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俊介は、一度口にしたことは必ず守る人間だった。
とくに、この件に関してはそうだった。
「圧をかけたりしない」――そう言った以上、本当にそうしなかった。
口ではそう言いながら、翌日には「昨日の件だけど」と蒸し返すような真似は、俊介の性分ではない。
そもそも、そんなに策を巡らせるような人でもない。
だから航平とのやり取りも、常に常識の範囲内で、
彼に「好意」を悟らせるような素振りは一切なかった。
時間が経つうちに、俊介の態度はまるで最初からそんな感情などなかったかのように見えてきた。
あの夜、酔ったときのあの目つきと声の調子がなければ、
航平はきっと「自分の勘違いだったのか」と思っただろう。
片想いとは、報われぬ想いを抱え続ける苦しいものだ。
多くの場合、その話題にはどこか切なさが伴う。
だからこそ航平は、あの時、知らぬふりをやめて俊介と話すことにしたのだ。
そういうところは、彼らしいとも言えた。
けれど――俊介は、あまりにも「達観」していた。
話している間も、話が終わったあとも、
彼は常に穏やかで、どこか飄々としていた。
未練がましい様子もなく、むしろ自分の気持ちを楽しんでいるようですらあった。
彼の「好き」は、淡くて、軽やかで、
まるで「そんなことを気にする方が野暮だ」とでも言うような空気をまとっていた。
その口調の端々からは、
「『君が好き』と『君』は別の話だ。これは僕の問題だから、気にするな」
――そんな響きが感じられた。
だから航平は、彼と話しているとよく笑った。
俊介が真面目な顔で何か言えば言うほど、
その真剣さがどこかおかしくて、微笑ましくて仕方なかった。
俊介は滅多に自分から連絡してこない。
ほとんどの場合、航平が話しかければ返してくる、という形だった。
何日か航平が沈黙していても、俊介の方からメッセージが届くことはない。
けれど、一度話しかければ、彼は必ず丁寧に答えた。
決して投げやりにはならない。
その姿勢には、奇妙なほどの「誠実さ」と「距離感」が同居していた。
――そして、その日の航平は珍しく仕事が早く終わった。
部署内の小さな飲み会。
二十人ほどが集まり、店の個室はすぐに熱気で満ちた。
六月の東京。
外も十分に暑かったが、室内も同じくらい蒸し暑く、
空調が効いていないのかと疑いたくなるほどだった。
航平はいつものように白い半袖を着ていた。
夏になると、彼は明るい色の服ばかり着る。見た目にも涼しげだからだ。
隣には、以前「うちの姪を紹介してやる」と言っていた同僚が座っていた。
同僚が身を乗り出して話しかけてくると、航平は腕を伸ばして制した。
「ちょっと離れてください、暑いです」
「まだ触ってもないだろ!」と同僚が苦笑する。
「話すだけだから!」
航平は笑って、「話すだけなら離れてても聞こえますよ」と返す。
「なんだよその言い方、まるで俺が触りたがってるみたいじゃないか」
同僚は呆れたように言い、
「最近のお前、なんか変わったよなあ、航平」と肩をすくめた。
「暑いだけですよ。ここのエアコン壊れてません?」
同僚は苦笑しながら、会社の裏事情――誰と誰が繋がっていて、
どの線を踏むと面倒になるか、というような話を耳打ちした。
そういう話は小声でしかできない。
航平は仕方なく少し身を寄せ、真面目に耳を傾けた。
職場では、航平は皆に好かれていた。
顔立ちもよく、どこか憎めない後輩として可愛がられている。
話を聞き終えたころには、額にうっすら汗が滲んでいた。
航平はスマホを手に取り、涼みに外へ出ようとした。
とくに、この件に関してはそうだった。
「圧をかけたりしない」――そう言った以上、本当にそうしなかった。
口ではそう言いながら、翌日には「昨日の件だけど」と蒸し返すような真似は、俊介の性分ではない。
そもそも、そんなに策を巡らせるような人でもない。
だから航平とのやり取りも、常に常識の範囲内で、
彼に「好意」を悟らせるような素振りは一切なかった。
時間が経つうちに、俊介の態度はまるで最初からそんな感情などなかったかのように見えてきた。
あの夜、酔ったときのあの目つきと声の調子がなければ、
航平はきっと「自分の勘違いだったのか」と思っただろう。
片想いとは、報われぬ想いを抱え続ける苦しいものだ。
多くの場合、その話題にはどこか切なさが伴う。
だからこそ航平は、あの時、知らぬふりをやめて俊介と話すことにしたのだ。
そういうところは、彼らしいとも言えた。
けれど――俊介は、あまりにも「達観」していた。
話している間も、話が終わったあとも、
彼は常に穏やかで、どこか飄々としていた。
未練がましい様子もなく、むしろ自分の気持ちを楽しんでいるようですらあった。
彼の「好き」は、淡くて、軽やかで、
まるで「そんなことを気にする方が野暮だ」とでも言うような空気をまとっていた。
その口調の端々からは、
「『君が好き』と『君』は別の話だ。これは僕の問題だから、気にするな」
――そんな響きが感じられた。
だから航平は、彼と話しているとよく笑った。
俊介が真面目な顔で何か言えば言うほど、
その真剣さがどこかおかしくて、微笑ましくて仕方なかった。
俊介は滅多に自分から連絡してこない。
ほとんどの場合、航平が話しかければ返してくる、という形だった。
何日か航平が沈黙していても、俊介の方からメッセージが届くことはない。
けれど、一度話しかければ、彼は必ず丁寧に答えた。
決して投げやりにはならない。
その姿勢には、奇妙なほどの「誠実さ」と「距離感」が同居していた。
――そして、その日の航平は珍しく仕事が早く終わった。
部署内の小さな飲み会。
二十人ほどが集まり、店の個室はすぐに熱気で満ちた。
六月の東京。
外も十分に暑かったが、室内も同じくらい蒸し暑く、
空調が効いていないのかと疑いたくなるほどだった。
航平はいつものように白い半袖を着ていた。
夏になると、彼は明るい色の服ばかり着る。見た目にも涼しげだからだ。
隣には、以前「うちの姪を紹介してやる」と言っていた同僚が座っていた。
同僚が身を乗り出して話しかけてくると、航平は腕を伸ばして制した。
「ちょっと離れてください、暑いです」
「まだ触ってもないだろ!」と同僚が苦笑する。
「話すだけだから!」
航平は笑って、「話すだけなら離れてても聞こえますよ」と返す。
「なんだよその言い方、まるで俺が触りたがってるみたいじゃないか」
同僚は呆れたように言い、
「最近のお前、なんか変わったよなあ、航平」と肩をすくめた。
「暑いだけですよ。ここのエアコン壊れてません?」
同僚は苦笑しながら、会社の裏事情――誰と誰が繋がっていて、
どの線を踏むと面倒になるか、というような話を耳打ちした。
そういう話は小声でしかできない。
航平は仕方なく少し身を寄せ、真面目に耳を傾けた。
職場では、航平は皆に好かれていた。
顔立ちもよく、どこか憎めない後輩として可愛がられている。
話を聞き終えたころには、額にうっすら汗が滲んでいた。
航平はスマホを手に取り、涼みに外へ出ようとした。
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