古代魔法の薬師様、趣味で冒険者になる

Annie

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第一章:穢れの森編

舞い込んできたお仕事

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 冒険者ギルドでの小さな騒ぎなど、私にとっては夜空を流れる雲のようなもの。一夜も明ければ、すっかり頭の片隅からも消え去っていた。私の日常は、ここ、森の香りに満ちた薬屋にあるのだから。

「リリエル先生、お願い! うちの主人がまた熱を出して……」

「はいはい、分かったから落ち着いて。パン屋の奥さん、顔色が悪いよ。あなたも一緒に、これを飲んでおきなさい。滋養強壮の薬だから」

 朝一番の来客は、街のパン屋の奥さんだった。私は手際よく数種類の乾燥葉を乳鉢で合わせ、熱いお湯で抽出しながら、彼女自身の分の薬も手渡す。私の仕事は、病を治すことだけじゃない。病人を支える人が倒れないようにするのも、大事な役目だ。

「ありがとう、先生……本当に助かるわ」

「いいってことよ。あ、そうだ。今日のパン、少し焼きすぎちゃった? 香ばしい匂いがここまで漂ってきてるよ」

「えっ、うそ!? ご、ごめんなさい、すぐ戻るわ!」

 慌てて店を飛び出していく奥さんの背中を見送り、私はくすりと笑った。あれくらい元気があれば、もう大丈夫だろう。

 カラン、と今度はもっとけたたましい音を立ててドアが開く。

「おう、リリエル! この間の『金剛軟膏』、もう切れちまった! 肩がバキバキで、槌が振れやしねえ!」

 息を切らして駆け込んできたのは、友人のドワーフ、ギムリだった。その屈強な肉体は、並の薬では効果がない。

「もう? ギムリは少し鍛えすぎなんだよ。その筋肉、いつか岩みたいに固まっちゃうんじゃない?」

「うるせえ! ドワーフの鍛冶屋は、体が資本なんだよ。頼む、特製のやつをくれ!」

「はいはい。分かってますよっと」

 私はカウンターの下にある棚の、一番奥から、ずしりと重い大きな壺を取り出した。中には、粘度の高い、鈍い光を放つ軟膏がなみなみと入っている。これは、竜の油や巨人の骨の粉末など、一般には出回らないような材料をふんだんに使った、ギムリ専用の特別製だ。

「これ以上効く薬を作りたかったら、本物のドラゴンでも狩ってこないと無理なんだから、少しは大事に使ってよね」

「へへっ、お前がそう言うってことは、効果は保証付きってことだな! 恩に着るぜ!」

 ギムリは満足げに壺を受け取ると、代金代わりだと言って、ミスリル銀を編み込んで作られた、きらきらと輝く薬草採取用の網を置いていった。

 こうして、街の人々と、気心の知れた友人と、他愛のないやり取りを交わす。穏やかで、代わり映えのしない、けれど何にも代えがたい大切な日常。

 ――そんな平穏が、その日の昼下がり、上品なドアベルの音と共に、新しい局面を迎えることになるとは、この時の私はまだ知らなかった。



 ◇



 入ってきたのは、仕立ての良い漆黒の礼服を、少しの乱れもなく着こなした初老の男性だった。すらりと伸びた背筋、磨き上げられた革靴、そしてその物腰の柔らかさ。一目で、一般の市民ではないことが分かる。

「こちらが、『森の薬師』リリエル先生のおられる薬屋で、ございますかな?」

 彼の声は、まるで上質な絹のように滑らかだった。

「はい、そうだけど……。ええと、どちら様?」

「これは失礼いたしました。私、このグリーンフェルの街を治めるアークライト辺境伯家に仕えております、執事のセバスチャンと申します」

 丁寧すぎるほどの挨拶に、私は少しだけ身構えた。貴族のお偉方が私の店に来るなんて、初めてのことだ。面倒ごとでなければいいけれど。

「本日は、リリエル先生に、他ならぬお願いがあって参上いたしました。どうか、我らがお嬢様、エリアーナ様の力になってはいただけないでしょうか」

 セバスチャンと名乗った執事は、深刻な面持ちで語り始めた。

 領主の令嬢であるエリアーナ様が、もう一月もの間、原因不明の深い眠りに落ちていること。高名な神官による祝福の儀式も、王都から呼び寄せた医師団の治療も、一切の効果がなかったこと。

「ただの眠り病……では、ないのです」

 セバスチャンは、声を潜めて続けた。

「お嬢様の部屋に飾られた花は、どれほど生命力に溢れたものでも、一晩で黒く枯れてしまいます。お嬢様の体そのものが、まるで周囲の命を蝕む『毒』になってしまったかのように……」

 その言葉を聞いた瞬間、私の思考が、カチリと音を立てて切り替わった。

 退屈な日常に飽いていた私の耳が、ぴくりと動く。つまらなそうに細められていた目が、好奇の光を宿して、きらりと輝いた。



 ◇



「……面白い。すごく、面白いじゃない、それ!」

 思わず口から飛び出した言葉に、セバスチャンは一瞬、驚きに目を見開いた。令嬢の危機を「面白い」と言われたのだ。不謹慎だと怒られても仕方がない。

 だが、彼はすぐに、私の目が冗談や悪意からくるものではなく、純粋な探求心と知的好奇心に燃えていることに気づいたようだった。

「先生……?」

「ごめんごめん。でも、こんなに興味深い症例、聞いたことがないから。ねえ、もっと詳しく教えて! 枯れた植物に、毒素は残留してた? お嬢様の体から発せられる魔力の流れは、どんな感じ? 波長は? 彼女が倒れる前に、何か変わったものを食べたり、どこか珍しい場所に行ったりはしてない?」

 高額な報酬の話など、もうどうでもよかった。私の頭の中は、この不可解な謎を解き明かしたいという欲求でいっぱいになっていた。矢継ぎ早に専門的な質問を繰り出す私に、セバスチャンは気圧されながらも、的確に答えてくれる。彼が、ただの執事ではなく、深い知識と観察眼を持った有能な人物であることがうかがえた。

 いくつかのやり取りの後、私は確信した。これは、私が今持つ知識と技術の全てを注ぎ込むに値する、最高の「挑戦」だと。

「分かった。その依頼、引き受けるよ。こんなに面白そうな調合、久しぶりだもん!」

 私が快諾すると、セバスチャンは安堵の表情を浮かべ、深く頭を下げた。

「おお……! ありがとうございます、先生。報酬は、望まれるだけ……」
「報酬は後でいいよ。それより、問題は材料だなあ」

 私は彼の言葉を遮り、工房の棚にずらりと並んだ薬草の瓶を眺めながら、脳内で必要なものをリストアップしていく。

 生命力を吸い取る呪い、あるいは魔力の暴走。どちらにせよ、まずはその流れを中和し、正常化させる必要がある。

「まず、乱れた魔力を鎮めるための『静寂の苔』。それから、失われた生命力を補うための『月影の雫』。……そして、一番大事なのは、呪いそのものを浄化する聖なる力を持つ、『聖樹の若芽』か」

 どれも、ただの森では手に入らない。ゴブリンが出るような場所よりも、さらに奥深く。精霊の力が色濃く残る、特別な場所まで行かなければ。

「……ふふっ」

 思わず、笑みがこぼれた。面倒な依頼。危険な薬草採集。でも、どうしようもなく、心が躍っている。

 そうだ。こういうことだ。私が求めていたのは、こういう胸が躍るような面白いことだったのだ。

 久しぶりの「仕事」に、そして、その先にある「趣味」の冒険の予感に、私の心は、すっかり浮き足立つのだった。
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