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颯に連れていかれたのは、駅から少し外れた小洒落たバーだった。照明は暗めでカウンター席がメインの静かな店。
「ここ、前から来てみたかったんですよ。先輩と来れて嬉しいな」
カウンターに並んで座り、軽く乾杯する。颯はカシス系の甘いカクテルで口元を濡らした。グラスの水滴が、指先を伝って雫になる。
「……あの、先輩。さっきのプレゼン、すごく良かったです。声のトーンとか、言葉の選び方とか」
「……そんな大袈裟な」
「ほんとです。……なんか鳥肌立ちました。気持ちよかったです。聞いてて」
言いながら颯は俺の方へ少し身体を傾ける。距離が、また近い。
「先輩って、ほんとにかっこいいですよね」
にこ、と笑うその顔。
「……僕、また一緒に出張したいなあ。もっと、先輩のこと、知りたいです」
その目線は、まっすぐ俺に注がれていた。逃げ道がなかった。
グラスを重ねるごとに颯の表情はトロンと、柔らかくなっていった。けれど、それと反比例するように言葉の奥にある何かが濃くなる。
「……先輩って、こういうお店あまり来ないんですか?」
「……まあ、そうだな」
「なんか……ちょっと緊張してる顔してます」
そう言いながら、颯が近づく。声が、耳元に落ちる。
「それとも……落ち着かないですか? 僕の隣」
吐息混じりのその声に俺は一瞬だけ、まばたきを忘れた。心が――揺れる。ほんの一瞬の間に何かが沁みてくる。
店を出た頃には夜の風が少し肌寒く感じるようになっていた。俺はスマホを取り出し終電の時間を確認する。
「……まだ、間に合うな」
そう呟いたとき、隣で歩く颯がちらりと俺の方を見上げた。
「今日は終電、逃さずに済みそうですね」
「……けど、僕まだちょっと飲み足りなくて」
小さく笑うと、その目がわずかに潤む。
「よかったら……僕の家で、飲み直しませんか?」
俺はまさかの誘いに少し驚いて無意識に視線を逸らした。けれど次の一言で意識は再び彼に引き戻される。
「それとも……帰りますか?」
言葉の最後をわざと曖昧にしたような、含みのある言い回し。少しだけ首を傾げたその姿があまりにも可愛らしかった。
まるで、帰らないでほしいと無言で懇願しているようで。
「……じゃあ、ちょっとだけ……」
そう答えた自分の声が思ったよりも自然だったことに少し驚いた。
コンビニで酒とつまみを買い颯の家へ向かう。玄関を開けた颯が、靴を脱ぎながら振り返る。
「適当に座っててください。つまみとか用意してきますね」
落ち着いたワンルーム。初めてここに来たときよりも空気が近く感じられる。数分後、缶とつまみを手に戻ってきた
颯が、ふと笑った。
「……あ、先輩」
「ん?」
「シャワー、どうしますか?」
「……え?」
「それとも……浴びない方が、いいですか?」
小首を傾げたまま、まっすぐ俺を見る。その目は、いつもより深く、どこか期待を帯びていた。
冗談のようでいてどこか冗談ではない。そんな空気に、俺は返事を詰まらせたまま視線を逸らすしかなかった。
(飲み直しに来たんだよな……?)
「……浴びないでおこうかな」
そう答えたのは、理性ではなく本能に近かった。頷いた俺を見て颯の目がふわりと緩む。
「よかった」
柔らかく笑って缶を開ける音が部屋に響く。
「先輩とゆっくり飲みたい気分だったんです」
そう言って膝を折って俺の隣に座る。さっきまでよりも、距離が近い。乾杯の音が、無音の部屋に小さく響く。
飲み始めて数十分。ほどよくアルコールが回り緩んでいく空気。颯は、時折笑いながら、時に肩を寄せ、時に上目遣いで俺を見てくる。
「先輩って、ずるいですよね」
「はは。何がだよ」
「だって、イケメンだし、優しいし、真面目だし……爽やかだし……」
頬を赤くしながら缶を持ったままの俺の肩に額を預ける。
「……でも、たまーに無防備で」
その声が、耳のすぐそばで落ちた。思わず息を呑むと、颯がくすりと笑う。
「今日も、僕の家に来てくれました。それだけで、ちょっと……嬉しくて」
颯の手が、そっと俺の手の甲に触れる。
「……先輩。柔軟剤、変えました?」
「……いや、変えてないけど」
「そうなんですね。なんか……この間と違う匂いがする……」
そう呟くと距離を詰めてくる。その小さな鼻先が肩口に触れる。
「すん……」
小さく吸い込むように、鼻を鳴らした。
「やっぱり……いい匂いです」
頬を染めたまま、瞳が潤んでいる。
「そう……か?」
「はい。ずっと嗅いでいたいくらい」
いつもの可愛い部下じゃない。あの夜の颯だ。深い場所からにじみ出る熱を孕んだ何かを持った、あの夜の支配者だ。
颯の指が、胸元にそっと触れる。
「ねえ……もっと近くで匂い……嗅いでも、いいですか?」
その声は、甘くて、柔らかくて――でも、確実に欲していた。
「ちょ……! 神城!?」
そして次の瞬間。颯は、俺の膝の上に跨るように座った。さらに顔と顔が触れるほどの距離に近づく。
「先輩」
「……な、なんだよ」
「期待……してますか?」
吐息が、唇にかかる。
「……僕は、してますよ」
可愛く、潤んだ目ででもしっかりと見上げてくる。
「えへへ。……この体勢……支配しているみたいですね」
「……神城……」
声が、少し掠れる。だけど、拒絶の色は薄れていた。
「待ってたんですね……?」
ふっと笑ったその瞬間――距離が、音もなく、ゼロになった。キスは、甘く、長く、そして濃かった。俺は、当たり前のように部下の男とのキスを受け入れた。それを待っていたかのように。
「ここ、前から来てみたかったんですよ。先輩と来れて嬉しいな」
カウンターに並んで座り、軽く乾杯する。颯はカシス系の甘いカクテルで口元を濡らした。グラスの水滴が、指先を伝って雫になる。
「……あの、先輩。さっきのプレゼン、すごく良かったです。声のトーンとか、言葉の選び方とか」
「……そんな大袈裟な」
「ほんとです。……なんか鳥肌立ちました。気持ちよかったです。聞いてて」
言いながら颯は俺の方へ少し身体を傾ける。距離が、また近い。
「先輩って、ほんとにかっこいいですよね」
にこ、と笑うその顔。
「……僕、また一緒に出張したいなあ。もっと、先輩のこと、知りたいです」
その目線は、まっすぐ俺に注がれていた。逃げ道がなかった。
グラスを重ねるごとに颯の表情はトロンと、柔らかくなっていった。けれど、それと反比例するように言葉の奥にある何かが濃くなる。
「……先輩って、こういうお店あまり来ないんですか?」
「……まあ、そうだな」
「なんか……ちょっと緊張してる顔してます」
そう言いながら、颯が近づく。声が、耳元に落ちる。
「それとも……落ち着かないですか? 僕の隣」
吐息混じりのその声に俺は一瞬だけ、まばたきを忘れた。心が――揺れる。ほんの一瞬の間に何かが沁みてくる。
店を出た頃には夜の風が少し肌寒く感じるようになっていた。俺はスマホを取り出し終電の時間を確認する。
「……まだ、間に合うな」
そう呟いたとき、隣で歩く颯がちらりと俺の方を見上げた。
「今日は終電、逃さずに済みそうですね」
「……けど、僕まだちょっと飲み足りなくて」
小さく笑うと、その目がわずかに潤む。
「よかったら……僕の家で、飲み直しませんか?」
俺はまさかの誘いに少し驚いて無意識に視線を逸らした。けれど次の一言で意識は再び彼に引き戻される。
「それとも……帰りますか?」
言葉の最後をわざと曖昧にしたような、含みのある言い回し。少しだけ首を傾げたその姿があまりにも可愛らしかった。
まるで、帰らないでほしいと無言で懇願しているようで。
「……じゃあ、ちょっとだけ……」
そう答えた自分の声が思ったよりも自然だったことに少し驚いた。
コンビニで酒とつまみを買い颯の家へ向かう。玄関を開けた颯が、靴を脱ぎながら振り返る。
「適当に座っててください。つまみとか用意してきますね」
落ち着いたワンルーム。初めてここに来たときよりも空気が近く感じられる。数分後、缶とつまみを手に戻ってきた
颯が、ふと笑った。
「……あ、先輩」
「ん?」
「シャワー、どうしますか?」
「……え?」
「それとも……浴びない方が、いいですか?」
小首を傾げたまま、まっすぐ俺を見る。その目は、いつもより深く、どこか期待を帯びていた。
冗談のようでいてどこか冗談ではない。そんな空気に、俺は返事を詰まらせたまま視線を逸らすしかなかった。
(飲み直しに来たんだよな……?)
「……浴びないでおこうかな」
そう答えたのは、理性ではなく本能に近かった。頷いた俺を見て颯の目がふわりと緩む。
「よかった」
柔らかく笑って缶を開ける音が部屋に響く。
「先輩とゆっくり飲みたい気分だったんです」
そう言って膝を折って俺の隣に座る。さっきまでよりも、距離が近い。乾杯の音が、無音の部屋に小さく響く。
飲み始めて数十分。ほどよくアルコールが回り緩んでいく空気。颯は、時折笑いながら、時に肩を寄せ、時に上目遣いで俺を見てくる。
「先輩って、ずるいですよね」
「はは。何がだよ」
「だって、イケメンだし、優しいし、真面目だし……爽やかだし……」
頬を赤くしながら缶を持ったままの俺の肩に額を預ける。
「……でも、たまーに無防備で」
その声が、耳のすぐそばで落ちた。思わず息を呑むと、颯がくすりと笑う。
「今日も、僕の家に来てくれました。それだけで、ちょっと……嬉しくて」
颯の手が、そっと俺の手の甲に触れる。
「……先輩。柔軟剤、変えました?」
「……いや、変えてないけど」
「そうなんですね。なんか……この間と違う匂いがする……」
そう呟くと距離を詰めてくる。その小さな鼻先が肩口に触れる。
「すん……」
小さく吸い込むように、鼻を鳴らした。
「やっぱり……いい匂いです」
頬を染めたまま、瞳が潤んでいる。
「そう……か?」
「はい。ずっと嗅いでいたいくらい」
いつもの可愛い部下じゃない。あの夜の颯だ。深い場所からにじみ出る熱を孕んだ何かを持った、あの夜の支配者だ。
颯の指が、胸元にそっと触れる。
「ねえ……もっと近くで匂い……嗅いでも、いいですか?」
その声は、甘くて、柔らかくて――でも、確実に欲していた。
「ちょ……! 神城!?」
そして次の瞬間。颯は、俺の膝の上に跨るように座った。さらに顔と顔が触れるほどの距離に近づく。
「先輩」
「……な、なんだよ」
「期待……してますか?」
吐息が、唇にかかる。
「……僕は、してますよ」
可愛く、潤んだ目ででもしっかりと見上げてくる。
「えへへ。……この体勢……支配しているみたいですね」
「……神城……」
声が、少し掠れる。だけど、拒絶の色は薄れていた。
「待ってたんですね……?」
ふっと笑ったその瞬間――距離が、音もなく、ゼロになった。キスは、甘く、長く、そして濃かった。俺は、当たり前のように部下の男とのキスを受け入れた。それを待っていたかのように。
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