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第二部 炎嬢編

迷宮顛末

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「──いやあ、さすがに驚きましたよ」

 合流したラファエルはあいかわらずとしていて、言うほど驚いているようには見えなかったけれど、たぶん彼の最大限なのだろう。

 現状、アリオスは迷宮の制御コントロールを完全に掌握しているという。それは、魔物の発生もふくめてだ。
 そもそも魔物の発生源が、この魔瘴槽プールを満たす魔瘴溜りであり、瘴粘スライムであり、迷宮システムの中央処理装置であり、アリオスなのだ。

 ……という一連の話へのラファエルの最終的リアクションがそれだった。しかし、彼の素性を聞いたアリオスは、ほんのすこし驚いてから、なぜか「さすがだな」と愉快そうにしていた。
 
 アリオスは饒舌だった。最初に迷宮の主ダンジョンマスターとして会話したときに感じたことだけど、やはり彼は話好きだった。にも関わらず三十年間、誰とも会話することなく孤独に過ごしてきたのだから、そうもなるだろう。

「──名前を聞いてくれた時、正直、嬉しかった」

 人間として扱われたのも三十年ぶりだったから、と彼は言った。 
 その割に私たちに対して慎重だったのも、その直前の来訪者がアレジブリールではまあ当然だ。

「ただ、この『システム更新』のための完全掌握モードが永続するかも含めて、自分でも把握しきれていない。そのへんの調査のためにも、できれば優秀な魔学者に協力してほしいんだが」
「なら、色んな意味でぴったりの人がいる──けど、ユーリイが何て言うか」

 それはもちろん、アリオスの旧友にして王国最高峰の魔学者でもある我が父、クラウスだ。

「ああ、そのへんはお任せくださいな」

 すぐに察してフォローを約束してくれるラファエルの、なんと心強いこと。
 そうして私達はアリオス(の本体)と別れ、彼の分身である瘴粘スライムに先導されて、安息地点セーフポイントから長い螺旋階段を登って地上に脱出した。
 出口は王城の庭園の片隅、曰くありげな石碑の台座の隠し扉で、ラファエルがその日いちばん驚いていたのは多分そのことだった。

 ちなみに、とても都合の良い話だけれど、通路に退避していた先行パーティの面々からは巨大すぎる瘴牛鬼ミノタウロスの上半身あたりのやりとりはよく見えていなかったようで。
 後々面倒そうなので、あれを倒したのは影狐とマリカの合体必殺技・聖檄ホーリー飛翔くのいち穿ドリルということにしておいた。
 気を失っていたリヒトも完全にそれを信じ込んでいる。

 ──嘘が下手すぎるマリカが口裏合わせを続けられるか、それは少し心配だったけど。

 ああ、技の名前くのいちドリルは私が呼んでいるだけで、二人からは全力で却下された。まったくあの二人ときたら、すっかり気が合うようになってしまって……。

 とにかくその辺の活躍も含め彼女たちは、正義の仮面忍者・影狐と、聖女ではなく真の聖女マリカとして、学園の内外を賑わせることになっていた。

 一応、謎の魔少年エリオット様(そう呼ばれてるんだからしょうがないじゃない)も、ごく一部の女子生徒を中心として局地的には盛り上がっているみたい。

 特に私の同級生のイザベラとライラは、直接危機を救われたこともあり熱狂的だった。ライラが書いたエリオットの小説うすいほんを、イザベラが絶賛しながら続きを懇願するぐらいには彼女らの溝が埋まったようで、結果的にクラス内の空気もとてもよくなっていた。

 ちなみにどうやらミオリも愛読しているらしいのだが──

「エリシャ様には絶対にお見せできません。私の命に代えてもです」

 ──とか言って絶対に読ませてもらえない。いったいどんな内容なの……。

 地下迷宮は、いったん再封印するという措置がとられた。管理と調査はラファエルと私の父・クラウスに一任され、いずれはトレーニング施設としての再稼働を目指す──という、建て前になっている。

 三十年以上ぶりに再会したお父様と親友アリオスはふたりでずいぶん話し込んでいたようだけど、男同士水入らずにしてあげたので、何を話していたのかは知らない。
 ただ、その日のお父様の顔は、ここ五年間でいちばん晴れやかだった気がする。

 ちなみに当時の経緯だけれど。アリオスが戻らなかったことで、事なかれ主義の学園長が早々に迷宮の封印を決め、独断で自主退学という形で処理してしまった、という。
 アリオスは学園の歴史に残るレベルで優秀だったけれど、家は下級貴族だった。それだけで有耶無耶にされてしまう程度には、今よりずっと家柄による格差が大きかったのだ。

 そして私はアリオスの全面協力のもと、迷宮そこでレイジョーガーの実戦トレーニングをさせてもらうことになった。ないとは言い切れない帝国の監視を避ける意味でも、これほど相応しい場所は他にないだろう。


 ──こうして──。


 約半年間の学園生活が、それはもう本当に目まぐるしく過ぎ去っていった。
 そんな、とある日の放課後。学園の廊下にて。

「ねえ、そこを歩くのはエリシャでしょう?」

 落ち着いた大人の女声に、背後から呼び止められた。
 ゆっくりと振り向いた私は、その場で固まってしまう。

 落ち着いた灰青色スカイグレーのドレスに、肩口で切りそろえられた髪の色は限りなく白に近い白金色プラチナブロンド。気品に溢れつつ気取らぬ佇まいで微笑むその女性は──

 パラディオン国王妃、リーリヤ・パラディオンそのひとだったから。
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