『殺戮侯爵』の婚約破棄

水瀬白龍

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番外編 モニタ〇リング! ~ばれるか、ばれないか~

最終話 ばれるか、ばれないか!

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 何故ここに彼がいるのか。いや、常識を超越した彼の思考を僕如きが理解出来る訳がない。理由がどうであろうと、あのエドモンドがここにいるという事実だけが今最も重要なことだ。彼は僕達に向かってゆらゆらと歩いてくる。
「二人とも、まずいことになった」
「えぇ、お兄様、分かっております」
 ひよこステラも横で小さく頷く。後ろを歩いていたルークも強張った声で返答した。
「あれは、知らぬ者はいないとまで言われる、国で一番有名な男、エドモンド・フォーレ……ただの従者だった俺でさえ知っています」
「僕と彼は爵位の関係で知り合いなんだ。このまますれ違ったら、僕達の正体がばれてしまうに違いない……!」
「どうしましょう!」
 絶望に声を震わせる僕に、ステラが泣きそうになりながら小さく叫ぶ。でも、まさかエドモンドがナロウィーン祭りに来ているとは思わなかったんだ! 僕を見たら、彼は間違いなく僕に気がついてしまうだろう。
「兄上、今からでも引き返しますか」
「いや、それはあまりにも不自然すぎて逆に目を引いてしまう気がする」
「そんな、ならば一体どうすればいいというのですか⁉」
 ルークとステラの混乱した様子に、僕もきつく唇を噛み締めた。

 ――――間違いなく、僕の人生最大の危機だった。色々なことがあった人生だったけれど、今程の絶望を感じたことはない。これ程の恐怖は初めてだった。

「お兄様……」
「兄上……」
 ひよこステラと鼻眼鏡ルークの消え入りそうな声が僕の耳に届く。僕を兄と呼ぶ、二人の追い詰められた声が――――。そこで、僕ははっと正気に返った。
 そうだ、僕は二人の兄なのだ。僕はきつくこぶしを握り締めた。
 二人の兄である僕が怯えていてどうする。例えこれが僕の人生史上かつてない最大の危機であろうとも、僕はそれに向き合って乗り越えなければならないのだ。試練は乗り越えるためにある。僕は己を強く奮起した。
 思い出せ、かつての日々を。思い出せ、『殺戮侯爵』となったあの日のことを!

 血飛沫の飛び散った天井。血の海に折り重なる死体。誰もいなくなった血だらけの廊下。
 そして、その先に抱きしめ合うように眠っていた、僕の愛しい弟と妹。
 ――――そうだ、僕が必ず守るからと誓ったではないか。

 僕は静かに宣言した。
「堂々とすれ違おう」
 臆することなど、何もない。



 理解不能な相手に策を講じる程無意味なことは無い。如何なる予想をしようとも、彼は間違いなくそれを裏切ってくるのだから。エドモンドは常に斜め上を行く人物なのだから、無駄な足掻きはしまい。ただ堂々としていればいい。胸を張って前を向け。それに僕達はこれでも仮装をしているのだ。ステラは体の露出が一切ないし、ルークも彼の魅力を全て台無しにする最強の装備を身に着けているではないか。僕だけは少し心配だが、一応仮面は付けている。
 ばれるはずはない。平民に紛れて普通に彼とすれ違えばいい。それだけだ。しかし、彼との距離が縮まるにつれて、僕は叫び出しそうなほど緊張していった。
 『殺戮侯爵』になったときでさえ、オルレアン伯爵を殺したときでさえ、これ程自分の感情が昂ったことはなかった。しかし、運命の時は確実に僕達に迫って来ている。
 エドモンドは歩みを止めない。僕とエドモンドは知り合い同士。確実に彼は僕の顔を覚えている。僕はごくりと喉を鳴らした。

 ばれるのか、それとも、ばれないのか――――!



 エドモンドは何事もなく僕の横を通り過ぎていった。風が吹いたように、彼はすっと僕の横を通る。僕はそれに歓喜した。あぁ、ばれなかった! やはり仮面をつけていたせいでエドモンドも僕に気がつかなかったということだろう。人生最大の試練を乗り越えた僕は全身の強張りを解いた。
 僕が安堵のため息を零した、その時だった。
「あ、貴方は――――!」
 エドモンドの声がすぐ背後から聞こえてきた。僕は彼の興奮したような声にばっと後ろを振り返る。

 そこには、頬を紅潮させたエドモンドがルークの前に跪いていた。

「……え?」
「え?」
 思っていたのと全く違う光景が広がっていて、僕とステラの頭が真っ白になる。ルークも完全に固まっていたが、その間にもエドモンドは潤んだ瞳でルークを見上げて叫び始めた。
「貴方は、貴方こそが私の運命の人だ――――ッ!」
「…………え?」
「美しい! 美しすぎる! 貴方の神秘的な瞳を隠す瓶底眼鏡も、すっとした鼻筋を全て台無しにする巨大鼻の模造物も、まさに奇跡! そして何よりもその髭ッ! 寸分のずれなく地面と水平方向に延びて、さらに、その髭の先は黄金曲線を描いているではないか! 美しい、美しすぎる! なんという鼻眼鏡! なんという芸術品! そして誰よりもこの鼻眼鏡が似合っている貴方は、まさに私が長年探し求めた理想の人物! 貴方こそが私の運命の人だ――――ッ!」
「……………………あの」
「あぁ、私の運命の人はこれ程身近にいたというのか! しかし、我が崇高なる野生の勘に従い、この祭りに足を運んで本当に良かった! 貴方のような人物に出会えるとは! 自然に感謝を、世界に感謝を、神羅万象全てに感謝を! あぁ、美しい! 貴方は美しい――――ッ!」
 そこで大きく息をついたエドモンドは、片ひざを地面にすっと手をルークに差し出した。
「この不肖、エドモンド・フォーレ、私は貴方以外には考えられなくなってしまったようだ……あぁ、美しい人。私の運命の君、急に愛を囁かれて戸惑っておられるのですな」
 先程から顔面蒼白で表情を失っているルークの顔を見て、彼は思いなおしたようだった。
「ならば、我が愛しい人よ。まずは友達からではどうだろうか…………?」
 林檎のように頬を赤く染めながら、エドモンドは恥ずかしそうにしながらも期待を込めた眼差しをルークに向ける。瞳は愛に溶け、口元は緩み、周りの注目を一切気にすることなくただルークの返答を待ち続けていた。
 ルークは無言で僕の方を向く。しかし僕は顔を逸らした。横を見れば一匹の巨大ひよこもそっぽを向いている。僕に助けを求めるルークの視線をひしひしと感じるが、すまない。数々の修羅場を潜り抜けてきた僕でさえもどうにもできない。無理だ。『理を超越する男』の上を行くのは、僕のような凡人では無理なんだ。一生かかっても彼を理解することはできない……。
 どれ程時間が経っただろうか。エドモンドはすっと立ち上がり、一礼した。
「――――ふむ、よろしい。私の運命の君は恥ずかしがり屋さんの様だ。そんなところもまた愛いですなぁ。とりあえず、此度はこれで失礼いたしましょう。貴方に出会えた、それだけで十分なのですから。それでは、また機会があればお会いしましょう」
 侯爵令息らしい美しい立ち振る舞いだった。言葉を失ってただ立ち竦んでいる僕達を置いて、彼は案外あっさりと立ち去る。
 彼が僕の横を通った、その時だった。

「オスカー様、ご家族共々ご無事なようで何よりですな」
「――――――――え?」

 小声で囁かれて、僕はばっと彼を振り向いた。しかしその時には、そこに彼はいなくなっていた。辺りを見回すが、僕の視界に入るのは巨大ひよこと、放心した鼻眼鏡と、突発的に開催された愛の告白劇場にざわついている野次馬達ばかりだった。陽炎のようにやってきた男は煙のように影も形もなく消え去り、もうどこにもいない。
 僕は呆然と辺りを見回しながら、やがて一つ、強く決意した。
 ――――よし、今日という日を無かったことにしよう。

 こうして、僕達はナロウィーンという日を無事に終え、穏やかな日常に戻ったのだった。しかし、この時の僕はまだ知らなかった……。



 僕達の居場所を突き止めたエドモンドが『伝説の空飛ぶ城ラピュタンタンを探す冒険に共に旅立とうではないか!』と突撃してくるまで、あと一カ月。

 ――――次回、空飛ぶ城ラピュタンタン編、乞うご期待!



 ※続きません

 参考文献
『東方澱粉録』著. エドモンド・フォーレ
『ブラックホールは存在するのか』著. エドモンド・フォーレ

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