『勇者リリアとレベル999のモフモフぬいぐるみ』 Eden Force Stories I(第一部)

風間玲央

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『第二十一話 • 6 : その一口が、千年の祈りをほどいた』

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その瞬間。

リリアの姿が“線”になった。  
踏み込みの一歩が、空気ごと溶けて消える。  
世界がたった一拍だけ、置き去りになった。
視界がついてこない。
ただ甘い匂いだけが、尾を引く光のように残った。

結晶の犬オルフェスがザッハへ牙を伸ばす──その“直前”。
誰も気づけない速度で、
リリアはすっと横へ入り込み、

犬の鼻先を軽く手で押しのけた。

まるで
「ちょっと、ごめんね。これは私のだから」
と言わんばかりの、優雅で暴力的な高速処理。

(……待て俺。
 いま完全に“超高速の食欲バトル漫画主人公”みたいな動きしなかったか!?)

そしてそのまま、
ザッハトルテを両腕で抱え込み、
止まった世界の中心で──

──ガブリィィィィンッ!!!

黒曜石の表面が砕け、甘い破片が花火のように散った。
犬より先に、一口。
いや、犬に“競り勝って”の一口だった。

世界が一拍、遅れた。

リリアが《聖なるザッハトルテ》へ食らいついた瞬間、  甘味の奥で、微かな祈りが弾けた。

そして次の瞬間――甘い衝撃が爆ぜ、戦場の空気そのものが裏返る。

黒曜石のような表面がぱりんと割れ、内部から溢れ出すのは──
深淵を思わせる漆黒チョコ。
舌を焦がすほど濃密な甘酸っぱい杏ジャム。
触れた瞬間、雲のように崩れ落ちる軽やかなスポンジ。

甘味・苦味・酸味──三重の奔流が脳髄を直撃し、
味覚の宇宙が“星爆”のように広がっていく。

「……ッッッ!! うっっっまァァァァァ!!!!」

リリアは目を見開いたまま涙を滝のように溢れさせ、膝から崩れ落ち、震える指で次の一口を求めながら、なおもケーキへ渾身でかぶりつく。

(……やば……これは“美味しい”とかそういう次元じゃない。
 味が“魔法になってる”……! 身体の芯が甘さで震えてる……!)

一片を噛むたび、結晶化した甘味が光にほどけ、
その輝きがリリアの胸元へ吸い込まれていく。

その食速度は、もはや“味覚の神域”に片足を踏み入れていた。
戦士ではない。甘味の理を捻じ伏せた祈りの獣。
勇者ではなく、“甘味の真理を覗いた者”の動きだった。

やがて――

小さな音がした。

──コトン。

皿の上には、誰にも使われなかったフォークだけが転がっていた。
文明の象徴は、野生の食欲の前に敗北したのだ。

《聖なるザッハトルテ》は影ひとつ残さず、完全に消滅していた。

(……完食……!?)

リリアは仰向けになり、天を見上げた。
目を閉じれば、全味覚が金色の残光となって広がり、
胃の奥で“甘い祈り”が燈火のようにふるえている。

「……はぁ……生まれてきて……よかった……」

戦場に似つかわしくない、満足し切った救済の声だった。

(……終わったな俺……これもうグルメ漫画やろ……
 勇者職から“スイーツバトル漫画主人公”に転職してない!?)

その瞬間、砂糖細工の犬の動きがぴたりと止まり、
黒い靄がふっと消えた。

瞳に宿ったのは――子どもたちの笑顔を映す、懐かしい光。

「……この甘さ……ようやく思い出した……
 私は、本来“守る側”だったのだ……」

オルフェスの体から黒い結晶がぽろぽろと落ちていく。
まるで長い夜が、ようやく終わっていくかのように。

「魔王の呪糖は、私の“未練”を利用した毒だった。
 あの日、お前に削られた痛みを“恨み”に塗り替え……
 〈聖なるザッハトルテ〉を奪う衝動へと歪めていた……」

「ザッハは、この城を支える“甘味の心臓”。
 私は千年、その脈を守り続けてきた。」

「だが……お前に食べられたあの日は、本来なら私の“終わり”であり、
 “役目を果たした証”だったのだ」

淡い甘香が、残光のように空気へ溶けていく。

「お前が見せた“甘味を受け取る喜び”……
 その一口に宿っていた素直な幸福が、私の迷いを洗い流した。」

「甘味とは、誰かを満たし、その笑顔と共に静かに幕を閉じるもの……
 ――それこそが、私の本来の在り方だったのだ」

光の結晶を零しながら、犬は安らかな表情で目を細める。

「勇者よ……私はもう充分だ。
 千年分の使命も、あの日の未練も、すべて果たせた。」

「……ありがとう。
 “満たされた”という感覚が、ようやく……わかった」

そして、少しだけ誇らしげに尻尾を揺らす。

「どうか――次に甘味を味わう子らにも、
 その喜びが、まっすぐ届きますように……
 私の甘さは……もうお前に託した」

胸の奥で、小さく、やさしい甘音が鳴った。

──パリンッ。

砕けた結晶が虹色の飴片となり、粉雪のように舞い落ちていく。
それは、祈りのように静かで……
春の陽だまりのように温かい別れの余韻を残した。

セラフィーは剣を下ろし、胸の奥でそっと微笑む。
(……やっぱりあなたは勇者よ、リリア。どんな形であれ──世界を救ってしまうんだから)

リリアの腕の中でワン太が、小さな布の耳をぴくりと揺らした。
散る光に前足を伸ばすその仕草は、声こそないが──
去りゆく“同じ犬”への、静かな手向けだった。

(ちょ、待て……俺、
 コーヒーのついでに砂糖ひとかじりしただけで、
 千年モノの犬の未練まるごと救ってたってことかよ!?)

世界を救ったのは、勇者の剣ではなく──逆ギレで喰らった一口のケーキだった。

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