『勇者リリアと迫り来る魔王の軍団』 Eden Force Stories II(第二部)

風間玲央

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『第六話・1 : 禁呪菓子都市《スイート・カース》 ― 微笑むザッハトルテ ―

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次の瞬間、視界を覆ったのは、焼きたてのパイの香り。
シナモンが鼻を刺し、ショコラの苦みが舌に残り、果実の酸が甘さを追い立てる。
空気が、とろりと甘く変わった。
気づけばリリアたちは、石畳の通りに立っていた。

だがそこは、さっきまでの市場とはまるで違う。
両側に並ぶのは、延々と連なるスイーツ専門店。
ショーケースには宝石のようなケーキやタルトがぎっしりと並び、
空にさえ、綿菓子のような雲が浮かんでいた。

「……うわ……なんだこの天国」
リリアの喉から、思わず本音が漏れた。

けれど次の瞬間――その“甘さ”の奥に、違和の線が走る。
目を凝らすと、ケーキのデコレーションの縁に淡く刻まれた禁呪の符号。
砂糖細工の花弁に紛れて、それは静かに蠢いていた。

「……まさか……全部……?」
セラフィーの声が震える。

「そういうことか……」
リリアは口の端を引きつらせた。

(……この街そのものが、“禁呪の器”ってわけか。
 スイーツで人を誘って、丸ごと夢に閉じ込める――“甘味都市”の正体……!)
(……この符号、“幸福の幻影”系だ。甘さで記憶を包み、抜け出せなくする……)
(……たぶん、“甘い夢を食う”存在がどこかにいる──その餌場なんだ……)

革バッグの中で、ワン太が小さく“カクン”と手を動かす。
その仕草は――ようこそ、と告げる合図のようだった。

街路の両脇に並ぶショーケースから、甘い香りが押し寄せてくる。
苺を宝石のように散らしたタルト、琥珀色のカラメルを纏ったプリン、
そして天を衝くほど高く積み上げられたミルフィーユ。

祝福に見えた甘美さは、じつは鎖のように心を締めつけていた。

(……やば……視覚と嗅覚がフルコンボで攻めてきてる……!
 これ、完全に“誘惑ギミック”だろ……!
 ……いやでも、ザッハトルテ出てきたら……正直一口で死んでも本望……)

一歩、また一歩。
甘い空気が肺の奥まで染みこみ、思考が砂糖に包まれていく。
甘い香りが鼻腔をくすぐるたび、脳の奥でスイッチが鳴る。快楽と飢えの境界が、ぼやけていく。
時間の輪郭が、少しずつ溶けていくのがわかった。

理性では理解しているのに、足が勝手に動いていた。
ショーケースの前に立ち、手のひらがガラスに触れる。
冷たいはずの感触はなく、代わりに心臓の鼓動に合わせて脈打つ温もりが伝わってきた。

「リリア! 見ちゃダメ!」
セラフィーの声が鋭く響いた。
「あれ、“見た瞬間に欲しくなる”──それが禁呪の発動条件よ!」

「リリア! 見ちゃダメ!」
セラフィーの声が鋭く響いた。
「昔、魔導学院で同じ術式に呑まれた生徒がいたの……」
「“見た瞬間に欲しくなる”──それが禁呪の発動条件よ!」

その警告が終わるより早く、ショーケースの中のケーキが――小さく瞬きをした。

それは、漆黒の艶を湛えたザッハトルテ。
チョコレートの表面は鏡のように滑らかで、天井の灯りを歪んだ月光のように映している。
だが、その艶に走る光はゆらりと符号へと変わり、黒光りする表面の亀裂が――まるで呼吸する肺のように開閉した。

「……っ!? 動いた……?」

冷たい空気のはずなのに、甘い息のような蒸気がガラス越しに漏れ出す。
その瞬間、黒い艶がわずかに歪み、そこに黒い瞳が覗いた。
映っていたはずの灯りが飲み込まれ、リリアをまっすぐ見返す。

中央に飾られたアプリコットジャムが、とろりと溢れ落ちた。
その滴は琥珀色ではなく、熱を帯びた瞳孔のように蠢き、再び瞬いた。

(……わかってる……これは罠だ……
 ……でも、この香り……脳が痺れるくらい直撃して……やば……一口だけなら……!
 いやいやいや、俺は勇者だぞ!? でも勇者だってケーキくらい食うだろ!?)

指先がガラスを探すように伸びた。
けれど、そこにあるはずの境界は幻のようにほどけ、
指先はそのまま黒い艶へと沈んでいく。

触れた瞬間、空気が甘く震えた。
熱でも冷たさでもない、“快感の温度”が皮膚を這い上がる。
胸の奥から、甘苦い呻きがひとりでに漏れた。

その瞬間。
布のバッグの中で、ワン太が勢いよく“ぶるんぶるん”と手を振った。
綿の体がびくりと震え、その胸の奥で小さな金の火花が弾けた。
ぱちん、と乾いた音が空気を裂いた。

それはもう、愛らしい仕草ではなかった。
ぬいぐるみの中の空気が、悲鳴のように震えている。
必死の拒絶、断末魔の警鐘──
「喰われるぞ」と、魂に叩きつけているようにしか思えなかった。

(……やべぇ……ワン太が一番冷静じゃん!!
 甘党の俺がケーキに釣られてる間に、ぬいぐるみが命守ってるって……
 勇士の立場、完全に逆転してるだろこれ!!)

そしてその瞬間、ザッハトルテが――人のように微笑んだ気がした。
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