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第二部 炎嬢編
ねじふせる力
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──光の壁に無数のひび割れが走り、次の瞬間、粉々に砕け散っていた。
「マリカ!!」
ぎりぎりに救出した魔術士の女生徒を通路の方角に送り出しつつ、私は聖女の名を呼んだ。
見れば瘴牛鬼も、激突の衝撃を振り払うように頭を振っている。
その足元、周囲に雪のように降り注ぐ光壁の欠片のなかで。
「だいじょうぶ」
マリカの声が聞こえた。
そこには、右手の聖剣を掲げてリヒトが立っていた。首にしがみつくマリカを、盾を捨てた左腕で「お姫様抱っこ」しながら。──ああ、エリシャ様にはとてもお見せできない。
「やってやりましょう、リヒト先輩!」
「聖伐!」
応える彼の声と共に、周囲へと降り注いでいた光の欠片のすべてが渦を巻きながら聖剣の刃に集約され──瘴牛鬼の背丈にも達する光の大剣と化したそれが、一閃する。
光刃は左側の角を切り落として肩を通り、まっとうな生物なら心臓のあるべき位置まで深々と斬り裂いたところで、粒子になって霧散していった。
深手を負った瘴牛鬼はよろよろと広間の奥へ、魔瘴槽のほうへと退いて──そのまま盛大に赤黒い飛沫をあげて落下し、ぼこりと大きな泡をひとつ残して、沈んでいくのだった。
「たお……した……?」
信じがたい現実を確かめるように、私は思わず口に出す。
通路の方からパーティの面々の歓声が上がった。同時に、力尽きたようにその場に倒れ込むリヒトを、流れるように体勢を入れ替えたマリカが支えて立つ。
「いいえ、まだ」
そして彼女は少し困ったように、言うのだった。
「逃げて、影狐ちゃん」
同時に私の全身を襲った震えは、忍びとしての修行で身につけた本能的な「生命の危機」に対する警告だ。
魔瘴槽の赤黒い水面が盛り上がって、先端の尖った巨大な角のようなものが一本、にょきりと生える。その高さは、ちょうどいまそこに落ちた瘴牛鬼の背丈ぐらいか。
──迷宮の主には、絶対に勝てない。
巨大すぎる角に続いて、水面を割りながら姿を現したその主──上半身だけで広間の天井に達しそうな、片角の超巨大瘴牛鬼を呆然と見上げつつ、私はアリオスの言葉を思い出していた。
ヴヴォオオォォォォ──!!
咆哮はもはや武器だ。嵐のように吹き付ける音圧から、聴覚を守るため咄嗟に両耳をふさぐ私の視界の中、騎士と聖女に向けてゆっくりと振り下ろされる瘴牛鬼の拳は、その巨大さゆえの錯覚で遅く見えているだけで、実際は凄まじい速度を伴った破滅の一撃だろう。
もう、私にできることはない。一刻も早く通路に退いて、残る四人を確実に退避させることこそが、最善の選択だろう。
それはわかっている。わかっているけれど足が動かないのは、どうやら恐怖のせいだけではなくて、彼女を助けることを諦めたくないらしい。エリシャ様以外の人間にそんな感情を抱いている自分が、意外だった。
そのときだ。唐突に通路の方角から近付いてきた気配と足音が、傍らを駆け抜けていったのは。パーティの四人のうちの誰かだろうか。命を無駄にしてはいけないと、後ろ姿を呼び止めようとした私の目の前で──
「纏装──!」
細身のシルエットがボブカットの銀髪を揺らし、そこだけ黒い鎧で覆われた右腕を天に掲げて、高らかに叫んでいた。
「──レイジョーガー!」
全身を包み込む紫炎の中で、実体化してゆく兇々しくも美しき漆黒の鎧──!
上空から迫りくる超巨大瘴牛鬼の拳に向かって、黒の魔戦士は跳躍する。振りかぶった右腕から紫光の尾を引き、リヒトとマリカの頭上を飛び越えて。
自身を余裕で握りつぶせるサイズの巨拳に真正面から、黒の魔戦士──レイジョーガーは、まばゆい紫光まとう拳を叩き込んでいた。
凄まじい衝撃音が轟き、瘴牛鬼の巨拳は上空へと弾き返されていく。
対するレイジョーガーは反動で後方に一回転しつつ、マリカたちの前方に片手を突いて着地していた。忍びの体術において最も洗練された着地法とされる、三点着地である。
──私は我を忘れ、エリシャ様の勇姿にただただ見惚れるのだった。
「マリカ!!」
ぎりぎりに救出した魔術士の女生徒を通路の方角に送り出しつつ、私は聖女の名を呼んだ。
見れば瘴牛鬼も、激突の衝撃を振り払うように頭を振っている。
その足元、周囲に雪のように降り注ぐ光壁の欠片のなかで。
「だいじょうぶ」
マリカの声が聞こえた。
そこには、右手の聖剣を掲げてリヒトが立っていた。首にしがみつくマリカを、盾を捨てた左腕で「お姫様抱っこ」しながら。──ああ、エリシャ様にはとてもお見せできない。
「やってやりましょう、リヒト先輩!」
「聖伐!」
応える彼の声と共に、周囲へと降り注いでいた光の欠片のすべてが渦を巻きながら聖剣の刃に集約され──瘴牛鬼の背丈にも達する光の大剣と化したそれが、一閃する。
光刃は左側の角を切り落として肩を通り、まっとうな生物なら心臓のあるべき位置まで深々と斬り裂いたところで、粒子になって霧散していった。
深手を負った瘴牛鬼はよろよろと広間の奥へ、魔瘴槽のほうへと退いて──そのまま盛大に赤黒い飛沫をあげて落下し、ぼこりと大きな泡をひとつ残して、沈んでいくのだった。
「たお……した……?」
信じがたい現実を確かめるように、私は思わず口に出す。
通路の方からパーティの面々の歓声が上がった。同時に、力尽きたようにその場に倒れ込むリヒトを、流れるように体勢を入れ替えたマリカが支えて立つ。
「いいえ、まだ」
そして彼女は少し困ったように、言うのだった。
「逃げて、影狐ちゃん」
同時に私の全身を襲った震えは、忍びとしての修行で身につけた本能的な「生命の危機」に対する警告だ。
魔瘴槽の赤黒い水面が盛り上がって、先端の尖った巨大な角のようなものが一本、にょきりと生える。その高さは、ちょうどいまそこに落ちた瘴牛鬼の背丈ぐらいか。
──迷宮の主には、絶対に勝てない。
巨大すぎる角に続いて、水面を割りながら姿を現したその主──上半身だけで広間の天井に達しそうな、片角の超巨大瘴牛鬼を呆然と見上げつつ、私はアリオスの言葉を思い出していた。
ヴヴォオオォォォォ──!!
咆哮はもはや武器だ。嵐のように吹き付ける音圧から、聴覚を守るため咄嗟に両耳をふさぐ私の視界の中、騎士と聖女に向けてゆっくりと振り下ろされる瘴牛鬼の拳は、その巨大さゆえの錯覚で遅く見えているだけで、実際は凄まじい速度を伴った破滅の一撃だろう。
もう、私にできることはない。一刻も早く通路に退いて、残る四人を確実に退避させることこそが、最善の選択だろう。
それはわかっている。わかっているけれど足が動かないのは、どうやら恐怖のせいだけではなくて、彼女を助けることを諦めたくないらしい。エリシャ様以外の人間にそんな感情を抱いている自分が、意外だった。
そのときだ。唐突に通路の方角から近付いてきた気配と足音が、傍らを駆け抜けていったのは。パーティの四人のうちの誰かだろうか。命を無駄にしてはいけないと、後ろ姿を呼び止めようとした私の目の前で──
「纏装──!」
細身のシルエットがボブカットの銀髪を揺らし、そこだけ黒い鎧で覆われた右腕を天に掲げて、高らかに叫んでいた。
「──レイジョーガー!」
全身を包み込む紫炎の中で、実体化してゆく兇々しくも美しき漆黒の鎧──!
上空から迫りくる超巨大瘴牛鬼の拳に向かって、黒の魔戦士は跳躍する。振りかぶった右腕から紫光の尾を引き、リヒトとマリカの頭上を飛び越えて。
自身を余裕で握りつぶせるサイズの巨拳に真正面から、黒の魔戦士──レイジョーガーは、まばゆい紫光まとう拳を叩き込んでいた。
凄まじい衝撃音が轟き、瘴牛鬼の巨拳は上空へと弾き返されていく。
対するレイジョーガーは反動で後方に一回転しつつ、マリカたちの前方に片手を突いて着地していた。忍びの体術において最も洗練された着地法とされる、三点着地である。
──私は我を忘れ、エリシャ様の勇姿にただただ見惚れるのだった。
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