獅子たちの夏➖会津戦争で賊軍となり、社会的に葬られた若者の逆転人生

本岡漣

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第8章 明治14年の政変

5 芝能楽堂

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 明治14年8月25日

 灼熱の一日が鎮まりかけた頃、私と辰蔵は、能楽堂の舞台横にある鏡の間で出番を待っていた。

 幕の隙間から、橋掛りを通して能舞台が見える。
 橋掛りの左右には三基、能舞台の周りには四基の篝火が焚かれ、演者たちを映し出していた。

 舞台上では、六郷神社の氏子たちにより「牝獅子隠し」が舞われていた。
 花笠は二人で、造花を飾った四角の台から赤幕を垂らした笠を被っている。
 白地に花模様の上着に緋袴を穿いており、手には摺りササラを持つ。
 獅子は五日市の呼び方とは異なり、牡獅子、中獅子、牝獅子と呼び表した。
 面は黒塗りで、頭頂には宝珠や角がついている。
 頭毛には馬の尾を用い、牡獅子と中獅子は黒い鷹羽を下げ、牝獅子は赤く染めた麻を長く垂らしている。
 太鼓は桶胴形の締太鼓で、皮に巴紋が描かれていた。
 面の形や装束、構成に一部違いはあるが、五日市の獅子舞と六郷の獅子舞には多くの共通点があった。

 辰蔵は以前から、六郷神社の氏子の一人と馴染だった。
 六郷は筏流しの終着点で、常宿としていた筏宿「版右衛門」の主、鳴海版右衛門が氏子だった。
 鳴海の元を辰蔵が訪れ、獅子舞に加わりたいと懇願して、辰蔵の演芸会参加が決まった。
 用心のため、他の氏子たちの間では岩田新之助という偽名を使っていた。

 途中参加となった辰蔵は、前座として同心太鼓を打つことになっていた。
 そこへ私が辰蔵と共に前座を務めたいと願い出た。
 加入を認めてもらえるよう、辰蔵と一緒に同心太鼓を打ち、体に染み込んでいる獅子舞の演目も踊って見せた。

 すると鳴海がある提案を持ち出してきた。
 鳴海は、演芸会の主催者である岩倉右大臣が、特に剣舞を好んでいると聞いていた。
 よって獅子舞でも締めの演舞として各地で舞われている「太刀掛り」を辰蔵と私の二人で踊ってみては、と言うのである。

 六郷神社の氏子には地元農民が多く、皆、元仙台藩士が踊る剣舞には興味があった。
 当初、披露するのは「藤掛り」と「牝獅子隠し」の二目としていたが、それぞれを短くして、同心太鼓と「太刀掛り」を最後に加えることにした。私が太刀使いを、辰蔵が牡獅子の役回りを担当する。

 能楽堂は増上寺裏手の紅葉山と呼ばれる小高い丘を造成して、紅葉館と同じ敷地に建てられていた。
 舞台周囲には野天の白洲が設けられており、白洲を挟む形で屋根付きの舞台と客席が造られている。
 客席は舞台を囲む形になっていて近い方は畳場で枡席だが、後方は桟敷席になっていた。
 込めば七、八百人ほど収容可能に見えるが、客席は半分くらいしか埋まっていなかった。

 橋掛り手前や舞台左の地裏席は、出番を終えた参加者が観覧を許されて座っている。
 正面奥の桟敷席の客はいずれも要人と見え、洋服を着用している者が多く、ドレス姿の婦人を同行した西洋人の姿もあった。

 さらに奥の一段上がった席が貴賓席だというのも、すぐにわかった。
 紫地の天幕が渡されており、椅子に座る三人の男の姿が見える。
 いずれも洋服で、背後に直立のまま控える警官が複数おり、この三人のうちのいずれかが主催者の岩倉右大臣であろうと思われた。
 硝子杯を手にしており、くつろいでいる様子が窺える。

 傍らの辰蔵は、立ったまま身じろぎもしない。
 竜を描いた筒袖の上衣に裁着袴を穿いている。
 頭には牡の面を被っており、顔の前に白無地の水引きを垂らしているので、表情は見えない。
 ただ、面の向いた方向から、貴賓席辺りを見ているのだろうと思われた。

 白洲を渡っていく風が、サラサラと獅子の羽を揺らした。
 人の気配がして振り向くと小柄な男が立っていた。
 植新の法被を纏った柿沼だった。

「親方! どうしてここがわかったんですか?」
「てやんでい、勝手に姿消しといて!」

 柿沼から胸を小突かれて、辰蔵はすまなさそうに頭を垂れた。

「沼間社長さんから頼まれたんだよ。能楽堂の演芸会の様子を探ってくれってな。そしたら社長さんが言った通り、お前さん達が庭で控えてるじゃねえか。それも変な格好して。まわりにたくさん人がいたから話しかけらんなかったが、一旦、新富座へ戻って沼間さんの部下の人にお前さん達のことは伝えておいた。それでここへ帰ってきたってわけよ」

 能楽堂は新富座から半里ほどしか離れていない。
 恐らく柿沼は人力車を駈って往復したのだろう。
 私はここぞとばかり、気になっていた事を柿沼に聞いた。

「新富座の会場は、どんな風ですか?」
「どうって、もう寿司詰めたあこのことだっつうくらい人が集まってるよ。開場を待つ列がながーくなっちまって、早めに開けたそうだ」
「演説会自体は?」
「儂が覗いた時ゃあの福地さんの番だったが、あの人はうまいねえ、スッと話が頭に入ってくる。もう、大喝采さ。官有物払下げ反対! 早く国会を開け! 税金の使い道は俺たちも考える権利がある! って声援があちこち上がって……」
 とまで言ったところで、柿沼は私の全身をぐるりと見た。

「ひょっとしてあんたのことかい、演説する予定だったが途中で止めちまったてのは?」
「そう、です」

 六郷で辰蔵に再会した次の朝、沼間社長に電報を打ち辞退の意を伝えた。
 迷惑を考えると心苦しかったが、辰蔵と一緒に舞台に立ち、そのあと無理にでも医者の所へ連れて行けるのは自分しかいない。

「往生したらしいぜ、沼間さんは。だが苦肉の策で、沼間さんの弟が代役を買って出たそうだ」
 私はほっとした。
 沼間社長の弟は確か高梨某さんといい、雄弁家として名を馳せている人物である。

「折角の機会をフイにしやがって。馬鹿なんですよ、こいつ」
「馬鹿はお前だっ。体の具合が悪いなんざ、なんで、お、おとっつぁんに言わなかった!」

 柿沼の涙声を聞いて、辰蔵は水引を上げた。
 赤子をあやすような優しい目をしている。
 
「大丈夫です、おとっつぁん。明日からちゃんと養生しますから」

 一度大きく鼻水をすすり上げて、柿沼が裏戸から出て行った。
 隙間から群青色の空が見えた。
 
 舞台に目をやると、「牝獅子隠し」が終わりに近づいている。
 私は襷がけの紐を締め直し、額に鉢巻きを巻いた。

「卓三郎……」
「へっ?」
「よく、探してくれたな、六郷まで。礼を言うよ」
「お前は俺の命の恩人だべ。礼なんか言うな!」
「フッ。戦いのさなかのことを、よく覚えているな」
「おまえと二人で逃げて逃げて……やっと味方と会えたと思って、近づいたら敵だった。でもお前は平然として、これから津島神社で切腹すっぞと言ったべ」
「そんな事言ったか……」
「ああ、言うた。背中に銃を突きつけられて階段を登る途中で、お前は敵をひらりと交して逃げた。俺もやっとの思いでお前を追ったら、馬鹿! 付いで来んなって」
「そうだったかな」
「慌てて別方向に逃げたけど、俺は敵に追い詰められて殺されるしかながった。でも、お前が後ろから……」
「ああ、思い出した」
「思い出させつまって、わりいな。お前は逃げることができた。だのに、戻って来てくれた」
「いちいち考えてない。咄嗟に体が動いただけだ」
「だと思うからこそ、身に沁みて感謝してる。あーっ、すっきりした! ちゃんと覚えとけよ。いや、忘れていい。とにかく、二度と言わねえべ!」

 照れ臭くなって、傍にあったバチを握って二、三度大きく振り下ろした。
 辰蔵は変わらず、幕の向こうを見ている。

「俺はあの時、他の味方と一緒に阿武隈川で首を斬られるはずだった。でも、俺を斬る役目の男は、撫でるように背中を斬っただけだった。後で、その男の叫ぶ声が聞こえた。ばってん、こげん若いもんを殺すこたあ、どぎゃんしてもできんばい……。
 薩摩の言葉かと思っていた。でも、太政官で井上書記官に会った時、フッと、その男の顔と声を思い出した。あとで、白河口の戦いに出征していたと聞いて、確信したよ」
 私の脳裏に、同じ日、自分を川へ突き落した男の顔が甦って来た。

「お、待て。井上毅ってのは、元は多久馬と名乗っていたか?」
 貴賓席に坐る三人の男を、じっと見た。
 真ん中は年齢と風格から、岩倉右大臣と思われた。
 すると……左側に坐っている細面の顔! あの日、見たような……

「最後は締めの舞、太刀掛りにござります。獅子舞と同じく、多摩を中心として関東一円に伝わる同心太鼓と共に御覧いただきたく、御願奉りまする」
 鳴海の声が響いた。

 係の者に促され、私と辰蔵は中庭を挟んだ裏手から切戸口へと周り、舞台へ上がった。
 舞台中央には、台座に載せた長胴太鼓が置かれている。
 まず太刀掛りを舞い、その流れで太鼓の両面を二人で横打ちすることになっていた。
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