隣の夫婦 ~離婚する、離婚しない、身近な夫婦の話

紫ゆかり

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第1章

梓の場合 その7 違和感の形

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 少しずつ、街にも秋の気配を感じる。
 梓はカフェで一人、コーヒーを飲んでいた。オフィス街なので、昼間は人でいっぱいだ。何気なく窓の外に目をやると自分よりも若い、まだ二十代とおぼしき女性が通り過ぎた。黒のビジネススーツを着て、前を向いて歩いている。梓は十年以上も昔の自分を思い出した。朋彦と出会った頃のことを。
 朋彦とは大学の友人を通じて知り合った。明るくて人当たりもよく、話題も豊富な朋彦とすぐに意気投合した。頭の回転も早く機転も利き、頼もしい人だと思った。知り合って一年半で結婚した。朋彦との結婚には後悔はしていない。好きで結婚したし、母や義母に子供達を預けて、二人だけで出かけたこともあった。お互い言いたいことは言うので、何度かケンカもしたが、梓は今まで一度も、朋彦との離婚など考えたことはなかったのだ。しかし今では梓はもう、朋彦とケンカすらできなくなってしまった。何かを解決したい、話し合いたいという気持ちを梓は失ってしまったからだ。

 まさか朋彦との離婚を考える日が来るなんて……

 梓が朋彦に対して引っかかりを感じたのは、もともとは朋彦の生活費の渡し方だった。なぜ朋彦は自分が言い出すまで生活費を渡さないのか、ということだった。朋彦は多忙を理由に、こともなげに「うっかりしていた」と言うばかりで、言えば朋彦は、きちんと生活費を渡しただけに、梓もそれ以上、踏み込むことができなかった。実際、朋彦はこれといって、何か悪いことをしたわけではない。周囲から見れば朋彦は良い夫、良い父親で充分通るだろう。
 梓は形の見えない違和感に悩みながら、日々をやり過ごすしかなかった。しかしその違和感も形として見える時が来た。きっかけは新車の購入だった。朋彦は梓に相談した上で、問題なく新車を購入したと思っているだろう。もちろん梓も、朋彦が無断で新車を購入したと非難しているのではないのだ。
 ただ、あれは本当に梓と相談して購入した、と言えるのだろうか? ということだった。
 梓にはとてもそうは思えなかった。あれは一方的な事後報告みたいなものだ。いや事後報告というよりも、上意下達である。なぜなら梓には、家計の状況がまるっきり知らされていなかったからだ。最初から情報を取り上げられて、どうやって相談したり、話し合えるだろう。武器を持つ相手に、自分は丸腰で放り出されるようなものだ。

 今になって梓はわかる。
 あの時、朋彦は「梓は心配性だなぁ」というやさしい言葉で梓との話し合いを封じ、何もかも朋彦の支配下に置こうとしたということを。そして梓自身も、いつの間にか自分の力、領分が、すべて朋彦の許す範囲内という条件付きでしか成り立っていないという、頼りない自分を知ることになってしまった。
 朋彦が暴君ではないだけに、その朋彦の支配は綿のように軽くやわらかで目立ちはしなかった。しかし、これがいずれはそれだけでは済まなくなる日が来るのは、間違いがないことも事実だった。

 最初は二人の間には、支配といった関係は存在しなかったのだ。
 朋彦に「卑怯」という言葉を投げつけたくなる日が来るとは、思わなかった。梓は往来をゆく人々を見ていた。誰もが梓よりも、しっかりと歩いているように見えた。梓は目を伏せた。
 
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