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 夕方。高台から揺れる海面が見えた。
 色とりどりの花が広場の街灯を飾る。潮の香りに混じって祭りの匂いが鼻腔をくすぐった。

 花の甘い香り。肉の焼けた匂い。
 くんくんと鼻をひくつかせば、くすっと笑う声が2つ重なった。

「姫が気にしなければ、屋台の甘いパイがおすすめだ」
「否。リリトは菓子より肉を好む。あれだ、そこで焼いているあのイノシシ」
「……え、腿の丸焼きだよ?」

 サマエルの指ざす方向を見て、ランスロットが神妙な面持ちになった。
 5キロはあるだろう大きな腿をサマエルから受け取って、ほぉ~と感心する。一度は齧ってみたかったんだよね~!
 両手で持ってかぶっといったが、筋肉質で硬かった。

「ほら、やはりパイだ」

 腿の半分で限界を迎えた私は、ランスロットからのパイをモグモグと堪能していた。不満げな顔でサマエルは腿をフィニッシュしてくれている。甘物は別腹だから許して~。

 腹を満たすと、次は遊戯だ。
 模様の描かれている大きな露天板はどうやらナイフ投げの屋台らしい。
 世界樹を模倣する絵の特定な場所に赤い円が描かれている。それが的の目印だ。大きな円から小さな円まで。的が小さいほどに景品が豪華になっていく仕組みだ。

「欲しい景品があるのでしょうか、リリト姫」

 サマエルと列に並ぶと、ニニアンが首をかしげた。
 欲しいものは言えば大抵手に入るからないのだが……

「これでサマエル様と勝負するのです!」
「……勝負?」
「はい。今日こそ負けましたって言わせてやりますよ、サマエル様!」
「ふん。寝言は寝てから言え」

 目を細めて睨み合う。
 パチパチと火花が散っているのだろう。2人分の料金を払うと、さっそく交互にナイフを投げていく。
 
 ドスンドスンと赤い円が埋まっていく。
 割と本気で投げたからか、ニニアンがやや慄いて見えた。帝国軍は主に槍を扱うため、武器を投げることに教養がある。しかしそれはサマエルも一緒。
 
「なぁおい、なんの人混みだ?」
「投げナイフ。2人が勝負してるらしい」
「へぇ~、……って百発百中かよ!?」

 板の難易度は5段階あるらしい。
 投げる距離もどんどん離れていくから、風の抵抗も計算しながら投げていく。4枚目の板が埋まり、店主が苦い顔で奥から新しい板を運んできた。
 掛け布を下ろすと、人垣からおお~! という歓声が聞こえた。

「5枚目の板初めてみた」
「円がほとんど点じゃない……!」
「しかも遠いなぁ~! これ無理やわ」
「ばーか。だからこその高級景品だろ」
「なんだった?」
「弓矢。毛皮の矢筒で、貴族用だぜ」
「ほへぇ、……っとぉ、当たった! ちびっこ嬢ちゃんやるなぁ!」

 変装の魔法をかけてもらったから、今の私はサマエルとお揃いの黒髪だ。金瞳は帝国王家の印だから、2人とも碧眼になっている。
 格好も商人の子女くらいだから正体はバレない。
 応援してくれる親父たちにカッツポーズを決めると、反対側から女性の黄色い声援が起こった。

「イケメンのお兄さんも頑張って!」
「負けたら胸を貸してあげるわ~!」
「ねぇ、名前は~~?」

 サマエルは至って真剣な顔で的を見据えている。長い指でナイフを弄び、宙で一回転させると躊躇なく射た。

「ふん、余裕」

 サマエルが得意げな顔で私をみた。
 黒い髪がふんわりと揺れて、生意気そうな瞳のガラス面に私の悔しい顔がくっきりと映り込んでいる。
 譲って欲しいわけじゃないけれど、ここまで挑発しなくても……!

「……むっ、女子が見ているからってカッコつけすぎですよ」
「は?」

 サマエルは女性群と私を数回見比べて、興味深げに片頬を吊り上げた。

「……ふぅん。へぇ」
「何ですか?」
「別に。女子に人気で困るな」
「わぁすごい。自分で言うんですね」
「お前のはオッサンばかりだからな」

 サマエルが手をふると、きゃっきゃと声が一層高く鳴り響いた。私を応援してくれる親父たちも負けじと鼓舞してくれた。
 気を取り直して的を狙う。目の端でサマエルがまだ女子に手を振っている。カッコつけすぎ……! 無性に不満を感じて、手元が狂った。

「あっ……」

 親父たちは私以上にガッカリした顔だ。
 サマエルはナイフを手に取り、ニヤリと私を見つめながら的を射た。側頭部に目でもあるの!?
 
「百年……いな、千年早かったな」
「くぅ~~~~!」

 地団駄を踏む私をよそに、女性陣がワッと声を上げた。サマエルは店主から景品を受け取ると、それを私の肩にかけてきた。

「今度は弓矢で俺に勝ってみせろ」

 私の鼻先を軽く摘んでサマエルが笑った。
 それをみた女性陣は突然冷めた顔になって、さぁっと見物客が消えていった。
 
「お疲れ様、2人ともすごかったよ」
「ええ! リリト姫がとってもかっこよかったですわ!」
「ありがとうございます、殿下、ニニアン姫……ん?」

 待ってくれたランスロットとニニアンの手にはリネンの紙でできたランタンがあった。円筒形で、手のひら2つ分くらいの大きさだ。

「そろそろ日暮れになるから、海へ出て灯そうと思ってな」

 どうやら祭り行事の一つらしい。
 2人乗りの小船に乗って、海上からランタンを空高く放す。これで王家の繁栄、ひいて国の平和を祈るという。

「海面に燭台の印があるから安全だが、2人は初めてだろう。2組にわけて行こう」
「わたくしは皇太子と一緒でもよろしいでしょうか? 思えばお話しする機会に恵まなくて」
「否。俺は殿下でよい。ニニアン姫と話すことなどーー」
「サマエル様!」

 肘でサマエルを突くと、ひどく迷惑そうな顔をされた。案内してくれる2人の面目もあるから、さすがのサマエルも観念した。
 前を歩くランスロット兄妹を追って、私たちも歩き出す。

「リリト、何かされそうになったらその矢で刺せ」
「物騒な……ランスロット殿下はそんなことしませんよ」
「ずいぶんと信用しているようだな」
「サマエル様が信用しなさすぎですよ……」

 ランスロットの手をとり、談笑するニニアンの横顔はとても幸せそうだ。湖の乙女のように可憐な少女。世辞なしでニニアンは美しい。
 
 前回のサマエルがニニアンに一目惚れして誘拐したくらいだから……

「…………っ」
「俯いてどうした、リリト?」
「……えーっと、サマエル様はニニアン様をどう思っているのかな、なんて……」
「は?」
「へ、変な意味ではなくて! ニニアン様は兄に従順で健気なので、……理想的な妹像そのものだから、その……」
 
 サマエルは私からニニアンのほうをじぃとみた。
 10秒以上は見ただろう。長い……

「そうだな。兄貴を無条件で愛していそうな、……めでたい雰囲気はある」
「……めでたい?」
「分かりやすいってことだ。攫って自分の妹にしてもいいかもな」
「犯罪はダメですよ!?」

 鼻息荒く迫る私をみて、サマエルがクスクス笑い出した。
 また揶揄われたのだと気づいて頬を膨らませると、それをサマエルがツンツンと突いてきた。

「前も言っただろ? お前の半分くらいイジメ甲斐があればだが、見た感じ候補にもならない」
「……妹、じゃない場合は?」

 もごもごと口篭ってしまう。
 ニニアンは王国の大切な姫だ。2国間の関係改善のために政略結婚しても何ら不思議もない。
 チラチラサマエルの顔を窺うと、そこには興味深げな面持ちがあった。

「気になるのか、俺の気持ち?」
「…………え?」
 
 会話の途中だが、港についてしまった。
 ランスロットと船に乗り、ランタンを灯す。ランスロットと他愛のない雑談をした気がするけれど、記憶が曖昧で覚えていない。ただ、遠くでニニアンと会話するサマエルの横顔が、オレンジ色の灯りと共にくっきりと眼球に焼きついていた。





☆☆☆☆


 その日の深夜。
 海の光景が脳裏に浮かび眠れないでいた時、扉の開く音がした。

「……ニニアン、様?」

 入ってきたのは寝巻き姿のニニアンであった。
 眠れないから散歩に行かないと誘われて、いつもピックニックしていた森の中へと進んでいった。

「申し訳ありません、リリト姫。付き合わせてしまいまして……」
「いいです。侍女たちが祭りの帰りで疲れていますし、誰も起こしたくない気持ちは分かります」
「リリト姫も眠れなかったのでしょうか?」
「……え、まあ。無駄なことを考え込んでしまって……」
「無駄なこと、でしょうか?」
「た、大したことではないです!」

 フリフリと手をふって、夜空に凛と浮かぶ丸い月をみた。

「今日は満月ですね」

 ニニアンも月を見上げると、丘の上を指差した。

「リリト姫、あの屋敷がみえますか」
 
 崖の向こう。白亜の建物が月光を受けて冴え冴えと光っていた。

「もしかして、それが避暑用の別荘でしたか?」

 私の問いに、ニニアンがパチパチと目を瞬かせた。

「リリト姫はご存知でしたか?」
「息を封印しにいく途中で、ランスロット殿下が教えてくれました。ニニアン様との思い出の場所ですって」
「ええ……いい思い出がたくさんありました」

 ニニアンは微笑んだ。
 そして自分の手首をモジモジと弄ぶと、シルクの袖を巻き上げて私にみせてきた。細い手首に細かい傷痕が鮮明に浮かんでいる。

「少々荒れてしまいましたから、悪い記憶もたくさんありますわ」

 続きを聞いていいのか分からず黙りこくると、ニニアンは気まずげに説明した。

「これはわたくし自身が付けたものですわ。お兄様の関心が欲しくて、歯止めが効きませんでした」
「漁村付近の息に侵されていたから……」
「そんな苦いお顔しないでくださいませ、リリト姫。もともとお兄様に構って欲しかったのです。勉強ばかりで忙しいお方ですから、寂しかったですの……」
「ニニアン様……」

 ニニアンは自分の手首を握って、月光にかざした。

「わたくしは自分を傷つけたり、食べたものを戻したり。時にはお兄様に近づく侍女を追い返したり……とかなりの嫌われ者になっていましたわ。それでも、お兄様はわたくしを見捨てませんでした、ですからわたくしも、お兄様を見捨てませんわ。お兄様のためなら、何があっても……」

 ニニアンは私の手を取って、見晴らしのいいところまで誘導した。

「ここから別荘が一番よく見えます。あそこの吊り橋が唯一の行き道ですわ」
「わぁ、かなり高い崖の上ですね」
「ええ。海に面していますから、急な崖がたくさんありますの」

 振り返ったニニアンの手が私の肩を押した。

「…………え?」

 上ばかり注目して気づかなかった。今自分が崖の縁に立っていることを。
 焦って手を伸ばしたが、足を蹴られた。落ちていく感覚に、ドクンドクンと胸が早鐘を打つ。崖の先で、月光を背に私を見下ろすニニアンの顔がみえた。ほんのり微笑んで、また会いましょうと声なく呟いた気がする。
 
 かなりの速度で落ちているのだろう。風の抵抗で息ができない。
 手探りに触れるものを命綱に握ろうとしたが、手のひらが擦りむいて激痛が走る。代わりに枝や葉っぱに掠れて血肉が切られていく。ダメ、かもしれない……

 魔力の枯渇で魔法が発動できず、私はそのまま冷たい水面に打ち付けられ沈んでいった。
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