隣の夫婦 ~離婚する、離婚しない、身近な夫婦の話

紫ゆかり

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第3章

千晴の場合 その3 別れた妻

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 あさみ、という響きに千晴は妙なこだわりを感じた。ルミエールのホームページにアクセスし、店長の挨拶にタップした。さきほど応対をしてくれた女主人の写真があり、名前は「小川麻美」とあった。オガワアサミ? 大樹の別れた妻の旧姓は小川だった。

 小川麻美……。今日会ったあの女性が大樹の別れた妻だった、なんてことがあり得るだろうか。千晴はもう一度、ルミエールの女主人を思い出そうとしたが、なぜか思い出すのは顔でなく、上品な佇まいと穏やかで落ち着いた声ばかりだった。
 大樹は別れた妻の麻美のことを「仕事人間」といって、家事も育児もしない女だと言っていたが、あの女性はそんな仕事でガチガチのタイプには見えなかった。優しそうで、清潔感があって。
 それに仕事を優先して、自分の子供も母親任せにするわがままな女が、あんな繊細なアクセサリーや美しい鞄などに興味を持つだろうか。大樹の話す別れた妻の麻美と、ルミエールの店長の麻美は千晴には重ならなかった。
 単なる偶然、同姓同名の赤の他人に違いないと千晴は首を振った。別れた妻の麻美を気にならないというと嘘になるが、ほじくりかえすように聞くのも嫉妬していると思われそうなので、今まで千晴は麻美のことはあまり聞かず、写真も見たことはない。だからルミエールの女性が、大樹の別れた妻かどうかがわからないのだけれど……
 そんなことを考えているうちに、千晴はあやうく降りる駅を乗り過ごすところだった。駅のデパートでバケットとサンドイッチを買い、千晴は帰宅した。今日は外食と言ってた大樹は、まだ帰宅していない。

 千晴は洋服を着がえながら、今日一日のことを振り返っていると、ふと大樹の息子の龍司の面会のことを思い出した。千晴は今まで、大樹と息子の龍司との面会する日のスケジュールばかり気にしていた。しかし、これまでの面会への拘りとは別の拘りが生まれてくる予感があった。
 もしかして大樹は龍司だけでなく、時には麻美に会うこともあるのだろうか? 

 千晴は、ウェッジウッドのティーカップを取り出して、紅茶を淹れた。レモンを切ったが、思いついてブランデーを取り出した。そしていつもよりブランデーを多めに入れた。飲み干すとほっと力が抜けるようだった。
 千晴はルミエールで買ったハンカチを取り出してみた。繊細な刺繍が施されて、使うのが惜しくなるような美しさだ。麻美という名前に拘らなければ千晴はもう一度、ルミエールを訪れてみたいと思った。そこには普段の千晴の生活とは無縁の美しいものであふれていた。それは忘れていた夢、と言っても良かった。でも……
 玄関のドアの鍵を開ける音がした。
「ただいま」
 大樹が帰宅した。
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