83 / 161
『第十五話・3: 祈りの残響 ― Requiem for the Living World ― 』
しおりを挟む足元の泥が、微かに震えた。
呼吸ではない。何かが“形を思い出そう”としている。
霧の底に眠っていた残滓が、ゆっくりと揺れ始めた。
リリアは息を呑み、剣先をわずかに下げる。
(……まさか……霊核が、自分で……?)
灰色の靄が再び集まり始める。
空気の粒子が逆流し、時間の縫い目がほどけていく。
崩れかけた鎧の断片が、音もなく浮かび、ゆっくりと元の形を模していく。
だが、それは“再生”ではなかった。
死が拒絶されている。
世界が、祈りの形を無理に保持しようとしている――そんな光景だった。
――それは、世界がまだ“生きたい”と叫んでいるようにも見えた。
「……ガルヴェイン?」
呼びかける声に、応える者はいない。
けれど、鎧の胸部――霊核のあった場所に、淡い光の粒が一つ、静かに浮かぶ。
それは炎でも魔力でもなく、記憶そのものの残響だった。
光の粒が、風もないのに揺れた。
そのたびに、胸の奥で何かが共鳴する。
鼓動のリズムが、外の世界とずれていく。
奇妙な浮遊感。
霧が消えたはずの空間に、音のない波紋が幾重にも広がっていった。
まるで、世界の記憶をなぞるように。
リリアは胸に手を当てた。
その鼓動が、もう自分のものかどうか――わからなかった。
(……これは……心の中に……?)
「――リリア。」
声がした。
耳ではなく、心臓の奥に直接触れるような響き。
その声は、かつてセラフィーが“師”と呼んだ英雄――
その人の記憶が、今も祈りの底で呼吸しているようだった。
「ガルヴェイン……?」
名を呼んだ瞬間、空気がふっとほどけた。
灰色の世界が淡い光に満たされ、音が遠のいていく。
時間そのものが息を止め、光だけがゆっくりと流れていく。
そこに、鎧を脱いだガルヴェインが立っていた。
その姿は、霧の中に溶ける幻のようでありながら、確かに“生きていた”。
現実と記憶の境目が、ゆっくりとほどけていく。
「……すまなかった。
こんな形で、“未来を担う者”に剣を向けることになるとはな。」
「そんなこと……! 私、ただ……!」
言葉が喉の奥でほどけ、声にならない。
ガルヴェインは、静かに微笑んだ。
その笑みには、悲しみでも後悔でもない――ただ“誇り”があった。
「いい。お前は、見事だったよ。
セラフィーが共に歩むと決めた理由が、今ならわかる。」
「最初にお前の話を聞いた時は――とんでもねぇ奴だと思ったが、
その眼差しは、かつてのわしよりもずっと真っ直ぐだ。」
霧の底で、リリアの瞳が滲む。
涙ではなく、魔力の共鳴。
魂が触れ合うたび、世界が微かに音を立てて鳴る。
光が弦のように震え、ふたりの間を結んでいた。
「わしはもう、この世界の理には触れられない。
肉体も魂も、すでに“記録”の彼方だ。」
「……生き返ることはできん。」
「だが――祈りなら、まだ届く。
リリア。お前が抱いた“願い”を手放すな。」
「……聞け。魔王は、すでに復活した。」
「わしらが命を賭して封じたあの“闇”が、
再びこの大地を蝕み始めている。
世界律は乱れ、祈りの記録がひとつ、またひとつと失われていく。」
「このままでは、世界そのものが“忘却”に沈むだろう。
だが――人の心が祈りを繋ぐ限り、闇はすべてを奪えはしない。
それだけが、まだ残された灯だ。」
「……ガルヴェイン……」
ガルヴェインは、ふと空を見上げた。
「……もう一度だけ、この手で剣を握りたかった。
だが、今はそれすら祈りの形でしか残せぬ。
――だからこそ、託せる。お前たちに。」
「セラフィーを導け。
あの子の中には、私が果たせなかった“終焉への鍵”がある。」
「だが、それを開くのは剣ではなく、お前たちの絆だ。」
「闇を斬り裂け、リリア。祈りの剣で、世界を取り戻せ。」
光が彼の輪郭を包む。
指先からほどけるように、世界が淡く揺れる。
それは消滅ではなく、再び“祈り”へ還るような気配だった。
「行け、リリア。剣はもはや、血を断つための刃ではない。命を繋ぐための灯りだ。」
「……その意味を、お前なら知っているはずだ。
ならば――わしを斬れ。」
「今のわしは既に魔王の傀儡と化し、意志も光も澱(よど)んでいる。
この身を残せば、わしはお前たちの祈りを喰らいつくすだろう。」
「だから、お前の刃で、わしを解き放て。
それが、わしが最後にお前へ託す“覚悟”だ、リリア。」
光が収束し、霧が閉じる。
残ったのは、ただひとつ――
その声が、胸の奥でまだ“生きている”という確信だった。
静寂が戻った──はずだった。
だが次の瞬間、空気の奥で“何か”が脈動した。
それは、もう優しい光ではない。
黒く濁った波が、霊核の欠片から滲み出していた。
「ぐあっ」と喉を裂くような叫び。
それがガルヴェインの声だと気づくまで、ほんの刹那。
(……これは……違う……!)
リリアが踏み出すより早く、光は裂けた。
白と黒がせめぎ合い、火花のように弾ける。
ガルヴェインの姿が一瞬だけ苦痛に歪み、
その眼の奥に、かつての温もりとは違う“何か”が宿る。
「ダメだ、抵抗して!」
リリアの叫びに、ガルヴェインの唇がかすかに震える。
「リ……リリア……逃げ……」
その言葉は、黒い靄に呑まれた。
一瞬で身体が崩れ、霧と鉄の混じった“影”に変わっていく。
鎧が軋み、地面を砕いた。
さっきまでの静寂が嘘のように、空気が悲鳴を上げる。
霊核の中心に走った裂け目から、黒い炎が噴き出した。
その炎は燃えるのではなく、周囲の光を喰らいながら広がっていく。
リリアは後退せず、ただ剣を構えた。
「……ガルヴェインの魂を、穢させはしない。」
世界が一瞬、息を止めた。
そして――黒炎の中から異形の鎧が立ち上がる。
かつて“誇り”と呼ばれたその姿は、
今や世界律の外で“呪いの器”として再生していた。
霊核の奥で、わずかに声がした。
『……誇りを……守れ……守れ……守れ……』
その繰り返しが、やがて獣の咆哮に変わる。
「ガルヴェイン……!」
名を呼ぶ声が、戦場に溶けた。
もう、応答はない。
ただ――“英雄の形をした魔王の傀儡”が、剣を抜く音だけが響いた。
それでも、霧の底で――彼の祈りは、まだ息をしていた。
20
あなたにおすすめの小説
最強なのに自分だけ気づかない 無自覚チートの異世界ハーレムライフ
eringi
ファンタジー
俺、普通の冒険者なんですけど? ……え、魔王軍全滅させちゃいました?
平凡な大学生・田中太郎は異世界に転生し、冒険者として平和に暮らしていた。しかし本人は気づいていない。神様のバグで付与された「世界法則改変」のチート能力に。魔物は触れただけで消滅し、魔法は唱えず発動し、剣は振らぬまま敵を斬る。そんな「普通の冒険者」に、天才剣士、元皇女、獣人族の巫女、天才魔導士がなぜかぞろぞろと寄ってくる。貴族たちは彼を見下すが、その度に「偶然」痛い目を見る。そして魔王軍が襲来した時、太郎はついにつぶやく。「あー面倒くさいな。みんな帰ればいいのに」。無自覚最強のハーレムコメディ、開幕!
【コミカライズ決定】勇者学園の西園寺オスカー~実力を隠して勇者学園を満喫する俺、美人生徒会長に目をつけられたので最強ムーブをかましたい~
エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング2位獲得作品】
【第5回一二三書房Web小説大賞コミカライズ賞】
~ポルカコミックスでの漫画化(コミカライズ)決定!~
ゼルトル勇者学園に通う少年、西園寺オスカーはかなり変わっている。
学園で、教師をも上回るほどの実力を持っておきながらも、その実力を隠し、他の生徒と同様の、平均的な目立たない存在として振る舞うのだ。
何か実力を隠す特別な理由があるのか。
いや、彼はただ、「かっこよさそう」だから実力を隠す。
そんな中、隣の席の美少女セレナや、生徒会長のアリア、剣術教師であるレイヴンなどは、「西園寺オスカーは何かを隠している」というような疑念を抱き始めるのだった。
貴族出身の傲慢なクラスメイトに、彼と対峙することを選ぶ生徒会〈ガーディアンズ・オブ・ゼルトル〉、さらには魔王まで、西園寺オスカーの前に立ちはだかる。
オスカーはどうやって最強の力を手にしたのか。授業や試験ではどんなムーブをかますのか。彼の実力を知る者は現れるのか。
世界を揺るがす、最強中二病主人公の爆誕を見逃すな!
※小説家になろう、カクヨム、pixivにも投稿中。
チート魔力を持ったせいで世界を束ねる管理者に目を付けられたが、巻き込まれたくないので金稼ぎします
桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。
交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。
そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。
その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。
だが、それが不幸の始まりだった。
世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。
彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。
さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。
金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。
面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。
本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。
※小説家になろう・カクヨムでも更新中
※表紙:あニキさん
※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ
※月、水、金、更新予定!
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜
KeyBow
ファンタジー
間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。
何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。
召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!
しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・
いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。
その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。
上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。
またぺったんこですか?・・・
巻き込まれ異世界召喚、なぜか俺だけ竜皇女の推しになった
ノラクラ
ファンタジー
俺、霧島悠斗は筋金入りの陰キャ高校生。
学校が終わったら即帰宅して、ゲームライフを満喫するのが至福の時間――のはずだった。
だがある日の帰り道、玄関前で学園トップスターたちの修羅場に遭遇してしまう。
暴君・赤城獅童、王子様系イケメン・天条院義孝、清楚系美少女・柊奏、その親友・羽里友莉。
よりによって学園の顔ぶれが勢ぞろいして大口論!?
……陰キャ代表の俺に混ざる理由なんて一ミリもない。見なかったことにしてゲームしに帰りたい!
そう願った矢先――空気が変わり、街に巨大な魔法陣が出現。
赤城たちは光に呑まれ、異世界へと召喚されてしまった。
「お~、異世界召喚ね。ラノベあるあるだな」
そう、他人事のように見送った俺だったが……。
直後、俺の足元にも魔法陣が浮かび上がる。
「ちょ、待て待て待て! 俺は陰キャだぞ!? 勇者じゃないんだぞ!?」
――かくして、ゲームライフを愛する陰キャ高校生の異世界行きが始まる。
異世界では地味な俺が、なぜか神々に最愛されて無双してる件
fuwamofu
ファンタジー
平凡な高校生・桐生ユウは、女神の手違いで異世界に転生した。
チートもスキルも貰えず、冒険者登録すらままならない落ちこぼれ……のはずだった。
しかし周囲の異常な好感度、意味不明な強運、そして隠された神格スキルによって、ユウは「無自覚に全能」な存在へと覚醒していく。
気づけば女神も姫騎士も魔王娘も彼に夢中。誤解と崇拝が加速する中、ユウの“地味な日常”は世界を揺るがす伝説になっていく。
笑いあり、胸キュンあり、ざまぁありの最強(なのに本人だけ気づいてない)異世界ファンタジー開幕!
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる