8 / 48
第1章
梓の場合 その8 離婚条件
しおりを挟む
弁護士という職業の人に会ったのは初めてだった。
ドラマやテレビ番組の中での弁護士は、あきるほど見ていても、自分のことで弁護士に相談にのってもらうという人はどのくらいいるだろう、1割もいないのではないかと梓は思った。
その弁護士は、川中という四十代後半の落ち着いた雰囲気の男性の弁護士だった。
川中は梓の話を聞き終えると
「ご相談の内容はわかりました。ただ朋彦さんには、不貞行為や暴力、ギャンブルなどによる浪費、借金もありませんし、収入を開示しませんが、生活費も渡しています。また『その他、婚姻を継続しがたい重大な事由』としても……」
「でも、彼とはやっていけないのです。常識からは外れた考えかもしれませんが、彼のしたことは私には大きな打撃でした」梓は手の中のハンカチを握りしめた。
「やり直しをする可能性は?」
「ありません。離婚を考えているのではなく、離婚したいのです」
梓は川中と相談しながら、譲れること、譲れないことを整理していった 梓は子供の親権と、自分の手元で育てることだけは譲れなかった。ただ子供達の生活基盤を変えること、特に小学生の蓮の学区の変更は避けたかった。
「住居の問題ですね。それは今の住居で過ごしたい、という……」
「はい。住宅ローンの債務者は夫ですが、名義は私と共有です、新居の購入に私の両親が700万円の頭金を援助してくれたので……ただ問題は、夫が私の希望を承諾してくれるかです。そのための譲歩はできるだけします」
川中と相談した結果、住居の確保のため梓は月額3万円の部屋代を朋彦に支払い、子供たちの学資保険以外の、朋彦名義の預貯金などの財産をすべて放棄することにした。また養育費は、希望額でなく、裁判所の算定方法で決める、面会は朋彦の希望にそった形で行う、という内容にした。梓はこれがぎりぎりの譲歩であることを川中に伝えた。目立った夫婦喧嘩もしないのに、同居中の離婚交渉は、どれだけ家を暗くするだろうかと梓は暗澹としたが、朋彦を「卑怯」と感じてしまった以上、やはり朋彦とこのまま夫婦として暮らしていくのはできなかった。今をごまかしても、きっとどこかで破綻するのを感じていた。
「朋彦、話があるの……」帰宅後、梓は朋彦に離婚を切り出した。
それからの日々は、梓は思い出すのもつらく、その時の心の傷は今も癒えていない。しかし形のない違和感を抱えてやり過ごしてきた日々の重さが、梓の決心をどうにか支えた。支配関係をじわじわと築いていった朋彦を、梓はどうしても、許すことができなかった。
最初は離婚を拒否した朋彦も、次第に梓の決心が固いことを認めるようになった。朋彦も知り合いの弁護士にも相談し、最終的に離婚条件を承諾し、離婚協議書を作成した。朋彦は異動願いを出し、転勤が決まった時点で離婚届を出した。川中に相談してから二年近くたってからだった。
現実の別れは、お互いが握手をして微笑んで別れるような、美しいものではなかった。家を出る朋彦の後ろ姿を梓は見送っただけだった。子供達を傷つけ、梓も朋彦も傷つけあい、周囲を巻き込んだ。梓のわがままではないのか、子供達のためにもやり直せないのか、と両親からも言われた。
しかし梓は後戻りはしなかった。
ドラマやテレビ番組の中での弁護士は、あきるほど見ていても、自分のことで弁護士に相談にのってもらうという人はどのくらいいるだろう、1割もいないのではないかと梓は思った。
その弁護士は、川中という四十代後半の落ち着いた雰囲気の男性の弁護士だった。
川中は梓の話を聞き終えると
「ご相談の内容はわかりました。ただ朋彦さんには、不貞行為や暴力、ギャンブルなどによる浪費、借金もありませんし、収入を開示しませんが、生活費も渡しています。また『その他、婚姻を継続しがたい重大な事由』としても……」
「でも、彼とはやっていけないのです。常識からは外れた考えかもしれませんが、彼のしたことは私には大きな打撃でした」梓は手の中のハンカチを握りしめた。
「やり直しをする可能性は?」
「ありません。離婚を考えているのではなく、離婚したいのです」
梓は川中と相談しながら、譲れること、譲れないことを整理していった 梓は子供の親権と、自分の手元で育てることだけは譲れなかった。ただ子供達の生活基盤を変えること、特に小学生の蓮の学区の変更は避けたかった。
「住居の問題ですね。それは今の住居で過ごしたい、という……」
「はい。住宅ローンの債務者は夫ですが、名義は私と共有です、新居の購入に私の両親が700万円の頭金を援助してくれたので……ただ問題は、夫が私の希望を承諾してくれるかです。そのための譲歩はできるだけします」
川中と相談した結果、住居の確保のため梓は月額3万円の部屋代を朋彦に支払い、子供たちの学資保険以外の、朋彦名義の預貯金などの財産をすべて放棄することにした。また養育費は、希望額でなく、裁判所の算定方法で決める、面会は朋彦の希望にそった形で行う、という内容にした。梓はこれがぎりぎりの譲歩であることを川中に伝えた。目立った夫婦喧嘩もしないのに、同居中の離婚交渉は、どれだけ家を暗くするだろうかと梓は暗澹としたが、朋彦を「卑怯」と感じてしまった以上、やはり朋彦とこのまま夫婦として暮らしていくのはできなかった。今をごまかしても、きっとどこかで破綻するのを感じていた。
「朋彦、話があるの……」帰宅後、梓は朋彦に離婚を切り出した。
それからの日々は、梓は思い出すのもつらく、その時の心の傷は今も癒えていない。しかし形のない違和感を抱えてやり過ごしてきた日々の重さが、梓の決心をどうにか支えた。支配関係をじわじわと築いていった朋彦を、梓はどうしても、許すことができなかった。
最初は離婚を拒否した朋彦も、次第に梓の決心が固いことを認めるようになった。朋彦も知り合いの弁護士にも相談し、最終的に離婚条件を承諾し、離婚協議書を作成した。朋彦は異動願いを出し、転勤が決まった時点で離婚届を出した。川中に相談してから二年近くたってからだった。
現実の別れは、お互いが握手をして微笑んで別れるような、美しいものではなかった。家を出る朋彦の後ろ姿を梓は見送っただけだった。子供達を傷つけ、梓も朋彦も傷つけあい、周囲を巻き込んだ。梓のわがままではないのか、子供達のためにもやり直せないのか、と両親からも言われた。
しかし梓は後戻りはしなかった。
0
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
幼馴染の許嫁
山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。
彼は、私の許嫁だ。
___あの日までは
その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった
連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった
連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった
女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース
誰が見ても、愛らしいと思う子だった。
それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡
どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服
どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう
「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」
可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる
「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」
例のってことは、前から私のことを話していたのか。
それだけでも、ショックだった。
その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした
「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」
頭を殴られた感覚だった。
いや、それ以上だったかもしれない。
「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」
受け入れたくない。
けど、これが連の本心なんだ。
受け入れるしかない
一つだけ、わかったことがある
私は、連に
「許嫁、やめますっ」
選ばれなかったんだ…
八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる