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3 王都への旅立ち
第15話 〈ハートレス〉
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まばたきをすると、イニが笑っていた。
「信じて」そう言って、腰からすらりと剣を抜き、あっと思う間もなくこちらに突き出してきた。よけようと後ずさろうとするが、自分の動きはもどかしいほど遅く、水の中のようだった。いつも温かみのある焦げ茶の瞳は、猛禽のように冷たく赤く輝いている。
「おまえは女王になる」ずっぷりと胸に剣を刺されながら、リアナはそれを聞いた。痛みではなく、鉛を飲んだような鈍く重い感覚がだんだんと広がっていく。養い親の顔が近づき、「女王に」とささやいたが、顔を離すとそれはすでに違う男の顔だった。血で赤黒くなったロッタの顔が一瞬現れ、そこにケヴァンの顔が重なった。
「信じて」
疲れきって、もう悲鳴をあげる力も残っていない気がした。目を覚ましたあとでさえ、声は止まないような。
重い頭をあげると、まだ陽はのぼっていない。うす暗く、静かな夜明け前だった。枕元のレーデルルは、身体を丸めて身じろぎもせずに眠っている。ベッドから部屋の中央へと目をやると、仮の寝台にはデイミオンが横たわって寝息を立てていた。フィルがいるはずの寝台は空で、毛布はきれいにたたんであった。
朝早くから、何をしているんだろう。
まだ夜明けまで少しあるようだったが、目が冴えて眠れそうにないのが半分、好奇心が半分で起きあがる。扉に手をかけたところで、「おい」と呼び止められた。
「勝手に出歩くな」
寝息を立てていたのが嘘のような、はっきりした声だ。リアナは振りかえった。「おはよう、デイミオン」
「今日は長い移動になるぞ。自分が寝ていなかったからといって、都合よく途中で休憩できると思うなよ」
昨晩ベッドを抜け出したことをとがめられなかったのはともかく、朝のあいさつもなし。いったいなんなんだろうか、この男の、この尊大さ。
「あなたって、フィルとはまったく違うのね」
よく知りもしない男と一部屋にふたりきり、という状況にもかかわらず、リアナはつい皮肉を言ってしまう。
「貴族たちは、みんなそんななの?」
デイミオンは返答するでもなく、リアナの質問などなかったかのように軽く伸びをして、身体の上にかけていた長衣に腕を通した。見れば、下のシャツはそのままの格好だ。起きてすぐに身支度ができるようにして眠ったのだろう。この旅はそんなに危険がともなうものなのだろうか。
部屋を出ようとすると、青年はそのまま黙ってついてきた。まさか、トイレに行くのもこのままついてくるんじゃ、とリアナは一瞬怖くなる。昨晩の話が本当なら、彼女はいま、オンブリアの次の王候補。そして背後の青年は、その次の継承権を持つという。夜の間には信じるほかないと思わされたが、朝になってみると、なんだかとても本当のこととは思えなかった。
ずいぶん冷え込む、と思ったら、中庭に通じる回廊を歩いているのだった。柱のわきの雑草にも霜が降りて、縁にむかって白く砂糖をかけたようになっている。
国境警備のためにそなえられた竜舎は、襲撃のリスクを分散するために三つの場所に分けられていた。防衛上の理由から、花びら状の平屋になっているのがリアナにはめずらしい。竜は高いところが好きだから、上に飛び上がりにくい平屋の竜舎は窮屈そうに見えるが、小型の飛竜が主体なので問題はないという。
南の国境付近は、オンブリアのなかでもとりわけ温暖な気候で知られていて、このあたりにはつやつやした丸い葉をあおあおと茂らせた木が多かった。森の植生も豊かで、餌も見つかりやすく、小柄な飛竜たちにとっては居心地がいいのかもしれない。
彼らがいたのは竜の発着用にひらけた場所で、兵士たちが忙しく動き回っているのが見える。兵舎からは朝食用の煮炊きの煙が上がっていた。
(今のうちに、言っておかないと)
と、リアナは決意する。昨晩のことを考えてもフィルはいい人そうだが、決定権は貴族のデイミオンにあるようだから、彼を説得しなければ自由にはなれない。
「デイミオン、ついでだから、ちょっと言っておきたいんだけど――」
言いかける。が、デイミオンはすたすたと自分を追い越して、中庭のほうに歩いていってしまった。向かう先には何人か、人の姿がある。ほとんどが、デイミオンと同じ紺色の長衣を着ている。
「デイミオン! ちょっと待ってったら!」無駄に長い脚がうらめしい。背中に向かって叫んだ。
「話があるのよ。返事くらいしても――」
「なんの話をしている?」
またも、リアナを無視。デイミオンが鋭く問いかけたのは、中庭にいる竜騎手たちだった。あまり穏やかな雰囲気ではないようだ。
「――デイミオン卿!」
騎手の一人が、驚いたように声をあげた。「これは――あの――」
リアナも思わずついていって、青年のうしろからぴょこっと顔を出した。
「どうしたの?」
「やあ、おはよう、デイ。……それに、殿下も。おはようございます」
やさしげな表情のフィルが、すこし困ったように言った。「起こしてしまったんじゃないといいけど」
昨晩はリアナにつきあって遅くまで話し相手になってくれたフィルだが、顔に寝不足のあとはなく、彼の言う通り一週間でも起きていられそうに見えた。昨日は気がつかなかったが、そういえば彼だけが長衣《ルクヴァ》を身につけていない。里にあらわれた官吏も身につけていたルクヴァは、竜族の男性の象徴のはずだ。ほかの騎手たちがみな同じ服なので、一人だけ短いジャケットなのが目立った。
(どうしてかしら?)リアナは青年をじっと観察した。(それに、いま、『殿下』って言わなかった?)
「いったい……?」
「騎竜術の練習に、竜を借りようとしたんだ」他意はない、というふうに、フィルが手を上げてみせた。「タマリスに移動するのに、殿下には竜に乗れるようになってもらわないといけないからね」
「騎竜の練習するの!? やった! わたし初めてなの」
リアナは思わずガッツポーズをする。言われてみれば、首都タマリスまで竜を使わないわけがない。思わぬ形で願いが叶ったわけだ。
「ねぇ『殿下』ってまさかわたしのこと? わたしまだ、王様になるって決めたわけじゃないんだけど」
「だから、『殿下』なんですよ」フィルがにっこりした。「王位を継いだら『陛下』になる」
「困るなぁ……あっ、ねぇデイミオン、さっきの話なんだけど!」
「デイミオン卿、それでは、こちらの女性が……?」
デイミオンは二人のやりとりも、リアナから呼びかけられたことも、竜騎手たちの好奇の目線も、完全に無視した。
何ひとつ耳に入っていなかったかのように、「それで?」と、騎手たちにうながす。
騎手たちはそわそわと顔を見合わせるものの、誰も積極的に説明しようとしない。デイミオンは「ハダルク」と一人を指名した。
「だれが閣下に飛竜をお貸しするか、という話になっていました」ハダルクと呼ばれた壮年の男性が、淡々と言った。癖のない銀髪をひとまとめに結って、目は緑で、標本にしておきたいほど竜族らしい容姿をしている。騎手の年長者であるらしい。
「セズー号かニンブル号が適任かと思いましたが、まだ決定しておりません」
「なにか不都合があるか?」デイミオンはいぶかしげだ。「あれ……いや、殿下……は騎竜は初めてだというが、フィルが指導するだろう?」
『あれ』呼ばわりされそうになったが、対外的には王位継承者だと通すことにしたらしいデイミオンだ。
「いえ、リアナ様のことではなく」体格のいい茶髪の竜騎手が、言いづらそうに付けくわえる。「フィルバート卿に竜を貸すとなると、ためらう竜騎手もおりまして……」
「ためらうだと? なにをためらうというんだ?」
デイミオンの声が低く、大きくなった。「大戦の功労者、〈ウルムノキアの救世主〉に竜を貸せないというのは、どんなたいした竜騎手様だ?」
里長がこんな声を出すのは、聞き分けのない若い飛竜乗りたちを叱りつけるときだったことをリアナは思いだす。
「いえ!」縮こまっていた若い竜騎手が、あわてて言う。
「むろん、フィルバート卿の武勲はよく存じております。救国の英雄を軽んじているわけでは……」
「ですが、〈竜殺し〉とも呼ばれておられる」中年の竜騎手が声を低めた。「そのようなお方を、われわれ竜騎手の象徴たる竜にお乗せするのですから、慎重になるのが当然ではありませんか? それに、フィルバート卿は〈ハートレス〉でもあるし」
「シメオン卿! リアナ殿下の御前だ」銀髪の騎手に叱責されて、中年の騎手はようやく口を閉じた。
「〈ハートレス〉!」リアナは思わず、叫んでしまった。思わず、自分の胸のあたりを握りしめる。「ほんとう、フィル?」
「ええ」
隣のフィルを見上げると、やれやれというふうに苦笑して、肩をすくめてみせる。
「これは、黙っていたと言われても仕方ないかな。……すみません」
「違うの」慌てて首を振る。が、なにが違うのかと問われると、答えに窮するのは間違いなかった。
〈ハートレス〉。竜の心臓を持たぬもの。竜との絆を築くことなく死ぬもの。
わかってみれば、いろいろなことに納得がいく。デイミオンと対等に話しているのだから、領主貴族に劣らぬ身分のはずなのに、フィルにだけは彼らと違う印象があった。〈呼ばい〉に詳しくなかったこともそうだし、そして、そう、一人だけない長衣……それこそ、フィルが竜族の男性とみなされていないことの、なによりの証拠ではないか。
大戦の功労者。〈竜殺し〉。そんなたいそうな名前で呼ばれていても、竜騎手たちはフィルバートを遠巻きにして、あきらかによそよそしく距離を置いている。それが、〈ハートレス〉への差別意識を如実に表していた。
「よくわかった」デイミオンは彼らをとがめはしなかったが、雷鳴のような声でのたまった。
「フィル、殿下に騎竜術をお教えしろ。セズー号を使え。いいな、レラン?」
レランと呼ばれた若い騎手が、首がもげそうな勢いでうなずいた。
「そういうことだ」
不機嫌な表情のまま、リアナたちのほうを振りかえる。「では殿下、また出発時に。頼むぞ、フィル」
「ああ」
「ご案内します!」リアナたちのほうへ、レランと呼ばれた若者が走り寄ってくる。
フィルに背中に手をあてて促され、リアナは竜のいるほうへと向かった。背中側ではデイミオンの不機嫌そうな声が続いている。
「来い、ハダルク。二日分の報告を聞かせろ。私の部下が、揃いもそろって腰抜けぞろいだということ以外の報告を頼むぞ」
「では、閣下、まず今朝の哨戒のご報告からですが――」
「信じて」そう言って、腰からすらりと剣を抜き、あっと思う間もなくこちらに突き出してきた。よけようと後ずさろうとするが、自分の動きはもどかしいほど遅く、水の中のようだった。いつも温かみのある焦げ茶の瞳は、猛禽のように冷たく赤く輝いている。
「おまえは女王になる」ずっぷりと胸に剣を刺されながら、リアナはそれを聞いた。痛みではなく、鉛を飲んだような鈍く重い感覚がだんだんと広がっていく。養い親の顔が近づき、「女王に」とささやいたが、顔を離すとそれはすでに違う男の顔だった。血で赤黒くなったロッタの顔が一瞬現れ、そこにケヴァンの顔が重なった。
「信じて」
疲れきって、もう悲鳴をあげる力も残っていない気がした。目を覚ましたあとでさえ、声は止まないような。
重い頭をあげると、まだ陽はのぼっていない。うす暗く、静かな夜明け前だった。枕元のレーデルルは、身体を丸めて身じろぎもせずに眠っている。ベッドから部屋の中央へと目をやると、仮の寝台にはデイミオンが横たわって寝息を立てていた。フィルがいるはずの寝台は空で、毛布はきれいにたたんであった。
朝早くから、何をしているんだろう。
まだ夜明けまで少しあるようだったが、目が冴えて眠れそうにないのが半分、好奇心が半分で起きあがる。扉に手をかけたところで、「おい」と呼び止められた。
「勝手に出歩くな」
寝息を立てていたのが嘘のような、はっきりした声だ。リアナは振りかえった。「おはよう、デイミオン」
「今日は長い移動になるぞ。自分が寝ていなかったからといって、都合よく途中で休憩できると思うなよ」
昨晩ベッドを抜け出したことをとがめられなかったのはともかく、朝のあいさつもなし。いったいなんなんだろうか、この男の、この尊大さ。
「あなたって、フィルとはまったく違うのね」
よく知りもしない男と一部屋にふたりきり、という状況にもかかわらず、リアナはつい皮肉を言ってしまう。
「貴族たちは、みんなそんななの?」
デイミオンは返答するでもなく、リアナの質問などなかったかのように軽く伸びをして、身体の上にかけていた長衣に腕を通した。見れば、下のシャツはそのままの格好だ。起きてすぐに身支度ができるようにして眠ったのだろう。この旅はそんなに危険がともなうものなのだろうか。
部屋を出ようとすると、青年はそのまま黙ってついてきた。まさか、トイレに行くのもこのままついてくるんじゃ、とリアナは一瞬怖くなる。昨晩の話が本当なら、彼女はいま、オンブリアの次の王候補。そして背後の青年は、その次の継承権を持つという。夜の間には信じるほかないと思わされたが、朝になってみると、なんだかとても本当のこととは思えなかった。
ずいぶん冷え込む、と思ったら、中庭に通じる回廊を歩いているのだった。柱のわきの雑草にも霜が降りて、縁にむかって白く砂糖をかけたようになっている。
国境警備のためにそなえられた竜舎は、襲撃のリスクを分散するために三つの場所に分けられていた。防衛上の理由から、花びら状の平屋になっているのがリアナにはめずらしい。竜は高いところが好きだから、上に飛び上がりにくい平屋の竜舎は窮屈そうに見えるが、小型の飛竜が主体なので問題はないという。
南の国境付近は、オンブリアのなかでもとりわけ温暖な気候で知られていて、このあたりにはつやつやした丸い葉をあおあおと茂らせた木が多かった。森の植生も豊かで、餌も見つかりやすく、小柄な飛竜たちにとっては居心地がいいのかもしれない。
彼らがいたのは竜の発着用にひらけた場所で、兵士たちが忙しく動き回っているのが見える。兵舎からは朝食用の煮炊きの煙が上がっていた。
(今のうちに、言っておかないと)
と、リアナは決意する。昨晩のことを考えてもフィルはいい人そうだが、決定権は貴族のデイミオンにあるようだから、彼を説得しなければ自由にはなれない。
「デイミオン、ついでだから、ちょっと言っておきたいんだけど――」
言いかける。が、デイミオンはすたすたと自分を追い越して、中庭のほうに歩いていってしまった。向かう先には何人か、人の姿がある。ほとんどが、デイミオンと同じ紺色の長衣を着ている。
「デイミオン! ちょっと待ってったら!」無駄に長い脚がうらめしい。背中に向かって叫んだ。
「話があるのよ。返事くらいしても――」
「なんの話をしている?」
またも、リアナを無視。デイミオンが鋭く問いかけたのは、中庭にいる竜騎手たちだった。あまり穏やかな雰囲気ではないようだ。
「――デイミオン卿!」
騎手の一人が、驚いたように声をあげた。「これは――あの――」
リアナも思わずついていって、青年のうしろからぴょこっと顔を出した。
「どうしたの?」
「やあ、おはよう、デイ。……それに、殿下も。おはようございます」
やさしげな表情のフィルが、すこし困ったように言った。「起こしてしまったんじゃないといいけど」
昨晩はリアナにつきあって遅くまで話し相手になってくれたフィルだが、顔に寝不足のあとはなく、彼の言う通り一週間でも起きていられそうに見えた。昨日は気がつかなかったが、そういえば彼だけが長衣《ルクヴァ》を身につけていない。里にあらわれた官吏も身につけていたルクヴァは、竜族の男性の象徴のはずだ。ほかの騎手たちがみな同じ服なので、一人だけ短いジャケットなのが目立った。
(どうしてかしら?)リアナは青年をじっと観察した。(それに、いま、『殿下』って言わなかった?)
「いったい……?」
「騎竜術の練習に、竜を借りようとしたんだ」他意はない、というふうに、フィルが手を上げてみせた。「タマリスに移動するのに、殿下には竜に乗れるようになってもらわないといけないからね」
「騎竜の練習するの!? やった! わたし初めてなの」
リアナは思わずガッツポーズをする。言われてみれば、首都タマリスまで竜を使わないわけがない。思わぬ形で願いが叶ったわけだ。
「ねぇ『殿下』ってまさかわたしのこと? わたしまだ、王様になるって決めたわけじゃないんだけど」
「だから、『殿下』なんですよ」フィルがにっこりした。「王位を継いだら『陛下』になる」
「困るなぁ……あっ、ねぇデイミオン、さっきの話なんだけど!」
「デイミオン卿、それでは、こちらの女性が……?」
デイミオンは二人のやりとりも、リアナから呼びかけられたことも、竜騎手たちの好奇の目線も、完全に無視した。
何ひとつ耳に入っていなかったかのように、「それで?」と、騎手たちにうながす。
騎手たちはそわそわと顔を見合わせるものの、誰も積極的に説明しようとしない。デイミオンは「ハダルク」と一人を指名した。
「だれが閣下に飛竜をお貸しするか、という話になっていました」ハダルクと呼ばれた壮年の男性が、淡々と言った。癖のない銀髪をひとまとめに結って、目は緑で、標本にしておきたいほど竜族らしい容姿をしている。騎手の年長者であるらしい。
「セズー号かニンブル号が適任かと思いましたが、まだ決定しておりません」
「なにか不都合があるか?」デイミオンはいぶかしげだ。「あれ……いや、殿下……は騎竜は初めてだというが、フィルが指導するだろう?」
『あれ』呼ばわりされそうになったが、対外的には王位継承者だと通すことにしたらしいデイミオンだ。
「いえ、リアナ様のことではなく」体格のいい茶髪の竜騎手が、言いづらそうに付けくわえる。「フィルバート卿に竜を貸すとなると、ためらう竜騎手もおりまして……」
「ためらうだと? なにをためらうというんだ?」
デイミオンの声が低く、大きくなった。「大戦の功労者、〈ウルムノキアの救世主〉に竜を貸せないというのは、どんなたいした竜騎手様だ?」
里長がこんな声を出すのは、聞き分けのない若い飛竜乗りたちを叱りつけるときだったことをリアナは思いだす。
「いえ!」縮こまっていた若い竜騎手が、あわてて言う。
「むろん、フィルバート卿の武勲はよく存じております。救国の英雄を軽んじているわけでは……」
「ですが、〈竜殺し〉とも呼ばれておられる」中年の竜騎手が声を低めた。「そのようなお方を、われわれ竜騎手の象徴たる竜にお乗せするのですから、慎重になるのが当然ではありませんか? それに、フィルバート卿は〈ハートレス〉でもあるし」
「シメオン卿! リアナ殿下の御前だ」銀髪の騎手に叱責されて、中年の騎手はようやく口を閉じた。
「〈ハートレス〉!」リアナは思わず、叫んでしまった。思わず、自分の胸のあたりを握りしめる。「ほんとう、フィル?」
「ええ」
隣のフィルを見上げると、やれやれというふうに苦笑して、肩をすくめてみせる。
「これは、黙っていたと言われても仕方ないかな。……すみません」
「違うの」慌てて首を振る。が、なにが違うのかと問われると、答えに窮するのは間違いなかった。
〈ハートレス〉。竜の心臓を持たぬもの。竜との絆を築くことなく死ぬもの。
わかってみれば、いろいろなことに納得がいく。デイミオンと対等に話しているのだから、領主貴族に劣らぬ身分のはずなのに、フィルにだけは彼らと違う印象があった。〈呼ばい〉に詳しくなかったこともそうだし、そして、そう、一人だけない長衣……それこそ、フィルが竜族の男性とみなされていないことの、なによりの証拠ではないか。
大戦の功労者。〈竜殺し〉。そんなたいそうな名前で呼ばれていても、竜騎手たちはフィルバートを遠巻きにして、あきらかによそよそしく距離を置いている。それが、〈ハートレス〉への差別意識を如実に表していた。
「よくわかった」デイミオンは彼らをとがめはしなかったが、雷鳴のような声でのたまった。
「フィル、殿下に騎竜術をお教えしろ。セズー号を使え。いいな、レラン?」
レランと呼ばれた若い騎手が、首がもげそうな勢いでうなずいた。
「そういうことだ」
不機嫌な表情のまま、リアナたちのほうを振りかえる。「では殿下、また出発時に。頼むぞ、フィル」
「ああ」
「ご案内します!」リアナたちのほうへ、レランと呼ばれた若者が走り寄ってくる。
フィルに背中に手をあてて促され、リアナは竜のいるほうへと向かった。背中側ではデイミオンの不機嫌そうな声が続いている。
「来い、ハダルク。二日分の報告を聞かせろ。私の部下が、揃いもそろって腰抜けぞろいだということ以外の報告を頼むぞ」
「では、閣下、まず今朝の哨戒のご報告からですが――」
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