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色々あって1週間ほど延期になった狩猟大会が本日開催された。
笛の音が空高く響き、土埃を立たせて王国騎士団が野外の簡易な会場に入場した。それに続いて馬上の貴族令息の隊列がみえる。狩猟大会の参加者だ。
列の最後にサマエルとランスロットが姿を現すと、途端に人々が歓声をあげた。
大海嘯があった時、最後まで人々を守ったのが功を奏したのだろう。サマエルは帝国の皇太子でありながら王国でも爆発的な人気を獲得した。
誇らしい気持ちで眺めていると、目の前にサマエルがやってきた。
「リリト。勝利の祝福を」
サマエルは馬から降りると、私に手を差し出してきた。
「汝に勝利あれ」
片方の手袋を脱いでサマエルに渡すと、手の甲に優しいキスを落とされた。
これも儀式の一環だと分かっているが、それでもじぃんと頬が熱くなってしまう。
「なあ、リリト」
「はぃ……わぁ!?」
突然腰を引き寄せられて耳元で囁かれた。
「俺が優勝したら、いい加減に返事をくれないか?」
「へ、返事? 何のですか?」
「……わざと聞いてるのか? 愛してると言った俺への返事に決まってるだろ」
「わわ!!」
慌てて両手でサマエルの口を塞いだ。
「今それを言うのですか!? 人がたくさんいてめちゃくちゃ見られてますよ……!」
「知ってる。見せつけてるんだからな。お前は俺のものだと」
「な、ななななな……!」
私が絶対に断らない自信をどこからつけてきたのか。悔しいのやら恥ずかしいのやらで満更でもない私をみて、サマエルが悪戯げに笑った。
「先に言っておくが、断ったら強硬な手段に出るぞ。いいな?」
「ここで脅すんですか、意地でも断りますよっ!?」
「やってみろ。それはそれで楽しそうだ」
サマエルは私から離れて馬に乗ると、振り返ってにんまりと笑った。
その無邪気な笑顔が珍しいと感じるのと同時に、ひどく幼なげで無性に可愛く思えた。
「……もう~~!」
ぼうっとしていれば、隣からムッとするニニアンの声が聞こえた。
「皇太子のように大胆で破廉恥にアプローチすればいいのに、お兄様ったら遠慮しすぎですわ!」
「ニニアン様、声大きいですよ……」
崖の一件でニニアンとは気まずい関係になっていたけれど、暴動から私を庇ってくれたのをキッカケに仲直りできて、今や元通りにお茶会をする仲に戻った。
「リリト姫、そう言えばお兄様への返事もまだしてませんわね?」
「えっ!? で、殿下から聞いたのですか……?」
「いいえ。鎌をかけてみただけですが、ぽろりと出ましたわね」
「えぇ……!?」
ショックを受ける私を他所にニニアンはランスロットの背中にうむうむと頷いた。
「お兄様もやろうと思えばできるようで安心しましたわ。後はわたくしに任せて頂戴!」
「な、なんだか不穏なオーラを感じるのですが……」
崖から落とすのだけはやめてと思いながら、森の中へと入ってゆく一団の後ろ姿を見届けた。
狩猟大会は3日に渡って行われ、参加者は森の中で野宿することになっている。
ちなみに狩るのは民の畑を荒らすイノシシだけだ。
数を狩ったほうが優勝するという単純なルール。そして参加者の腕を試すものだから護衛は当然ついていないけど、サマエルなら大丈夫だろう。それより、
「返事、どうしよう……」
サマエルたちを見送った後、自室のソファで1人頭を抱えた。
ずっとサマエルのことを家族として見てきたから唐突感はあったが、触れられること自体は思いのほか抵抗はなかった。
『愛してる、リリト』
ふいに自分の唇に触れると、サマエルの感触を思い出してお腹の奥がキュンと震えた。
顔が熱い。きっと真っ赤なのだろう。ここに誰もいなくてよかった……
認めたくはないけれど、答えは明白だ。
自分では気づかなかっただけで、実は私もサマエルに思いを募らせていたのかもしれない……
急に恥ずかしくなって、両手で自分の顔を覆った。
サマエルが帰ってきたら、きっと言った通りに返事を迫ってくるのだろう。
答えるまで何をされるか分からない。
わずかに浮かんできた期待を振り払うように、ブンブンと顔を振った。
ちがう。最低過ぎる……っ
サマエルはかけがえのない大切な大切な人なんだ。欲を言えば一生サマエルのいっちばん近くにいたいけれど、家族でなくなる関係の変化が怖い。
サマエルも同じ気持ちなのかな……
それからの数日間。ニニアンからランスロットの英雄譚を聞かされながらぼんやりと悩むうちに3日目の朝がやってきた。予定通りならお昼頃に全員帰還するはずだが、深夜まで待ってもサマエルが現れなかった。
********
サマエルが失踪してから3日が経つ。
私は帝国の騎士を率いて森の中を捜索していた。
「東の方はどう?」
帰ってくる斥候員に尋ねるが、残念そうな顔で首を横に振られた。
王国騎士団に加えて都民や農民も捜索に参加してくれるものの、サマエルどころか痕跡の発見にすら至ってない。
サマエルの剣術は帝国随一だから野生動物に襲われて負けるとは考えにくい。うっかり罠にハマって動けないようなミスも絶対にしないだろうから、可能性としてはサマエルでも対処できないような何かに襲われた……いや、ありえない。
あの強くて用心深いサマエルだよ?
何があっても対処できるはず。
王国の森に馴染みがないから、きっと道に迷ったんだ。大丈夫、無事だよ、きっと……
「姫、顔色悪い……です」
傍についている褐色肌の騎士が心配してくれた。
10年前、初めてサマエルの鍛錬を見に行った時に居合わせた新人の騎士だった彼は、今や立派な副団長になっている。
「姫、ずっと休んでない、倒れる……です」
「大丈夫。元気だよ。それより捜索範囲をもう少し広めよう? 森の向こうは海だから、その海岸も見るべきだね」
地図を広げて捜索のルートを定めていたが、バッと騎士に取り上げられた。
「姫、疲れてる。休む……です」
「大丈夫、元気だよ! 一緒に探しにいく!」
「姫、ぴりぴりしてる。疲れてる証拠……です」
「そんな、してないよ! 疲れてないから、本当だよ? サマエル様がどこかで辛い思いしてるかもしれないから、早く見つけたいの」
「気持ちは分かる。でも、姫まで倒れたら大変。休むべき……です」
「彼の言う通りだ、リリト姫。無理していいことはない。今日だけでも早めに帰って休もう?」
一緒に来てくれたランスロットが騎士に同意した。不服な気持ちでいっぱいだが、駄々をこねても皆が困るだけ。
騎士たちが捜索を継続できるよう私は1人で帰ろうとしたが、心配だとランスロットがついてきてくれた。
『そんなに心配しなくても、皇太子はしぶといから平気なのだ』
脳裏にハクの声が響いた。
「ありがとう、ハク。心配のほかに私にできることがあればいいのだけど……」
『うーん、世界樹の息が封印されたから、姫の魔力の回復も遅いのだ。仕方ないのだ』
「そうだけど、何もできない無力な感じが嫌なの……」
項垂れる私をしばらく見つめると、ハクは腹を括った様子で言った。
『ぼくが魔力を貸すから、姫が探索魔法で探してみる?』
「え? できるの?」
『できる。人間のために使うのは憚るが、姫のためならするのだ』
「えぇぇぇぇ!! そんなこと言ってる場合なの!? 」
ぴょんと飛び下りてハクの顔をガシッと持ち上げた。
「人間とか差別するのはダメだよ! お説教は後でするけどまず貸して! お願い、あとで耳を揃えて返すから!!」
『姫怒ってるのか喜んでるのか分からない、顔が怖いのだ』
鼻息荒く迫る私に戸惑いながらもハクは方法を教えてくれた。
ハクの角に額を当てて、息をするように吸い込むと温かい魔力が流れ込んでくるのを感じた。
「魔力を分け合っているのか? そんなことができるんだ……」
傍で見ているランスロットが感心したようにしみじみと呟いた。
ハクの魔力量はそう多くないが、森全体を覆う以上の魔法を発動できる。さっそく発動すると、その巨大な範囲にランスロットが唖然とした。
「港町まで網羅しているのか……?」
「漁村の向こうまで行けます。集中しないとだから、お待ちてくださいね」
向こうでまだ捜索を継続している帝国騎士団、遠く離れた北側を探している王国騎士団に、港町に近い南部周辺を探している都民たち。
森を満遍なく探したが、サマエルの気配がない。森にいない……? もう少し範囲を広めて……
魔力が底をつきそうになって、額に脂汗が噴き出る。筋トレする時に筋肉が足りなくてプルプルするのと近い感覚だ。
できる限り範囲を広めて、港町、漁村、その奥の山頂まで伸ばしてーー
「はぁっ!」
耐えられず膝が崩れて地面に座りこんだ。
「大丈夫か、姫?」
「はぁ、……うん。大丈夫。それより、はぁ、山頂に、サマエル様の気配……」
把握できる前に途切れてしまったから確証はないが、地下にサマエルらしき魔力を感じ取った。
「立てるか?」
「はい。平気、です。……はぁ」
汗を拭いて、ランスロットの手を取って立ち上がった。
「サマエル様が道に迷って避難していたのかもしれません。私が探しに行きます。殿下は騎士団に連絡してくれますか。場所はーー」
「山頂の屋敷だろ?」
「え?」
見上げると、そこには冷たい表情があった。
光がなく暗くくすんだ碧眼がじっと私を見て、少し怖い。
「そ、そう言えば殿下の避暑用の屋敷でした。山頂にその一軒しかないものね。では伝書をお願いします」
「その必要はない」
本能的にランスロットから離れようとしたが、腕を握られて離れなかった。
「で、殿下……?」
「はあ。……計画が少し狂ったが、仕方ない」
「けいかく……?」
「もう察しただろう? 彼をそこに監禁したのは私だ。大丈夫、殺すつもりはない。山賊に誘拐されたことにして帝国から身代金をもらうだけだ」
「だけだって……立派な犯罪ですよ……」
言いながらランスロットの指を剥がしたり肘を押し返したりしてみたが、ぴくりとも動かなかった。細マッチョめ!
「悪事を平気で行う帝国と比べたら可愛いものだろう? 私欲で世界樹を伐採して王国の民が苦しんでいても知らんぷりだったからな」
「そ、それとサマエル様は関係ありません!」
「彼が継ぐ国だ。関係なくはないだろ?」
ランスロットの碧眼は一瞬も揺れなかった。
私宛の手紙でも世界樹の息で苦しむ妹や民を痛む気持ちが一面真っ黒に啜ったランスロットのことだ。口にこそ出さないが、帝国を仇のように恨んでいたのだろう。
「殿下が帝国にやり返したい気持ちは分かりました。けれど、こんなやり方は間違っています」
「やり返す? 戦争のことなら企んでいない。そんなことしたら民が苦しむからな。私はただ君をさえ解放できればいいと思っている」
「私を解放……?」
「ああ。君の心は息にも汚されないほどに純粋で美しいんだ、姫。悪行を平気で働く帝国にいるべきではない。彼らの犯した罪で君が苦しむ姿はもう見たくない」
ランスロットが私を腕の中に引き寄せた。
表情は相変わらず冷たいが、声には確かな誠意がこもっていた。
「純白な君のいるべき場所を、君が幸せでいられる場所を、私が作る。何も考えずに身を委ねてくれ」
ああ、この人は本心からそう思っているんだ。私は囚われている、と。
「…………いや、です」
「ん?」
「殿下のお気持ちは嬉しいのですが謹んでお断りいたします。自分の居場所くらい自分で作れますから……ハク!」
「ヒヒーン!」
ハクの体当たりを喰らってランスロットがよろけた。その隙にハクに飛び乗って山頂を目指す。
背後からランスロットが追いかけてくる。ハクが私に魔力を分けてくれたからスタミナもない。
ここで追いつかれなくても屋敷で追いつかれてしまう。力でランスロットに敵いそうもないし、サマエルの状態も分からないから油断はできない。
一か八かだ。
ハクが勢いよく吊り橋を駆け抜ける時、短剣を出して片方の綱を切った。
これは屋敷に繋ぐ唯一の吊り橋だ。
いつしか聞いたニニアンの言葉を思い出しながら、私は振り返って弓を引いた。
もう片方の綱を切らないと崩れないわ……っ
馬上から後ろ向きに的を撃つのは難しい。矢がズレズレに綱を掠って板に刺さった。惜しい!
外した矢羽の向こうから馬を駆けるランスロットの姿が見える。追いつかれるっ!
『緊張すると体が硬くなるから、まずは肩の力を抜いて、肘をまっすぐに。そう、その調子』
皮肉にもランスロットの教えが頭をよぎった。教われた通りの姿勢が見えたのだろう。矢が私の手から離れるよりも早くランスロットが馬を止めた。
シュッ! と見事に矢が綱を断ち切って元々劣化していた吊り橋が呆気なく崖に崩れ落ちていく。
『やったなのだ、姫!』
「ありがとう、ハク。あとはサマエル様だね!」
屋敷は廃屋のようで誰もいなかった。
「地下にいると思うけど、……あ、外から入り口がある!」
苔がこびりついている木の板を持ち上げると、石畳の階段が見えた。
中は真っ暗で何も見えず、火打金も松明もないからこのまま降りるしかない。魔法が使えないのは不便だ。
地下はどうやら物置のような場所だった。
「ヒヒーン!」
壁に沿って扉を見つけた。それを開けた途端に強烈な異臭が鼻を突く。あまりの匂いにふらつきそうになった。
思い切って踏み入った時、足が硬いものに当たった。眼を凝らしてみるまでもなく、それが硬直した死体だと直感で分かった。
笛の音が空高く響き、土埃を立たせて王国騎士団が野外の簡易な会場に入場した。それに続いて馬上の貴族令息の隊列がみえる。狩猟大会の参加者だ。
列の最後にサマエルとランスロットが姿を現すと、途端に人々が歓声をあげた。
大海嘯があった時、最後まで人々を守ったのが功を奏したのだろう。サマエルは帝国の皇太子でありながら王国でも爆発的な人気を獲得した。
誇らしい気持ちで眺めていると、目の前にサマエルがやってきた。
「リリト。勝利の祝福を」
サマエルは馬から降りると、私に手を差し出してきた。
「汝に勝利あれ」
片方の手袋を脱いでサマエルに渡すと、手の甲に優しいキスを落とされた。
これも儀式の一環だと分かっているが、それでもじぃんと頬が熱くなってしまう。
「なあ、リリト」
「はぃ……わぁ!?」
突然腰を引き寄せられて耳元で囁かれた。
「俺が優勝したら、いい加減に返事をくれないか?」
「へ、返事? 何のですか?」
「……わざと聞いてるのか? 愛してると言った俺への返事に決まってるだろ」
「わわ!!」
慌てて両手でサマエルの口を塞いだ。
「今それを言うのですか!? 人がたくさんいてめちゃくちゃ見られてますよ……!」
「知ってる。見せつけてるんだからな。お前は俺のものだと」
「な、ななななな……!」
私が絶対に断らない自信をどこからつけてきたのか。悔しいのやら恥ずかしいのやらで満更でもない私をみて、サマエルが悪戯げに笑った。
「先に言っておくが、断ったら強硬な手段に出るぞ。いいな?」
「ここで脅すんですか、意地でも断りますよっ!?」
「やってみろ。それはそれで楽しそうだ」
サマエルは私から離れて馬に乗ると、振り返ってにんまりと笑った。
その無邪気な笑顔が珍しいと感じるのと同時に、ひどく幼なげで無性に可愛く思えた。
「……もう~~!」
ぼうっとしていれば、隣からムッとするニニアンの声が聞こえた。
「皇太子のように大胆で破廉恥にアプローチすればいいのに、お兄様ったら遠慮しすぎですわ!」
「ニニアン様、声大きいですよ……」
崖の一件でニニアンとは気まずい関係になっていたけれど、暴動から私を庇ってくれたのをキッカケに仲直りできて、今や元通りにお茶会をする仲に戻った。
「リリト姫、そう言えばお兄様への返事もまだしてませんわね?」
「えっ!? で、殿下から聞いたのですか……?」
「いいえ。鎌をかけてみただけですが、ぽろりと出ましたわね」
「えぇ……!?」
ショックを受ける私を他所にニニアンはランスロットの背中にうむうむと頷いた。
「お兄様もやろうと思えばできるようで安心しましたわ。後はわたくしに任せて頂戴!」
「な、なんだか不穏なオーラを感じるのですが……」
崖から落とすのだけはやめてと思いながら、森の中へと入ってゆく一団の後ろ姿を見届けた。
狩猟大会は3日に渡って行われ、参加者は森の中で野宿することになっている。
ちなみに狩るのは民の畑を荒らすイノシシだけだ。
数を狩ったほうが優勝するという単純なルール。そして参加者の腕を試すものだから護衛は当然ついていないけど、サマエルなら大丈夫だろう。それより、
「返事、どうしよう……」
サマエルたちを見送った後、自室のソファで1人頭を抱えた。
ずっとサマエルのことを家族として見てきたから唐突感はあったが、触れられること自体は思いのほか抵抗はなかった。
『愛してる、リリト』
ふいに自分の唇に触れると、サマエルの感触を思い出してお腹の奥がキュンと震えた。
顔が熱い。きっと真っ赤なのだろう。ここに誰もいなくてよかった……
認めたくはないけれど、答えは明白だ。
自分では気づかなかっただけで、実は私もサマエルに思いを募らせていたのかもしれない……
急に恥ずかしくなって、両手で自分の顔を覆った。
サマエルが帰ってきたら、きっと言った通りに返事を迫ってくるのだろう。
答えるまで何をされるか分からない。
わずかに浮かんできた期待を振り払うように、ブンブンと顔を振った。
ちがう。最低過ぎる……っ
サマエルはかけがえのない大切な大切な人なんだ。欲を言えば一生サマエルのいっちばん近くにいたいけれど、家族でなくなる関係の変化が怖い。
サマエルも同じ気持ちなのかな……
それからの数日間。ニニアンからランスロットの英雄譚を聞かされながらぼんやりと悩むうちに3日目の朝がやってきた。予定通りならお昼頃に全員帰還するはずだが、深夜まで待ってもサマエルが現れなかった。
********
サマエルが失踪してから3日が経つ。
私は帝国の騎士を率いて森の中を捜索していた。
「東の方はどう?」
帰ってくる斥候員に尋ねるが、残念そうな顔で首を横に振られた。
王国騎士団に加えて都民や農民も捜索に参加してくれるものの、サマエルどころか痕跡の発見にすら至ってない。
サマエルの剣術は帝国随一だから野生動物に襲われて負けるとは考えにくい。うっかり罠にハマって動けないようなミスも絶対にしないだろうから、可能性としてはサマエルでも対処できないような何かに襲われた……いや、ありえない。
あの強くて用心深いサマエルだよ?
何があっても対処できるはず。
王国の森に馴染みがないから、きっと道に迷ったんだ。大丈夫、無事だよ、きっと……
「姫、顔色悪い……です」
傍についている褐色肌の騎士が心配してくれた。
10年前、初めてサマエルの鍛錬を見に行った時に居合わせた新人の騎士だった彼は、今や立派な副団長になっている。
「姫、ずっと休んでない、倒れる……です」
「大丈夫。元気だよ。それより捜索範囲をもう少し広めよう? 森の向こうは海だから、その海岸も見るべきだね」
地図を広げて捜索のルートを定めていたが、バッと騎士に取り上げられた。
「姫、疲れてる。休む……です」
「大丈夫、元気だよ! 一緒に探しにいく!」
「姫、ぴりぴりしてる。疲れてる証拠……です」
「そんな、してないよ! 疲れてないから、本当だよ? サマエル様がどこかで辛い思いしてるかもしれないから、早く見つけたいの」
「気持ちは分かる。でも、姫まで倒れたら大変。休むべき……です」
「彼の言う通りだ、リリト姫。無理していいことはない。今日だけでも早めに帰って休もう?」
一緒に来てくれたランスロットが騎士に同意した。不服な気持ちでいっぱいだが、駄々をこねても皆が困るだけ。
騎士たちが捜索を継続できるよう私は1人で帰ろうとしたが、心配だとランスロットがついてきてくれた。
『そんなに心配しなくても、皇太子はしぶといから平気なのだ』
脳裏にハクの声が響いた。
「ありがとう、ハク。心配のほかに私にできることがあればいいのだけど……」
『うーん、世界樹の息が封印されたから、姫の魔力の回復も遅いのだ。仕方ないのだ』
「そうだけど、何もできない無力な感じが嫌なの……」
項垂れる私をしばらく見つめると、ハクは腹を括った様子で言った。
『ぼくが魔力を貸すから、姫が探索魔法で探してみる?』
「え? できるの?」
『できる。人間のために使うのは憚るが、姫のためならするのだ』
「えぇぇぇぇ!! そんなこと言ってる場合なの!? 」
ぴょんと飛び下りてハクの顔をガシッと持ち上げた。
「人間とか差別するのはダメだよ! お説教は後でするけどまず貸して! お願い、あとで耳を揃えて返すから!!」
『姫怒ってるのか喜んでるのか分からない、顔が怖いのだ』
鼻息荒く迫る私に戸惑いながらもハクは方法を教えてくれた。
ハクの角に額を当てて、息をするように吸い込むと温かい魔力が流れ込んでくるのを感じた。
「魔力を分け合っているのか? そんなことができるんだ……」
傍で見ているランスロットが感心したようにしみじみと呟いた。
ハクの魔力量はそう多くないが、森全体を覆う以上の魔法を発動できる。さっそく発動すると、その巨大な範囲にランスロットが唖然とした。
「港町まで網羅しているのか……?」
「漁村の向こうまで行けます。集中しないとだから、お待ちてくださいね」
向こうでまだ捜索を継続している帝国騎士団、遠く離れた北側を探している王国騎士団に、港町に近い南部周辺を探している都民たち。
森を満遍なく探したが、サマエルの気配がない。森にいない……? もう少し範囲を広めて……
魔力が底をつきそうになって、額に脂汗が噴き出る。筋トレする時に筋肉が足りなくてプルプルするのと近い感覚だ。
できる限り範囲を広めて、港町、漁村、その奥の山頂まで伸ばしてーー
「はぁっ!」
耐えられず膝が崩れて地面に座りこんだ。
「大丈夫か、姫?」
「はぁ、……うん。大丈夫。それより、はぁ、山頂に、サマエル様の気配……」
把握できる前に途切れてしまったから確証はないが、地下にサマエルらしき魔力を感じ取った。
「立てるか?」
「はい。平気、です。……はぁ」
汗を拭いて、ランスロットの手を取って立ち上がった。
「サマエル様が道に迷って避難していたのかもしれません。私が探しに行きます。殿下は騎士団に連絡してくれますか。場所はーー」
「山頂の屋敷だろ?」
「え?」
見上げると、そこには冷たい表情があった。
光がなく暗くくすんだ碧眼がじっと私を見て、少し怖い。
「そ、そう言えば殿下の避暑用の屋敷でした。山頂にその一軒しかないものね。では伝書をお願いします」
「その必要はない」
本能的にランスロットから離れようとしたが、腕を握られて離れなかった。
「で、殿下……?」
「はあ。……計画が少し狂ったが、仕方ない」
「けいかく……?」
「もう察しただろう? 彼をそこに監禁したのは私だ。大丈夫、殺すつもりはない。山賊に誘拐されたことにして帝国から身代金をもらうだけだ」
「だけだって……立派な犯罪ですよ……」
言いながらランスロットの指を剥がしたり肘を押し返したりしてみたが、ぴくりとも動かなかった。細マッチョめ!
「悪事を平気で行う帝国と比べたら可愛いものだろう? 私欲で世界樹を伐採して王国の民が苦しんでいても知らんぷりだったからな」
「そ、それとサマエル様は関係ありません!」
「彼が継ぐ国だ。関係なくはないだろ?」
ランスロットの碧眼は一瞬も揺れなかった。
私宛の手紙でも世界樹の息で苦しむ妹や民を痛む気持ちが一面真っ黒に啜ったランスロットのことだ。口にこそ出さないが、帝国を仇のように恨んでいたのだろう。
「殿下が帝国にやり返したい気持ちは分かりました。けれど、こんなやり方は間違っています」
「やり返す? 戦争のことなら企んでいない。そんなことしたら民が苦しむからな。私はただ君をさえ解放できればいいと思っている」
「私を解放……?」
「ああ。君の心は息にも汚されないほどに純粋で美しいんだ、姫。悪行を平気で働く帝国にいるべきではない。彼らの犯した罪で君が苦しむ姿はもう見たくない」
ランスロットが私を腕の中に引き寄せた。
表情は相変わらず冷たいが、声には確かな誠意がこもっていた。
「純白な君のいるべき場所を、君が幸せでいられる場所を、私が作る。何も考えずに身を委ねてくれ」
ああ、この人は本心からそう思っているんだ。私は囚われている、と。
「…………いや、です」
「ん?」
「殿下のお気持ちは嬉しいのですが謹んでお断りいたします。自分の居場所くらい自分で作れますから……ハク!」
「ヒヒーン!」
ハクの体当たりを喰らってランスロットがよろけた。その隙にハクに飛び乗って山頂を目指す。
背後からランスロットが追いかけてくる。ハクが私に魔力を分けてくれたからスタミナもない。
ここで追いつかれなくても屋敷で追いつかれてしまう。力でランスロットに敵いそうもないし、サマエルの状態も分からないから油断はできない。
一か八かだ。
ハクが勢いよく吊り橋を駆け抜ける時、短剣を出して片方の綱を切った。
これは屋敷に繋ぐ唯一の吊り橋だ。
いつしか聞いたニニアンの言葉を思い出しながら、私は振り返って弓を引いた。
もう片方の綱を切らないと崩れないわ……っ
馬上から後ろ向きに的を撃つのは難しい。矢がズレズレに綱を掠って板に刺さった。惜しい!
外した矢羽の向こうから馬を駆けるランスロットの姿が見える。追いつかれるっ!
『緊張すると体が硬くなるから、まずは肩の力を抜いて、肘をまっすぐに。そう、その調子』
皮肉にもランスロットの教えが頭をよぎった。教われた通りの姿勢が見えたのだろう。矢が私の手から離れるよりも早くランスロットが馬を止めた。
シュッ! と見事に矢が綱を断ち切って元々劣化していた吊り橋が呆気なく崖に崩れ落ちていく。
『やったなのだ、姫!』
「ありがとう、ハク。あとはサマエル様だね!」
屋敷は廃屋のようで誰もいなかった。
「地下にいると思うけど、……あ、外から入り口がある!」
苔がこびりついている木の板を持ち上げると、石畳の階段が見えた。
中は真っ暗で何も見えず、火打金も松明もないからこのまま降りるしかない。魔法が使えないのは不便だ。
地下はどうやら物置のような場所だった。
「ヒヒーン!」
壁に沿って扉を見つけた。それを開けた途端に強烈な異臭が鼻を突く。あまりの匂いにふらつきそうになった。
思い切って踏み入った時、足が硬いものに当たった。眼を凝らしてみるまでもなく、それが硬直した死体だと直感で分かった。
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