フォゲット・ミー・ノット 勿忘草を君に

ゆおや@BL文庫

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第一章

第二話

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 交番を出てから、澪の足取りは重かったが、いつまでも警察官を交番の前に立たせておくのも悪くて、俺は軽く会釈を返し、そのまま駅の方へ歩き出した。澪も少し遅れながら、俺の後ろをついてくる。

 しばらく沈黙が続いていたが、俺のほうからもう一度口を開いた。

「相良? 帰ろ?」
 
「……凪先生。怒ってますか?」
 
「別に怒ってないよ。ほんとに大丈夫」
 
「怒ってるじゃないですか……」
 
「いやいや、本当に怒ってないって。ほら、早く帰ってご飯食べたいでしょ? お腹空いてるよね?」
 
「……ごめんなさい。お腹空いてるのに、俺のせいで時間使わせちゃって」
 
「……」
 
「……」

 彼を元気づかせようと思って、できるだけ明るいトーンで話しかけてはみたが、逆効果だったみたいだ。むしろ、また少し落ち込んでしまった。
 
 まっすぐで正義感が強い彼だが、年相応に子どもらしい。高校二年生よりも幼く見えるその容姿のせいも相まって、怒られていじけてしまった子どもにしか見えなくもない。
 
「相良も殴られたの?」
 
「はい。俺も……殴られました。それでつい、カッとなって押し返しちゃって」
 
「そっか。大丈夫? 痛くない?」
 
「……ちょっとだけ痛いです。あんまり、殴られるの慣れてないですから。でも、大丈夫です」
 
「はは。多分殴られ慣れてても、痛いもんは痛いよ。殴られ慣れてるやつの方が、今の時代少ないだろうけどね」

 丸メガネの奥の大きな瞳が、ネオンの光を反射してきらきらしている。俺が笑ったことによって緊張が解けたのか、交番にいたときよりも表情が少しだけ緩んでいて、俺はほっとした。
 
 きっと、澪は警察に連れて行かれたこと自体に、相当こたえているだろう。後ろを歩いていた澪は、すれ違う観光客を避けながらようやく、俺の隣に追いついてきた。

「相良。さっき、強く言い返したって言ってたよね」
 
「はい」
 
「そのとき、何て言ったの?」
 
「実はその時頭に血が上っちゃってて……よく覚えてないんです。もしかしたら、俺の方が先に手を出してたのかも……」
 
「それはないよ、警察の人も言ってたよね? 先に絡んできたのも手を出してきたのも向こうだって」
 
「それならいいんですけど……。俺、ケンカとか好きじゃないです。でも、見て見ぬふりしたり、逃げたりするのは、もっと好きじゃないです」
 
「わかってるよ。だから、間に入ったんだよね?」
 
「はい。でも、結局止めるのが下手だったので、こんなことになっちゃいました……」

 自分で自分を笑うみたいに言う声は、少しだけ疲れていた。

「あの子もバスケ部なんだっけ。今日、練習は?」
 
「今日は早く終わったので、さっきの後輩とアイス食べながら笑ってたら、急に絡まれて……」
 
「……」
 
「やっぱり、怒ってますか?」

 さっきと同じ質問を、澪はもう一度した。

「トラブルに巻き込まれるのは、教師としては歓迎しない。君にケガをされても困るから」
 
「はい……」
 
「でも、見て見ぬふりをしなかったのは、本当に偉い」
 
「君に大きなケガがなくてよかったし、無事でよかった。それだけで、俺はかなり安心してる。ほんとに心配したんだよ?」
 
「……はい。ごめんなさい」

 少し間をおいてから、澪はメガネをちょんと直した。
 
「……本当に怒ってないんですね。凪先生」
 
「だから、さっきから言ってるでしょ? そもそも、なんで俺が怒るのさ」
 
「だって、こうやって放課後に悪さして、警察に捕まったから」
 
「君が、他校の生徒に向かってジロジロ見てんじゃねーぞって言いがかりつけたわけじゃないよね?」
 
「はい」
 
「自分から、相手の胸ぐらを掴んだわけでもないよね?」
 
「はい。掴んでないです」
 
「でしょ? 悪さしたってゆうのは、そういうことを言うんだよ。むしろ、そんな理不尽な行動をしたバカな奴から後輩を守ったんだよ。それは悪さなんかじゃなくて、すごく良いことだって俺は思ってるよ」
 
「……」
 
「間違ってる事を間違ってる! って言えるのは、勇気があるからだし、人を守ることができるのは、優しくて強いから。大丈夫だよ、相良。君はなんにも間違ったことなんてしてない」

 澪は、そんな会話を続けていると一瞬だけ歩幅を遅らせたが、すぐにまた俺の隣を歩き出す。自分の肩ぐらいのところにある丸メガネを覗いてみると、今度は褒められた小さい子どものように、少し照れくさそうな表情をしていた。

 そしてもう一度、メガネをちょんと上げて嬉しそうに喋った。
 
「先生」
 
「うん?」
 
「俺、先生が迎えに来てくれて、安心しました」
 
「え、そうなの?」
 
「はい。警察に連れて行かれて、正直やばいことしたなって思ったし……母さんにも迷惑かけるかもしれないって。だけど先生の顔見たら、『あ、大丈夫だ』って思ったので」
 
「それは、どういう意味で?」
 
「え、そのままの意味ですよ」
 
「もしかして、俺なら何しても怒られないと思ってる?」
 
「そ、そんなことないですよ!」
 
「……あはは。まあいいや」
 
「ほんとにそんなこと思ってないですよ!」
 
「どうだろうねー?」
 
「ほんとにほんとにほんとですってー!」

 夜の商店街は終点が近づくにつれて観光客の姿はほとんどなくなり、そんな会話もはっきりと聞こえるくらい静かになっていた。

 やがて、民家の並ぶ住宅地のT字路に辿り着く頃には、澪はいつものようによく喋り、よく笑うようになっていた。

「家はこのへん?」
 
「はい。ここのT字路を右に曲がって、またすぐ右曲がってすぐです」
 
「はは。そんな、具体的に教えてくれなくても良いって。じゃあ、ここまででいいね」
 
「わざわざ送ってもらっちゃって、すみません」
 
「ねえ、相良」
 
「はい」
 
「君は運がいいよ」
 
「運……? どうしてですか?」
 
「話の分かる大人が、近くにいるから」
 
「それ、先生のことですか」
 
「そこ突っ込むなよ、いちいち」
 
「ふふ。確かに俺も運がいいですけど……それなら先生も、ちょっと運がいいかもしれないですよ?」
 
「それは、どうして?」
 
「中々、放っておけない生徒に当たってるので」
 
「それは、相良のことかな?」
 
「あっ! 先生、意外に小さな事を根に持つんですね」
 
「ははは。うーん。確かに放っておけないかもしれないけど、それは面倒ごとの中にだいたい相良がいるからかな?」
 
「それでもきっと、悪くないと思いますよ? 退屈しない生徒のほうがいいじゃないですか」

 街灯に照らされた彼は、えへへ。と笑った。年相応に、無邪気な笑顔で。どういうわけか、その笑顔が胸に残った。感情の忙しい彼の色々な表情は、確かに退屈しないな。と今の言葉が、すぐに腑に落ちた。

「あはは、まあ確かに、それは認めよう。じゃあ、気をつけて帰って。あ、一応お母さんとは後日面談になると思う。お母さん、仕事で忙しいだろうから、君から伝えておいて欲しい。都合のいいときに学校に連絡してもらえるように」
 
「はい、わかりました。母さんに伝えておきます。凪先生! 今日は本当にありがとうございました!」
 
「うん。おやすみ、相良。また明日」
 
「はい! おやすみなさい! 凪先生、また明日です!」

 澪の背中を見送ると、住宅街の一つ目の十字路を右に曲がって行った。時計を見ると、もうすっかり遅い時間だった。

 それでも、つい今さっき交わした『また明日』というやり取りだけが、鮮やかに胸に残っている。誰もいなくなった十字路に背を向けてきた道を引き返そうと思った時、重要な事を思い出した。

「あ、自転車……」

 学校に置きっぱなしの自転車のことを思い出しながら、家までの道を歩き出す。イレギュラーな出来事に巻き込まれて、普通ならぐったりしていてもおかしくないのに、なんとなく足取りはいつもより軽かった。明日の自分の足取りも軽いような気がした。
 
 それは、一学期最後の大仕事を終えたからなのかは分からない。だけど変な夜だな、と、そのときの俺は思っていた。
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