ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン

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第7章 ハッピーピープル

第36話:ハッピーピープル・7

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 彼方は立夏とリツカを両脇に抱えて屋根の上へと飛び乗った。
 こんなこともあろうかと家の上には避難用の高台を作っている。そこに二人を置き、更に立てた柱を駆け登って高所から村全体を見渡す。太い柱をまとめて梯子をかけた簡素な物見やぐらだが、この小さな村を見渡すには十分だ。
 案の定、オークが柵の隙間から何体かドスドスと入ってきていた。
 この村は柵がぐるりと覆う中で何故か隙間の空いた場所が三か所ある。隙間を埋めて堅牢な柵を作ることもそう難しくはないが、彼方はあえてそうしていなかった。
 オークの襲撃は、この時間の止まった村に変化らしきものをもたらす唯一のイベントだからだ。この固着から抜け出すヒントがあるとしたらここしかない。自分からオークやエルフを積極的に殺害することは立夏との誓いに反するが、柵を修繕しないことで消極的に殺害を看過することは問題ない。
 彼方は意識して目と耳に集中力を割り振った。数キロ先まで知覚できる状態で村の隅々まで神経を尖らせる。

「きゃあああー!」

 改めて見てまず一つ意外なのは、エルフたちが皆ちゃんと悲鳴を上げて逃げ惑っていることだ。
 少なくともとりあえず眼前に迫る死の恐怖を認識する能力は誰にでもある。死体を気にせず肥料にはする割には死を達観しているわけでもない。
 しかしその逃げ方は行き当たりばったりだ。ただとりあえず距離を取っているだけで、最終的にどこかゴールを目指しているわけではない。この村にはシェルターのような安全地帯は特にないので当然と言えば当然だが、それなら何故シェルターを作らないのかという話でもある。
 結局、細身の若いエルフは別のオークとエンカウントして棍棒で殴られて死んだ。
 そしてよく見ると、オークもオークでエルフを狙って追い回しているという風でもなかった。
 確かにドスドスと速足で移動してはいるが、これは決してエルフを追ってのものではない。目の前でエルフが左に逃げても平然と右に曲がったりする。個体差はあるが、概ね右と左を交互に曲がる程度のごくごく単純なルールで動いている。逃げてきたエルフが勝手にその軌道上にいて殺されるだけだ。
 こうなってくるとオークというやつも大概よくわからない。
 何がしたくてエルフを殺しているのか。彫りの深い顔からは感情は読みにくいが、少なくとも怒り狂っているようには見えない。エルフを殺したあとに略奪か強姦か捕食でもしてくれればいいのだがそれもない。

「……」

 果たしてこれは戦争なのだろうか?
 何か根本的な要件が欠けているように思えてならない。殺意か意志か憎悪か決意か、どれも部分的には正しいが、本質を言い当てているとは思えない。そういう各人が持ったり持たなかったりするものではなくて、この場全体が何か重要なものを欠いているのである。
 彼方は物見やぐらから飛び降りた。オークの単純な挙動からして高台に避難する立夏とリツカを狙って襲ってくることもないだろう。仮にあったとしてもその動きを見逃す彼方ではないし、誓いの例外規定である正当防衛を発動できる。
 彼方は今まさにオークに襲われているエルフの前に降り立った。オークは棍棒を振り上げ始めたところで、撲殺まであと三秒というところだ。
 彼方はしゃがんでスマートフォンを構え、カメラ越しにその最期をよく観察する。
 エルフは腰を抜かして地面に這いつくばっている。身体は震え、動こうにも爪が地面の砂を引っ掻くばかりだ。目を見開いて鼻水を垂れ流し、美しい顔が汚れ切っている。
 これは本物の恐怖だ。何かの演技ではない。
 生命体がその定義上で生命に執着するために生まれてくる不合理な反応。生きたいのに生きられない、存在の消滅への絶対的恐怖。

「助けて……」

 硬直した喉から絞り出したか細い声、藁をも掴んで彼方に助けを求める祈り。
 しかし彼方には応じる理由が特にないので無視する。エルフを助けることは誓いに含まれていないし、エルフを助けたことはもう既にある。同じことを繰り返すよりは死ぬのを間近で見る方が情報価値が高い。
 目の前でエルフの顔面が叩き潰された。血が飛び散って地面を濡らし、彼方の顔にも飛び散った。死の間際に何か独特なことを言うかもしれないと期待していたが、特に何もなかった。

「エルフはもういいか。お前はどういうモチベーションでここに立っている?」

 彼方は今エルフを撲殺したオークの目の前に立った。前に立ち塞がって改めて全身を観察する。
 オークはすぐに彼方に向けて棍棒を振り上げた。エルフ以外も襲うのかどうかは一つの疑問だったが、目の前にいれば誰でも襲うようだ。
 猛スピードで迫る棍棒にとりあえず手の甲を合わせて弾いた。どこまでも単純な直線軌道を逸らすのは全く難しくない。オークは驚きの表情を浮かべるでもなく、また体勢を立て直して殴ってくる。今度は二本指で受ける。
 棍棒を三回も向けられる頃には、人差し指一本で捌けるようになっていた。軌道に爪の先を合わせて、円を描くように誘導して軌道を書き換えればいいだけだ。
 何度弾いてもオークは発展のない攻撃を繰り返す。正面がダメなら横から殴るとか、棍棒で殴るのではなく蹴ってみるとか、そういう工夫をする気はないらしい。あまりにも幼稚な攻撃だが、それでもここには疑似的な闘争があると言えなくもない。
 オークにその意志があるかどうかはともかく、とりあえず相手を殺しうる行動を取っている者がいるのだから。

「ああ……」

 喉から安堵の息が漏れた。
 まるで優しい故郷の味というか、サウナに入っているときの心地よさというか。形だけでも殺意が自分に向けられているという事実にとても穏やかな気持ちになる。闘争の無い狂った世界で唯一安心できる場所があるとすれば、それはこの棍棒の軌道上だけだ。
 爪で弾くのも飽きてきたので試しに蹴りで棍棒を受けてみると、オークは思いのほか大きく体勢を崩した。両手を広げて腹部の弱点を大きく晒す。
 まるで典型的なやられモーションのデモだ。アクションゲームですらない、アドベンチャーゲームで突然画面がスローになって「〇ボタンを押せ!」というQTE演出が入る見事な隙。
 まるで殺してくださいと主張しているかのような巨体を前にして彼方の闘争本能が疼く。
 これは砂漠を彷徨った末に突然現れたオアシス、豪雪の大地を彷徨った末に突然現れた暖炉付きの家。あとはもう身体が勝手に動いた。
 ローラーブレードを振り上げ、オークの無防備な腹部に抉るような前蹴りを放つ。たった一撃でオークの全身が頭まで揺れて意識を失う。
 一ヶ月ぶりに本来の用途に使われた車輪が歓喜し、更に激しく回って宙に舞った。オークがうつ伏せに昏倒するところを狙い、このまま首筋に着地して体重と回転量で頸椎を削り折って殺す。
 だが、そこで彼方は我に返った。慌てて自分の拳で右足を殴る。
 軌道が無理やり修正され、車輪はオークを避けて地面に衝突する。砂の地層が深く抉られて土煙が舞う。
 昏倒したオークの隣で彼方もバランスを崩して地面に倒れた。

「……」

 高台を見る。やはり立夏は彼方を見ていた。
 今、もう少し復帰が遅ければ彼方は間違いなくオークを殺していた。首の肉を削り取り、太い骨を破壊し、オークの生命機能を破壊して再起不能にしていた。
 それは紛れもない殺意。オークの攻撃など余裕で捌いていた以上は正当防衛でもない。未遂とはいえ言い訳はできない。

「……ごめんなさい」

 声が届く距離ではないが立夏に向かって口を動かす。

 立夏は一瞬目を瞑って溜息を吐く。それは微妙な仕草だったが、付き合いの長い彼方にも初めて見せる感情。
 この日、立夏が怒っている顔を彼方は人生で初めて見たのだった。
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