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4−1  忘却

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「あの、いま、なんと?」
「君の祖父母に、両親は命を助けられたと言っていた。その恩を僕が返す」
「え、でも、閣下のご両親は」
「生きてる」
「のに、閣下が返してくださるんですか? しかも、私は孫ですし」

 ありがたい話ではあるけれど、それはそれで申し訳ない気もするので聞いてみると、閣下は言う。

「君が忘れてるだけだ」
「私が忘れてる? 何をですか?」
「どうしてそんな大事な事を忘れたんだ? あんな男と結婚したのもそのせいなのか?」

 閣下はなぜか悲しげに私を見たあと、瞳を伏せてしまった。

 思い出せない。
 こんな顔をさせてしまうなんて、本当に申し訳ない。
 ここまで、閣下との記憶が消されているなんて、もしかして忘却魔法がかけられている?
 だけど、そんな魔法、私に誰がかけられるの?
 
 声を掛けられないでいる内に、閣下が問いかけてくる。

「で、どうなんだ?」
「何がです?」
「今日はこの街で一泊して、うちに来ないか?」

 じっと見つめられる。
 う。
 なんなんだろう。
 昔、飼っていた犬が留守番を嫌がって「置いていくの?」という様な目で私を見ていたのを思い出す。
 無愛想と聞いていたけど、こういう顔も出来るのね。

 形見の石を握りしめると「お世話になりなさい」と言われている気がした。

「では、お願いできますでしょうか」
「ああ」

 どこかホッとした顔をして、閣下が頷いた時だった。
 レストランの入り口の方から、最も聞きたくない人間の笑い声が聞こえてきた。

「そうなのよ~! 息子はモテてしまって大変よ。駄目な元嫁とは離婚して、早速新しい嫁を連れてきたの」

 イザメル様だった。
 彼女と一緒に上品そうな婦人が二人いて、一人はたしか、勢力は弱いけれど、たしか、ラグル元公爵夫人、今のラグル公爵のお母様でネル様だったかしら。
 元公爵夫人がいるから、イザメル様も店に入れたのだと思われる。
 人の趣味に文句をつけてはいけないのはわかっているけれど、ケバケバしいドレスに厚化粧。
 見るだけで不快感を感じる。

「ねえ、イザメル、あまり大きな声で話さないでちょうだい? 他の人のご迷惑になるわ」

 ネル様がたしなめると、イザメル様が言う。

「ごめんなさい。でも、今日は本当に良い日で」

 そこまで言ったところで、イザメル様が私の存在に気付いた。

「まあ! 信じられない! ネズミがこんな所に入り込んでいるじゃない!」

 先程、たしなめられたばかりだというのに、イザメル様は大きな声を出して、こちらに近付いてくる。

「ちょっとイザメル、失礼じゃないの! それに、そこにいらっしゃるのは…」

 ネル様は、顔を見なくても閣下の背中を見ただけで気が付いたらしい。
 イザメル様を止めようとしたけれど無理だった。

「目障りだわ! 早くここから出ていきなさい! どこの馬の骨をつかまえたのかは知らないけれど、こっちには公爵の母がいるのよ!」

 閣下がイザメル様に背を向けている状態なので、公爵を馬の骨扱いしている。
 閣下はわめかれる方が嫌らしく、苦虫をかみつぶした顔だ。
 それにしても自分が偉いわけではないのに、威張るイザメル様に呆れてしまう。
 大体、私がなぜここにいるのか不思議に思わないのかしら?
 私の連れが元公爵婦人以上の権利者だという可能性を、少しでも考えないところがバカなんだと思う。
 ネル様の方は、閣下の正体がわかっているから、ため息を吐いてから、イザメル様を今度こそ止めに入る。

「お願いだからやめてちょうだい、イザメル」
「魔法使いの子孫と同じ空間にいる事が嫌なのよ!」

 イザメル様の言葉に、どこからか声が聞こえる。

「魔法使いの子孫よりも、そんな事を言う彼女と一緒の空間にいたくないな」
「本当だわ」

 その声がイザメル様の耳にも入ったようで、聞こえた方に視線をやったけれど、言った二人は不機嫌そうな顔をしただけだった。

「イザメル、あなたのお兄様と同じで、あなたが魔法使いが嫌いな事は知っているけれど、ここは、ザーター領じゃないのよ?」

 ザーターという名前に私の身体が反応する。

「……知らなかったのか?」

 私の反応を見て、閣下は眉を寄せた。

「私の両親があまり良い顔をしてなかったのは、覚えているんですが…」

 自分の声が震えるのがわかった。
 心臓がまるで自分の耳元にあるみたいに大きく聞こえる。
 
 反対しておきながら、どうして、両親は私にこの事を話さなかったのか。
 話していないわけがない。
 なら、どうして私は結婚したの?
 なぜ、私は、ロードウェル家について、ちゃんと調べてなかったの?
 
「おかしいとは思っていたが、そういう事か…」

 閣下が頭を抱えた。
 ザーターは、私の祖父母を使い捨てにした男の姓と同じだった。
 それに、イザメル様の姓が違うのはどうして?
 
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