先輩は、僕のもの【2】

ゆおや@BL文庫

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終章

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 舌を這わせたあとの窪みには、自分の唾液がねっとりと残っていた。それが体温で温められ、ふたたび鼻先に漂ってくる。

 ──混ざってる。汗の匂いと……唾液の匂い。そして、頭上から、また甘い声が降ってくる。

「……舐めてばっかりいないで、ちゃんと匂いも嗅いでください。自分の唾液の匂いで僕の脇がどんな匂いになってるか……ちゃんと味わってください」

 囁きながら颯がゆっくりと腕を動かした。肘を交差したまま、脇を顔に押しつけるように小さく、強く擦りつける。
 ぬるく湿った感触が頬に、鼻に、額に触れる。
 
 すり── ぬちゃっ……
 
 まるで脇で顔に香りを塗り込むように。顔全体に散々舐めたあとの香りが馴染んでいく。

 嗅いだ瞬間、自分の唾液の匂いが微かに立ち上がる。そこに、颯の濃密な汗と体温が混ざっていた。

(……っ) 

「……ふふ、顔ベタベタになってますよ。だって──僕の匂いでぐちゃぐちゃになってる」 

 柔らかく、いやらしく湿った皮膚。押し当てられた熱が頬から額、鼻先、顎にまで伝わってくる。
 
 くちゅ……ぬちゃ……
 
「……ほら、もっとちゃんと吸ってください。匂い、逃げちゃいますよ?」

 颯の動きは緩やかで丁寧だった。でも確実に、香りは染み込んでいく。両側から挟まれる熱と匂いに思わず呼吸が乱れる。

「……はっ、……ふ……ぅ」
 
 すぅ……はぁっ……くん、くん……

 すると、颯が唾液でべっとり汚れた俺の顔の匂いを嗅いだ。
 
「先輩の顔からすごく……いやらしい匂いがしてる」
「このまま誰かに会ったら、絶対バレちゃいますね?」 

(……俺、もう……ダメだ……)

 ふと、鼻先を動かすとそこからふわりとまた香りが立ち上がる。
 自分の顔から、俺と颯の匂いがする。その事実に、背筋がぞくりと震えた。

「……先輩の肌も、呼吸も今はもう僕のものです」

 そう囁く声が、どこまでも穏やかで、どこまでも──支配的だった。

 すっかり香りに染められたまま、俺は床に仰向けで息を吐いていた。目を開ける気力すらもう残っていなかった。

 そんな俺の上で颯がふわりと身を起こす。

「……今日はここまでにしておきますね」

 顔を覗き込んだその表情は、さっきまでとはまるで違っていた。色気も支配欲も滲ませていない。

 無邪気で、あどけなくただひたすらに可愛らしい──いつもの颯の笑顔。

「先輩、動けませんよね?」

 そう言うと颯は「よっ」と立ち上がり、洗面所に向かって歩いていった。

 戻ってきた手には濡らしたタオル。跪くようにしゃがんで、タオルをそっと俺の頬に当てる。

「冷たすぎたらごめんなさい」

 ゆっくりと、優しく拭っていく。脇で擦られた頬も、鼻先も、額も──なぞるように丁寧に。

 肌の表面にマーキングした匂いをまるで自分の手で、拭き取ってあげているかのように。
 けれど──香りは消えなかった。むしろ、タオル越しに

 ふわりと立ち上るたび、それは確かにここにあったことを改めて刻みつけられていく。

「ふふ……きれいになりました」

 そう言って、またあの笑顔。まるで、何ひとつ特別なことなんてなかったかのように。

 だが間違いなく肌に残る体温も鼻の奥に残る香りも、全部──このあどけない笑顔の青年から与えられたものだった。

 タオルで顔を拭われたあとも俺は微動だにできなかった。力が抜けたのではない。ただ──動きたくなかった。この余韻を少しでも長く感じていたかった。 

 香りの名残。舌に残る汗の酸味。鼻腔に染みついた体温の湿り気。

「……先輩、立てますか?」 

 優しい声が、耳元に落ちる。

「無理しなくていいですよ。支えますから」

 促されるがままに、ベッドへ。微かなぬくもりと香りを感じながら、俺は布団に身を沈める。

 火照りは引いていなかった。むしろ、熱は奥に籠もったまま。 

(……続きがあるなら、どうする?)

 自分に問いかけながらも答えは出ない。ただひとつ、確かなのは──颯が言ったあの言葉。

『……今日はここまでにしておきますね』

 今日はという事はこれで終わりではない。ということだった。視界の隅にソファが見えた。そこにちょこんと座った颯が、タオルを畳んで、丸めて静かに身体を横たえる。

 しばらくして、微かな寝息が聞こえはじめた。 

(……寝てるのか)

 可愛らしく整った寝顔はさっきまで自分を支配していたとは思えないほど穏やかだった。

(……なんなんだよ……)

 そう思いながら──俺は、まだ火照る身体を布団の中に埋めた。眠気が、静かに意識を引き込んでいく。 

 そして──朝が来た。

 通勤電車の中。颯はふわっとあくびをしながらいつも通り、部下として隣にいる。小さな体にも似合うスーツ。少し寝癖を気にして手櫛で整えながら、スマホを眺めている。

「先輩、今日の会議、十時からですよね? 会社着いたらすぐに資料印刷しておきますね」

 駅のホームを出たときの笑顔も、オフィスのデスクで交わす言葉も──何事もなかったように、当たり前の顔で。

 だけど──俺の鼻先には、まだ残っていた。数時間前の夜の目の前にいる部下の甘く蕩けるようなキス。そして、脇の匂いと味。 

(……俺だけが、まだ終わってないのか?)

 それは、確かに支配の余韻だった。そしてその余韻は──きっとまた次の夜に呼び戻されるのだと。

 俺は、黙って息を吐いた。香りを、思い出すように。

 先輩は、僕のもの【3】へつづく
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