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闇夜の出会い①

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『気をつけなされ、お嬢さん……。』


 夜の森を一人彷徨うミランダの脳裏に、古くから伝わる歌の一説が浮かんだ。

 一人で村から出たことは無かったミランダであったが、神様が祭られている湖には、村の長に連れられて何度か行ったことがあった。

 記憶を頼りに湖までの道を急ぐ。

 「神様にユリヤお姉ちゃんをお嫁にしないように、お願いしなくちゃ!!」

 そのために、村の掟を破って一人で村を抜け出してきたのだから。
 初めて一人で出る外の世界、そして夜の闇、鬱蒼と茂った木々。

 始めはユリヤと離れたくないミランダは神様に婚儀の中止を願い出ようと思い、湖を目指していたのだ が、今となってはミランダはどこを歩いているのか分からなくなってしまっていた。

 『気をつけなされ、お嬢さん……。
 一度迷い込んだなら、彼らに食われてしまうから。』

 伝承の不吉な言葉がミランダの頭の中でぐるぐると廻る。

 村を飛び出したときの勢いは失われ、今のミランダは恐怖で全身の感覚が鋭くなっていた。

 『気をつけなされ、お嬢さん。
 彼らは漆黒の翼に燃えるような赤い目を持つ化け物。
 一度狙われたら逃げられない。
 気をつけなされ、お嬢さん。』

 漆黒の翼を持った赤い目の化け物……。

 ミランダはそんな化け物を見たことは無かったので、そんな言い伝えなんて怖くないと思っていた。

 「こ、こわくないもん!!」

 ミランダの強がりは森の木々に吸い取られ、むなしく響いただけだった。

 きっと子供を村の外に出さないために作られた歌なのだと、自分に言い聞かせていたミランダであったが、その希望は淡くも打ち砕かれようとしていた。

 遠くで何かの音がする。

 それは不気味な音を発しながら自分へと近づいていることにミランダは気づき、反射的に走り出した。

 何か分からないものが自分を追っているという本能がそうさせたのだ。

 だが、いくら走っても、その不気味な音は離れるどころか、その距離を縮めている。

 そして、ミランダの耳に確かに聞こえた不気味な言葉は、ミランダの恐怖をさらに煽った。

 「同胞ヨ。久シブリノ食事ダ!」

 その声にたまらずに振り向いたミランダが見たのは、四肢で空を駆ける獣の形をした黒い塊。

 その目はギラギラと燃えるように赤く、口元からは大量の涎とともに白い牙がむき出している、そんな化け物の姿だった。

 伝承にあった化け物の意味を、ミランダはようやく理解した。

 『一度狙われたら逃げられない。』

 伝承が示すとおり、それに対抗することも出来ないことも理解できた。
 逃れながらミランダの視界が涙でゆがむ。

 こんなところで死んでしまう悔しさ、ひたひたと押し寄せる死の恐怖。
 様々な思いが頭を駆け回り、涙となってミランダの頬を伝う。

 いつの間にか森を抜け、ミランダは目指していた湖にたどり着いた。

 しかし、化け物に追われる今となっては、目的を果たすことは叶わないだろう。

 気づけは、ミランダは崖の下に追い込まれていた。
 右手には湖、左手は壁のような崖、そして目前には化け物。

 「ユリヤ姉ちゃん。エリクお兄ちゃん……助けて!!誰か助けて!!」

 いつも自分を守ってくれる姉と兄の名を呼ぶ。

 精一杯の叫びを上げることが、ミランダが唯一できることであった。
 そんな無力なミランダに、化け物は容赦なく襲い掛かかる。

 「行ケ!!ガァァァ!!」

 一匹の化け物の咆哮を合図に、残りの化け物がミランダに襲い掛かった。

 (もうだめ!!)

 襲い掛かった化け物がミランダの方にのしかかり、そのまま彼女を押し倒す。

 背中をしたたかに打つと同時に、恐怖からぎゅっと固く目をつぶった。
 そのミランダの顔に化け物の生臭い息がかかる。

 脳裏に焼き付いた鋭い牙に、鋭い爪。あれに切り裂かれる痛みを考えると恐怖で叫ぶしかできなかった。

「いやあああああ!」

 だがそんなミランダの耳に、少女の声が聞こえた。

 「聖具・解放!!」

 ざしゅりという鈍い音がしたので、ミランダは不審に思い薄く目を開けると目の前の化け物の体が切り裂かれ、赤い地が噴出している様が目に飛び込んできた。

 そしてミランダの目の前に一人の少女が舞い降りた。

 (天使…?)

 それはすぐに違うと分かったが、ミランダは本当にラーダの使いである天使が自分を助けるために舞い降りたのかと思った。

 白い服の裾がまるで翼のように風に舞っている。
 その白い服と対を成すような純白の剣は、化け物の血に染まり月夜に照らされ怪しく光輝いていた。

 少女は剣を一振りし、その血を振り落とすと、姿勢を低くし、剣を構える。
 突然の乱入者に化け物はミランダから退き、その標的を少女へと変えた。

 「まずは一匹。……私が相手になってあげる」

 金の長い髪を揺らし、少女は悠然とほほ笑んだ。

 「何者ダ!マズハ、オ前カラ、喰ッテヤル」
 「ありきたりすぎて笑えないわよ、イシュー」

 そう言って大地を蹴った少女は、化け物―イシューとの距離を一気に詰める。

 不意をつかれたイシューは避ける事も出来ずにその刀身に貫かれ、少女が刀を引き抜くと一気に傷口から血が溢れた。

 イシューは赤い目を大きく見開いたまま、ばたりと倒れた。

 「二匹目……」

 呟く少女の背後から別のイシューが襲いかかった。
 一気に少女の背中を切り裂こうと、大きく跳躍する。

 だが少女はその気配を察し、横に飛ぶとそのまま空中で身を反転させ、その勢いでイシューの胴を薙いだ。

 イシューは血を流しながらも、着地し、すぐさま少女へ襲い掛かかる。
 少女はその攻撃を後方へ飛ぶことでかわした。

 イシューは執拗に少女へ噛み付こうと攻撃の手を緩めなかった。

 少女は反撃の隙を見ようとするが、なかなかその機会に恵まれず、ついには崖にまで追い詰められてしまった。

 イシューはそれを好機と捉え、じりじりと間合いを詰めると、咆哮をあげて少女へ食らいつかんと飛び掛った。

 「あ、危ない!!」

 ミランダは思わず声をあげた。
 と、同時に闇を割って響く男性の声があった。

 「リン!!」

 その声と共に、光り輝く数本の短刀がイシューへ向かっていく。

 「グォォォォ」

 その短刀はイシューの背中に深く突き刺ささり、イシューのおぞましい叫び声が闇夜に響いた。
 その隙をみて、少女は再度その刀剣をイシューに振り下ろした。

 「三匹目……」

 ポツリ、少女は呟きとともにイシューが崩れ落ちる。

 そして、少女はきっと鋭い視線で空を見上げた。

 その先には、黒い翼を持った獣がいた。

 獣は大きな月を背景にし、悠然とそこにいた。
 その毛も、翼も、闇を凝ったように黒いのに、目だけが艶かしく、ぎょろぎょろとしている。

 「貴様……何者ダ」

 イシューはくぐもった声で少女に問うた。

 「私?私は聖騎士。人に仇なすイシューを倒す、それが私の仕事。女神ラーダの力に依って、お前を討つ!」
 「我ヲ討ツ!?翼ヲ持タヌ、オ前ニハ出来マイ!!」
 「どうかしら?……アンリ!!」

 少女の呼び声とともに、宙に静止しているイシュー目掛けて、再び輝く短刀が放たれた。

 不意を突かれたイシューはかろうじてよけたものの、短刀が翼をかすり、そのバランスを失わせた。
 だが、イシューを最も驚愕させたのは次の瞬間だった。

 少女は助走をつけ、崖の壁を走り、駆け上がったかと思うと、そのまま一気に跳躍し、宙を飛ぶイシューに襲い掛かった。

 「はぁぁぁっ!!」
 イシューが気づいたときには、既にその姿は目前にいた。

 その攻撃をかわそうと、イシューは素早く身をよけたが、完全にはよけきれず、少女の振り下ろした剣が足をかする。

 イシューにとってはその傷よりも、剣を振り下ろしたまま繰り出した少女の蹴りによって、地上に叩きつけられた衝撃のほうが、何倍ものダメージとなっていた。

 大地へと落下したイシューは、受身も取れないまま地上に叩き落され、その衝撃で周囲に土埃が舞い上がった。

 その煙が収まるかやいなやという中、少女は静かに大地へと着地し、イシューに向かってゆっくりと歩み寄った。

 「馬鹿ナ……」
 イシューはよろめきながらその身を持ち上げ、力を振り絞って少女へと噛み付いた。

 少女の身の丈ほどもあるイシューに飛び掛られ、その身がすっぽりと覆われてしまうかのようだった。

 だが、少女へ噛み付いたはずのイシューは、そのまま微動だに動かず、やがてどさりという音をたてて、イシューの首が胴から離れ落ちる。

 それでもなお化け物の首は言葉を紡いだ。

 その計り知れない生命力に、ミランダは身の毛がよだつ思いがした。

 「ざぜる様ノ契約ガ無ケレバ、オ前ナド……」
 「四匹目……」

 少女は、イシューの言葉に耳を傾けることもせず、静かに呟くと、その翼を薙いだ。
 黒い羽根が闇に解けるように舞う中、少女は静かに呪文を詠唱した。

   妹神に創られし、哀れな化け物よ。
    女神の腕に抱かれ、暫しの眠りを。

 「縛!」

 少女の短く、だけど鋭い声に反応するかのように、その左手のグローブにはめられた赤い石が光輝く。

 そして、化け物達は傷口から溶けるように赤い光となって、次々に石へと吸い込まれていった。

 ミランダはその幻想的な光景を瞬きすら忘れて見入った。

 全てが終わり、静寂と暗闇があたりを包んでも、ミランダは呆然としながらまるで夢を見ているのではないかと思った。

 呆然とするミランダの顔を、心配そうに少女が覗き込み、手を差し出した。

 「大丈夫?怪我は無い?」

 ミランダは先ほど起こった出来事に理解が追い付かない。
 だが、なんとか小さくうなずくことができた。

 先ほどの戦う様は、まるで戦っているというより踊っていると錯覚する程優雅であった。
だからこの目の前の少女は本当に人間なのか?もしや神の使いなのではと思ったため、伸ばされた少女の手を握っていいものか、ミランダは躊躇した。

 「怖かった?」

 そう言って優しく触れた少女のぬくもりに、幼いミランダの緊張は一気にほぐれ、そして留めていた感情が一気にあふれ出し、泣き出していた。

 「うわあああん」
 「そう。怖かったのね。もう大丈夫。私はリン。リン・エストラーダよ」

 ミランダを抱きしめながら、天使は何度も優しくミランダの髪をなでた。

 ミランダが泣き止むまで、ずっと。
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