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第十四話 選ばれた令嬢
「……エリーゼ・アーデンハルト?」
祖母の口から、ようやくその名が零れ落ちた。
「……あの、アーデンハルト家の?」
かすれた声だった。
つい先ほどまで他人を見下していた瞳が、今は明らかな動揺に揺れている。
アリアは、静かに頷いた。
「はい」
それ以上の説明はしない。
必要がなかった。
名そのものが、すべてを語っている。
——エリーゼ。
そういえば、と祖母の脳裏を過る。
ヴァレンティス家が探している令嬢。
“エリーゼという名の、貴族のような気品を持つ女性”。
社交界で密やかに噂になっていた名。
祖母の瞳に、計算の光が宿る。
次の瞬間。
「——まあ!」
声色が、がらりと変わった。
「それなら、話は別ですわ」
冷気が消え、明るい笑みが浮かぶ。
「エリオットさん、なんて素敵なご縁かしら」
「アーデンハルト家と我が家門に繋がりができるなんて、これ以上ない巡り合わせですわ」
優雅に手を打つ。
「そうと決まれば、準備をしなくては」
「さあ、このまま夕餉を召し上がっていきなさいませ」
場の誰もが、言葉を失った。
つい数分前まで“貧乏人”と切り捨てていた相手を、今度は笑顔で歓待する。
祖母は満足げに頷き、踵を返した。
「では、私は失礼するわ」
「忙しくなりますものね」
——だが。
扉の向こうで、足音が止まる。
笑みが、すっと消えた。
振り返らず、低く命じる。
「……急いで、ヴァレンティス家に連絡を入れなさい」
使用人が背筋を伸ばす。
「お探ししていたエリーゼ様がここにいると伝えなさい」
「一分でも一秒でも長く、屋敷に引き留めなさい」
揺るぎない命令だった。
⸻
翌刻。
屋敷の前に、重厚な馬車が横付けされた。
紋章は、ヴァレンティス。
空気が、再び張り詰める。
「お迎えにあがりました」
礼装の執事が、深く頭を下げる。
祖母は隠しきれない満足を滲ませた。
「さあ、エリーゼ様」
「ヴァレンティス家当主の母君が、どうしてもあなたにお会いしたいと」
エリオットの視線が、不安げに揺れる。
「……姉さん」
アリアは穏やかに微笑んだ。
「大丈夫よ」
肩に手を置く。
「すぐ戻るから」
そう言いながら、胸の奥の不安を押し潰す。
声はいつも通りだったが、指先はわずかに冷たかった。
⸻
ヴァレンティス邸。
広大な庭園。
白い石造りの邸宅。
整然と並ぶ使用人たち。
その中央に立っていたのは——
結婚相談所で体調を崩し、アリアが介抱したあの女性。
あのときの穏やかな姿とは違う、揺るぎない威厳。
ヴァレンティス家当主の母だった。
「ようこそ」
柔らかな微笑み。
「あなたが、エリーゼ・アーデンハルト様ですね」
アリアは一礼する。
「お招きいただき、ありがとうございます」
短い対話。
だが、視線は鋭い。
値踏みではない。
見極め。
「……噂以上ですわ」
わずかに目を細める。
「身分に関係なく手を差し伸べる気高さ」
「そして、私の施しを毅然と断ったあの態度」
静かに頷く。
「まさに理想の貴族ですわ」
(ノクスの隣に立てるのは——)
一瞬の沈黙。
(この方だけ)
心の中で、結論は出ていた。
⸻
別室。
呼び出されたノクスは、静かに母の言葉を聞いていた。
「エリーゼ様と結婚なさい」
ノクスの眉が、わずかに動く。
「舞踏会に婚約者を連れてくれば、口を出さないという約束だったはずです」
「話が違います」
低い声。
母はゆっくりと視線を上げた。
「違わないわ」
その声音は穏やかだが、重い。
「確かに私は言いました。あなたが選んだ方を連れてきなさい、と」
一拍。
「ですが——エリーゼ様を拝見して、考えが変わりました」
扇子を閉じる音が、静かに響く。
「アーデンハルトの血」
「あの品格」
「あの立ち姿」
視線が、まっすぐにノクスを射抜く。
「ヴァレンティスの隣に立てるのは、あの方だけです」
微笑みは崩れない。
逃げ道はない。
家。
家格。
影響力。
ノクスは沈黙する。
ゆっくりと視線を落とす。
——どうする。
答えは、まだ出ていなかった。
祖母の口から、ようやくその名が零れ落ちた。
「……あの、アーデンハルト家の?」
かすれた声だった。
つい先ほどまで他人を見下していた瞳が、今は明らかな動揺に揺れている。
アリアは、静かに頷いた。
「はい」
それ以上の説明はしない。
必要がなかった。
名そのものが、すべてを語っている。
——エリーゼ。
そういえば、と祖母の脳裏を過る。
ヴァレンティス家が探している令嬢。
“エリーゼという名の、貴族のような気品を持つ女性”。
社交界で密やかに噂になっていた名。
祖母の瞳に、計算の光が宿る。
次の瞬間。
「——まあ!」
声色が、がらりと変わった。
「それなら、話は別ですわ」
冷気が消え、明るい笑みが浮かぶ。
「エリオットさん、なんて素敵なご縁かしら」
「アーデンハルト家と我が家門に繋がりができるなんて、これ以上ない巡り合わせですわ」
優雅に手を打つ。
「そうと決まれば、準備をしなくては」
「さあ、このまま夕餉を召し上がっていきなさいませ」
場の誰もが、言葉を失った。
つい数分前まで“貧乏人”と切り捨てていた相手を、今度は笑顔で歓待する。
祖母は満足げに頷き、踵を返した。
「では、私は失礼するわ」
「忙しくなりますものね」
——だが。
扉の向こうで、足音が止まる。
笑みが、すっと消えた。
振り返らず、低く命じる。
「……急いで、ヴァレンティス家に連絡を入れなさい」
使用人が背筋を伸ばす。
「お探ししていたエリーゼ様がここにいると伝えなさい」
「一分でも一秒でも長く、屋敷に引き留めなさい」
揺るぎない命令だった。
⸻
翌刻。
屋敷の前に、重厚な馬車が横付けされた。
紋章は、ヴァレンティス。
空気が、再び張り詰める。
「お迎えにあがりました」
礼装の執事が、深く頭を下げる。
祖母は隠しきれない満足を滲ませた。
「さあ、エリーゼ様」
「ヴァレンティス家当主の母君が、どうしてもあなたにお会いしたいと」
エリオットの視線が、不安げに揺れる。
「……姉さん」
アリアは穏やかに微笑んだ。
「大丈夫よ」
肩に手を置く。
「すぐ戻るから」
そう言いながら、胸の奥の不安を押し潰す。
声はいつも通りだったが、指先はわずかに冷たかった。
⸻
ヴァレンティス邸。
広大な庭園。
白い石造りの邸宅。
整然と並ぶ使用人たち。
その中央に立っていたのは——
結婚相談所で体調を崩し、アリアが介抱したあの女性。
あのときの穏やかな姿とは違う、揺るぎない威厳。
ヴァレンティス家当主の母だった。
「ようこそ」
柔らかな微笑み。
「あなたが、エリーゼ・アーデンハルト様ですね」
アリアは一礼する。
「お招きいただき、ありがとうございます」
短い対話。
だが、視線は鋭い。
値踏みではない。
見極め。
「……噂以上ですわ」
わずかに目を細める。
「身分に関係なく手を差し伸べる気高さ」
「そして、私の施しを毅然と断ったあの態度」
静かに頷く。
「まさに理想の貴族ですわ」
(ノクスの隣に立てるのは——)
一瞬の沈黙。
(この方だけ)
心の中で、結論は出ていた。
⸻
別室。
呼び出されたノクスは、静かに母の言葉を聞いていた。
「エリーゼ様と結婚なさい」
ノクスの眉が、わずかに動く。
「舞踏会に婚約者を連れてくれば、口を出さないという約束だったはずです」
「話が違います」
低い声。
母はゆっくりと視線を上げた。
「違わないわ」
その声音は穏やかだが、重い。
「確かに私は言いました。あなたが選んだ方を連れてきなさい、と」
一拍。
「ですが——エリーゼ様を拝見して、考えが変わりました」
扇子を閉じる音が、静かに響く。
「アーデンハルトの血」
「あの品格」
「あの立ち姿」
視線が、まっすぐにノクスを射抜く。
「ヴァレンティスの隣に立てるのは、あの方だけです」
微笑みは崩れない。
逃げ道はない。
家。
家格。
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ノクスは沈黙する。
ゆっくりと視線を落とす。
——どうする。
答えは、まだ出ていなかった。
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