常夜の徒然なる日常 瑠璃色の夢路

真野蒼子

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第一章

第二話 鯉屋の若旦那

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 目が覚めると私は水に囲まれていた。
 内臓を書き回されたのではないかと思うほどの不快感は体を動かす事すら難しく、目だけをきょろりと動かした。
 周囲はぐるりと水壁で、その中を錦鯉にしきごいが悠然と泳いでいる。鱗が差し込む光を跳ね返し輝く様はとても美しい。ぐぐっと踏ん張り体を起こすと、床と柱は朱塗りで壁が無い。
 水没した厳島神社、じゃないわよね。
 いつの間にか水族館でも出来たのだろうか。瑠璃はふらつく頭を抑えたが耐え切れず、再びぐらりと床へ倒れていく。
 すると、床にぶつかる前に誰かが身体を支えてくれた。

「いきなり動かない方が良いよ」
「あんた」
「お目覚めかな、瑠璃姫様」
「姫と呼ばれる覚えはないんだけど」
「黒曜さんの娘なら鯉屋の姫だよ」
「……意味が分からないわ」

 しっかりと抱きかかえてくれたのはこの事態に追い詰めてきた青年だった。
 瑠璃は距離を取ろうとするが、思っている以上に身体が重くて動かない。けれど青年は何も言わずくすくすと笑うだけだ。

「ここは鯉屋。僕は鯉屋の主でなつめゆいというんだ。若旦那って呼ばれてるよ」
「鯉屋って……」

 それは父が納品する予定だったと思われる店の名前だが、まさかこんな怪しい奴だとは思ってもいなかった。
 ぎりっと奥歯を強く噛むと、ふいに青年の後方から声がした。

「今度の跡取りは女か」
「この子は跡取りじゃないですよ」
「同じだろ」

 一体誰だと覗き込むと、そこには三人の人物がいた。
 一人は整った顔立ちの青年でとても背が高い。レザーのパンツに黒いジャケットという黒尽くめだが、気になるのは腰に下げている物だ。それは明らかに西洋剣で、あろうことか父の部屋にあった物とよくにている。
 その後ろにいるのはまだ子供のようだが、少女とも少年とも付かない顔立ちをしている。金魚の尾のようにひらひらした着物が良く似合っているが、どこか創作めいたデザインはあまりにも非日常的だ。
 そして最後の一人が最も異様だった。全身がかくれるほどのマントに真っ白な狐面を付けている。性別も年齢も分からないが、ふんぞり返っているのを見るに一番偉いのかもしれない。この面々を見ると単なる和服の若旦那が普通に見えてくる。
 あんたらおかしいんじゃないのと言ってやろうと思ったが、その時ありえない物が目に映った。若旦那の背後にある生き物が飛んでいるのだ。

「金魚……!?」
「へえ。やっぱり見えてるんだね」
「気にならない方がおかしいでしょう! 飛ばないわよ金魚は!」
「そうじゃないよ。これは跡取りと金魚屋にしか見えないんだ」
「は? あっ……!」

 何の説明にもなってない。意味が分からなかったが、それを追求することは許さないとでも言うかのように内臓が揺れた。

「くっ……!」
「しまった。まだ飴が馴染んでないんだ。ひよちゃん」
「はいっ!」

 ひよちゃんと呼ばれて駆け寄って来たのは金魚のような性別不明の子供だった。子供は腰にぶら下げていた竹筒を取ると、ずいっと差し出してきた。

「《金魚湯》です! どうぞ!」
「き、金魚湯?」
「鎮魂効果のある白湯だよ。飴の吸収を促進してくれる。金魚で出汁とってるわけじゃないから安心してね」
「……結構です」
「飲まなきゃ死ぬよ」
「毒かもしれないじゃない」
「用心深いね。そういうところ黒曜さんそっくり。いいから飲んで」
「んぐっ!」

 唐突に親子共々けなされて、言い返してやろうと思ったがそれよりも早くに若旦那が金魚湯だという竹筒を掴んで口に突っ込んできた。
 黒尽くめの青年はあーあとため息を吐いているが、ひよちゃんとやらはこの状態を見てにこにこと笑っている。狐面は何も言わないが、何となく馬鹿にされている雰囲気は感じ取れる。
 しかしこうされては飲まなければ終わらない。ごくりごくりと飲み干すと、ようやく若旦那は手を離してくれた。

「はい。よくできました」

 ぱちぱちと明らかに見下したような拍手をして、私はついにキレた。

「あんたいい加減にしなさいよ!」

 ポケットに入れっぱなしだった腕輪を引っ掴んで若旦那の顔目掛けて投げつけた。けれどそれは若旦那の頬を掠めてあらぬ方向へと飛んで行った。余裕で交わされイラっとしたが、突如若旦那の真後ろで何かが破裂した。

「きゃっ!」
「何!?」
「あああ! 金魚が!」
「金魚?」

 どうやら腕輪がぶつかり破裂したのうあ金魚のようだった。破裂音を聞いて黒尽くめの青年は素早く剣を抜き、狐面を守るように背に庇った。
 『ひよちゃん』はわああんと涙を流して破裂した金魚を金魚鉢に入れ、腰に下げていた竹筒を傾けた。中から金魚湯と思われる水がばしゃばしゃと流れ出て、しばらくすると金魚は再び動き出した。

「え? 何? どうしたの?」

 何が起きたのか理解は追い付いていないが、まずいことをしたのだろうことは分かった。若旦那が悪鬼のごとく目を吊り上げ怒りを顕わにしている。腕輪がぶつかったのか、白い頬には赤い一線がにじみ出ていた。

「……何のつもりだ」
「な、何って、何よ」
「本当に黒曜の娘か? 彼の信念に反する」
「《破魔屋はまや》にもな」
「だから何でお父さんのこと知ってるのよ! 信念て何! 『はまや』って何!」
「破魔の店と書いて破魔屋。鯉屋傘下の店だよ」

 若旦那は破裂音の原因だったであろう腕輪を拾い上げた。それはもう腕輪の形は成しておらず、テグスが切れて石が散らばっていった。
 その一つを『ひよちゃん』が拾い、確かめるように転がすと若旦那を見て大きく頷いた。

「現世で《破魔矢はまや》を作るなんてさすが黒曜さんの娘だ」
「……何の話かさっぱりだわ。家に帰して」
「帰れないよ」
「帰るわよ!」

 はあ、と若旦那は面倒くさそうにため息を吐いた。
 そして右手を上げると水壁から一斉に泳いでいた錦鯉が飛び出て来た。金魚と同じように宙を飛び、若旦那を守るように踊り始める。

「……何、なの」
「未練を持って死んだ魂は金魚になり、金魚は鯉屋で輪廻する。これこそ黒曜さんが守り続けた世界の理」
「お、お父さんが?」
「ここは魂が生きる《常夜とこよ》。時は流れず夜が明けることは無く現世と交わることは無い」

 錦鯉に取り囲まれた。見る限りはただの錦鯉にしか見えないけれど、意思疎通ができない生き物とは思えないほどその目はぎらぎらと睨み付けてくる。
 若旦那は腰辺りを泳いでいた一等美しい錦鯉を撫でて妖しく微笑んだ。

「君は帰れない」
「知らないわ。帰して」
「帰らない方が良いと思うよ」

 若旦那はくすっと笑うと視線を私のさらに後ろへ向けた。そこには白い狐面が一人いたが、その手には一人の女を横抱きにしている。
 あの子は。
 それはとても良く知っている顔だった。
 私だ。私と同じ顔だ。

石動いするぎ玻璃はり。君の妹だ」
「……私一人っ子なんだけど」
「あれ? 聞いてないの? 君は双子で、妹は離婚した奥さんが引き取ったんだよ」
「知らないわよ! 妹だとしてそれが何だっていうのよ! いいから家に帰して!」

「帰してあげてもいいけど、君もあの子も既に魂だ。戻れば死ぬよ。とはいえ常夜は死者の魂しかいないから死んでるようなものだけど」
 若旦那の流し目で錦鯉は踊り狂った。餌を与えられた池の鯉のようにはしゃぎまわっているのが気持ち悪く思える。

「さあ選択だ。死ぬかい? それとも死ぬかい?」

 若旦那は微笑んだ。差し伸べられた手が何を意味しているのか、私には分からなかった。
 それでも私はその手を取った。信じたわけでも惚れたわけでもない。ただ彼の腕に生前父が作った腕輪がはめられていたからだった。
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