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第6章 ほとんど宗教的なIF
第27話:ほとんど宗教的なIF・3
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鳥居が解体されたときのように、手掌はいくつもの直線で分割されて回転や変形を繰り返す。そして小さなボールのようなオブジェになって神威の手に収まった。
一見すると球体のようだが、よく見ると古いポリゴンのように三角形の継ぎ合わせで出来ている、虹色の正二十面体だ。
彼方はその物体をよく知っている。これこそが神威の愛武器、ファンタジスタ屈指の特殊武装、その名を『汎将』。
「やはりそれは汎将か。汎将をファンタジスタから持ち出したのか? それがお前の能力か?」
「持ち出したのではなく、単に持っているだけです。持ち出すという行為は内外の断絶を前提しますが、あらゆる世界は連続した可能性で繋がっている故。それは汎将も同じです。無限に広がる可能性の中で変化していくものを諦めないこと。それが私にできること、そしてあなたに欠けること」
神威が汎将を撫でると三度目の変形が始まる。
今度は緩やかな細長い曲線と短い直線へ、すなわち虹色に光る弓矢へと。神威が矢を番えるより早く、彼方は手元の機関銃を神威に向ける。
しかし発砲した銃弾が届く頃には、神威の眼前に現れた重厚な虹色の盾がそれを弾いた。
「あは、アレってホントのホントにあの汎将?」
「間違いない。あんなふざけた武器を扱えるのはどの世界にも神威しかいないさ」
「汎将」。その本質はあらゆる武器のあらゆるモードを内包する超汎用武器である。
汎将の初期状態は虹色に光る正二十面体だ。各面がスイッチになっており、タップすることでオンとオフを切り替えられる。各面にスイッチは一つずつ、合計二十個。これらスイッチの順列組み合わせに応じて汎将の形態は変化する。よって形態の総数たるや二の二十乗、実に1048576通り。鳥居や手掌も無数の形態変化の一つに過ぎない。
そして変化後の形態にも各部位にスイッチが付いている。どこにどのスイッチが付いているのか、そしてどのスイッチをどう押せばどう変化するのかを100万通り以上も把握して管理しなければ汎将は使いこなせない。
最低クラスのドロップ率に最高クラスの難易度、玄人向けを通り越して使用不能の怪物武器。プロゲーマーを含めて汎将を真面目に使おうとしたプレイヤーは誰もいなかった。遊び半分でファンタジスタに実装されたイースターエッグとすら言われていたものだ。
だが、神威だけが例外だった。神威ただ一人だけが、汎将が内包する全ての可能性を完璧に把握し、超汎用武装として実戦で通用することを証明してみせた。
神威が手にしたとき、汎将はあらゆる武器の上位互換となる。敵と局面に応じて自由自在に武器を切り替えられる神威の汎将は常にジャンケンを後出しできるに等しい。
ファンタジスタにおいて汎将は千ゲームに一回しかドロップしない超レア武器だったが、それは千ゲームに一度の頻度で神威の完全試合が生じることを意味していた。高校生日本選手権ですら、もし汎将がドロップしていれば優勝は神威だったことは誰もが認めざるを得ない。
「私たちはミーティングで汎将持ちの神威を倒す戦略を考えたことはあっただろうか?」
「話題に出ることも無かったわけじゃないけどね。そんな無謀を考えるより、他の戦略詰める方に流れがち~」
「期待値で言えばそれが合理的な判断だが、我々は汎将を持つ神威にエンカウントしてしまった。ゲームが始まった以上、今ここで攻略方法を考えるしかない」
「それは同感」
彼方が身を屈めた数センチ頭上を細い鎌が薙いでいった。鋭い風圧が遅れてヒュンと音を立てる。剃刀のような刃が彼方の長髪を数本飛ばす。回避が数瞬遅れていれば綺麗に刈られていたのは彼方の眼球と視界だった。
いま神威が大きく振り回している武器は超長鎖鎌、二十メートル以上もある長い鎖で繋がれた鎌である。それもまた百万以上ある汎将の形態の一つ。
鎖鎌は再び大きく空を薙いで立夏が乗っているカートを掠め、僅かに火花を散らして表面に傷を残した。
「汎将の弱点は何か無かったか。そもそもの仕様でも神威の癖でも何でもいい」
「たしか、完全に分離する武器は扱えなかったような。汎将の機能は変形であって分裂ではないからね。銃器に変形することはできても銃弾は別途に補給しないといけないはず」
「つまり飛び道具は扱えないということか」
「そうでもないよ。逆に少しでも繋がってればいいわけだからね。例えば、さっき撃とうとした弓矢は矢じりに長い紐が付いてて弓と繋がってたはず。一発撃つごとに手繰り寄せて再装填する感じかな……いや、そんなことしなくても最速で二回変形すれば一瞬か」
「トラップの類を扱えないのはありがたくはあるな。無限に武器を持っているだけの相手とのタイマンと思えばしばらくは凌げる」
彼方は大量に落ちている機関銃を一つ拾ってまた神威に向ける。
それを受けて神威は宙を走る鎖に指を走らせた。まるでピアノでも弾くように滑らかに。瞬間、汎将は新たな形態へ。質量も体積も無視して変形し、即席の巨大壁が出来上がる。彼方は狙撃を中断して一気に走り出した。
この三十メートル前後の中距離レンジは神威と汎将の独壇場だ。近くも遠くもない距離こそが膨大な手数が最も活きる間合いであり、およそ百万の武器を持つ神威に勝てる道理はない。何とかして強引に近距離の肉弾戦に持ち込んだ方がまだ勝算がある。
「!」
だが、彼方の突進は超巨大な鋏に阻まれた。刃渡り数十メートルに及ぶ虹色の鋏が、左右から彼方の胴体を両断すべく迫る。
後退すれば思う壺、彼方はその場で低く伏せてやり過ごす。頭上で刃が衝突し、彼方の髪をショートに削った。
そして間髪入れずに柄の長い巨大ハンマーが前方から降ってきた。彼方は地面に這ったまま、ブレイクダンスのように足を振り上げる。ローラーブレードの蹴りを真上に放っての相殺、ダメージこそないものの衝撃で後ろに弾かれて元の間合いに戻ってしまう。
続いて超長剣が現れる。これがまた凄まじく長く、刀身はもはや銀色の帯という有様だった。空中でたわむこともなく、小型銃よりも長い射程で彼方を切り捨てるべく袈裟懸けに宙を滑る。
彼方は横にステップして躱すが、その瞬間に今度は薙刀だ。もちろん天井に届くほど巨大な。
「神威の動きと反応が良すぎる。汎将を取り回すスピードがあまりにも早い」
「そう? ファンタジスタでもあんなもんだったと思うけど」
「それがもうおかしい。ファンタジスタでの動作には自動補正が付いていたはずだから」
「確かに。じゃあ今は補正が切れてるのに同じくらい動いてるってこと。あれ、それなら彼方ちゃんも同じだけど」
「そう、私と同じだ。ゲームの世界を超える身体と能力を持つ者。神威も貫存在だ」
「その設定臭い専門用語、私は初めて聞いたかも」
神威が刃渡り数十メートルもある超長薙刀を振るう。
薄い刃に合わせて横から銃弾を当てるが、僅かに軌道がそれるだけで汎将には傷一つ付きはしない。汎将はファンタジスタでは破壊不能オブジェクトだった。今ここで破壊を受け付けるかどうかはわからないが、少なくとも手元にある程度の武器で試みるのは現実的ではない。
やはり神威はこの距離を維持することに決めているようだった。リーチの外からひたすら巨大武器が彼方に差し向けられる。神威の攻撃は捌けなくもないが、こちらからの有効攻撃手段がないまま、一手誤れば即死する択を押し付けられ続けている。
彼方の体力だって無限ではない。このまま数時間も続けばどこかで疲れが来て先に崩れるのは彼方の方だ。
「おい神威、ここはファンタジスタじゃない。タイムアップの判定勝ちは無いぞ!」
「攻め急がせようとしても無駄です。私はこの距離であなたの可能性を潰し続ける、いずれあなたは力尽きる。そこまで粘ります」
「わかっているじゃないか、粘着質の神威。この距離でローリスクローリターンな攻撃を振り続けるのがお前にとっての最善だ」
「私が選択肢を見誤ることはありません。選択肢とはすなわち可能性、そして私の領域である故」
実際、プロゲーマー屈指を誇る神威の状況判断力はファンタジスタ内と遜色なく冴え渡っている。
彼方が猛攻の間を縫って攻勢に転じようとした瞬間、即応して新たな武器が降り注いでくる。鎌や刃が身体を掠めていき、檻のようにその場に貼り付けにされて動けない。チャンスが見えない以上はリスクも取れない。完全に汎将の勝ちパターンに入っている。
「くそ、間合いから出られない。汎将の性能が終わってる!」
「ファンタジスタでは手も足も出なかったわけだし、同じことやってれば同じ結果なのは当然だよね~。逆に言えば、私たちはファンタジスタでは有り得ない手を取るってところから考え始めないといけないはずなんだ」
「それはそうだ。冷静で助かる」
「それを踏まえて何かある? 私たちがファンタジスタ内ではやろうともしなかったこと、ゲーム内では意味のないこと、神威ちゃんが思い付きもしないこと」
「全く思い付かない。私にとってはファンタジスタもこの世界も同じだから」
「あは、それが彼方ちゃんの限界だよね~。彼方ちゃんは普段からすぐ自分の命を賭け始めるから、本当に死にそうになっても閃きがないんだ。一応言っとくけど、他の人はそうじゃないよ」
「立夏もそうなのか?」
「私は別にどうでもいいな~。そうじゃなかったら彼方ちゃんみたいな異常者に付き合ってられないよ。だけど少なくとも、神威ちゃんにとって、ファンタジスタで人が死ぬこととここで人が死ぬことは違うんだよね。だからこそ神威ちゃんはここで彼方ちゃんを殺さないといけないわけだし」
「神威にとっては、この世界での死にも重みがある?」
「あは、今いいこと言ったかも~。それって付け込めるよね?」
「そうか確かに、神威の弱点はここか」
「ゲームの鉄則だよね。相手が嫌がることをするのは!」
彼方は右手で地面の小石を三つ掴んだ。迫りくる鎖鎌の隙を突き、立て続けに神威に向けて打ち出す。
宙を舞う刃がそれを弾くのには一秒もかからなかったが、死角になった左手で後ろに携帯型の生体印刷機を投げていた。それは僅かに空けた戦車の窓から立夏の手に渡る。
「やっぱりこれだよね。つくづく私たちは同じこと考えるね~」
「それで準備するのに何秒かかる?」
「一分! 工作は得意だけど、これはやったことないからな~」
「それくらいなら私が凌ぐ。他にオーダーは?」
「間合いだな~。せめてもう十メートルは近付いておいてほしいかな」
「無茶言うな。さっきから十センチも進めないのを見ているだろう」
「それって五体満足を守る前提があるからでしょ? 最低限だけ残ればいいからあとは全部使っちゃってよ」
「確かに……リソースを吐くなら今か」
いま神威が振り回しているのは鎖鎌のメリーゴーランドとでも言うべき範囲攻撃武器だ。数十メートルもある鎖が十本以上も繋ぎ合わされ、その先端には鋭利な刃が光っている。神威は長い鎖を手足のように操って攻撃の手を緩めない。
周囲一帯に刃の嵐が吹き荒れる。鎖の長さがまちまちな上、鎌が極めて薄いのがよく出来ていた。風を受けて僅かに振動する刃の軌道はランダムに変化する。彼方の動体視力なら一枚一枚を回避することは難しくないが、乱数を含んだ刃の中を進むには無傷ではいられない。
「それ、私は見たことが無いな!」
「二進パターンの10011101001110011110番です。汎将が持つ武装のうち、公に見せたことのある武器は千分の一もありません。あなたには思いもよらない可能性がこの世にはいくらでもあります」
「意表を突くのはお前の専売特許じゃないぜ」
熾烈な攻撃を前にして、彼方はあえて一歩前に出た。一瞬で親指が吹き飛ぶ。
身体の末端に焼けるような痛みが走る。痛覚の有無はファンタジスタとの相違点の一つだが、彼方の思考は乱れない。
やはりこの武器の殺傷力はそれほど高くない。部位欠損はするが即死はしない。
「なるほど、自傷はあなたの専売特許でしたね」
「それは違う。自殺と自傷は別物だ」
とはいえ、ファンタジスタ内で自殺を繰り返した経験が欠損のライン取りに貢献しているのは事実だ。
精巧な身体モデルに裏打ちされた自殺シミュレートによって、死ぬラインと死なないラインは彼方には手に取るようにわかる。中央の体幹さえ無事なら、身体の末端を削ったところで少なくともしばらくはまず死なない。
彼方は更に前に出た。その代償に右手首から先が切断されてあっけなく宙に舞った。空中で何度も刻まれて地面に落ちる頃にはミンチの肉片になっている。
しかし、これで確信を得た。神威は攻撃領域の展開で自分を防衛できると思っている。つまり傷を厭わなければもっと先まで近付ける。
「これで今後あなたが右手を使う可能性が無くなりました。悲しいとは思いませんか。あなたが今失ったのは単なる肉体の一部ではありません。自分の腕で愛する人に触れる可能性、自らの手で埋葬する可能性……」
「どうでもいいさ、そんなもの。可能性なんて目的を達成するために使い捨てる捨て石だ。お前を殺すためならいくらでもくれてやる」
彼方の右肘が切断され、次の瞬間には右肩から先が吹き飛ばされる。汎将の刃の前では防刃トレンチコートも役に立たない。
いよいよ損傷が太い血管に達し、噴水のように血液が吹き出す。失血死の危険が近い、このまま戦えば一分も経たずに彼方は死ぬ。眼前に迫っている鎌を避けることだって実はもう出来ない。
それでも彼方は動じない。何故なら、あと半秒でちょうど一分が経過するからだ。
一分稼いだ、間合いも詰めた。立夏がやれと言ったことをやった。だったら彼方の勝ちだ。
「できたよ~」
通信機から間の抜けた声がする。
一見すると球体のようだが、よく見ると古いポリゴンのように三角形の継ぎ合わせで出来ている、虹色の正二十面体だ。
彼方はその物体をよく知っている。これこそが神威の愛武器、ファンタジスタ屈指の特殊武装、その名を『汎将』。
「やはりそれは汎将か。汎将をファンタジスタから持ち出したのか? それがお前の能力か?」
「持ち出したのではなく、単に持っているだけです。持ち出すという行為は内外の断絶を前提しますが、あらゆる世界は連続した可能性で繋がっている故。それは汎将も同じです。無限に広がる可能性の中で変化していくものを諦めないこと。それが私にできること、そしてあなたに欠けること」
神威が汎将を撫でると三度目の変形が始まる。
今度は緩やかな細長い曲線と短い直線へ、すなわち虹色に光る弓矢へと。神威が矢を番えるより早く、彼方は手元の機関銃を神威に向ける。
しかし発砲した銃弾が届く頃には、神威の眼前に現れた重厚な虹色の盾がそれを弾いた。
「あは、アレってホントのホントにあの汎将?」
「間違いない。あんなふざけた武器を扱えるのはどの世界にも神威しかいないさ」
「汎将」。その本質はあらゆる武器のあらゆるモードを内包する超汎用武器である。
汎将の初期状態は虹色に光る正二十面体だ。各面がスイッチになっており、タップすることでオンとオフを切り替えられる。各面にスイッチは一つずつ、合計二十個。これらスイッチの順列組み合わせに応じて汎将の形態は変化する。よって形態の総数たるや二の二十乗、実に1048576通り。鳥居や手掌も無数の形態変化の一つに過ぎない。
そして変化後の形態にも各部位にスイッチが付いている。どこにどのスイッチが付いているのか、そしてどのスイッチをどう押せばどう変化するのかを100万通り以上も把握して管理しなければ汎将は使いこなせない。
最低クラスのドロップ率に最高クラスの難易度、玄人向けを通り越して使用不能の怪物武器。プロゲーマーを含めて汎将を真面目に使おうとしたプレイヤーは誰もいなかった。遊び半分でファンタジスタに実装されたイースターエッグとすら言われていたものだ。
だが、神威だけが例外だった。神威ただ一人だけが、汎将が内包する全ての可能性を完璧に把握し、超汎用武装として実戦で通用することを証明してみせた。
神威が手にしたとき、汎将はあらゆる武器の上位互換となる。敵と局面に応じて自由自在に武器を切り替えられる神威の汎将は常にジャンケンを後出しできるに等しい。
ファンタジスタにおいて汎将は千ゲームに一回しかドロップしない超レア武器だったが、それは千ゲームに一度の頻度で神威の完全試合が生じることを意味していた。高校生日本選手権ですら、もし汎将がドロップしていれば優勝は神威だったことは誰もが認めざるを得ない。
「私たちはミーティングで汎将持ちの神威を倒す戦略を考えたことはあっただろうか?」
「話題に出ることも無かったわけじゃないけどね。そんな無謀を考えるより、他の戦略詰める方に流れがち~」
「期待値で言えばそれが合理的な判断だが、我々は汎将を持つ神威にエンカウントしてしまった。ゲームが始まった以上、今ここで攻略方法を考えるしかない」
「それは同感」
彼方が身を屈めた数センチ頭上を細い鎌が薙いでいった。鋭い風圧が遅れてヒュンと音を立てる。剃刀のような刃が彼方の長髪を数本飛ばす。回避が数瞬遅れていれば綺麗に刈られていたのは彼方の眼球と視界だった。
いま神威が大きく振り回している武器は超長鎖鎌、二十メートル以上もある長い鎖で繋がれた鎌である。それもまた百万以上ある汎将の形態の一つ。
鎖鎌は再び大きく空を薙いで立夏が乗っているカートを掠め、僅かに火花を散らして表面に傷を残した。
「汎将の弱点は何か無かったか。そもそもの仕様でも神威の癖でも何でもいい」
「たしか、完全に分離する武器は扱えなかったような。汎将の機能は変形であって分裂ではないからね。銃器に変形することはできても銃弾は別途に補給しないといけないはず」
「つまり飛び道具は扱えないということか」
「そうでもないよ。逆に少しでも繋がってればいいわけだからね。例えば、さっき撃とうとした弓矢は矢じりに長い紐が付いてて弓と繋がってたはず。一発撃つごとに手繰り寄せて再装填する感じかな……いや、そんなことしなくても最速で二回変形すれば一瞬か」
「トラップの類を扱えないのはありがたくはあるな。無限に武器を持っているだけの相手とのタイマンと思えばしばらくは凌げる」
彼方は大量に落ちている機関銃を一つ拾ってまた神威に向ける。
それを受けて神威は宙を走る鎖に指を走らせた。まるでピアノでも弾くように滑らかに。瞬間、汎将は新たな形態へ。質量も体積も無視して変形し、即席の巨大壁が出来上がる。彼方は狙撃を中断して一気に走り出した。
この三十メートル前後の中距離レンジは神威と汎将の独壇場だ。近くも遠くもない距離こそが膨大な手数が最も活きる間合いであり、およそ百万の武器を持つ神威に勝てる道理はない。何とかして強引に近距離の肉弾戦に持ち込んだ方がまだ勝算がある。
「!」
だが、彼方の突進は超巨大な鋏に阻まれた。刃渡り数十メートルに及ぶ虹色の鋏が、左右から彼方の胴体を両断すべく迫る。
後退すれば思う壺、彼方はその場で低く伏せてやり過ごす。頭上で刃が衝突し、彼方の髪をショートに削った。
そして間髪入れずに柄の長い巨大ハンマーが前方から降ってきた。彼方は地面に這ったまま、ブレイクダンスのように足を振り上げる。ローラーブレードの蹴りを真上に放っての相殺、ダメージこそないものの衝撃で後ろに弾かれて元の間合いに戻ってしまう。
続いて超長剣が現れる。これがまた凄まじく長く、刀身はもはや銀色の帯という有様だった。空中でたわむこともなく、小型銃よりも長い射程で彼方を切り捨てるべく袈裟懸けに宙を滑る。
彼方は横にステップして躱すが、その瞬間に今度は薙刀だ。もちろん天井に届くほど巨大な。
「神威の動きと反応が良すぎる。汎将を取り回すスピードがあまりにも早い」
「そう? ファンタジスタでもあんなもんだったと思うけど」
「それがもうおかしい。ファンタジスタでの動作には自動補正が付いていたはずだから」
「確かに。じゃあ今は補正が切れてるのに同じくらい動いてるってこと。あれ、それなら彼方ちゃんも同じだけど」
「そう、私と同じだ。ゲームの世界を超える身体と能力を持つ者。神威も貫存在だ」
「その設定臭い専門用語、私は初めて聞いたかも」
神威が刃渡り数十メートルもある超長薙刀を振るう。
薄い刃に合わせて横から銃弾を当てるが、僅かに軌道がそれるだけで汎将には傷一つ付きはしない。汎将はファンタジスタでは破壊不能オブジェクトだった。今ここで破壊を受け付けるかどうかはわからないが、少なくとも手元にある程度の武器で試みるのは現実的ではない。
やはり神威はこの距離を維持することに決めているようだった。リーチの外からひたすら巨大武器が彼方に差し向けられる。神威の攻撃は捌けなくもないが、こちらからの有効攻撃手段がないまま、一手誤れば即死する択を押し付けられ続けている。
彼方の体力だって無限ではない。このまま数時間も続けばどこかで疲れが来て先に崩れるのは彼方の方だ。
「おい神威、ここはファンタジスタじゃない。タイムアップの判定勝ちは無いぞ!」
「攻め急がせようとしても無駄です。私はこの距離であなたの可能性を潰し続ける、いずれあなたは力尽きる。そこまで粘ります」
「わかっているじゃないか、粘着質の神威。この距離でローリスクローリターンな攻撃を振り続けるのがお前にとっての最善だ」
「私が選択肢を見誤ることはありません。選択肢とはすなわち可能性、そして私の領域である故」
実際、プロゲーマー屈指を誇る神威の状況判断力はファンタジスタ内と遜色なく冴え渡っている。
彼方が猛攻の間を縫って攻勢に転じようとした瞬間、即応して新たな武器が降り注いでくる。鎌や刃が身体を掠めていき、檻のようにその場に貼り付けにされて動けない。チャンスが見えない以上はリスクも取れない。完全に汎将の勝ちパターンに入っている。
「くそ、間合いから出られない。汎将の性能が終わってる!」
「ファンタジスタでは手も足も出なかったわけだし、同じことやってれば同じ結果なのは当然だよね~。逆に言えば、私たちはファンタジスタでは有り得ない手を取るってところから考え始めないといけないはずなんだ」
「それはそうだ。冷静で助かる」
「それを踏まえて何かある? 私たちがファンタジスタ内ではやろうともしなかったこと、ゲーム内では意味のないこと、神威ちゃんが思い付きもしないこと」
「全く思い付かない。私にとってはファンタジスタもこの世界も同じだから」
「あは、それが彼方ちゃんの限界だよね~。彼方ちゃんは普段からすぐ自分の命を賭け始めるから、本当に死にそうになっても閃きがないんだ。一応言っとくけど、他の人はそうじゃないよ」
「立夏もそうなのか?」
「私は別にどうでもいいな~。そうじゃなかったら彼方ちゃんみたいな異常者に付き合ってられないよ。だけど少なくとも、神威ちゃんにとって、ファンタジスタで人が死ぬこととここで人が死ぬことは違うんだよね。だからこそ神威ちゃんはここで彼方ちゃんを殺さないといけないわけだし」
「神威にとっては、この世界での死にも重みがある?」
「あは、今いいこと言ったかも~。それって付け込めるよね?」
「そうか確かに、神威の弱点はここか」
「ゲームの鉄則だよね。相手が嫌がることをするのは!」
彼方は右手で地面の小石を三つ掴んだ。迫りくる鎖鎌の隙を突き、立て続けに神威に向けて打ち出す。
宙を舞う刃がそれを弾くのには一秒もかからなかったが、死角になった左手で後ろに携帯型の生体印刷機を投げていた。それは僅かに空けた戦車の窓から立夏の手に渡る。
「やっぱりこれだよね。つくづく私たちは同じこと考えるね~」
「それで準備するのに何秒かかる?」
「一分! 工作は得意だけど、これはやったことないからな~」
「それくらいなら私が凌ぐ。他にオーダーは?」
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「無茶言うな。さっきから十センチも進めないのを見ているだろう」
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「確かに……リソースを吐くなら今か」
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周囲一帯に刃の嵐が吹き荒れる。鎖の長さがまちまちな上、鎌が極めて薄いのがよく出来ていた。風を受けて僅かに振動する刃の軌道はランダムに変化する。彼方の動体視力なら一枚一枚を回避することは難しくないが、乱数を含んだ刃の中を進むには無傷ではいられない。
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「意表を突くのはお前の専売特許じゃないぜ」
熾烈な攻撃を前にして、彼方はあえて一歩前に出た。一瞬で親指が吹き飛ぶ。
身体の末端に焼けるような痛みが走る。痛覚の有無はファンタジスタとの相違点の一つだが、彼方の思考は乱れない。
やはりこの武器の殺傷力はそれほど高くない。部位欠損はするが即死はしない。
「なるほど、自傷はあなたの専売特許でしたね」
「それは違う。自殺と自傷は別物だ」
とはいえ、ファンタジスタ内で自殺を繰り返した経験が欠損のライン取りに貢献しているのは事実だ。
精巧な身体モデルに裏打ちされた自殺シミュレートによって、死ぬラインと死なないラインは彼方には手に取るようにわかる。中央の体幹さえ無事なら、身体の末端を削ったところで少なくともしばらくはまず死なない。
彼方は更に前に出た。その代償に右手首から先が切断されてあっけなく宙に舞った。空中で何度も刻まれて地面に落ちる頃にはミンチの肉片になっている。
しかし、これで確信を得た。神威は攻撃領域の展開で自分を防衛できると思っている。つまり傷を厭わなければもっと先まで近付ける。
「これで今後あなたが右手を使う可能性が無くなりました。悲しいとは思いませんか。あなたが今失ったのは単なる肉体の一部ではありません。自分の腕で愛する人に触れる可能性、自らの手で埋葬する可能性……」
「どうでもいいさ、そんなもの。可能性なんて目的を達成するために使い捨てる捨て石だ。お前を殺すためならいくらでもくれてやる」
彼方の右肘が切断され、次の瞬間には右肩から先が吹き飛ばされる。汎将の刃の前では防刃トレンチコートも役に立たない。
いよいよ損傷が太い血管に達し、噴水のように血液が吹き出す。失血死の危険が近い、このまま戦えば一分も経たずに彼方は死ぬ。眼前に迫っている鎌を避けることだって実はもう出来ない。
それでも彼方は動じない。何故なら、あと半秒でちょうど一分が経過するからだ。
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