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終焉②
しおりを挟むユリヤの瞳が一瞬揺らいだ。狂気に満ちた瞳は冷静さを取り戻し、ユリヤ本来の瞳の色に戻りつつあった。
「あ……あ……」
小刻みに震えながらミランダから手を離すと、ユリヤは後ずさり、まるで全てを否定するかのように首を振った。
「う……そ……。どうしよう。どうしたら……いいの……?」
「ユリヤ。大丈夫だ!!」
震えるユリヤをエリクは抱きかかえるようにきつく抱きしめた。
混乱のあまり、口元を覆った両手が濡れていることに気づいたユリヤは小刻みに震える手を見つめ、息を飲んだ。
「血が……私……が、皆を……殺した?私は、何をしたい……?どうしたら……いいの?血が欲しい。でも……それはいけない……分からない。お父様……私は、どうすれば……?」
「大丈夫だ……ユリヤ」
エリクが必死にユリヤに訴えるが、ユリヤはその言葉に反応せず、ただひたすらにザゼルの姿を探した。
「お父様!!」
ユリヤが叫んだ瞬間、森から大きな爆発音がし、土埃が立ち上がった。
その土埃の中からまず現れたのは、ザゼルだった。ザゼルの肩は左から大きく切り裂かれ、服の裂け目から生々しい肉の赤が見え隠れしていた。
だが、ザゼルはその傷口を一瞬認めたものの、気にも留めないように薄く笑っていった。
「さすがは聖騎士……。だが、お前の聖具はすでに機能しないだろう」
次に煙の中から現れたのはリンだった。リン左肩を抑えながら、よろよろと現れたが、その瞳から覗く闘志は衰えることなく、ザゼルを睨みつけている。
「リンさん!!聖具が!!」
ザゼルはリンのその様子を見て、思わず叫んでいた。なぜならリンの左手に填められていた聖具が粉々に砕かれていたからだ。
その様子をザゼルは満足そうに頷き、切り裂かれた傷をもろともせずに、左腕を空へと掲げた。
すると、湖面から水が呼び寄せられ、ザゼルの傷口に触れると、蒸気となって消えていった。
「傷が……消えた!!」
蒸気が薄くなると共に、ザゼルの傷も跡形も無く消えてしまっているのをエリクは見た。
驚異的なその力にエリクの脳裏には絶望という文字がちらつき始めた。
(聖騎士であるリンさんでさえ、あいつには敵わないのか……。)
「せっかくの攻撃であったが、聖具がないとあっては、我を封じることはできぬのう。さて、どうする、聖騎士の娘よ」
余裕を見せる相手に、リンはしびれる衝撃で痺れる左手を、リンは二、三度振るうと、ザゼルに負けじと不敵な笑みを浮かべる。
「そうね。聖具がなくちゃ、お前を封じることはできないわね。でも……私はお前を倒すわ」
「馬鹿か、そんな強がり、いつまでもつかな」
「さぁ、強がりかどうかは、お前の目で確かめて見ることね」
ゆっくりとザゼルに進みよるリンが、ザゼルを見据えたまま不意にアンリの名を呼び、右手を差し出した。
「アンリ!」
「それが貴女の願いですか?」
アンリの問いかけに、当然とばかりにリンは頷くと、アンリがリンの元へ寄り添い、静かにその手を握り締めた。
慈悲深き女神ラーダよ
その身を切り裂き地に与えた奇跡の力
わが身に請う
翼よ
今こそその力、解き放て
我ら女神の双翼となりて
永劫の闇を打ち砕かん
リンの声がその力ある言葉を紡ぐと、音という音が一斉になくなったような気がした。一瞬とも永遠とも思えるような、深淵なる静寂。
唯一許されるのはリンの詠唱だけ。そして、リンは叫んだ。
「エストラーダの血を依り代に、開放せよ!」
二人を繋ぐ手から光が生まれる。
リンはアンリの手から光を引き抜くと、それは一振りの刀へと姿を変えた。
リンはその刀で空を一薙ぎすると、そのまま身を低くし、空を飛ぶザゼルを見据えたまま構えた。
体重を静かに後方へと動かす。
瞬間、右足で地面を勢いよく蹴り、中へと飛び上がった。
「は、ここまでこれるものか!!」
余裕を浮かべたザゼルの顔が驚愕に歪む。
ザゼルの目に飛び込んできたのは聖騎士を示す白地に群青のラインが入った衣装を身に纏うリンの姿だった。だが、ザゼルが驚いたのはそれだけではない。
その背には白い翼。
イシューの持つ闇より深い黒色とは相反する純白の翼。
「はぁぁぁ!!」
リンは輝きとともに、その剣を振るい、そしてザゼルの体を再び袈裟懸に切り裂いた。
それは一瞬の出来事だった。
ザゼルの体に光の一線が入ると、ザゼルの絶叫がこだまする。
「うぁぁぁあああ!」
ザゼルは水を呼び寄せ回復を試みようとするが、それは適わず、その傷口からぼろぼろと崩れはじめる。溢れる光はザゼルの体を蝕み続け、まるでザゼルを燃やし尽くすかのようであった。
「馬鹿な……人間が我らを滅ぼすことなど……できぬはず!!」
「そうよ。イシューを滅ぼすことはできない、普通わね。でも、私はちょっと普通ではないわ」
大地へとふわりと着地したリンは静かに言った。その言葉に、ザゼルは考えをめぐらせ、その結論に思いたった。
「まさか!!これが女神の翼!?」
「そう、イシューを滅ぼす唯一にして最大の武器、女神の翼よ」
「お前、人間だったのではないのか!?」
「ええ、私は人間よ。私は翼の使い手」
ザゼルがリンの瞳を見ると、今まで琥珀だった瞳が青く輝いている。そして、その相棒のアメジストの瞳もまた深い青を湛えていた。
「そうか……。青は、女神ラーダの力を持つものの証……。三百年前に失われたという女神の奇跡か……」
ザゼルは全てに合点がいったように、短く笑うと、残された渾身の力を持ってリンへ向かった。
それを静かに見上げる、小さく息を吸って剣を構えたままザゼルへと対峙する。
そして次の瞬間、ザゼルの胴はリンに薙ぎ払われ、そのままザゼルは光に飲み込まれ、消えた。
風がごうと吹き、ザゼルが残した残骸をも消し去った。
「終わった……」
エリクは知らず呟いていた。この静けさに包まれていると、今までのことは全て夢だったのではないかと エリクには感じられた。
気づくと風に乗って、赤い花びらがエリクの周りに降り注いだ。花びらの来る方向を見やると、それは神木の花だった。真紅に染まった神木の花びらが、まるで主であるザゼルの後を追うように艶やかに散っている。
闇夜の中で、最後の輝きを放ちながら散る花は、咲き誇っていたときよりも妖しく、美しかった。
金の髪を風に靡かせて、リンはエリク達の下に進み出た。
「リンさん!僕達を救ってくれてありがとうございました!本当になんて言えばいいのか!」
興奮気味に礼を述べるエリクであったが、リンは首を振ると持っている剣を突きつけた。
「リン……さん?」
「まだ、終わっていないわ」
「な、なんですか……?もうあの化け物は倒されたじゃないですか?」
「いいえ……イシューはまだいる。貴女よ、ユリヤさん」
「ちょっと、待ってください!!ユリヤはイシューなんかじゃ……」
ユリヤを庇おうとしたエリクの言葉をさえぎったのは、ユリヤだった。
「お願いです。私を殺してください」
「ユリヤ!?」
「私にはイシューの血が流れています。いつか、また人を襲うかもしれない。愛する義理妹を再びこの手に掛けてしまうかもしれない……。そんなの嫌なんです!」
そう言っている間にも、ユリアの瞳は赤く染まり、口元からは牙が顔をのぞかせいている。
自らの体を抱きしめているユリアの両腕は小刻みに震え、ミランダを襲うのを必死に耐えているようにも見えた。
ユリヤの言葉を聞いたとき、リンの脳裏に再び栗色の髪の少女の言葉が蘇った。
『私を殺して……』
あの栗毛の少女も、苦しげにそうリンに告げた。過去に言われたその言葉とユリヤの言葉が再びリンクし、リンの表情を曇らせた。
リンはそれを悟られまいとして、少し俯いた。
「そうね……。分かったわ」
ユリヤの申し出に淡々と答えたリンの答えに慌てたのは他でもないエリクだった。
「ユリヤ、僕達はもう自由だ。せっかく手に入れた自由なのに……約束を果たせるのに……君は死を選ぶのか?」
エリクは必死に訴えたが、ユリヤは苦渋に満ちた表情を浮かべたまま何の答えも返さなかった。だが、エリクはなおも訴え続けた。
「リンさん、お願いです。ユリヤを殺さないでください。あんなふうに……あんな風にユリヤが死ぬなんて、耐えられない!!」
「エリク、それはできないわ」
「何故!?」
「私は聖騎士。イシューは倒さなくてはいけない」
「そんな……。お願いです、リンさん」
「エリク……ごめんなさい」
リンがそれを告げた瞬間、アンリがエリクに立ちふさがった。かと思うと、エリクは自分のみぞおちに衝撃が走るのを感じた。
どさり、と意識を失ったエリクを優しく見つめたユリヤは、意を決したようにリンを見つめた。
「お願いします」
ユリヤの言葉に、リンは静かに頷いた。そして、そっとしゃがみこんだままのユリヤの元に屈むと、その細い体を抱きしめる。
ぐしゃり、と鈍い音共に、ユリヤの胸が熱くなった。
気道を占めた血が口元からあふれ出す。息ができずユリヤは大きく口を広げて本能的に息を吸い込もうとした。
空を仰ぎ見たユリヤの視界に、リンの悲しそうな顔が入ってきた。剣を握り締めたその背にある眩い純白の翼が光のように見えた。
ユリアはそれを素直に綺麗だと思った。
自分にも、彼女みたいに特別があれば。
そうすればきっと違う結末があったかもしれない。
ユリアが最後に見た景色は、散り逝く花が真紅から白へと変わり、雪のように優しく空を舞っている景色だった。
応援ありがとうございます!
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