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柊の葛藤
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年末の街は、どこか浮き足立っている。それでも、ふたりの朝は変わらない。
「おはようございます、先輩」
改札で待っていた颯が手袋越しに小さく手を振る。
今日も、颯はいつも通り。やはり、変わったのは自分だけだった。
『支配したいんです』と言っていた颯は、一体どこへ行ってしまったのだろう。
その日の夜は会社の忘年会だった。繁華街の居酒屋には笑い声が満ちていた。俺と颯は、少し離れた席に座っていた。部署混合の忘年会で、自然と席がバラけていった結果だった。
颯は、同期の新卒の子たちに囲まれながら男女問わず、和気あいあいと楽しそうに話している。
「神城って、ほんとに可愛いなあ」
そう言った男子社員が冗談めかして颯の頬を指でツンツンつつく。
「やめてよ~」と、颯は笑いながら軽く手で払いながらじゃれる。周囲は「仲良しだな~」と盛り上がり、さらに冗談が飛ぶ。
遠目に見ていた。グラスを持った手が、ほんの少し止まる。
(神城は、まぁあんな感じか。いつも)
そう自分に言い聞かせながらも、あの夜が記憶に焼き付いて離れない今は、いつもの笑顔でさえも、他人に向けられているだけで、妙に引っかかる。
ふと前の、会社の飲み会で、颯に『独占欲は出る方ですか?』と聞かれた時のことを思い出す。
『でもまぁ、依存されるのはちょっと苦手かも。気楽なのが好きなんだよね』
俺は確かそうやって答えた。
これは……独占欲ではないのか……?
これは……嫉妬というものではないのか?
そのとき、ふと視線を感じた。顔を上げると、颯がこちらを見ていた。自然に会話を続けながらその目だけが、確かに俺を捉えていた。
にこっと、笑う。けれど、その目だけは少しだけ細く揺れていた。
──わかっているのか? この疼いている気持ちも。
まるでまた、見透かされているようだった。
『今日も支配されたいって顔に出てますよ、先輩』
そんなふうに笑っている気がして俺は思わず目を逸らしてしまった。
けれど──視線の余韻でさえも、体をもっと熱くさせていた。
忘年会のお開きはあっけなかった。会社の誰かが冗談を言い、誰かが笑って空気が自然と流れて解散へ向かった。
俺は、普段から仲のいい同期の社員たちとそのまま歩き出した。気づけば三人で夜の繁華街をぶらついていた。
「どこかで飲み直すかー」
「寒いし、さくっと入れるとこ探そうぜ」
笑い声の輪に加わりながらも、俺は無意識に後ろを振り返っていた。
──颯は、もういなかった。
期待していた自分に気づいて内心で苦く笑った。
「ここでいいか」
「お! いいじゃん。おしゃれだし」
連れられるまま入ったその店は──以前、颯とふたりで来たバーだった。看板の明かり。ドアの重さ。微かに香るウイスキーの匂い。
その匂いで一気に、記憶が巻き戻る。
颯と肩を並べてカウンターに座った。飲んだグラスを交換し合ってら距離が近くなって……。あの夜の入り口になった場所。
「柊さん? 頼むの決まった?」
「……ああ。ごめん、ちょっと考えてた」
笑顔を返して、メニューを手に取る。視線の先には、以前颯が頼んだ甘いカクテルの名前があった。
飲みかけのグラスに氷が沈んだ音がやけに大きく響いた。
○
「柊さん! 起きて、大丈夫か?」
頭が痛い……フラフラする。
ぼやけた視界に、同僚の顔が映った。喉が乾いている。頭も少し重い。俺は、カウンターにうつ伏せていた。
「……あ、ごめん。俺、寝てた?」
「寝てたどころか、潰れてたぞ。珍しいじゃん。そんなになるなんて」
「大丈夫? 歩ける?」
「……すまん」
時刻は、もう深夜0時を回っていた。同僚の肩を借りて、どうにか店を出る。夜の街の冷たい風が火照った顔に心地よかった。
「大丈夫かよー? 送ってこうか?」
「はは。大丈夫。タクシー拾うから。ありがとね」
「ほんとに? まじで気をつけてよ」
肩をポンと叩かれて笑って手を振る。ひとりになってからようやく深く息をついた。
体はふわふわしてるのに心の中は重たいまま。
(う……まじで……飲みすぎた……)
タクシーを拾おうと駅へ向かって足を引きずるように歩いていく。その時、前方から笑い声が聞こえた。
「……ほんと、――くんってマメだよね~」
「いや、違うよー。そんなには……」
その声に、反射的に顔を上げた。街灯の下に颯がいた。しかし、一人ではない。一緒にいた新卒の子たちが一緒で、男も女も楽しげにじゃれ合っている。
まるで学生の放課後のような軽さで──颯は、無邪気に笑っていた。こちらにはまだ気づいていない。
なんで、そんな普通に笑えるんだよ。こっちは、今もあの夜を引きずってるっていうのに。与えるだけ与えて、放っておかれる、こっちの気持ちにもなってみろ。と思った。
このまま歩いていけば完全にすれ違ってしまう。立ち止まって、何か言うべきか──。
──そのときだった。
颯の視線が、ふと前を向いて俺と目が合ってしまった。
颯はぱちん、と軽くまばたきをして。それから──颯は、迷わなかった。
「──先輩!」
そう言ってあっさりと仲間たちの輪を抜け出した。
「えっ、神城くん?」
「大丈夫? てかあれって御影さん?」
心配そうに顔を覗き込む新卒の同期たちを背に、颯は笑顔のまま手を振った。
「大丈夫ー!今日はありがと! 先に帰っててー! 先輩送ってから帰る!」
その声がどこか誇らしげに聞こえたのは──俺の気のせいだろうか。
しかし、颯は心配そうな表情で身体を支えてくれる。
「……あー、最悪だ……」
酔い潰れて、足元がおぼつかないところを部下に見られてしまうとは。俺はため息と共に顔を伏せた。
足元は、ふらつくが颯の体温だけは、はっきりわかった。
「先輩、歩けますか? 肩、貸しますね」
「……ああ。ごめん」
強がってはみるものの素直に体を預けた。どこか情けなくて、恥ずかしくて、でも──心の奥でどうしようもなく嬉しかった。
「ほら、歩幅合わせてくださいね。転ばないでくださいよ~」
耳元で聞こえる、明るい声。あどけない誰にでも愛される笑顔。それがいま、自分だけのもののように感じてしまったからだ──
そんなの、都合のいい妄想だってわかってるのに。
(はは……気楽なのが……好きか……)
ただ肩を借りて少しだけ体を預けて、その温もりに浸っていた。
「……だめだ、ふらふらする……」
「飲みすぎるなんて、珍しいですね……でも、なんか……可愛いですよ」
そんな揶揄いの言葉に反応する気力も残っていなかった。
そのまま、俺は颯の肩に頭を預ける。小さく、吐息が漏れる。心は、騒がしい。ただ体は妙に安心していた。誰よりも、見てほしかった相手に、こんなみっともない姿をさらしているのに。
(……俺、バカだな)
「おはようございます、先輩」
改札で待っていた颯が手袋越しに小さく手を振る。
今日も、颯はいつも通り。やはり、変わったのは自分だけだった。
『支配したいんです』と言っていた颯は、一体どこへ行ってしまったのだろう。
その日の夜は会社の忘年会だった。繁華街の居酒屋には笑い声が満ちていた。俺と颯は、少し離れた席に座っていた。部署混合の忘年会で、自然と席がバラけていった結果だった。
颯は、同期の新卒の子たちに囲まれながら男女問わず、和気あいあいと楽しそうに話している。
「神城って、ほんとに可愛いなあ」
そう言った男子社員が冗談めかして颯の頬を指でツンツンつつく。
「やめてよ~」と、颯は笑いながら軽く手で払いながらじゃれる。周囲は「仲良しだな~」と盛り上がり、さらに冗談が飛ぶ。
遠目に見ていた。グラスを持った手が、ほんの少し止まる。
(神城は、まぁあんな感じか。いつも)
そう自分に言い聞かせながらも、あの夜が記憶に焼き付いて離れない今は、いつもの笑顔でさえも、他人に向けられているだけで、妙に引っかかる。
ふと前の、会社の飲み会で、颯に『独占欲は出る方ですか?』と聞かれた時のことを思い出す。
『でもまぁ、依存されるのはちょっと苦手かも。気楽なのが好きなんだよね』
俺は確かそうやって答えた。
これは……独占欲ではないのか……?
これは……嫉妬というものではないのか?
そのとき、ふと視線を感じた。顔を上げると、颯がこちらを見ていた。自然に会話を続けながらその目だけが、確かに俺を捉えていた。
にこっと、笑う。けれど、その目だけは少しだけ細く揺れていた。
──わかっているのか? この疼いている気持ちも。
まるでまた、見透かされているようだった。
『今日も支配されたいって顔に出てますよ、先輩』
そんなふうに笑っている気がして俺は思わず目を逸らしてしまった。
けれど──視線の余韻でさえも、体をもっと熱くさせていた。
忘年会のお開きはあっけなかった。会社の誰かが冗談を言い、誰かが笑って空気が自然と流れて解散へ向かった。
俺は、普段から仲のいい同期の社員たちとそのまま歩き出した。気づけば三人で夜の繁華街をぶらついていた。
「どこかで飲み直すかー」
「寒いし、さくっと入れるとこ探そうぜ」
笑い声の輪に加わりながらも、俺は無意識に後ろを振り返っていた。
──颯は、もういなかった。
期待していた自分に気づいて内心で苦く笑った。
「ここでいいか」
「お! いいじゃん。おしゃれだし」
連れられるまま入ったその店は──以前、颯とふたりで来たバーだった。看板の明かり。ドアの重さ。微かに香るウイスキーの匂い。
その匂いで一気に、記憶が巻き戻る。
颯と肩を並べてカウンターに座った。飲んだグラスを交換し合ってら距離が近くなって……。あの夜の入り口になった場所。
「柊さん? 頼むの決まった?」
「……ああ。ごめん、ちょっと考えてた」
笑顔を返して、メニューを手に取る。視線の先には、以前颯が頼んだ甘いカクテルの名前があった。
飲みかけのグラスに氷が沈んだ音がやけに大きく響いた。
○
「柊さん! 起きて、大丈夫か?」
頭が痛い……フラフラする。
ぼやけた視界に、同僚の顔が映った。喉が乾いている。頭も少し重い。俺は、カウンターにうつ伏せていた。
「……あ、ごめん。俺、寝てた?」
「寝てたどころか、潰れてたぞ。珍しいじゃん。そんなになるなんて」
「大丈夫? 歩ける?」
「……すまん」
時刻は、もう深夜0時を回っていた。同僚の肩を借りて、どうにか店を出る。夜の街の冷たい風が火照った顔に心地よかった。
「大丈夫かよー? 送ってこうか?」
「はは。大丈夫。タクシー拾うから。ありがとね」
「ほんとに? まじで気をつけてよ」
肩をポンと叩かれて笑って手を振る。ひとりになってからようやく深く息をついた。
体はふわふわしてるのに心の中は重たいまま。
(う……まじで……飲みすぎた……)
タクシーを拾おうと駅へ向かって足を引きずるように歩いていく。その時、前方から笑い声が聞こえた。
「……ほんと、――くんってマメだよね~」
「いや、違うよー。そんなには……」
その声に、反射的に顔を上げた。街灯の下に颯がいた。しかし、一人ではない。一緒にいた新卒の子たちが一緒で、男も女も楽しげにじゃれ合っている。
まるで学生の放課後のような軽さで──颯は、無邪気に笑っていた。こちらにはまだ気づいていない。
なんで、そんな普通に笑えるんだよ。こっちは、今もあの夜を引きずってるっていうのに。与えるだけ与えて、放っておかれる、こっちの気持ちにもなってみろ。と思った。
このまま歩いていけば完全にすれ違ってしまう。立ち止まって、何か言うべきか──。
──そのときだった。
颯の視線が、ふと前を向いて俺と目が合ってしまった。
颯はぱちん、と軽くまばたきをして。それから──颯は、迷わなかった。
「──先輩!」
そう言ってあっさりと仲間たちの輪を抜け出した。
「えっ、神城くん?」
「大丈夫? てかあれって御影さん?」
心配そうに顔を覗き込む新卒の同期たちを背に、颯は笑顔のまま手を振った。
「大丈夫ー!今日はありがと! 先に帰っててー! 先輩送ってから帰る!」
その声がどこか誇らしげに聞こえたのは──俺の気のせいだろうか。
しかし、颯は心配そうな表情で身体を支えてくれる。
「……あー、最悪だ……」
酔い潰れて、足元がおぼつかないところを部下に見られてしまうとは。俺はため息と共に顔を伏せた。
足元は、ふらつくが颯の体温だけは、はっきりわかった。
「先輩、歩けますか? 肩、貸しますね」
「……ああ。ごめん」
強がってはみるものの素直に体を預けた。どこか情けなくて、恥ずかしくて、でも──心の奥でどうしようもなく嬉しかった。
「ほら、歩幅合わせてくださいね。転ばないでくださいよ~」
耳元で聞こえる、明るい声。あどけない誰にでも愛される笑顔。それがいま、自分だけのもののように感じてしまったからだ──
そんなの、都合のいい妄想だってわかってるのに。
(はは……気楽なのが……好きか……)
ただ肩を借りて少しだけ体を預けて、その温もりに浸っていた。
「……だめだ、ふらふらする……」
「飲みすぎるなんて、珍しいですね……でも、なんか……可愛いですよ」
そんな揶揄いの言葉に反応する気力も残っていなかった。
そのまま、俺は颯の肩に頭を預ける。小さく、吐息が漏れる。心は、騒がしい。ただ体は妙に安心していた。誰よりも、見てほしかった相手に、こんなみっともない姿をさらしているのに。
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