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第2章 18

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 新緑の草原を2頭の馬が駆けぬける。
 少しでも風の抵抗をなくそうと前のめりになって、競争相手との距離を目算する。近い。けど、まだ勝負が決まらない距離。

「今日こそ負けましたって言わせてやりますよ、サマエル様!」
「ふん、できるものならな」

 見つめ合い、やっ! とあぶみを蹴る。
 速度が上がった。ゴールと決めた2本の細い木が見えて、息が弾む。
 鞍から腰を浮かせて、いける! と思った時、黒い髪が目の端を横ぎった。

「うぅ、行けると思ったのにぃ~!」
「百年早かったな」

 ゴールをきって、馬上のサマエルが朝の陽光を背に振り返った。
 19才になって、しっかりと成長した逞しいシルエットが浮かぶ。

「わぁ出た! サマエル様の不敵な笑み。すっごい悪人ヅラ」
「美青年の間違いだろ?」
「自分で言うから残念なんですよ」
「お前に言われてもな」
「私のは本物ですから~」

 汗を垂らして笑い合う。
 差し出された手を取って鞍を下りた。
 支えてくれる丈夫な手。硬い胸板。
 思いのほか近かった顔が光の粒を弾いて、私を見下ろしている。思わず息を止めた。

「サマエルしゃま~! かっこよかったでしゅ、むきゅっ!」

 弾んだ子どもの声がした。
 走ってきた勢いのまま女児がサマエルの膝に抱きついた。

「危ないよ、アンティゴネー! 怪我してない?」

 ぽふっと衝突したアンティゴネーの顔を持ちあげたのは、後を追ってきたクレース少年。2人は兄妹だ。
 大丈夫でしゅ! と元気のいい返事が返ってきてクレースがホッとする。
 アンティゴネーは5才で、クレースが9才。
 ちょうど10年前の私とサマエルの年齢に微笑みが浮かんでくる。

「申し訳ありません、サマエル様、リリト様。妹がどうしても2人に会いたいと言うから……」
「ありがとう。可愛いから大歓迎よ。ねえ、アンティゴネー。私もかっこよかった?」
「リリトしゃまもかっこよかったでしゅ~!」
「きゃ、天使! もう離さないよ~!」

 ぎゅぅとアンティゴネーを抱くと、クレースがモジモジと身体をよじった。

「ぼ、ぼくも、リリト様がかっこいいと思いました!」
「そう? ありがと~! 2人とも天使だよ~」
「クレースは違うだろ?」

 私の腕に飛びこもうとするクレース少年の首根っこを、サマエルが掴み上げた。

「お前また鍛錬をサボってきたのか、クレース? あとでオイディに文句を言われるのは俺だぞ」
「だってパパの鍛錬が厳しいから嫌ですよ!」
「男ならそのくらい耐えろ」
「サマエル様はパパと鍛錬したことないから言えるのです! 一振り一振りが重くて手が痛いですよ!」

 サマエルに持ち上げられて、クレースが手足をバタバタさせる。

「だそうだ。オイディ」
「ひぇっ!?」

 クレースの体が宙を飛んだ。サマエルに投げられたのだ。
 現れたオイディは息子を抱き留めると、困った顔で片手を腰に当てた。
 
「一度皇太子と鍛錬してみろ、クレース。パパが優しい方だと分かるよぉ?」
「サマエル様は意地悪で負けず嫌いだからね。子どもにも容赦しないの」
「そうそう。姫の話を聞けぇ。妹相手にも本気出すお方でさ、パパの方がまだ大人だよぉ」

 うんうんとオイディと頷きあう。
 サマエルは呆れた顔で馬を引いて木に繋いだ。
 
「言ってろ。あと少し大人になってくれないかとエピカ嬢がいつも嘆いているぞ」
「へっ、まじ? 皇太子、まじで言ってる?」
「何を焦っている。貴様の妻だろ、直接問い詰めればいい」
「いや、カッコ悪いだろ! お兄さんそんなに大人げない? 姫はどう思う?」
「え!?  えーっと、う~~ん」
「微妙な反応が一番くるよぉ!?」

 オイディは大変ショックなお顔だ。
 ふん、とサマエルは片頬を吊り上げた。不敵な笑み。安定の悪人ヅラだ。

「はっきり言ってやれ、リリト。死にかけてなければエピカ嬢も情が湧かなかった。10年前の己のしくじりを感謝するのだな」
「ひっでぇ! 皇太子の悪魔! それ本当でも言うか普通!?」
「聞きたくなければ子を連れて帰れ」

 ちっちっと手を振るサマエル。
 それを見てアンティゴネーがわぁぁあんと泣きだした。
 横目で睨むと、さすがのサマエルも困り顔だ。

「違う、アンティゴネー。お前と会いたくないわけではない。ただこれから準備しないといけなくてな」
「……じゅんび?」
「ああ。行きたくはないのだが、王国に招待されてな、途轍もなく行きたくないのだが、今日が出立の日だ」
「サマエルしゃま頑張り屋しゃん~」
「……ふん。アンティゴネーは賢いな。土産をたっぷり買ってやろう」
「おみやげ~! サマエルしゃまちゅき~!」
「ハイおしま~い!」

 オイディが娘を抱きあげた。

「お土産より甘くて美味しいものをパパが買ってあげるよぉ~。な、アンティゴネー。パパ好き?」
「だいちゅき~~!」
「世界で一番?」
「いっちば~ん!」
「だよねぇ~」

 サマエルを横目に、オイディはニマニマと大股で帰って行った。

「あれが俺より大人……はん」
「どっちもどっちなのだ、……とハクが言っています」

 サマエルに睨まれるが、ユニコーン改め『ハク』はもう怯まない。
 厩の立派なボスになったからね。
 10年で成長したハクは帝国最高品種のどの馬よりも雄々しい。引き締まった筋骨。本人曰く成長具合は私と同調するらしいので、15才だが若馬だ。

 ハクに乗れば余裕でサマエルに勝てる。
 ただチートすぎるのでナシだ。
 
「いよいよ今日か。私もお前に付き添って行けたらいいのだが……」

 出立の挨拶にくると、玉座のルキフェルは大きなため息をついた。
 王国からの支援要請がかなり前に届いたが、幼い娘を送り出すわけにもと物資の支援で凌いできた。それも私の成人式デビュタントを目前に限界を迎え、王国行きが決まったのだ。

「にしてもだ。護衛騎士10人ではやはり心細い」
「多すぎると外交問題になりますから……。漏れている息を封印して帰るだけです。本当は私とサマエル様で十分ですよ」
「何を言う! お前に万一あってはならぬ。精鋭は揃って送り出すが……サマエル」
「はい。命にかけて必ずリリトを守ります」
「ああ、帝国でお前に勝る剣士はいないからな。頼んだぞ」

 きりりとサマエルは表情をひき締めた。

 無理して親子の偽装をしなくてもいいからか。
 この10年で2人の関係は確実に良くなっている。サマエルの明晰な頭脳をかって、政務の意見を求めることもあるらしい。

「表向きはお前の狩猟大会への参加だ、サマエル。リリトが『偶々』世界樹の息を封じられる。くれぐれも根源を王国民に察されないように」
「もちろんです」
 
 帝国のせいで王国民が苦しんでいる。
 その事実を知られれば戦争に発展しかねない。
 ランスロット率いる王国諸侯もそれを避けるべく、帝国と協力関係にある。息を封じられるのは私しかいないのも協力の要因だろうけど……

「思い詰めた顔するな、リリト。お前は王国民の救世主になるのだ。もっと胸をはれ」
「…………はい」

 原因の張本人が救世主だなんて、笑えない冗談。
 王国で厄災って噂されるわけだ。
 爪が食い込むほど握りしめた手を、サマエルがさりげなく握ってくれた。
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