先輩は、僕のもの【3】

ゆおや@BL文庫

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柊の葛藤

終章

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「……俺、ほんとに……神城のものになっちゃったんだな」

 小さく漏れた言葉は誰に聞かせるわけでもなく、ただ、床を拭く手と胸の奥に染み込んでいくようだった。

 そんな俺を颯は穏やかに見下ろしていた。やわらかな微笑。けれどその瞳には確かな悦びが宿っている。

「えへへ。そうですよ。先輩はもう、僕のものですから」
「……ご主人様として、飼い主として、これからもちゃんと……先輩のこと躾けていきますね?」
 
 俺の手が止まる。その言葉に身体の奥がまた熱を帯びていく。そして——颯が、ゆっくりと腰を下ろし、俺の肩を抱くように胸元へ顔を寄せてきた。

「動かないでください。……大事な印、つけますから」

 そう囁いた颯の吐息が俺の耳元をかすめた。
 次の瞬間、首筋から鎖骨にかけての柔らかな肌に、鋭い熱が食い込む。

「……!?」

 皮膚が引きつる。柔らかく唇を押し当てられた直後吸い上げられるような激しい痛みに俺は身体を跳ねさせた。

「いっ……あ、や、だ……やめ……っ!」

 抵抗の声すら呑まれるようにさらに強く、深く吸われて、音を立てて皮膚が締めつけられる。

「ひっ……ふ、ぁ、っ……いたいっ……! んんっ……!」

 熱い息と、唾液の痕。そして、じんじんと痛む赤紫の跡。見えない場所にさえ逃げ場は与えられなかった。

「……っ、つ……ぁ……!」

 俺は身体を捩る。顎を掴まれ、動きを封じられたまま、肌に吸いつく音が何度も響く。

 ——ちゅ、ぬち、じゅっ……。

 吸い付くというより噛みつかれているような激しさ。歯が浅く食い込み血が滲む一歩手前で舌が舐め回す。熱と唾液、そして痛みが混ざり合って俺の身体を貫いていく。

「んっ、痛い……っ、か……神城っ! やだ……や、でも……っ」

 涙がにじむ。首筋が痺れる。痛い、なのに——

(……もっと……ほしい……)

 自分が望んでいることに気づき、自分で自分にぞくりとした。

「……っは、……ふぅ……っ……」

 ようやく口を離した颯が濡れた唇を拭きながら笑う。赤く滲んだその場所を見つめながら、優しく、でも確実に呟いた。

「……ふふ、すごいあまーい声出してました……先輩……」
「誰が見ても消せないくらい……痛いでしょ?」

 俺は答えられなかった。ただ、胸元に残るじんとした痺れと、そこに残る湿った感触を震える指でそっとなぞった。痛みの名残。熱の跡。そして、確かな——所有の証。

「……これでもう逃げられませんね」
「だってその傷は、僕のワンコになった証ですから」

 耳元で囁かれるたび、その場所が、じんじんと疼いた。——消えてほしくない。むしろ、もっと深くもっと痛く、つけてほしい。

 俺は、うつむいたまま震える唇で微かに呟いた。

「……俺を……ちゃんと躾けて……ご主人様……」

 その瞬間、颯の瞳が静かに細められた。

「えへへもちろん。責任、取らせてくださいね」
「……先輩」

 押し付けられるように刻まれた咎愛の印。まだ火照るその上を颯の指先が、そっとなぞる。優しく。まるで、壊してしまったおもちゃを撫でる子どものように。

 俺の肌がぴくりと震える。今さら優しくされても身体はその痛みを忘れていない。

 けれど次の瞬間――颯が、すとん、と俺の胸元に頬を寄せた。すり、と、首筋に小さく頭を擦りつける。

 まるで子猫のように。愛されたくて、触れてほしくて、自分の匂いを残すように、肩口、鎖骨、胸元――肌に残る汗と熱の上をまるで確かめるようにすり寄るたび、俺の心臓がいやらしく跳ねた。

 そして、ふわっと笑う。本当に、なにも知らないような、無垢な笑み。

「……先輩、ありがとうございました。すごく、気持ちよかったです」

 満面の笑みを浮かべたまま、唇をそっと重ねてくる。軽い、けれど拒めない。子猫のように甘えながら獣のように支配する。

 それが、神城颯だった。

 ブツン、と部屋の灯りが落とされあたりは間接照明のぬるい光だけになった。暖房の低いうなりとカーテン越しの冬の風音だけが静かに響いている。

 ソファには俺。さっきまで吊るされ支配されていた身体をようやく沈めた。

 背もたれに寄りかかった背中がじくじくと痛む。胸元――あの唇が、あの声が、あの舌が……刻みつけた赤い烙印。熱が引かず、衣服の下でズキズキと疼いている。

 さっきまであんなことをしていたのに。ベッドからは、ふわりと布団の音。毛布にくるまった颯が、小さく息を吐く。

「……先輩仕事納めお疲れ様でした。ゆっくり休みましょうね」

 穏やかな何の変哲もない労いの声。それだけを残して颯は背を向けて布団に潜り込んでいった。まるで、何もなかったかのように。

(……)

 俺はソファの上毛布にくるまりながら視線をさまよわせる。まだ熱い。まだ鼻の奥も喉の奥も焼けるようにざわめいている。

 あんなに恥をかかされ、あんなに肌を這われ、あんなに――躾けられたばかりなのに。

 なのに、彼は何も言わない。あどけなく、穏やかでまるで犬を可愛がる少年のように。

 俺は犬だった。俺は……完全に。

 そして今、「先輩」と呼ばれ何もなかったように「上司」に戻されている。烙印だけが、熱く、肌に残されたまま。

(どうすればいいんだよ明日から……)

 答えなんてきっと颯しか持っていない。
 だけど今彼はただの後輩として、眠っている。

 俺は、目を閉じた。そのまま眠れるほど身体も心も、軽くはなかった。

 キッチンからは、水の音と食器の重なる音その日常的な朝の光景に誘われるように俺はソファの上でまどろみながらゆっくり目を覚ます。

 しばらくその香りに身を任せる。身体の芯が、まだどこか火照っている気がして、動けずにいた。

 胸元――うっすらと疼く箇所に昨夜の痕跡が残っている。

「おはようございます、先輩。朝ごはん、できましたよ」

 振り返った颯はエプロン姿のまま湯気の中で柔らかな笑みを浮かべていた。

 テーブルに並んだのは焼き魚、味噌汁そしてつややかな白米。箸を手にした瞬間思わず「……ありがとう」と呟いていた。

「昨日はお疲れ様でした。仕事納めでしたし、今日はゆっくりしてくださいね」
「……神城も。にしても、ほんとに手際いいな」
「実家でも僕がよく作ってたんです。だから、まあ料理は得意で」

 そう言ってお茶を注ぎながら颯がふと話題を変える。

「そういえば、同期の柴谷くん今日から里帰りなんです。地元が雅島ってところで」
「……雅島か」

 俺は箸を止めふと遠くを見るような目をした。

「高校時代の友達があの島の高校で教師やってるんだ」
「えっ、先生のお友達雅島にいるんですか?」
「そう。卒業したあともずっと連絡をとっててさ。なんか、初めて持ったクラスの子達と今度、同窓会やるなんて言ってたな」
「へえ……素敵ですね」
「俺も一度、その友達に会いに旅行しに行ったことがあって」
「その時、ちょうど生徒の子が、海外で事故に遭って大変な時期で会えなかったんだけどね」
「そうなんですね。柴谷君は働きながらバンドやってて、雅島に戻ったら友達とセッションして動画配信するってキラキラしてました」
「へえ。柴谷は、バンドが趣味なんだ。もしかしたら、俺の友達のこと知ってるかもな」
「無愛想な子ですけど、いい子なので今度その話してみてあげてください!」

 その言葉のあと、しばらくの沈黙。そして、口を開いたのは颯だった。

「……毎日会社で会ってたのにしばらく会えませんね」

 俺は、その素直な言葉に目を細めた。

「そうだな」
「なんかずーっと先輩と一緒にいたから、変な感じがします」

 そう言って笑う颯の表情はいつものあどけなさとやさしさに満ちていて、俺はその笑顔に、ごく自然に「気をつけて帰れよ」と返していた。

 テーブルを囲みながらふたりはぽつぽつと帰省の話を続ける。昨晩の支配の時間などまるでなかった様に……。

 朝食を終えた食卓の上には湯気がかすかに残り湯のみの中で茶葉がゆるやかに揺れていた。俺は使い終えた箸を静かに置き少しだけ息をつく。

「……片付け、俺がやるよ」

 そう言って立ち上がろうとする柊に颯が小さく首を振る。

「いえ、いいんです。先輩は座っててください」
「今日は、ゆっくりしてもらいたくて作ったんですから」

 その口調は穏やかでどこか子どもっぽくもあるが、昨夜の――本能に深く刻まれた支配の余韻を思い出せば、その笑顔の裏にあるものが否応なく浮かぶ。

 それでも、俺はそれに触れようとはしなかった。ただ静かに湯のみの中を見つめるだけ。

「……なあ、神城」
「はい?」
「昨日の……ことなんだけど」
「……また欲しくなったら言ってくださいね? 言ってくれなきゃわからないですよ?」

 さらりとした口調ででも確実に――昨夜の続きをなぞるように。

「その印も、何度でもつけてあげますから」

 湯気の向こうであどけなく笑うその顔に、俺は言葉を失ったまま、目を伏せた。

「ふふ。でも、中々消えないとは思いますけどね」

 その可愛らしさに包まれた言葉が真綿みたいに緩やかに、でも確実に――首筋に記憶を巻きつけてくる。

 颯はくすっと笑うだけで追いかけてはこない。あくまで後輩のまま静かにカップを洗う水音だけが響いた。

先輩は、僕のもの【4】へつづく
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