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第3章 捏造の始まり:パワハラ懲戒で黙らせる
告発者の限界
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告発者は、控室の隅で膝を抱えていた。資材置き場の薄い壁越しに、工場の機械音が低く唸り続けている。あの音が一定であればあるほど、人の心の揺れだけが際立つ。
「……もう無理です」
声が、紙みたいに薄かった。言葉が空気に溶ける前に、彼自身が溶けてしまいそうな声。
社長は入口の影に立ったまま、近づかない。近づけば守れると思っているのに、近づいた瞬間に“匿っている”という絵がまた増えるのを知っている。守る側は、守り方に縛られる。
私は椅子を一つ引き、告発者の正面じゃなく、斜め前に座った。真正面は追い詰める。斜めは逃げ道を残す。火消し屋が身につけた距離だ。
「何が無理?」
問いを短くする。大きな問いは、彼の息を奪う。告発者は唇を震わせ、目を閉じたまま言った。
「……全部です」
「全部、って」
「噂。監査。名前。ヒアリング。……守秘義務。もう、息ができない」
“息ができない”。
その表現が、胸の奥に刺さる。私はあの日の蛍光灯を思い出しそうになって、無理やり視線を机の端に落とした。思い出したら、冷静さが割れる。
告発者は続けた。声が少しずつ速くなる。
「新人の子、泣いてた。俺、守ったつもりだったのに、俺の言葉が……“パワハラ”になって」
「言葉が強かった?」
「強かった。でも、強く言わないと……あの子が巻き込まれると思った」
彼は自嘲するように笑った。笑いが喉で引っかかる。
「守ろうとしたのに、守れない。守ろうとしたのに、俺が一番、汚い」
汚い。社長が昨夜言った“先に汚れた”と同じ単語。汚れは罪悪感に変わって、罪悪感は人を折る。
私は机の上に置いた“守秘義務注意喚起”のコピーを指先で押さえた。
「あなたが折れたら、向こうの筋書きが完成します」
言い方が冷たいのはわかっている。でも、ここで優しい言葉を置くと、彼は“終わり”を選びたくなる。終わりは、今は敵の勝ちだ。
告発者が目を開けた。赤い目で私を見る。
「……じゃあ、何をすればいい」
その言葉に、ほんの少しだけ生きる意志が混ざっていた。私はそこを逃さない。
「ひとつだけ」
私は声を落とした。
「“時系列”で話して。あなたが最初に見た不正、誰に言った、何を渡された、何を脅された。——自分を守るためじゃなく、事実を守るために」
告発者は呼吸を荒くしながら、首を横に振った。
「時系列なんて……頭が追いつかない」
「追いつかなくていい。断片でいい」
私は鞄から小さなメモ帳を出し、ページを開いた。
「私が並べる」
告発者の視線が、メモ帳に落ちる。紙に言葉が乗るだけで、人は少しだけ安心する。消えないから。切り貼りされる前の原型になるから。
「……最初は」
告発者が絞り出す。
「統合の標準テンプレを見た。退職勧奨じゃないって言いながら、辞めさせる設計……」
「誰が作った」
「本社。……佐伯の名前が、どこかに」
その瞬間、社長の肩がわずかに揺れた。怒りが来る前の身体反応。私は視線で制した。今は怒りを出す場面じゃない。
告発者は続ける。
「俺は、止めたかった。現場の人が……生活が壊れる」
「止めるために、何をした」
「内部資料を——コピーした。外に出すつもりじゃなくて、社長に見せた」
「社長に?」
告発者が頷く。
「社長は、怒った。でも……守るって言った」
社長が小さく息を吐く。告発者が、自分の手を見つめながら言った。
「それで……監査が動いた。俺の机の引き出しが、勝手に開いてた。USBが……消えかけて」
「その後」
「“パワハラの申告が複数”って。俺が何を言っても、“複数”で押し潰される」
複数。量産。匿名通報。守秘義務。想定問答。全部が一本の線に束ねられていく感覚がある。怖いのに、確信の方が先に来る。
告発者は突然、声を落とした。
「……俺、もう誰も信じられない」
そして小さく付け足す。
「あなたも」
痛い。でも、当然だ。私は本社人事だ。規程を剣にしてきた側だ。私は否定しなかった。否定は軽くなる。軽い言葉は信用を失う。
「信じなくていい」
私は言った。
「でも、“記録”は信じて。あなたの言葉を、あなたの順番のまま残す。——それだけは、私がやる」
告発者の目が揺れた。泣く寸前の目。社長が一歩、踏み出しかけて止まる。近づきたいのに、近づけない。その葛藤が、部屋の温度を上げる。
告発者が、かすれた声で言った。
「……俺、もう限界なんです。次に呼ばれたら、何を言わされるか分からない」
「呼ばれないようにする」
私は即答した。即答しないと、彼の心が落ちる。
「今日の同席要求、断ります。あなたのヒアリングは“延期理由”を作って止める。医師の診断が必要なら、社長の権限で——」
言いかけたところで、ドアの外からノックが鳴った。丁寧で、遠慮のないノック。監査室の声がする。
「Aさん。事情聴取のお時間です。——ご協力ください」
告発者の顔から血の気が引いた。社長の目が、鋭くなる。私のスマホが同時に震えた。佐伯からだろう。分かる。分かってしまうのが嫌だ。
私は椅子から立ち、告発者の前に半歩出た。庇うためじゃない。手続きの壁になるためだ。そしてドアの方へ向かって、落ち着いた声で言った。
「本人の聴取は、医療的配慮が必要です。——本日は中止。正式な手続きとして、私が書面で理由を提出します」
沈黙。ドアの向こうで、監査の呼吸が止まる気配がした。——効いた。
告発者が、背後で小さく呟いた。
「……あなた、ほんとに、どっち側なんですか」
私は振り返らずに答えた。
「守る側に立つなら。——今、ここに立ってるのが答えです」
「……もう無理です」
声が、紙みたいに薄かった。言葉が空気に溶ける前に、彼自身が溶けてしまいそうな声。
社長は入口の影に立ったまま、近づかない。近づけば守れると思っているのに、近づいた瞬間に“匿っている”という絵がまた増えるのを知っている。守る側は、守り方に縛られる。
私は椅子を一つ引き、告発者の正面じゃなく、斜め前に座った。真正面は追い詰める。斜めは逃げ道を残す。火消し屋が身につけた距離だ。
「何が無理?」
問いを短くする。大きな問いは、彼の息を奪う。告発者は唇を震わせ、目を閉じたまま言った。
「……全部です」
「全部、って」
「噂。監査。名前。ヒアリング。……守秘義務。もう、息ができない」
“息ができない”。
その表現が、胸の奥に刺さる。私はあの日の蛍光灯を思い出しそうになって、無理やり視線を机の端に落とした。思い出したら、冷静さが割れる。
告発者は続けた。声が少しずつ速くなる。
「新人の子、泣いてた。俺、守ったつもりだったのに、俺の言葉が……“パワハラ”になって」
「言葉が強かった?」
「強かった。でも、強く言わないと……あの子が巻き込まれると思った」
彼は自嘲するように笑った。笑いが喉で引っかかる。
「守ろうとしたのに、守れない。守ろうとしたのに、俺が一番、汚い」
汚い。社長が昨夜言った“先に汚れた”と同じ単語。汚れは罪悪感に変わって、罪悪感は人を折る。
私は机の上に置いた“守秘義務注意喚起”のコピーを指先で押さえた。
「あなたが折れたら、向こうの筋書きが完成します」
言い方が冷たいのはわかっている。でも、ここで優しい言葉を置くと、彼は“終わり”を選びたくなる。終わりは、今は敵の勝ちだ。
告発者が目を開けた。赤い目で私を見る。
「……じゃあ、何をすればいい」
その言葉に、ほんの少しだけ生きる意志が混ざっていた。私はそこを逃さない。
「ひとつだけ」
私は声を落とした。
「“時系列”で話して。あなたが最初に見た不正、誰に言った、何を渡された、何を脅された。——自分を守るためじゃなく、事実を守るために」
告発者は呼吸を荒くしながら、首を横に振った。
「時系列なんて……頭が追いつかない」
「追いつかなくていい。断片でいい」
私は鞄から小さなメモ帳を出し、ページを開いた。
「私が並べる」
告発者の視線が、メモ帳に落ちる。紙に言葉が乗るだけで、人は少しだけ安心する。消えないから。切り貼りされる前の原型になるから。
「……最初は」
告発者が絞り出す。
「統合の標準テンプレを見た。退職勧奨じゃないって言いながら、辞めさせる設計……」
「誰が作った」
「本社。……佐伯の名前が、どこかに」
その瞬間、社長の肩がわずかに揺れた。怒りが来る前の身体反応。私は視線で制した。今は怒りを出す場面じゃない。
告発者は続ける。
「俺は、止めたかった。現場の人が……生活が壊れる」
「止めるために、何をした」
「内部資料を——コピーした。外に出すつもりじゃなくて、社長に見せた」
「社長に?」
告発者が頷く。
「社長は、怒った。でも……守るって言った」
社長が小さく息を吐く。告発者が、自分の手を見つめながら言った。
「それで……監査が動いた。俺の机の引き出しが、勝手に開いてた。USBが……消えかけて」
「その後」
「“パワハラの申告が複数”って。俺が何を言っても、“複数”で押し潰される」
複数。量産。匿名通報。守秘義務。想定問答。全部が一本の線に束ねられていく感覚がある。怖いのに、確信の方が先に来る。
告発者は突然、声を落とした。
「……俺、もう誰も信じられない」
そして小さく付け足す。
「あなたも」
痛い。でも、当然だ。私は本社人事だ。規程を剣にしてきた側だ。私は否定しなかった。否定は軽くなる。軽い言葉は信用を失う。
「信じなくていい」
私は言った。
「でも、“記録”は信じて。あなたの言葉を、あなたの順番のまま残す。——それだけは、私がやる」
告発者の目が揺れた。泣く寸前の目。社長が一歩、踏み出しかけて止まる。近づきたいのに、近づけない。その葛藤が、部屋の温度を上げる。
告発者が、かすれた声で言った。
「……俺、もう限界なんです。次に呼ばれたら、何を言わされるか分からない」
「呼ばれないようにする」
私は即答した。即答しないと、彼の心が落ちる。
「今日の同席要求、断ります。あなたのヒアリングは“延期理由”を作って止める。医師の診断が必要なら、社長の権限で——」
言いかけたところで、ドアの外からノックが鳴った。丁寧で、遠慮のないノック。監査室の声がする。
「Aさん。事情聴取のお時間です。——ご協力ください」
告発者の顔から血の気が引いた。社長の目が、鋭くなる。私のスマホが同時に震えた。佐伯からだろう。分かる。分かってしまうのが嫌だ。
私は椅子から立ち、告発者の前に半歩出た。庇うためじゃない。手続きの壁になるためだ。そしてドアの方へ向かって、落ち着いた声で言った。
「本人の聴取は、医療的配慮が必要です。——本日は中止。正式な手続きとして、私が書面で理由を提出します」
沈黙。ドアの向こうで、監査の呼吸が止まる気配がした。——効いた。
告発者が、背後で小さく呟いた。
「……あなた、ほんとに、どっち側なんですか」
私は振り返らずに答えた。
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