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第27話 結の宣戦布告「話を聞きますか?それとも聞きませんか?」
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その日、累達は再び水上に集まっていた。
結はにこにこと愛らしい笑顔を見せ、累はそれを見て幸せそうにデレデレとしている。
神威と依都は何が始まるか分からずきょとんとしているが、破魔屋の旦那はまるで興味ないというかのように右手で頭を支えながら横になり、面倒くさそうに欠伸をしている。
「今度は何だ。くだらない話だったら叩き出す」
「実はお願いがあるんです」
「報酬は」
「報酬?まだ依頼してないですよ」
「先に提示してもらう。報酬に価値無しだったら話は聞かない」
「へえー。旦那さんて本当に馬鹿なんですね。分かってましたけど」
にっこりと結は愛らしいその微笑みを崩さず、累も相変わらずである。
しかし言い放った言葉は棘があるどころではない。全面的に見下し切り付けたその発言に神威と依都はピキッと固まり、破魔屋の旦那も目を丸くした。
ねー、と顔を見合わせて楽しそうにする双子に苛立ち、旦那は体を起こして持っていた煙管で床を叩いた。
「なんつった今」
「馬鹿だなって言いました」
「何様だテメェ!保護されてる分際で偉そ」
「情報は商品と言いましたね。僕もそう思います。けど知識も商品であると思います」
旦那が食い着いて来た事に結はキラリと目を輝かせ、旦那の言葉を遮って声を上げた。
そして累をぐいと抱き寄せ頬を寄せる。
「累が人々の信頼を得たのは真新しい情報とそれを実現する知識、つまり新商品です。商売人なら新たな仕入れルートは頭下げてでも確保すべきでは?」
「……俺に頭下げろってか」
「話を聞けば頭を下げずに仕入れできるのになーって言ってるんです。分かりません?」
ねー、と双子はまた顔を見合わせにこにこと微笑んだ。
言っている事の憎たらしさと振る舞いの可愛らしさのギャップが余計に旦那の怒りを掻き立てる。
旦那はふざけるなと怒り任せに叫び返そうとしたけれど、それよりも早く結が、それにね、と切り返した。
「僕から新商品に化ける知識を引き出せば永続的な利益に変わるかもしれない。そのチャンスを目先の利にこだわり手放すなんて愚かですよ」
「んだと!?」
「それと」
結は累の腕を放すと、後ろに隠していた風呂敷で作った袋――鯉屋から担いで持って来ていた荷物を開けた。
するとそれはもぞもぞと動き始め、風呂敷からにゅるんと姿を現し結の傍らにするりと寄って来た。
「錦鯉の臨といいます。僕に懐いてるんです。可愛いでしょう」
それは結が囚われていた場所にひしめいていた錦鯉だった。
累は思わず結を隠すように抱きしめ、神威も依都を背にして破魔矢を抜いた。しかし旦那だけは落ち着いていて、ぎろりと結を睨みつける。
ふふ、と結は微笑んで累に落ち着くように言い聞かせる。錦鯉は結の膝に身体を摺り寄せていて、確かによく懐いているようだった。破魔矢を向ける神威を警戒する様はまるで護衛だ。
「僕が鯉屋を継いだら将来性の無い組織は解体し業務を適正化。人材の適材適所を徹底します」
「破魔屋は鯉屋に降らねえよ」
「それは気持ちの話でしょう?錦鯉で攻め込まれたら壊滅必死。まともに戦えるのは神威君だけだそうですね」
「この場所は鯉屋も知らねえ。無理だな」
「いいえ。ここは金魚屋の真裏です」
ぴくりと旦那が目を引きつらせた。
しかし一番驚いたのは依都で、え、と声を上げた。慌てて神威を見上げると、分かりやすく困ったような顔をしていた。
目をぱちくりさせる依都に、結はにっこり微笑んだ。けれど旦那は目を細めて煙管で床を軽く叩く。
「何言ってんだ。何の根拠があ」
「出発地点から五十三歩は起伏の無い土道を直進。五十四歩目で八歩右に逸れて身体を左に反転。ここから小枝を踏む音が多かったので恐らく獣道です。そこからさらに七十九歩直進。神威君の言う通り、顔に木や草がぶつかりました。緑の匂いが強かったですね。そこから十二歩目で背の高い雑草が増え始め、木の根に脚を取られました。この時神威君が『足元にデカい石があるから気を付けろ』と言っています。良い目印ですね。そこから二十一歩直進した所で左に身体を反転。この時強い花の香りがしました。神威君は黄色い花と言いました。鯉屋でも嗅いだことのない香りなので僕の見た事のない黄色い花を探しましょう。そこから五十五歩歩いたら水音が聞こえ始めて、ここで神威君は『どっちだったかな』と数秒足を止めました。道を迷ったようです。でも以前累が案内された時はぐるぐる回りながらも迷わなかった。つまり今回の道は神威君も使い慣れていなかったんです。ならそこは神威君が日常的に出入りする自分の部屋から遠い場所だったはず。そして神威君は優しいので『屋敷に着いたけどもうちょい頑張れ』と言ってくれました。着いたんですって、屋敷に。なのにそこから二回橋を渡っています。神威君は『手すりが無いから俺に掴まれ』『狭いからゆっくり歩け』とも言いました。ここには手すりのある橋と無い橋があります。手すりの無い橋でも広い橋もある。橋を渡らなくても行ける場所だってある。大体着いたなら目隠しを取ったって良いはずなんです。なのに目隠しは取ってくれないし屋敷の中にも入らない。わざわざ楽な道を選んでくれた神威君が安全な屋敷の中でわざわざ危ない橋を通ったのは、通らざるを得ないから。それはつまり、到着した場所を見てしまうとここがどこだか分かる可能性があったからだと思われます。これらを踏まえて考えると、ここは金魚屋の真裏です」
その場にいた全員が声を失った。
話が長すぎて、神威は自分が馬鹿にされているのか責められているのかも分からなかった。依都もえ、金魚屋なの、と理解が追い付かずきょろきょろと辺りを見渡し始めた。
旦那はさらに目を細め、ギリ、と唇を噛んだ。
「結は記憶力良いよなぁ」
「累がおんぶしてくれたおかげで集中できたよ。有難う」
双子はまた頬を寄せ合いきゃっきゃとじゃれ合った。
八重歯が突き刺さった旦那の唇には血が滲む。結はそれを見てニヤリと笑い、今度はちらりと神威を見た。
「それに、昨日神威君がよりちゃんを呼びに行った時、ほんの数分で帰って来ました。どう考えてもご近所さんです」
あ、と神威は声を出してしまう。
結はその素直さにクスクスと笑いを零し、今度はその背に隠れる依都を手招きをする。
けれど錦鯉を警戒してか、神威は依都を前に出してはくれない。その依都を絶対的に守ろうとする姿に、結はまたクスリと笑った。
「よりちゃんの部屋は庭に面してるよね。神威君て店の正面じゃなくて庭から入ってくるんじゃない?」
「……そうですね。基本的にはそうです」
「やっぱりね。この屋敷は金魚屋当主の部屋に直結の裏道があるんだ。そうでしょ、神威君」
黙る神威に、でしょ、と返答を催促した。
しかし神威の表情を見て慌てて答えたのは依都だった。
「でも金魚屋の外周は水槽で埋まってます。店の正面から以外は入れないですよ」
「じゃあ神威君はどうやって庭に入ってるの?」
「どう……えっと、気にした事なかったです……」
「えー。気にしようよ。凄い信頼関係だよね、破魔屋さんと金魚屋さんて。絶対裏道あるよ、それ」
「じゃあどこにあるんですか。ほんとに水槽しかないですよ!」
さすがの依都も馬鹿にされたように感じたのか、ぷくっと頬を膨らませた。
けれど結に声を荒げた事を感知したのか、錦鯉の臨が依都を睨みつけた。依都はひゃっ、と神威の背に隠れてしまう。
結は臨に、駄目だよ、と声をかけ手繰り寄せた。
「水槽が置いてあるのは建物の無い場所だよね。金魚屋にはどんな建物があるかな」
「え、えっと、店と僕の部屋のある母屋と従業員の長屋と――……」
そこまで言って依都は、あ、と何かに気が付いたようだった。ぱっと顔をあげて累をちらりと見ると、累の右肩にはいつもどおり金魚が泳いでいる。
それは累がこちらに連れて来た金魚で、金魚屋の旦那がこちらの世界で動けるようにしてくれた金魚だ。
結は依都の視線に気付き、クスッと笑って金魚を人差指でくすぐった。
「金魚屋の旦那さんの部屋、聞く限り妙な場所だよね。人が住む事を想定してない、何かを隠しておく場所に見える」
「まさか、旦那様のお部屋って……」
「そう。そこに破魔屋へ通じる入り口が隠されてる。そうですね、金魚屋の旦那さん」
「……あ?」
結はピッと破魔屋の旦那を指差した。
旦那はいぶかしげな顔をして、依都も、ええ、と言って首を傾げた。
「結様それはないです。だって旦那様は、えーっと……」
「女性だからかな」
依都はくりんと目を丸くした。
違うとは言わないけれど、その表情は肯定だ。あう、と言葉に詰まった依都の手を引いて、遮ったのは神威だ。
「おい。女って何だよ。どこのどいつだよ、それ」
「前に神呼鈴で神様を呼んだよね。あの人だよ。本人じゃなくてこの人の代理だ。まるで別の店と思わせるための偽物」
「え!?でも神様ですよ!一瞬で怪我も病気も治してくれました!」
「それは金魚湯飲ませればいいよね。この世界の人は魂その物。金魚湯を作れれば即回復」
「で、でも金魚湯は僕しか作れません」
「よりちゃんだけじゃなくて金魚屋だけ、が正解だね。製法をよりちゃんに引き継いだのは誰?」
「……旦那様です……」
「それに旦那、一番最初に俺を助けてくれた時に金魚湯使ったよな。あれどっから持って来たんだよ」
「よりちゃん。最近金魚湯の盗難は?」
「ありません……」
結は、だよねー、ときゃっきゃと笑ってくるりと旦那を振り返ると、旦那は眉間にしわを寄せ目を細めた。
「それに累の金魚、金魚屋の旦那が作ってくれたんだよね。出目金や鯉と戦う能力って破魔矢みたいだよねえ」
「この世界の金魚は出目金と戦えるもんなのかと思ったけど、そうじゃないみたいだな」
累の右肩で小さな金魚はくるくると泳いでいる。
とても鯉を内側から食い破るとは思えない可愛らしさだが、護衛としてこんなに心強い事は無い。
「金魚屋当主は依頼してないのに金魚屋を守る。ここだけは報酬無しで動くんです。破魔屋は金魚屋を守るための組織ですよね」
「依都が子守してたってのも引っかかったな。それって元から信頼してる相手って事だし。それに、前に破魔屋の誰かが神威に『依都様のところへお戻りを』って言ってたのも気になったんだよ。まるで破魔屋のお偉いさん扱いだ」
え、え、と依都は話に追いついて行けず、結と神威の顔をきょろきょろと見比べている。
神威は困惑している依都の頬に触れた。
「そうだ。神威の号を継ぐ者は依都の号を継ぐ者を守るしきたりだ」
「……じゃあ神威君が僕の傍にいたのは……仕事だから、って事……?」
「ちげーよ。依都の傍にいる権利を他の奴に渡したくないから神威に立候補したんだよ。着任は別の奴にほぼ確定してたのにコイツが依都依都うるさいから仕方なく」
「っだ、旦那!!それ言うなって言っただろ!」
「よりちゃんを好きなのはそもそもなんだ」
「ううううるせえな!」
神威は顔を真っ赤にしてぎゃあぎゃあと叫んだけれど、依都はなんだぁ、と安心したようにほこほことした笑顔を浮かべた。
「神威君の話になっちゃったけど。金魚屋の旦那さんもあなたでお間違いないですか」
にっこり、と結は満足げに微笑んだ。
依都と神威は呆然と結を眺め、何もしてない累は結の活躍を見て満足げに頷いている。
旦那はギリ、と強く煙管を握りしめた。
「全部憶測じゃねえか。そんな女、俺は知ら」
「あなたは大切な物がたくさんありますね。でも僕は不要な物は切り捨てます。それが特別な店でも当主でもね」
結が臨を撫でると、臨はちろりと依都を見た。
神威がいれば誰かの暴力で命を落とすような事は無いだろう。けれど神威と引き離されたら終わりだ。出目金なら眠らせれば良いけれど、錦鯉は眠らない。
「憶測か真実かはどうでもいいんですよ。僕がそうだと言ってるんだから」
「……テメェ、猫かぶってやがったな」
「必要な演出のために種を撒いただけ。その種に目を奪われたあなたが愚かなんです」
「あァ!?」
助け出したばかりの結は泣いて震えて累にべったりくっついていて、だから神威は同情をした。
弟を想う累を見ていた依都は、結が戻って来て二人が仲睦まじくしている事を心の底から喜んだ。
どこからどうみても弱虫で累に守られるだけに見えていた。それは旦那も同じで、軟弱者だの赤ん坊だのと罵っていた。
そして今、結は錦鯉を傍らに妖しく微笑んでいる。
「話を聞きますか?それとも聞きませんか?」
「……聞こうか」
旦那は不愉快さを全面に押し出し、渋々頷いた。
しかし結は、最初からそう言って下さいよ、と旦那の怒りを逆なでする言葉で笑い飛ばした。
「え、怖っ」
「ただの脅しじゃねえか」
「結は頭良いからなあ」
「「そうじゃない」」
神威は依都を抱えて水際ギリギリまで結から離れて行った。
結はにこにこと愛らしい笑顔を見せ、累はそれを見て幸せそうにデレデレとしている。
神威と依都は何が始まるか分からずきょとんとしているが、破魔屋の旦那はまるで興味ないというかのように右手で頭を支えながら横になり、面倒くさそうに欠伸をしている。
「今度は何だ。くだらない話だったら叩き出す」
「実はお願いがあるんです」
「報酬は」
「報酬?まだ依頼してないですよ」
「先に提示してもらう。報酬に価値無しだったら話は聞かない」
「へえー。旦那さんて本当に馬鹿なんですね。分かってましたけど」
にっこりと結は愛らしいその微笑みを崩さず、累も相変わらずである。
しかし言い放った言葉は棘があるどころではない。全面的に見下し切り付けたその発言に神威と依都はピキッと固まり、破魔屋の旦那も目を丸くした。
ねー、と顔を見合わせて楽しそうにする双子に苛立ち、旦那は体を起こして持っていた煙管で床を叩いた。
「なんつった今」
「馬鹿だなって言いました」
「何様だテメェ!保護されてる分際で偉そ」
「情報は商品と言いましたね。僕もそう思います。けど知識も商品であると思います」
旦那が食い着いて来た事に結はキラリと目を輝かせ、旦那の言葉を遮って声を上げた。
そして累をぐいと抱き寄せ頬を寄せる。
「累が人々の信頼を得たのは真新しい情報とそれを実現する知識、つまり新商品です。商売人なら新たな仕入れルートは頭下げてでも確保すべきでは?」
「……俺に頭下げろってか」
「話を聞けば頭を下げずに仕入れできるのになーって言ってるんです。分かりません?」
ねー、と双子はまた顔を見合わせにこにこと微笑んだ。
言っている事の憎たらしさと振る舞いの可愛らしさのギャップが余計に旦那の怒りを掻き立てる。
旦那はふざけるなと怒り任せに叫び返そうとしたけれど、それよりも早く結が、それにね、と切り返した。
「僕から新商品に化ける知識を引き出せば永続的な利益に変わるかもしれない。そのチャンスを目先の利にこだわり手放すなんて愚かですよ」
「んだと!?」
「それと」
結は累の腕を放すと、後ろに隠していた風呂敷で作った袋――鯉屋から担いで持って来ていた荷物を開けた。
するとそれはもぞもぞと動き始め、風呂敷からにゅるんと姿を現し結の傍らにするりと寄って来た。
「錦鯉の臨といいます。僕に懐いてるんです。可愛いでしょう」
それは結が囚われていた場所にひしめいていた錦鯉だった。
累は思わず結を隠すように抱きしめ、神威も依都を背にして破魔矢を抜いた。しかし旦那だけは落ち着いていて、ぎろりと結を睨みつける。
ふふ、と結は微笑んで累に落ち着くように言い聞かせる。錦鯉は結の膝に身体を摺り寄せていて、確かによく懐いているようだった。破魔矢を向ける神威を警戒する様はまるで護衛だ。
「僕が鯉屋を継いだら将来性の無い組織は解体し業務を適正化。人材の適材適所を徹底します」
「破魔屋は鯉屋に降らねえよ」
「それは気持ちの話でしょう?錦鯉で攻め込まれたら壊滅必死。まともに戦えるのは神威君だけだそうですね」
「この場所は鯉屋も知らねえ。無理だな」
「いいえ。ここは金魚屋の真裏です」
ぴくりと旦那が目を引きつらせた。
しかし一番驚いたのは依都で、え、と声を上げた。慌てて神威を見上げると、分かりやすく困ったような顔をしていた。
目をぱちくりさせる依都に、結はにっこり微笑んだ。けれど旦那は目を細めて煙管で床を軽く叩く。
「何言ってんだ。何の根拠があ」
「出発地点から五十三歩は起伏の無い土道を直進。五十四歩目で八歩右に逸れて身体を左に反転。ここから小枝を踏む音が多かったので恐らく獣道です。そこからさらに七十九歩直進。神威君の言う通り、顔に木や草がぶつかりました。緑の匂いが強かったですね。そこから十二歩目で背の高い雑草が増え始め、木の根に脚を取られました。この時神威君が『足元にデカい石があるから気を付けろ』と言っています。良い目印ですね。そこから二十一歩直進した所で左に身体を反転。この時強い花の香りがしました。神威君は黄色い花と言いました。鯉屋でも嗅いだことのない香りなので僕の見た事のない黄色い花を探しましょう。そこから五十五歩歩いたら水音が聞こえ始めて、ここで神威君は『どっちだったかな』と数秒足を止めました。道を迷ったようです。でも以前累が案内された時はぐるぐる回りながらも迷わなかった。つまり今回の道は神威君も使い慣れていなかったんです。ならそこは神威君が日常的に出入りする自分の部屋から遠い場所だったはず。そして神威君は優しいので『屋敷に着いたけどもうちょい頑張れ』と言ってくれました。着いたんですって、屋敷に。なのにそこから二回橋を渡っています。神威君は『手すりが無いから俺に掴まれ』『狭いからゆっくり歩け』とも言いました。ここには手すりのある橋と無い橋があります。手すりの無い橋でも広い橋もある。橋を渡らなくても行ける場所だってある。大体着いたなら目隠しを取ったって良いはずなんです。なのに目隠しは取ってくれないし屋敷の中にも入らない。わざわざ楽な道を選んでくれた神威君が安全な屋敷の中でわざわざ危ない橋を通ったのは、通らざるを得ないから。それはつまり、到着した場所を見てしまうとここがどこだか分かる可能性があったからだと思われます。これらを踏まえて考えると、ここは金魚屋の真裏です」
その場にいた全員が声を失った。
話が長すぎて、神威は自分が馬鹿にされているのか責められているのかも分からなかった。依都もえ、金魚屋なの、と理解が追い付かずきょろきょろと辺りを見渡し始めた。
旦那はさらに目を細め、ギリ、と唇を噛んだ。
「結は記憶力良いよなぁ」
「累がおんぶしてくれたおかげで集中できたよ。有難う」
双子はまた頬を寄せ合いきゃっきゃとじゃれ合った。
八重歯が突き刺さった旦那の唇には血が滲む。結はそれを見てニヤリと笑い、今度はちらりと神威を見た。
「それに、昨日神威君がよりちゃんを呼びに行った時、ほんの数分で帰って来ました。どう考えてもご近所さんです」
あ、と神威は声を出してしまう。
結はその素直さにクスクスと笑いを零し、今度はその背に隠れる依都を手招きをする。
けれど錦鯉を警戒してか、神威は依都を前に出してはくれない。その依都を絶対的に守ろうとする姿に、結はまたクスリと笑った。
「よりちゃんの部屋は庭に面してるよね。神威君て店の正面じゃなくて庭から入ってくるんじゃない?」
「……そうですね。基本的にはそうです」
「やっぱりね。この屋敷は金魚屋当主の部屋に直結の裏道があるんだ。そうでしょ、神威君」
黙る神威に、でしょ、と返答を催促した。
しかし神威の表情を見て慌てて答えたのは依都だった。
「でも金魚屋の外周は水槽で埋まってます。店の正面から以外は入れないですよ」
「じゃあ神威君はどうやって庭に入ってるの?」
「どう……えっと、気にした事なかったです……」
「えー。気にしようよ。凄い信頼関係だよね、破魔屋さんと金魚屋さんて。絶対裏道あるよ、それ」
「じゃあどこにあるんですか。ほんとに水槽しかないですよ!」
さすがの依都も馬鹿にされたように感じたのか、ぷくっと頬を膨らませた。
けれど結に声を荒げた事を感知したのか、錦鯉の臨が依都を睨みつけた。依都はひゃっ、と神威の背に隠れてしまう。
結は臨に、駄目だよ、と声をかけ手繰り寄せた。
「水槽が置いてあるのは建物の無い場所だよね。金魚屋にはどんな建物があるかな」
「え、えっと、店と僕の部屋のある母屋と従業員の長屋と――……」
そこまで言って依都は、あ、と何かに気が付いたようだった。ぱっと顔をあげて累をちらりと見ると、累の右肩にはいつもどおり金魚が泳いでいる。
それは累がこちらに連れて来た金魚で、金魚屋の旦那がこちらの世界で動けるようにしてくれた金魚だ。
結は依都の視線に気付き、クスッと笑って金魚を人差指でくすぐった。
「金魚屋の旦那さんの部屋、聞く限り妙な場所だよね。人が住む事を想定してない、何かを隠しておく場所に見える」
「まさか、旦那様のお部屋って……」
「そう。そこに破魔屋へ通じる入り口が隠されてる。そうですね、金魚屋の旦那さん」
「……あ?」
結はピッと破魔屋の旦那を指差した。
旦那はいぶかしげな顔をして、依都も、ええ、と言って首を傾げた。
「結様それはないです。だって旦那様は、えーっと……」
「女性だからかな」
依都はくりんと目を丸くした。
違うとは言わないけれど、その表情は肯定だ。あう、と言葉に詰まった依都の手を引いて、遮ったのは神威だ。
「おい。女って何だよ。どこのどいつだよ、それ」
「前に神呼鈴で神様を呼んだよね。あの人だよ。本人じゃなくてこの人の代理だ。まるで別の店と思わせるための偽物」
「え!?でも神様ですよ!一瞬で怪我も病気も治してくれました!」
「それは金魚湯飲ませればいいよね。この世界の人は魂その物。金魚湯を作れれば即回復」
「で、でも金魚湯は僕しか作れません」
「よりちゃんだけじゃなくて金魚屋だけ、が正解だね。製法をよりちゃんに引き継いだのは誰?」
「……旦那様です……」
「それに旦那、一番最初に俺を助けてくれた時に金魚湯使ったよな。あれどっから持って来たんだよ」
「よりちゃん。最近金魚湯の盗難は?」
「ありません……」
結は、だよねー、ときゃっきゃと笑ってくるりと旦那を振り返ると、旦那は眉間にしわを寄せ目を細めた。
「それに累の金魚、金魚屋の旦那が作ってくれたんだよね。出目金や鯉と戦う能力って破魔矢みたいだよねえ」
「この世界の金魚は出目金と戦えるもんなのかと思ったけど、そうじゃないみたいだな」
累の右肩で小さな金魚はくるくると泳いでいる。
とても鯉を内側から食い破るとは思えない可愛らしさだが、護衛としてこんなに心強い事は無い。
「金魚屋当主は依頼してないのに金魚屋を守る。ここだけは報酬無しで動くんです。破魔屋は金魚屋を守るための組織ですよね」
「依都が子守してたってのも引っかかったな。それって元から信頼してる相手って事だし。それに、前に破魔屋の誰かが神威に『依都様のところへお戻りを』って言ってたのも気になったんだよ。まるで破魔屋のお偉いさん扱いだ」
え、え、と依都は話に追いついて行けず、結と神威の顔をきょろきょろと見比べている。
神威は困惑している依都の頬に触れた。
「そうだ。神威の号を継ぐ者は依都の号を継ぐ者を守るしきたりだ」
「……じゃあ神威君が僕の傍にいたのは……仕事だから、って事……?」
「ちげーよ。依都の傍にいる権利を他の奴に渡したくないから神威に立候補したんだよ。着任は別の奴にほぼ確定してたのにコイツが依都依都うるさいから仕方なく」
「っだ、旦那!!それ言うなって言っただろ!」
「よりちゃんを好きなのはそもそもなんだ」
「ううううるせえな!」
神威は顔を真っ赤にしてぎゃあぎゃあと叫んだけれど、依都はなんだぁ、と安心したようにほこほことした笑顔を浮かべた。
「神威君の話になっちゃったけど。金魚屋の旦那さんもあなたでお間違いないですか」
にっこり、と結は満足げに微笑んだ。
依都と神威は呆然と結を眺め、何もしてない累は結の活躍を見て満足げに頷いている。
旦那はギリ、と強く煙管を握りしめた。
「全部憶測じゃねえか。そんな女、俺は知ら」
「あなたは大切な物がたくさんありますね。でも僕は不要な物は切り捨てます。それが特別な店でも当主でもね」
結が臨を撫でると、臨はちろりと依都を見た。
神威がいれば誰かの暴力で命を落とすような事は無いだろう。けれど神威と引き離されたら終わりだ。出目金なら眠らせれば良いけれど、錦鯉は眠らない。
「憶測か真実かはどうでもいいんですよ。僕がそうだと言ってるんだから」
「……テメェ、猫かぶってやがったな」
「必要な演出のために種を撒いただけ。その種に目を奪われたあなたが愚かなんです」
「あァ!?」
助け出したばかりの結は泣いて震えて累にべったりくっついていて、だから神威は同情をした。
弟を想う累を見ていた依都は、結が戻って来て二人が仲睦まじくしている事を心の底から喜んだ。
どこからどうみても弱虫で累に守られるだけに見えていた。それは旦那も同じで、軟弱者だの赤ん坊だのと罵っていた。
そして今、結は錦鯉を傍らに妖しく微笑んでいる。
「話を聞きますか?それとも聞きませんか?」
「……聞こうか」
旦那は不愉快さを全面に押し出し、渋々頷いた。
しかし結は、最初からそう言って下さいよ、と旦那の怒りを逆なでする言葉で笑い飛ばした。
「え、怖っ」
「ただの脅しじゃねえか」
「結は頭良いからなあ」
「「そうじゃない」」
神威は依都を抱えて水際ギリギリまで結から離れて行った。
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