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第二十五話 青のまま、溶けていく
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午前の実習が終わり、器具の片づけと記録を済ませた学生たちが、三々五々に実習棟を出ていく。
昼休みに向かう流れに押されるように、尚人もその列に混じり、学生食堂のある方向へ歩き出していた。
廊下の角を曲がったところで、ふと、歩幅が合わなくなる。
立ち止まったとき、ふと廊下のガラスに自分が映った。
廊下のガラスに映る、自分の姿。
青。
やはり、違う。
その背後を、ピンクの集団が通り過ぎていく。
笑い声。
柔らかな布の擦れる音。
香り。
甘くて、洗いたての匂いが空気にほどけ、
それらが一つの流れになって、
尚人の背中から首筋へ、指でなぞられるみたいに
通り抜けていく。
本来なら境界があるはずなのに。
――ない。
消えている。
外側と内側を分けていたはずの線が、
靴底のあたりからじわりと滲み出すように、
いつの間にか、自分の足元から溶けはじめていた。
女の子の輪の中に溶け込んでいる感覚の方が、
拒む理由を探すより先に、
胸の奥で小さく肯いてしまうほど、
いまの自分には、よほど正しい場所のように思えてしまった。
その流れの中で、ひとつだけ、動かない影があった。
結衣だけが、足を止める。
尚人を――見る。
ほんの一瞬、視線が定まりきらず、
空気の重さを量るように揺れた。
足元から、
喉元まで――
ゆっくり。
「……尚人さ……」
低い声。
その三文字が、胸の内側で、わずかに硬く軋んだ。
「……今日さ。
下着……何、履いてるの?」
尚人の心臓が、
一拍遅れて跳ねた。
ドクン、と。
鼓動が、やけに近い。
尚人は動けなかった。
まばたき一つできず、息の仕方さえ思い出せない。
ガラスに映る「青い自分」の影が、
結衣の言葉によって、剥製のように固定される。
「……なんで……」
喉の奥で、乾いた声が鳴った。
否定しようとしたのではない。
言葉を選ぶ前に、舌が動かなかっただけだった。
胸の奥で脈が跳ね、遅れて肩に力が入る。
つま先が、わずかに内側へ寄る。
無意識のまま。
結衣は、尚人のすぐ隣まで歩み寄る。
距離が一歩分、消える。
彼女の着ているピンクのワンピースから、柔軟剤の甘い匂いが淡く漂った。
それが、尚人が朝からずっと意識し続けていた「あちら側」の香りそのもので、視界の端がわずかに揺れる。
「……しゃがんだとき」
結衣は、尚人の腰のあたりを指差した。
「ズボンの上から……段差、見えたの」
「普通のパンツじゃない……柔らかい、レースの線」
彼女の視線が、尚人の瞳をじっと捉える。
そこには蔑みも、嘲笑もなかった。
ただ、深い場所にあるものを暴こうとする、純粋で鋭い好奇心だけがあった。
――逃がさない、という種類の静けさ。
「尚人。……今、どんな気持ちなの?」
視線だけは逸らさないまま、声の調子をほんの少し落とした。確かめるように。
問いかけながら、結衣が手を伸ばす。
指が、途中で止まった。
宙に浮いたまま、ほんのわずか揺れる。
空気を測るみたいに、尚人の腰と指先のあいだで迷う。
一度、息を吸い直す。
喉が小さく鳴り、肩がかすかに上下した。
呼吸が浅い。
指先が、わずかに揺れた。
――迷っている。
それでも視線だけは、まっすぐだった。
自分の答えを待っているというより、踏み込む理由を探しているみたいだった。
それでも結衣は視線を逸らさず、
決めたように、もう半歩だけ距離を詰める。
その一歩で、廊下の音が遠ざかる。
学食へ向かう学生たちのざわめきが、遠くで渦を巻いている。
食器の触れ合う金属音。誰かの名前を呼ぶ声。
それら全部が薄い壁の向こう側に押しやられ、
残ったのは結衣の吐息と、布を擦るかすかな音だけだった。
――距離だけが、もう戻らなかった。
昼休みに向かう流れに押されるように、尚人もその列に混じり、学生食堂のある方向へ歩き出していた。
廊下の角を曲がったところで、ふと、歩幅が合わなくなる。
立ち止まったとき、ふと廊下のガラスに自分が映った。
廊下のガラスに映る、自分の姿。
青。
やはり、違う。
その背後を、ピンクの集団が通り過ぎていく。
笑い声。
柔らかな布の擦れる音。
香り。
甘くて、洗いたての匂いが空気にほどけ、
それらが一つの流れになって、
尚人の背中から首筋へ、指でなぞられるみたいに
通り抜けていく。
本来なら境界があるはずなのに。
――ない。
消えている。
外側と内側を分けていたはずの線が、
靴底のあたりからじわりと滲み出すように、
いつの間にか、自分の足元から溶けはじめていた。
女の子の輪の中に溶け込んでいる感覚の方が、
拒む理由を探すより先に、
胸の奥で小さく肯いてしまうほど、
いまの自分には、よほど正しい場所のように思えてしまった。
その流れの中で、ひとつだけ、動かない影があった。
結衣だけが、足を止める。
尚人を――見る。
ほんの一瞬、視線が定まりきらず、
空気の重さを量るように揺れた。
足元から、
喉元まで――
ゆっくり。
「……尚人さ……」
低い声。
その三文字が、胸の内側で、わずかに硬く軋んだ。
「……今日さ。
下着……何、履いてるの?」
尚人の心臓が、
一拍遅れて跳ねた。
ドクン、と。
鼓動が、やけに近い。
尚人は動けなかった。
まばたき一つできず、息の仕方さえ思い出せない。
ガラスに映る「青い自分」の影が、
結衣の言葉によって、剥製のように固定される。
「……なんで……」
喉の奥で、乾いた声が鳴った。
否定しようとしたのではない。
言葉を選ぶ前に、舌が動かなかっただけだった。
胸の奥で脈が跳ね、遅れて肩に力が入る。
つま先が、わずかに内側へ寄る。
無意識のまま。
結衣は、尚人のすぐ隣まで歩み寄る。
距離が一歩分、消える。
彼女の着ているピンクのワンピースから、柔軟剤の甘い匂いが淡く漂った。
それが、尚人が朝からずっと意識し続けていた「あちら側」の香りそのもので、視界の端がわずかに揺れる。
「……しゃがんだとき」
結衣は、尚人の腰のあたりを指差した。
「ズボンの上から……段差、見えたの」
「普通のパンツじゃない……柔らかい、レースの線」
彼女の視線が、尚人の瞳をじっと捉える。
そこには蔑みも、嘲笑もなかった。
ただ、深い場所にあるものを暴こうとする、純粋で鋭い好奇心だけがあった。
――逃がさない、という種類の静けさ。
「尚人。……今、どんな気持ちなの?」
視線だけは逸らさないまま、声の調子をほんの少し落とした。確かめるように。
問いかけながら、結衣が手を伸ばす。
指が、途中で止まった。
宙に浮いたまま、ほんのわずか揺れる。
空気を測るみたいに、尚人の腰と指先のあいだで迷う。
一度、息を吸い直す。
喉が小さく鳴り、肩がかすかに上下した。
呼吸が浅い。
指先が、わずかに揺れた。
――迷っている。
それでも視線だけは、まっすぐだった。
自分の答えを待っているというより、踏み込む理由を探しているみたいだった。
それでも結衣は視線を逸らさず、
決めたように、もう半歩だけ距離を詰める。
その一歩で、廊下の音が遠ざかる。
学食へ向かう学生たちのざわめきが、遠くで渦を巻いている。
食器の触れ合う金属音。誰かの名前を呼ぶ声。
それら全部が薄い壁の向こう側に押しやられ、
残ったのは結衣の吐息と、布を擦るかすかな音だけだった。
――距離だけが、もう戻らなかった。
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