えんがな」
「そうなんですね…すごいや…。好きに、なる、っ…て…」
いきなり襲ってきた眠気に、俺は佛斑との楽しい話の途中だったのに、寝落ちをしてしまった。
「……百舌からずっと話には聞いて、あいつが潰して殺してしまう前に医者として早くはやにえから助けてやらんと、とは思っていたが……この子の心は傷だらけだが、24歳と言っていたか…その歳にしては純粋すぎる。それがあいつの付け入る隙を与えた挙句、暴走に拍車を掛けたんだな」
佛斑は訥々と、独り言を話す。
「愛しくて愛情が歪んだ者と、愛を知らない者、か。……壊れもの同士だな」
0
あなたにおすすめの小説
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる