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12.春彼岸
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「いいから真由ちゃんは、もう寝なさい」
雪江は真由子の手をやさしく振りほどくと、白椿の木に吸い寄せられるように近づいた。闇の中に咲く白椿の花は、昼間に見る時よりも白く、そしてぞっとするほど美しかった。
花鋏の音が夜気をはねつけるように響いたかと思うと、花びらも散らさずに、白椿の花が雪江の足元に落ちていった。雪江は落ちた白椿には目もくれず黙ったまま、白椿の花を次々と切っていった。
真由子はなすすべもなく、雪江の後ろ姿をぼうぜんと見つめた。もしかして雪江は、すべての白椿の花を切り落とすのではないかと真由子が思った時だった。
雪江の右手から、力なく花鋏が落ちた。
「お母さん……?」
雪江は何も答えなかった。ただ細い肩をふるわせて立っているだけだった。
そしてその時になって初めて、真由子は雪江が泣いていることに気がついたのだった。
あれから何度春がめぐってきただろう。何度白椿が咲いただろう。少女だった真由子も大人になった。ただあの夜のことは、一度も触れることのないまま……
春彼岸が近づいたある日、真由子が新居へ運ぶ荷物を整理していると、姉の稚子が久しぶりに自宅を訪ねてきた。稚子は春らしいスカーフをふわりと首に巻き、真由子の好きな英国堂のチーズケーキを手土産として渡した。
真由子と稚子は、年齢が十六も離れていたので、子どもの時の真由子には稚子は姉と言うより、一人の大人の女性だった。近くに寄るといつも化粧品と、そしてかすかに香水の匂いがした。栗色がかった長い髪をやわらかくカールさせ、薔薇色の口紅をさす稚子を見るたびに真由子は「稚子姉さんってテレビドラマの中の女の人みたい」と思ったものだった。
小さな頃は、子ども扱いされるばかりであまり姉妹として話すことは多くなかったが、稚子の子どもたちと仲良くなったり、また真由子自身が大人になってくると、女同士の会話もできるようになり徐々に姉妹としての交流も生まれるようになった。
「あの小さかったまぁちゃんがお嫁さんだなんて、私も年を取るはずね」
稚子は少し顔を傾けて微笑み、真由子の出したアールグレイの紅茶の香りを楽しむように飲んだ。
「何だかはずかしいな、まぁちゃんなんて呼び名。私、この間誕生日が来て、二十七になったの。私をまぁちゃんなんて呼んでくれるのは、もう稚子姉さんと俊之兄さんだけだわ」
稚子の買ってきてくれたチーズケーキを口に運びながら、真由子は照れくさそうに言った。
「あらそうなの? 諒人さんは、まぁちゃんのことを何て呼んでるの?」
「いつも真由子って呼びつけなの。でもね、何か都合が悪くなると真由子ちゃんとか、真由子姫なんて言ってごまかすのよ」
「あらあらごちそうさま、あてられちゃったわ」
稚子が上を向いて笑うと、よく手入れされた栗色の髪が、稚子の肩をくすぐるように揺れた。稚子には大学生になる双子の娘と息子がおり、今は二人とも親元から離れて暮らしている。最初こそ二人とも連休などに帰省もしたが、大学生活が面白くなってからはほとんど帰省せず、電話も仕送りが欲しい時以外は、ほとんどかかってこないらしい。下宿させるとどうしても子どもはこうなるわね、と稚子は苦笑いした。
雪江は真由子の手をやさしく振りほどくと、白椿の木に吸い寄せられるように近づいた。闇の中に咲く白椿の花は、昼間に見る時よりも白く、そしてぞっとするほど美しかった。
花鋏の音が夜気をはねつけるように響いたかと思うと、花びらも散らさずに、白椿の花が雪江の足元に落ちていった。雪江は落ちた白椿には目もくれず黙ったまま、白椿の花を次々と切っていった。
真由子はなすすべもなく、雪江の後ろ姿をぼうぜんと見つめた。もしかして雪江は、すべての白椿の花を切り落とすのではないかと真由子が思った時だった。
雪江の右手から、力なく花鋏が落ちた。
「お母さん……?」
雪江は何も答えなかった。ただ細い肩をふるわせて立っているだけだった。
そしてその時になって初めて、真由子は雪江が泣いていることに気がついたのだった。
あれから何度春がめぐってきただろう。何度白椿が咲いただろう。少女だった真由子も大人になった。ただあの夜のことは、一度も触れることのないまま……
春彼岸が近づいたある日、真由子が新居へ運ぶ荷物を整理していると、姉の稚子が久しぶりに自宅を訪ねてきた。稚子は春らしいスカーフをふわりと首に巻き、真由子の好きな英国堂のチーズケーキを手土産として渡した。
真由子と稚子は、年齢が十六も離れていたので、子どもの時の真由子には稚子は姉と言うより、一人の大人の女性だった。近くに寄るといつも化粧品と、そしてかすかに香水の匂いがした。栗色がかった長い髪をやわらかくカールさせ、薔薇色の口紅をさす稚子を見るたびに真由子は「稚子姉さんってテレビドラマの中の女の人みたい」と思ったものだった。
小さな頃は、子ども扱いされるばかりであまり姉妹として話すことは多くなかったが、稚子の子どもたちと仲良くなったり、また真由子自身が大人になってくると、女同士の会話もできるようになり徐々に姉妹としての交流も生まれるようになった。
「あの小さかったまぁちゃんがお嫁さんだなんて、私も年を取るはずね」
稚子は少し顔を傾けて微笑み、真由子の出したアールグレイの紅茶の香りを楽しむように飲んだ。
「何だかはずかしいな、まぁちゃんなんて呼び名。私、この間誕生日が来て、二十七になったの。私をまぁちゃんなんて呼んでくれるのは、もう稚子姉さんと俊之兄さんだけだわ」
稚子の買ってきてくれたチーズケーキを口に運びながら、真由子は照れくさそうに言った。
「あらそうなの? 諒人さんは、まぁちゃんのことを何て呼んでるの?」
「いつも真由子って呼びつけなの。でもね、何か都合が悪くなると真由子ちゃんとか、真由子姫なんて言ってごまかすのよ」
「あらあらごちそうさま、あてられちゃったわ」
稚子が上を向いて笑うと、よく手入れされた栗色の髪が、稚子の肩をくすぐるように揺れた。稚子には大学生になる双子の娘と息子がおり、今は二人とも親元から離れて暮らしている。最初こそ二人とも連休などに帰省もしたが、大学生活が面白くなってからはほとんど帰省せず、電話も仕送りが欲しい時以外は、ほとんどかかってこないらしい。下宿させるとどうしても子どもはこうなるわね、と稚子は苦笑いした。
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