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第9章 白い蛆ら
第47話:白い蛆ら・4
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彼方にとって、格闘とはスキルが表現する意図の連鎖と応酬である。
牽制しようとか迎撃しようとか、一定の意図の下でチャンク化された動作を行うことで読み合いが成立するのだ。リスクとリターンを勘案して打ち勝てばダメージが通るし、いつでも勝てる安定行動もある。
だが、ジュリエットの動きは悉く狙いが読めない。動きが牽制なのかカウンターなのかわからない。それどころか、どこまでが一つのスキルなのかがわからない。最初は彼方が攻守や意図を見誤っているのかと思ったが、それも違った。
ジュリエットにはスキルという概念がないのだ。動作から一貫性が欠けており、命名に値するような連なりが何一つない。体幹から指先に至るまで、全ての動作がただただ臨機応変に流れているだけ、状況に即応した物理的な最適動作を選択し続けているだけ。いつでも使えるように事前に練習したり、既成技術の組合せで生み出したりする技ではない。今行っている攻防は彼方の基準では五手の応酬だが、ジュリエットにとっては恐らく何手とかいう認識すらない。
この動きを表す言葉を彼方は知らないし、そもそも名付けられるようなものではない。再現性が無いからだ。きっとジュリエットは生まれた瞬間からこの動きが出来て、それにも関わらず実際に使うのはこれが最初で最後なのだ。
彼方とてファンタジスタでは最上位の身体操作能力を持つプレイヤーだったが、それはせいぜいゲームで決まったリストの枠組みを超えてリストを創造できる程度のことでしかなかった。
ジュリエットは次元が違いすぎる。ミリ単位とコンマ秒単位で自らの身体を完璧に制御し、その場その場で最適な動作を選択できる存在。技単位で行動をリスト化してデジタルに考えるゲーマーの対極にいる、実空間をアドリブで動く精密機械。有史以来に人類が育んできた、制度化された格闘術全てに対する完全上位互換。
「正直驚いている。初めて会った。私よりもフィジカルが優れる人間というものに」
「よくあることで御座います。それまで負けなしで通っていた者が、わたくしと相対して初めて自分の身の程を知ることは。年季の差とか、経験不足とか、モチベーションの問題とか、そういう類のものでは御座いません。わたくしの方が生物として格上、ただそれだけのことなので御座います」
ジュリエットは再び床を蹴った。
次の瞬間には長いヒールが彼方の眼前に迫っており、防御するので手一杯だ。ハイリスクな攻撃であればあるほど、どう切り返したところで即死級のカウンターを貰う気しかない。何せ、ジュリエットは見てから完全な対応ができるのだ。安定を取って後ろに下がる以外の選択肢が悉く潰されている。
ジュリエットの突きを辛うじていなしつつ、彼方はこの水準の敵を相手に貴重な手札を全て晒してしまったことを深く深く後悔した。さっき彼方が消費した三つの特殊技能。すなわちエルフ世界で得た氷結魔法による防御 、夢の中で得た黄泉比良坂による回避、KSD世界で得た生体印刷機による回復。
口ぶりから察するに、ジュリエットは氷結魔法以外はまだ知らなかった可能性が高い。アニメには尺が決まっているから、彼方が人生で経験した全てがアニメ化されているわけではないのだろう。恐らくアニメになっていた戦闘はイツキ戦のような主要なものだけだ。それ以前のKSD世界の話や、趙と会った夢の中の話はまだ見られていない。だというのに、たかがフォーク一本で世界を渡り歩いて得てきたアドバンテージを全て失った。
とはいえ、彼方は判断を誤ったわけではない。最善を踏んでもなお追い詰められているだけだ。氷結魔法も黄泉比良坂も生体印刷機も、全部使わなければ彼方はもう死んでいる。ジュリエットの奇襲は弱者が不意打ちでワンチャンスを狙うものではない。圧倒的な優位から相手に手札を全部切らせる横綱相撲だ。
「ここか?」
ジュリエットが大きく踏み込んできたステップに合わせて彼方は氷結魔法を起動した。ローラーブレードに青い魔法陣が浮かび、天井まで届く氷塊が出現する。
それは彼方の人生経験全てから導き出されたベストタイミングで、ここがファンタジスタなら間違いなくこれで決着する完璧なタイミングでの差し返しだった。
だが、ジュリエットにはもちろん通じない。氷塊を防ぎすらしない。どこからでも回避動作に移行できる上に、彼方がこのタイミングで氷結魔法を使うことを完全に読んでいるからだ。
この怪物は悠々と回避してソファーに座り、息一つ乱れない優しい声色で感想を述べさえするのだ。
「間近で見ると、発生も判定もなかなか強力な超必で御座いますね。暗転硬直があれば当たっていたかもしれません」
「意外だな。お前も格闘ゲームを遊ぶのか」
「サブカルチャー全般に触れていなければメイドの格好などいたしません。もっとも、わたくしが遊ぶと誰が相手でも勝負になりませんので、気に入ったキャラクターのモーションやコンボなどを鑑賞するのが主ですが」
「舐めプの達人ってことか?」
「失礼、気分を害したのであれば謝罪いたします。貴女との戦闘はオンライン対戦ほど手を抜いているわけでは御座いません。わたくしはあなたのことをだいぶ過小評価していたようです。確かに殺し合いには不慣れであるかもしれませんが、少なくとも身体能力にかけてはよくいる凡庸とは一線を画して優秀です。わたくしが今まで会った相手の中でも五本の指には入るでしょう。あなたが戦闘態勢に入ってしまった以上、わたくしも余裕綽々でパーフェクトというわけにもいかないようで御座います」
「よく言うぜ。こんなに不愉快な思いをしているのは初めてだ、後の先を取られることがわかっていて後の後に回らざるを得ない立場というのは」
「自信をお持ちくださいませ。わたくしを前にして、一秒後に殺されない方法を理解できているだけでもあなたは桁外れに優秀なのですから」
ソファーで脱力しているようにしか見えないジュリエットを前に、彼方は臨戦態勢を解くことができない。そのくらいの力量差がある。先に仕掛ければ後出しでカウンターされることも、こちらが警戒を緩めれば一瞬で攻め込まれることも目に見えている。
ジュリエットがそれをわかっていて一方的に休憩を取っていることにも腹が立つし、その判断に命を救われている状況にも腹が立つ。ローラーブレードで床を叩く彼方を見てジュリエットが肩をすくめた。
「わたくしがあなたを冷やかすためにこうしているとお思いでしたら、それはわたくしには全く不本意なことで御座います。わたくしにとって画面の中から現れた美少女キャラクターとこうして会敵しているのは、夢が一つ叶ったくらいの心持ちなので御座います」
「そこに解せないことが一つある。お前の言葉が正しければ、フィクションのキャラクターが現実に現れるなどということはこの世界の常識でも有り得ない事態のはずだ。少なくとも私が現れていない段階ではそんなことは夢物語に過ぎなかった」
「ええ、仰る通りです。わたくしは正直者ではありませんが、必要のない嘘は吐きません。見目麗しい方との会話はわたくしの人生を豊かにする大切な時間ですので」
「だとしたら、そもそもこの戦闘の前提になっている殺害依頼とは何なんだ? 私はこの世界に放り出されてからお前に会うまで、そこの灰火と駄弁るくらいのことしかしていない。誰の恨みを買うようなこともした覚えはない」
「出会い頭にかよわい私を平たくなるまでボコボコにしたのはノーカン?」
「お前はそんなことを覚えておくような性質ではないだろう。寝て起きたら私ごと忘れている」
「まーそーだね」
「だから私の殺害を依頼した者がいるとすれば、そいつは私が現れる前に殺害依頼を出したとしか考えられない。つまりそいつは大真面目な顔をしてアニメキャラクターを殺すように依頼を出して、お前もそれを受けたと考えざるを得ない。いくらお前が頭のおかしいアニメオタクで殺し屋だとしても、そんな仕事の請負は正気をいくつも踏み越えている」
「素晴らしい、完全に正しい考察と疑問で御座います。しかし雇い主を自分から明かす殺し屋がいるとお思いでしょうか?」
「だろうな。返答に期待しているわけではない」
「と言いたいところですが、今回に限ってはもはや誰でも知っていることですからお教えしてもよいでしょう。日本政府で御座います」
「つまらない冗談だ。アニメベースで政を仕切っている国なら今日にでも滅びた方がいい」
「しかし事実で御座います。あなたがそちらのテレビから現れる以前から、管理局もアンダーグラウンドも、つまり表も裏もあなたを排除しなければならないという点では意見を合致させています。わたくしは広くアナウンスされた殺害依頼を一応プールしておいた殺し屋の一人に過ぎません」
「説明になっていないどころか、シンプルに矛盾している。この世界ではアニメのキャラクターがテレビから出てくるなどということは有り得なかった。にも関わらず、数多くの人間が私の出現を予測して排除を試みていた。いったいどうすればこの二つが両立できる?」
「ええ、常識的にはその通りで御座います。しかし、この便箋が世界各地に届いたときに常識は変わりました。あなたの出現だけは例外的に承認と予測が可能な事実であり、なおかつあなたは他の何を犠牲にしてでも排除しなければならない不倶戴天の敵ということが共通認識となりました」
ジュリエットはメイド服のポケットから一枚の便箋を取り出した。
綺麗に折り畳まれた三角の舌、ピンと角が立った四辺。そして何よりも薄暗い部屋の中で淡く虹色に輝いている。彼方にはよく見覚えのある輝きだった。遥か昔、ベッドサイドで何度も見て読んだあの手紙と全く同じ色と形。
「此岸の手紙?」
思わず便箋に目が引き付けられた瞬間、頭上から無数のナイフが降り注いだ。まるで意志を持っているかのように彼方を取り囲む。
「そして、あなたはまたしても機を逸したので御座います。わたくしを倒すことはできなくても、あなたは五体満足と引き換えに逃走することくらいは出来たかもしれません。わたくしには悲しいことですが、あなたは会話に付き合うべきではありませんでした」
「時間を稼いだのはお前ではなく私だ。喋っている間にお前が次の策を張ることくらいわかっていた」
「では、あえて残ったあなたには勝算があるということでしょうか。千フレーム以上の溜めが必要なタイプの更なる超必でしょうか? 氷結魔法の次は電撃魔法ですか? それとも魔眼とか言霊の類でしょうか?」
「そんなものを使ったところでお前は全て回避するだろう。暴力とは結局のところ意志の流れであって、その水準で看破されていれば何の意味もない」
「全く仰る通りで御座います。貴女はわたくしとの力量差を正しく理解しており、それ故に今の状況が不可解でなりません」
「お前に理解できない領域の一つ二つくらいは私も持っているということだ。私は頭のどこかでこれはバグ技だから使わないとか、これはハメ技だからやめておこうとか、その手のことを無意識に考えていた。いつか使える手札だと思っておきながら、ずっと使わずに温存していたものがまだ一つだけある。お前はなりふり構っていられる相手ではない。私も一旦使えるものは何でも使うことにしよう」
「それが遺言で宜しいでしょうか?」
ジュリエットが手の平を返した。空中に浮かぶナイフが彼方を目がけて迫る。
その動きは恐ろしいほどに緻密で、一つ一つが意志を持つようにジグザグに退路を塞いでいる。水平に囲むだけではなく上下からも突き刺すように刃先が踊る。
「乗客一人だ! 乗せろ、VAIS!」
彼方はポケットから一枚の乗車券を取り出した。かつてファンタジスタでのエキシビジョンでVAISから貰ったあの乗車券。
瞬間、薄い壁が真っ二つに叩き割られた。長い長い虹色のレールが部屋に飛び込んでくる。そしてレールに沿って、天空から漆黒の列車が駆け降りる。
この世の理をブチ抜いて、遥か世界の果てから超常の次元鉄道が雄叫びをあげる。ワイヤーの絡まったナイフなど、次元鉄道の前では小虫の群れほどの抑止力にもならない。壁もナイフも床もソファーも机も皿も何もかもを吹き飛ばし、家の真ん中を貫いて猛スピードで駆け抜ける。
彼方は次元鉄道に飛び乗った!
牽制しようとか迎撃しようとか、一定の意図の下でチャンク化された動作を行うことで読み合いが成立するのだ。リスクとリターンを勘案して打ち勝てばダメージが通るし、いつでも勝てる安定行動もある。
だが、ジュリエットの動きは悉く狙いが読めない。動きが牽制なのかカウンターなのかわからない。それどころか、どこまでが一つのスキルなのかがわからない。最初は彼方が攻守や意図を見誤っているのかと思ったが、それも違った。
ジュリエットにはスキルという概念がないのだ。動作から一貫性が欠けており、命名に値するような連なりが何一つない。体幹から指先に至るまで、全ての動作がただただ臨機応変に流れているだけ、状況に即応した物理的な最適動作を選択し続けているだけ。いつでも使えるように事前に練習したり、既成技術の組合せで生み出したりする技ではない。今行っている攻防は彼方の基準では五手の応酬だが、ジュリエットにとっては恐らく何手とかいう認識すらない。
この動きを表す言葉を彼方は知らないし、そもそも名付けられるようなものではない。再現性が無いからだ。きっとジュリエットは生まれた瞬間からこの動きが出来て、それにも関わらず実際に使うのはこれが最初で最後なのだ。
彼方とてファンタジスタでは最上位の身体操作能力を持つプレイヤーだったが、それはせいぜいゲームで決まったリストの枠組みを超えてリストを創造できる程度のことでしかなかった。
ジュリエットは次元が違いすぎる。ミリ単位とコンマ秒単位で自らの身体を完璧に制御し、その場その場で最適な動作を選択できる存在。技単位で行動をリスト化してデジタルに考えるゲーマーの対極にいる、実空間をアドリブで動く精密機械。有史以来に人類が育んできた、制度化された格闘術全てに対する完全上位互換。
「正直驚いている。初めて会った。私よりもフィジカルが優れる人間というものに」
「よくあることで御座います。それまで負けなしで通っていた者が、わたくしと相対して初めて自分の身の程を知ることは。年季の差とか、経験不足とか、モチベーションの問題とか、そういう類のものでは御座いません。わたくしの方が生物として格上、ただそれだけのことなので御座います」
ジュリエットは再び床を蹴った。
次の瞬間には長いヒールが彼方の眼前に迫っており、防御するので手一杯だ。ハイリスクな攻撃であればあるほど、どう切り返したところで即死級のカウンターを貰う気しかない。何せ、ジュリエットは見てから完全な対応ができるのだ。安定を取って後ろに下がる以外の選択肢が悉く潰されている。
ジュリエットの突きを辛うじていなしつつ、彼方はこの水準の敵を相手に貴重な手札を全て晒してしまったことを深く深く後悔した。さっき彼方が消費した三つの特殊技能。すなわちエルフ世界で得た氷結魔法による防御 、夢の中で得た黄泉比良坂による回避、KSD世界で得た生体印刷機による回復。
口ぶりから察するに、ジュリエットは氷結魔法以外はまだ知らなかった可能性が高い。アニメには尺が決まっているから、彼方が人生で経験した全てがアニメ化されているわけではないのだろう。恐らくアニメになっていた戦闘はイツキ戦のような主要なものだけだ。それ以前のKSD世界の話や、趙と会った夢の中の話はまだ見られていない。だというのに、たかがフォーク一本で世界を渡り歩いて得てきたアドバンテージを全て失った。
とはいえ、彼方は判断を誤ったわけではない。最善を踏んでもなお追い詰められているだけだ。氷結魔法も黄泉比良坂も生体印刷機も、全部使わなければ彼方はもう死んでいる。ジュリエットの奇襲は弱者が不意打ちでワンチャンスを狙うものではない。圧倒的な優位から相手に手札を全部切らせる横綱相撲だ。
「ここか?」
ジュリエットが大きく踏み込んできたステップに合わせて彼方は氷結魔法を起動した。ローラーブレードに青い魔法陣が浮かび、天井まで届く氷塊が出現する。
それは彼方の人生経験全てから導き出されたベストタイミングで、ここがファンタジスタなら間違いなくこれで決着する完璧なタイミングでの差し返しだった。
だが、ジュリエットにはもちろん通じない。氷塊を防ぎすらしない。どこからでも回避動作に移行できる上に、彼方がこのタイミングで氷結魔法を使うことを完全に読んでいるからだ。
この怪物は悠々と回避してソファーに座り、息一つ乱れない優しい声色で感想を述べさえするのだ。
「間近で見ると、発生も判定もなかなか強力な超必で御座いますね。暗転硬直があれば当たっていたかもしれません」
「意外だな。お前も格闘ゲームを遊ぶのか」
「サブカルチャー全般に触れていなければメイドの格好などいたしません。もっとも、わたくしが遊ぶと誰が相手でも勝負になりませんので、気に入ったキャラクターのモーションやコンボなどを鑑賞するのが主ですが」
「舐めプの達人ってことか?」
「失礼、気分を害したのであれば謝罪いたします。貴女との戦闘はオンライン対戦ほど手を抜いているわけでは御座いません。わたくしはあなたのことをだいぶ過小評価していたようです。確かに殺し合いには不慣れであるかもしれませんが、少なくとも身体能力にかけてはよくいる凡庸とは一線を画して優秀です。わたくしが今まで会った相手の中でも五本の指には入るでしょう。あなたが戦闘態勢に入ってしまった以上、わたくしも余裕綽々でパーフェクトというわけにもいかないようで御座います」
「よく言うぜ。こんなに不愉快な思いをしているのは初めてだ、後の先を取られることがわかっていて後の後に回らざるを得ない立場というのは」
「自信をお持ちくださいませ。わたくしを前にして、一秒後に殺されない方法を理解できているだけでもあなたは桁外れに優秀なのですから」
ソファーで脱力しているようにしか見えないジュリエットを前に、彼方は臨戦態勢を解くことができない。そのくらいの力量差がある。先に仕掛ければ後出しでカウンターされることも、こちらが警戒を緩めれば一瞬で攻め込まれることも目に見えている。
ジュリエットがそれをわかっていて一方的に休憩を取っていることにも腹が立つし、その判断に命を救われている状況にも腹が立つ。ローラーブレードで床を叩く彼方を見てジュリエットが肩をすくめた。
「わたくしがあなたを冷やかすためにこうしているとお思いでしたら、それはわたくしには全く不本意なことで御座います。わたくしにとって画面の中から現れた美少女キャラクターとこうして会敵しているのは、夢が一つ叶ったくらいの心持ちなので御座います」
「そこに解せないことが一つある。お前の言葉が正しければ、フィクションのキャラクターが現実に現れるなどということはこの世界の常識でも有り得ない事態のはずだ。少なくとも私が現れていない段階ではそんなことは夢物語に過ぎなかった」
「ええ、仰る通りです。わたくしは正直者ではありませんが、必要のない嘘は吐きません。見目麗しい方との会話はわたくしの人生を豊かにする大切な時間ですので」
「だとしたら、そもそもこの戦闘の前提になっている殺害依頼とは何なんだ? 私はこの世界に放り出されてからお前に会うまで、そこの灰火と駄弁るくらいのことしかしていない。誰の恨みを買うようなこともした覚えはない」
「出会い頭にかよわい私を平たくなるまでボコボコにしたのはノーカン?」
「お前はそんなことを覚えておくような性質ではないだろう。寝て起きたら私ごと忘れている」
「まーそーだね」
「だから私の殺害を依頼した者がいるとすれば、そいつは私が現れる前に殺害依頼を出したとしか考えられない。つまりそいつは大真面目な顔をしてアニメキャラクターを殺すように依頼を出して、お前もそれを受けたと考えざるを得ない。いくらお前が頭のおかしいアニメオタクで殺し屋だとしても、そんな仕事の請負は正気をいくつも踏み越えている」
「素晴らしい、完全に正しい考察と疑問で御座います。しかし雇い主を自分から明かす殺し屋がいるとお思いでしょうか?」
「だろうな。返答に期待しているわけではない」
「と言いたいところですが、今回に限ってはもはや誰でも知っていることですからお教えしてもよいでしょう。日本政府で御座います」
「つまらない冗談だ。アニメベースで政を仕切っている国なら今日にでも滅びた方がいい」
「しかし事実で御座います。あなたがそちらのテレビから現れる以前から、管理局もアンダーグラウンドも、つまり表も裏もあなたを排除しなければならないという点では意見を合致させています。わたくしは広くアナウンスされた殺害依頼を一応プールしておいた殺し屋の一人に過ぎません」
「説明になっていないどころか、シンプルに矛盾している。この世界ではアニメのキャラクターがテレビから出てくるなどということは有り得なかった。にも関わらず、数多くの人間が私の出現を予測して排除を試みていた。いったいどうすればこの二つが両立できる?」
「ええ、常識的にはその通りで御座います。しかし、この便箋が世界各地に届いたときに常識は変わりました。あなたの出現だけは例外的に承認と予測が可能な事実であり、なおかつあなたは他の何を犠牲にしてでも排除しなければならない不倶戴天の敵ということが共通認識となりました」
ジュリエットはメイド服のポケットから一枚の便箋を取り出した。
綺麗に折り畳まれた三角の舌、ピンと角が立った四辺。そして何よりも薄暗い部屋の中で淡く虹色に輝いている。彼方にはよく見覚えのある輝きだった。遥か昔、ベッドサイドで何度も見て読んだあの手紙と全く同じ色と形。
「此岸の手紙?」
思わず便箋に目が引き付けられた瞬間、頭上から無数のナイフが降り注いだ。まるで意志を持っているかのように彼方を取り囲む。
「そして、あなたはまたしても機を逸したので御座います。わたくしを倒すことはできなくても、あなたは五体満足と引き換えに逃走することくらいは出来たかもしれません。わたくしには悲しいことですが、あなたは会話に付き合うべきではありませんでした」
「時間を稼いだのはお前ではなく私だ。喋っている間にお前が次の策を張ることくらいわかっていた」
「では、あえて残ったあなたには勝算があるということでしょうか。千フレーム以上の溜めが必要なタイプの更なる超必でしょうか? 氷結魔法の次は電撃魔法ですか? それとも魔眼とか言霊の類でしょうか?」
「そんなものを使ったところでお前は全て回避するだろう。暴力とは結局のところ意志の流れであって、その水準で看破されていれば何の意味もない」
「全く仰る通りで御座います。貴女はわたくしとの力量差を正しく理解しており、それ故に今の状況が不可解でなりません」
「お前に理解できない領域の一つ二つくらいは私も持っているということだ。私は頭のどこかでこれはバグ技だから使わないとか、これはハメ技だからやめておこうとか、その手のことを無意識に考えていた。いつか使える手札だと思っておきながら、ずっと使わずに温存していたものがまだ一つだけある。お前はなりふり構っていられる相手ではない。私も一旦使えるものは何でも使うことにしよう」
「それが遺言で宜しいでしょうか?」
ジュリエットが手の平を返した。空中に浮かぶナイフが彼方を目がけて迫る。
その動きは恐ろしいほどに緻密で、一つ一つが意志を持つようにジグザグに退路を塞いでいる。水平に囲むだけではなく上下からも突き刺すように刃先が踊る。
「乗客一人だ! 乗せろ、VAIS!」
彼方はポケットから一枚の乗車券を取り出した。かつてファンタジスタでのエキシビジョンでVAISから貰ったあの乗車券。
瞬間、薄い壁が真っ二つに叩き割られた。長い長い虹色のレールが部屋に飛び込んでくる。そしてレールに沿って、天空から漆黒の列車が駆け降りる。
この世の理をブチ抜いて、遥か世界の果てから超常の次元鉄道が雄叫びをあげる。ワイヤーの絡まったナイフなど、次元鉄道の前では小虫の群れほどの抑止力にもならない。壁もナイフも床もソファーも机も皿も何もかもを吹き飛ばし、家の真ん中を貫いて猛スピードで駆け抜ける。
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