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6 あらわになる陰謀
第35話 ひとつの籠、ふたつの卵 3
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午後には人選を終え、リアナはハダルクやほかの竜騎手、フィルの選んだ私兵たちと城の前庭に集まっていた。前の日から降りだした雪が積もりはじめ、塔や屋根を白く飾っている。旅装をととのえたリアナは竜舎に向かった。さくさくと雪を踏みしめる感触にも、気を取られる余裕はない。旅装といっても、里から着てきた服の上にフード付きのマントを羽織っただけの軽装だ。ピーウィは喉を鳴らし、静かに出立を待っていた。
竜舎の奥では、ハダルクが部下たちに指示を出している。
軍靴の堅い音がして、振り返った。デイミオンだった。旅装ではなく、普段通りのルクヴァ姿だが、分厚いマントを手にかけている。
「さっきは……親書のこと、ありがとう」
リアナは迷いながら声をかけた。
青い目が、彼女を見下ろしてきた。
「国境の危機を持ちだされてはな。国難を前にいがみ合うほど、愚かではないつもりだ」
呆れているのか、諦めているのか。デイミオンの表情は読み取りづらい。
けれど、デイミオンは〈呼ばい〉で彼女の計画をすべて知ったうえで、一世一代の芝居に乗ってくれたのだった。
――親書は、王の交代に対する挨拶に過ぎなかった。
なんの法的拘束力も持たない、単なる挨拶状を前に、あたかもそれがより重要な書類であるかのように読み上げたのだ。
彼が口にしてくれた嘘のセリフを前にリアナがどれほど安堵したか……それは、言葉では言い尽くせないほどだった。
「芝居を打つのにあんなに怯えるくらいなら、最初から俺に言っておけ。……こういう状況なら、助けてやらんでもないから」
「じゃあ、一時休戦?」
「ああ」
デイミオンはほのかに笑うと、一歩彼女に近づき、首の後ろに手をやってフードをかぶせた。
「……雪になるぞ」
リアナはさらに彼に近づき、すっかり馴染みになった顔に手をのばした。広く秀でた額、男性らしい太い眉、貴族的な鼻筋、固く引き結ばれた唇。
そして、命令する。「デイ、あなたはここに残って」
「何を言っている」デイミオンは眉をひそめた。
「おまえのように未熟な竜騎手ひとりと領兵とで、デーグルモールが待ち構えている場所へやるとでも?」
「でも、それが戦略だから」
「われわれの国の子どもたちがさらわれ、敵の武器にさせられそうになっているんだぞ!? 俺が行くのは当然だ」
デイミオンの顔が怒りにゆがむ。はじめて会ったころは震えあがるほど怖かった。
(でも今は、違うかな)
彼が何に怒るのか、何を大切にしているのかわかった今なら、もうそれほど怖くない。怒りはたぶん、愛と不安の裏返しなのだ。大切にしている人々を自分が守れないかもしれないという。
そんな彼が、野心家で声が大きくて皮肉ばかり言う男が、王国も民も政敵の少女でさえ等しく自分の力で守ろうとするその傲慢さが、どうしようもなく好きだと思った。
「デーグルモールはともかく、アエディクラがなにかを仕掛けてくる可能性は、そこまで高くないかもしれない」
リアナは考えながら言った。「でも、王権を持つものが二人、戦争になるかもしれないような危険な場所には行けないよ。……『ひとつの籠に卵を入れるな』でしょ?」
「私たちは二つの卵か?」
声は皮肉を含んでいたが、濃紺の目は真剣だった。
リアナは微笑んだ。そして、自分は重要でないほうの卵だ。
「もう行くね」
デイミオンはため息をついて、手を伸ばしてきた。
「それが、俺にとってどれほどの侮辱か、わかって言っているのか?」
頬に、熱く大きな手が触れる。
デイミオンが内心で葛藤しているのが伝わってきた。行かせたくないという思いと、それが最善だという判断とのあいだで。
リアナが理解していることのすべてを、彼がわかってくれている。〈呼ばい〉がそういうものだとは、思っていなかった。こんなふうに安心するものだなんて。デイミオンを間近に見ているうちに、なぜか涙が滲んできた。あの竜車の襲撃のときのように、彼の言葉がリアナを安心させてくれるからなのか。それとも。
(デイミオンだけが、わたしの力を信じてくれたから)
お互いに王になることを望み、対立することもあったけれど、それでもリアナに〈呼ばい〉を教え、白竜の力が使えるようにしてくれたのだ。彼女がまだ何者でもないときから。
「信じてくれる? わたしならできるって。里を守れなかったけど、ケイエはまだ間に合うって」
見あげてくる顔を、デイミオンの両手が包んだ。
「行ってこい。……おまえを信じている」
顔に落ちてくる雪が融けるほどに、その手は熱く感じられた。
竜舎の奥では、ハダルクが部下たちに指示を出している。
軍靴の堅い音がして、振り返った。デイミオンだった。旅装ではなく、普段通りのルクヴァ姿だが、分厚いマントを手にかけている。
「さっきは……親書のこと、ありがとう」
リアナは迷いながら声をかけた。
青い目が、彼女を見下ろしてきた。
「国境の危機を持ちだされてはな。国難を前にいがみ合うほど、愚かではないつもりだ」
呆れているのか、諦めているのか。デイミオンの表情は読み取りづらい。
けれど、デイミオンは〈呼ばい〉で彼女の計画をすべて知ったうえで、一世一代の芝居に乗ってくれたのだった。
――親書は、王の交代に対する挨拶に過ぎなかった。
なんの法的拘束力も持たない、単なる挨拶状を前に、あたかもそれがより重要な書類であるかのように読み上げたのだ。
彼が口にしてくれた嘘のセリフを前にリアナがどれほど安堵したか……それは、言葉では言い尽くせないほどだった。
「芝居を打つのにあんなに怯えるくらいなら、最初から俺に言っておけ。……こういう状況なら、助けてやらんでもないから」
「じゃあ、一時休戦?」
「ああ」
デイミオンはほのかに笑うと、一歩彼女に近づき、首の後ろに手をやってフードをかぶせた。
「……雪になるぞ」
リアナはさらに彼に近づき、すっかり馴染みになった顔に手をのばした。広く秀でた額、男性らしい太い眉、貴族的な鼻筋、固く引き結ばれた唇。
そして、命令する。「デイ、あなたはここに残って」
「何を言っている」デイミオンは眉をひそめた。
「おまえのように未熟な竜騎手ひとりと領兵とで、デーグルモールが待ち構えている場所へやるとでも?」
「でも、それが戦略だから」
「われわれの国の子どもたちがさらわれ、敵の武器にさせられそうになっているんだぞ!? 俺が行くのは当然だ」
デイミオンの顔が怒りにゆがむ。はじめて会ったころは震えあがるほど怖かった。
(でも今は、違うかな)
彼が何に怒るのか、何を大切にしているのかわかった今なら、もうそれほど怖くない。怒りはたぶん、愛と不安の裏返しなのだ。大切にしている人々を自分が守れないかもしれないという。
そんな彼が、野心家で声が大きくて皮肉ばかり言う男が、王国も民も政敵の少女でさえ等しく自分の力で守ろうとするその傲慢さが、どうしようもなく好きだと思った。
「デーグルモールはともかく、アエディクラがなにかを仕掛けてくる可能性は、そこまで高くないかもしれない」
リアナは考えながら言った。「でも、王権を持つものが二人、戦争になるかもしれないような危険な場所には行けないよ。……『ひとつの籠に卵を入れるな』でしょ?」
「私たちは二つの卵か?」
声は皮肉を含んでいたが、濃紺の目は真剣だった。
リアナは微笑んだ。そして、自分は重要でないほうの卵だ。
「もう行くね」
デイミオンはため息をついて、手を伸ばしてきた。
「それが、俺にとってどれほどの侮辱か、わかって言っているのか?」
頬に、熱く大きな手が触れる。
デイミオンが内心で葛藤しているのが伝わってきた。行かせたくないという思いと、それが最善だという判断とのあいだで。
リアナが理解していることのすべてを、彼がわかってくれている。〈呼ばい〉がそういうものだとは、思っていなかった。こんなふうに安心するものだなんて。デイミオンを間近に見ているうちに、なぜか涙が滲んできた。あの竜車の襲撃のときのように、彼の言葉がリアナを安心させてくれるからなのか。それとも。
(デイミオンだけが、わたしの力を信じてくれたから)
お互いに王になることを望み、対立することもあったけれど、それでもリアナに〈呼ばい〉を教え、白竜の力が使えるようにしてくれたのだ。彼女がまだ何者でもないときから。
「信じてくれる? わたしならできるって。里を守れなかったけど、ケイエはまだ間に合うって」
見あげてくる顔を、デイミオンの両手が包んだ。
「行ってこい。……おまえを信じている」
顔に落ちてくる雪が融けるほどに、その手は熱く感じられた。
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