『勇者リリアとレベル999のモフモフぬいぐるみ』 Eden Force Stories I(第一部)

風間玲央

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『第十五話・4: 灰鎧の祈り ―緋閃零葬―』

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霧がわずかに脈動した。
祈りの残響が、まだ消えきらずに空気の底を震わせている。
だが、その震えは――どこか違う。
あの優しい光ではなく、もっと硬質で、冷たい鼓動。

闇の残滓が、再び世界へと滲み始めていた。
まるで祈りの余熱が、今度は“呪い”として呼吸を始めたかのように。

(……まさか、まだ――!)

光が一度、深く沈み、そして――
闇の底から、低く濁った声が這い上がった。

「汝を討ち、幕を閉じよう。」

それは声というより、“形だけ残った反響”だった。
冷たく、空虚で、人の温度を完全に失っている。
鎧の奥で、何かが軋む。
その音は、魂の悲鳴ではなく、闇が肉を模して嘲るような音だった。

(……もう、いない。
 この中に“ガルヴェイン”はいない。
 ――残っているのは、彼の形を喰らった闇だけだ)

鎧の継ぎ目から黒い靄が滲み出し、それは煙ではなく“意思”として空間を這った。
世界を蝕む影が形を持ち、瞳の奥を覗き込んでくる。

(なら、斬る――人でも魔でもない。ただの災いを、この手で断つだけだ。)

鎧の内側で脈打っているのは、もはや魂の律動ではない。
歪んだ“核”が闇に塗り替えられ、かつての意志は深く沈んだまま、もう届かない。

(……ガルヴェイン。あなたの魂を――戦士としての誇りのままに、闇の鎖から光へ還してみせる。)

(灰鎧を砕き、闇ごと断ち切る。
かつて英雄と呼ばれた者が、穢れた影のままこの世に縛られぬよう――跡形も残さず、静かに解き放つ。)

(それが、戦う者にとって唯一許された“救い”だと、いまも信じているから。)

リリアの両の瞳が、灼けるように揺らめいた。
金色の光は、炎にも涙にも似て――祈りを燃やす覚悟の色だった。

その視線を受けた灰鎧の将が、ゆっくりと構えを変える。
鎧の隙間から漏れる黒い靄が、より濃く、より鋭く渦を巻き始める。

空気が重く沈み、二人の間で風さえも止まった。
互いの呼吸が相手の胸に届く距離。
次の一歩で、勝負が決まる。

「――終わらせる。ガルヴェイン……あなたを、倒す。」
その声は、祈りよりも静かで、刃よりも確かだった。

リリアは腰を沈め、刃の重みを掌の中心で確かめる。
胸の奥で紡いだ短い祈りが、指先を震わせ、刃へと流れ込んだ。

「――《緋閃零葬(ひせんれいそう)》ッ!」

紅蓮の魔力が剣身を走り、刀身は白金の閃光と化す。
空気が裂け、音が燃え尽きる。霧が逆巻き、閃光の軌跡だけが夜を切り裂いた。

同じ刻、灰鎧の将は黒い靄を纏い大剣を振るう。
「――《獄影断滅(ごくえいだんめつ)》!」と闇が低く喚き、地が呻く。

次の瞬間――二つの刃が交差した。
閃光と漆黒が激突し、爆ぜた衝撃波が空気を切り裂く。
肺を裏返すほどの圧が全身を叩きつけ、霧は一瞬で吹き飛んだ。
鉄錆と焦げた匂いが鼻を焼き、割れた大地が悲鳴を上げる。
土煙が夜空を呑み込み、世界が一瞬、白と黒の閃光だけに塗り潰された。

その中心で、二人の影がぶつかり合う。
互いの一撃を押し切ろうとするたび、剣同士が擦れ、鋼が悲鳴のように鳴いた。

その刹那――胸甲の奥で光が、鼓動とともにはっきりと脈打つ。
閃光は漆黒を裂き、漆黒は閃光を喰らおうとした。
だが、リリアの一閃が胸甲の裂け目を正確に捉えた途端、黒い靄が弾けるように剥がれ落ちた。

『……ここだ!』
『――これが、お前の役目だ。』

(……っ! わかってる……!)

――頭の奥に、ガルヴェインの声が微かに響いた。
その声に応えるように、リリアはさらに魔力を叩き込む。

刃が震え、空気が裂ける。
それでも、リリアは迷わなかった。

届いたのは、低く、ガルヴェインの苦しみに満ちた懇願。

『頼む……』

(――終わらせる!)

リリアは力を込めた。
全身の魔力が一点へ収束し、刃が閃光そのものへと変わる。
白金の輝きが刃先から爆ぜ、光が視界を塗り潰す。
拮抗を断ち切り、祈りのように貫いた。

渾身の一撃が、金属の胸甲を貫き、奥の霊核を断ち割る。
轟音が世界を裂き、霧が悲鳴を上げる。
閃光が奔り、闇が砕けた。

破砕音が轟き、内部から澄んだ光があふれ出す。
闇の渦は引き剥がされるように縮み、砕けた霊核の光が爆風のように四方へ弾け飛んだ。

灰鎧の将の巨躯が崩れ、膝から地に落ちる。
鎧の継ぎ目から滲んだ影が零れ落ち、やがて夜風に溶けていった。

その兜の奥――一瞬だけ、セラフィーに剣を教えた男の瞳が甦った。
荒れた戦場で不器用に笑った、あの優しい眼差し。
“ありがとう”と告げるように、安堵の色を宿し――
そして、それは霧と共に消えていった。

夜の底で、光だけが静かに息をしていた。

リリアは刃をゆっくり下ろす。掌に残る震えは、疲労ではなく祈りの余熱だった。
胸に満ちていたのは、戦いの昂りでも復讐の快楽でもない――
ただ、約束を果たしたという静かな確信と、言葉にならない悲しみ。

「終わったのか」と夜が囁く。
だが、その問いに答える必要は、もうなかった。

砕けた鎧の跡に、わずかな光の粒がそっと舞い戻る。
淡く、夜の底を照らすその光は――まるで、帰る場所を見つけた魂のようだった。

リリアは空を見上げ、短く祈るように唇を震わせた。
「戦士としての誇りを、安らかに還せ」と。

その言葉は風に溶け、小さく消えた。
けれど胸の奥に残った温度は確かで――
誰かの記憶が、そこに静かに居場所を取り戻した気がした。

(……ガルヴェイン。あんたの誇りは俺たちが繋ぐ。
 だから今は――泣かせてくれ。戦士として)

リリアの頬を伝う涙が、冷たい夜風にさらされ、ひと筋の光となって揺れていた。
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