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第一章
第二十四話 選択(二)
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「黒曜様はこうおっしゃってらしたわ。瑠璃が受け入れられなければ現世に留めてやりたいと」
紫音は髪から簪を引き抜いた。いつもは黒い簪を付けているけれど今日は赤い。赤――
赤い簪が紫音の髪から解き放たれると、それはくるりと身を翻し手のひらに乗るくらいの錦鯉へと姿を変えた。
「これは」
「黒曜様の錦鯉よ。正真正銘、最初で最後」
「お父さんの、って……」
それは、どっちだろう。
錦鯉には二種類いる。跡取りの遺体を用いた錦鯉と養殖の錦鯉だ。今目の前に泳いでるのは錦鯉に見えるということは養殖だろう。
でも、何となくこれは……
「この子が現世に留めてくれるわ。あなたの魂の補填もしてくれる」
「え!? 何で!? それができないから常夜の飴が必要だったんじゃないの!?」
「それは若旦那ができないというだけね。黒曜様はいくらでも手段をお持ちだったわ」
「……初耳ですね」
「赤ん坊に毛が生えた程度のあなたが黒曜様に敵うわけがないでしょう」
若旦那はむっとして口を尖らせた。こういう子供っぽいところもあるんだ、意外と。
「黒曜様は知って欲しかったの。常夜と現世の二つを知ったうえで自分の生きる場所を選んで欲しかったのよ」
「けどそうなったら常夜は」
「黒曜様のように納品してくれればいいわよ。御縁神社に預けてくれれば叶冬が持って来れるもの」
「それは、ちょっと思ってたよ……」
そうなんだ。お父さんは私が生まれる前からあの家に住んでいた。つまり常夜にいなくたって、破魔矢さえ渡すことができればいいんだ。
「私はあなたが現世に戻ることを選んだら常夜との橋渡しをするわ。それが私の頂いたお役目。けど……」
紫音は私の耳元に顔を寄せると私にしか聞こえない小声でひっそりと言った。
「結様にはあなたが必要だと思うわ」
「へ? なんで?」
「考えてごらんなさい。あなたを常夜に置くのはとても面倒なのよ。私の顔を立てなきゃいけないし飴を欠かさず与えないといけないし出目金から守らなきゃいけないし破魔屋との対立は免れないし――……どう考えても現世から納品するのが一番効率が良いのよ。今まで黒曜様がなさっていた運用にのっければいいんだもの。だから驚いたわ。結様が自ら面倒事を迎えに行ったなんて、とうとう忙しさで気がふれたのかと思った」
「そ、それは……」
「それに、きっと黒曜様もそう思ってる」
「若旦那に私が必要って?」
「ええ。黒曜様は娘達と同じくらい結様のことも心配なさっていたの。自分が死んだら同じ苦しみを若旦那に乗せることになるけど、兄しか頼る相手のいないあの子は潰されてしまうのではないだろうかって」
そっか。現世でも友達がいなかったっていうし、人に甘える方法を知らないのかもしれない。
「それに、あなたも」
「私?」
「黒曜様がいなくなって頼れる人はいる?」
「え」
「突如現れた母親と妹を黒曜様と同じように大切にできる? 黒曜様ご自身が手放した人達のことを」
「それは……」
「薄情に思うかもしれないけど、黒曜様から奥様と玻璃のことを聞いたことはなかったわ。心配なさるのはいつでも結様のこと。みんなは若旦那がいれば大丈夫だって言うけれど、本当はそうじゃないことを黒曜様は分かってらした」
紫音の真っ白な指先が私の頬に触れた。指先はひんやりとしている。
「あなたを犠牲にしたんじゃない。託したのよ。結様のことを、ひいてはこの世界のことを」
「……若旦那は必要な人だもんね」
「あなたもよ」
私にはお父さんだけだった。お父さんが死んで、大学も生活もやる気もなくなっていた。
ふいに初めて会った母親の顔が思い出された。娘のために涙を流していた。それもほぼ他人の私の名前も呼んでくれていた。
……でも、特に嬉しいとは思わなかった。有難いとは思ったけど、それだけだった。
けど玻璃にはお母さんだけなんだろう。お母さんにも玻璃だけだったけど、この母娘はまだ元の生活に戻れる。お父さんを亡くした私と違って。
私はどこに行っても元の生活には戻れない。お父さんがいないんだから、どこにいても同じだ。
とんっと後ろから肩を叩かれた。累さんが手に何か持っている。
「これを君に」
「これって」
累さんがくれたのはとても見覚えのある懐かしい物だった。
「黒曜石の宝石箱……」
開けるとそこにはラピスラズリが詰まっている。お父さんが遺した私の宝石だ。
「俺も黒曜さんに役目をもらってる」
「累さんも?」
「君が現世を選べば紫音が鯉屋と繋いでくれる。君が常夜を選んだのなら俺が結と繋ごう」
累さんは右手で私の手を握ると、振り向き左手を弟に差し出した。
「頑張れ、結」
「累……」
「大丈夫だ。俺は死んでも結の味方だ」
若旦那は何故か泣きそうな顔をしていた。
ああ、お兄ちゃん子なんだな。でもこの顔を見せられる人は、きっと少ないんだろう。
お兄ちゃんに手を引かれて若旦那はとぼとぼと私の前にやって来た。何だかもじもじしていて『弟』の顔をしてる。
若旦那は累さんの手を離すと、私に手を伸ばしてきた。
「……傍にいて欲しい」
てっきり、死ぬかそれとも死ぬかって、あのセリフが出てくると思ってた……
若旦那は気まずそうに俯いていたけれど、累さんはにこにこと嬉しそうに『お兄ちゃん』の顔をしている。
ああ、家族ってこういうものだ。お父さんもよくこういう顔してた。
きっとお母さんと玻璃も。
私は伸ばされた若旦那の手を取った。
「玻璃を戻してやって」
「……有難う」
紫音は髪から簪を引き抜いた。いつもは黒い簪を付けているけれど今日は赤い。赤――
赤い簪が紫音の髪から解き放たれると、それはくるりと身を翻し手のひらに乗るくらいの錦鯉へと姿を変えた。
「これは」
「黒曜様の錦鯉よ。正真正銘、最初で最後」
「お父さんの、って……」
それは、どっちだろう。
錦鯉には二種類いる。跡取りの遺体を用いた錦鯉と養殖の錦鯉だ。今目の前に泳いでるのは錦鯉に見えるということは養殖だろう。
でも、何となくこれは……
「この子が現世に留めてくれるわ。あなたの魂の補填もしてくれる」
「え!? 何で!? それができないから常夜の飴が必要だったんじゃないの!?」
「それは若旦那ができないというだけね。黒曜様はいくらでも手段をお持ちだったわ」
「……初耳ですね」
「赤ん坊に毛が生えた程度のあなたが黒曜様に敵うわけがないでしょう」
若旦那はむっとして口を尖らせた。こういう子供っぽいところもあるんだ、意外と。
「黒曜様は知って欲しかったの。常夜と現世の二つを知ったうえで自分の生きる場所を選んで欲しかったのよ」
「けどそうなったら常夜は」
「黒曜様のように納品してくれればいいわよ。御縁神社に預けてくれれば叶冬が持って来れるもの」
「それは、ちょっと思ってたよ……」
そうなんだ。お父さんは私が生まれる前からあの家に住んでいた。つまり常夜にいなくたって、破魔矢さえ渡すことができればいいんだ。
「私はあなたが現世に戻ることを選んだら常夜との橋渡しをするわ。それが私の頂いたお役目。けど……」
紫音は私の耳元に顔を寄せると私にしか聞こえない小声でひっそりと言った。
「結様にはあなたが必要だと思うわ」
「へ? なんで?」
「考えてごらんなさい。あなたを常夜に置くのはとても面倒なのよ。私の顔を立てなきゃいけないし飴を欠かさず与えないといけないし出目金から守らなきゃいけないし破魔屋との対立は免れないし――……どう考えても現世から納品するのが一番効率が良いのよ。今まで黒曜様がなさっていた運用にのっければいいんだもの。だから驚いたわ。結様が自ら面倒事を迎えに行ったなんて、とうとう忙しさで気がふれたのかと思った」
「そ、それは……」
「それに、きっと黒曜様もそう思ってる」
「若旦那に私が必要って?」
「ええ。黒曜様は娘達と同じくらい結様のことも心配なさっていたの。自分が死んだら同じ苦しみを若旦那に乗せることになるけど、兄しか頼る相手のいないあの子は潰されてしまうのではないだろうかって」
そっか。現世でも友達がいなかったっていうし、人に甘える方法を知らないのかもしれない。
「それに、あなたも」
「私?」
「黒曜様がいなくなって頼れる人はいる?」
「え」
「突如現れた母親と妹を黒曜様と同じように大切にできる? 黒曜様ご自身が手放した人達のことを」
「それは……」
「薄情に思うかもしれないけど、黒曜様から奥様と玻璃のことを聞いたことはなかったわ。心配なさるのはいつでも結様のこと。みんなは若旦那がいれば大丈夫だって言うけれど、本当はそうじゃないことを黒曜様は分かってらした」
紫音の真っ白な指先が私の頬に触れた。指先はひんやりとしている。
「あなたを犠牲にしたんじゃない。託したのよ。結様のことを、ひいてはこの世界のことを」
「……若旦那は必要な人だもんね」
「あなたもよ」
私にはお父さんだけだった。お父さんが死んで、大学も生活もやる気もなくなっていた。
ふいに初めて会った母親の顔が思い出された。娘のために涙を流していた。それもほぼ他人の私の名前も呼んでくれていた。
……でも、特に嬉しいとは思わなかった。有難いとは思ったけど、それだけだった。
けど玻璃にはお母さんだけなんだろう。お母さんにも玻璃だけだったけど、この母娘はまだ元の生活に戻れる。お父さんを亡くした私と違って。
私はどこに行っても元の生活には戻れない。お父さんがいないんだから、どこにいても同じだ。
とんっと後ろから肩を叩かれた。累さんが手に何か持っている。
「これを君に」
「これって」
累さんがくれたのはとても見覚えのある懐かしい物だった。
「黒曜石の宝石箱……」
開けるとそこにはラピスラズリが詰まっている。お父さんが遺した私の宝石だ。
「俺も黒曜さんに役目をもらってる」
「累さんも?」
「君が現世を選べば紫音が鯉屋と繋いでくれる。君が常夜を選んだのなら俺が結と繋ごう」
累さんは右手で私の手を握ると、振り向き左手を弟に差し出した。
「頑張れ、結」
「累……」
「大丈夫だ。俺は死んでも結の味方だ」
若旦那は何故か泣きそうな顔をしていた。
ああ、お兄ちゃん子なんだな。でもこの顔を見せられる人は、きっと少ないんだろう。
お兄ちゃんに手を引かれて若旦那はとぼとぼと私の前にやって来た。何だかもじもじしていて『弟』の顔をしてる。
若旦那は累さんの手を離すと、私に手を伸ばしてきた。
「……傍にいて欲しい」
てっきり、死ぬかそれとも死ぬかって、あのセリフが出てくると思ってた……
若旦那は気まずそうに俯いていたけれど、累さんはにこにこと嬉しそうに『お兄ちゃん』の顔をしている。
ああ、家族ってこういうものだ。お父さんもよくこういう顔してた。
きっとお母さんと玻璃も。
私は伸ばされた若旦那の手を取った。
「玻璃を戻してやって」
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