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エピローグ 恋する乙女は異世界で運命の相手を錬成するようです
第64話:恋する乙女は異世界で運命の相手を錬成するようです・2
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【4/1 11:53】
「……朝?」
霰は薄暗い闇の中で目を覚ました。
壁際で厚く重なった葉の間から辛うじて漏れる薄い光で、外では太陽が昇っていることを確認する。この光量からするとまだ正午は回っていないくらいだろう。
昨日は何時に寝たのかもよく覚えていない。小百合にはちゃんとベッドで寝なさいと怒られるだろうが、そろそろ実験も正念場だ。あまりここから離れたくない。
「いて」
立ち上がろうとして低い天井に頭をぶつけた。
子供の成長は早い。わずか一年で霰の背はどんどん伸びてきて、自分でも自分のサイズを掴み切れないことが増えてきた。眠そうだった目つきも少し鋭くなってきたし、手足も丸みが消えてすらりとしてきた。
とりあえず『植物使役』を発動して木の天井を少し押し上げる。狭い方が落ち着くとはいえ、背筋くらいは伸ばせないことには窮屈だ。
「さてと」
一つ伸びをして歩き出す。
ここは天まで届く巨大な古代樹の洞の中だ。全てが生きた植物で出来ており、直線のパーツは一つもない。霰の匙加減一つでぐるぐると曲がりくねって動く生きた家。
キノコや蔦が無数に生える木肌の上を裸足で歩く。壁面には年季の入った樹皮を蔦が何重にも覆っている。むせかえるような木の香りが一杯に充満していて湿度が高い。
「よっと」
蔦のカーテンを潜り、多少は整理された区画に足を踏み入れた。
壁を覆う緑などは通路と同じだが、中央には加工した木材で組んだデスクや椅子や棚が備え付けられている。棚の中にはガラス瓶が並び、水が満ちて葉や枝がいくつも浮かんでいた。
隅の方にある、木が絡まってできた大きな檻に手を伸ばす。
中には奇妙な獣が一匹横たわっている。小さなウサギによく似ているが、頭からは奇妙な角が生えている。その角は木の枝のように茶色くささくれ立ち、途中で枝分かれしていた。よく見れば足元の爪も前歯も尖った植物の棘。身体の堅い部位が悉く植物に置き換えられているのだ。
霰が『植物使役』を発動すると、ウサギは勢いよく立ち上がった。霰が右手を上げるのに合わせて右手を上げ、手をひっくり返すと逆立ちして応じる。
「よし!」
霰は小さくガッツポーズをした。また一つ仮説を立証して前に進んだ。
この区画は霰のラボだ。主な研究内容は「『植物使役』の対象となる植物とはどこまでを含むのか」である。かつて神庭邸で読んだ生命科学の本で得た知識を頼りに、霰は境界を探り続けている。
そもそも、動物と植物の境は実はそれほどはっきりしたものではない。両方の性質を兼ねるプランクトンは多くいるし、キノコやワカメだって厳密に言えば動物でも植物でもない。更に異世界では動物とも植物とも付かないモンスターが多く生息している。アルラウネやマンドラゴラは葉や根を持ち光合成できるが、動物のように手足を持ち動き回ることもできる。
これらの曖昧な事例については、だいたい全て『植物使役』の対象に入ることを確認している。『植物使役』でプランクトンを集めたり、ワカメを急成長させたり、マンドラゴラを動き回らせたりすることが出来るのだ。判定はかなり緩く、植物っぽい要素が含まれていればそこそこ使役できる。
ここから更にもう一歩進めてみる。動物と植物の狭間にいるような生物を使役できるのであれば、動物に植物を掛け合わせた生物も使役できるのではないか。幸いにも、異世界では異種の生物が融合することはそれほど珍しくない。木の精霊ドリアードを使役し、試しにウサギに対して世界樹ユグドラシルの枝を組み込んでみたのがこのユグドラビット(仮)だ。
そして今、ユグドラビット(仮)は『植物使役』で使役できることを確認した。
ならば、後天的に植物を組み込めば大抵の生物は使役対象に入ることになるだろう。それはドリアードの扱い次第で『植物使役』は極めて汎用性の高い生命操作能力になることを意味する。
「ふふ」
霰は一人でにやつきながら隅の地面に手を付いた。ぴたりと閉じた壁面が縦に割れ、秘密の小部屋が顔を出す。
これはもちろん灯の真似だ。『建築』もどきもだいぶ上手くなってきた。建材は生きた植物に限るが、『植物使役』で住居や設備を作ることは容易い。元々この住処もそうやって作った。
入念にカモフラージュした壁の奥から、霰は小さな木箱を取り出した。蓋を開けると中には手首から切断した細く白い手が入っている。姫裏の目を盗み、川辺で死体から回収した灯の手だ。
霰は手に優しく口付けた。
「おはよう、灯さん」
以前、霙が『動物使役』で死体合成獣を作り出すのを見て気付いたことが一つある。血肉や臓物のような、個体としての生命を成さない断片もギリギリ使役対象に入るということだ。もちろん独立した生命として自在に動かすことは出来ないが、寄せ集めたり繋ぎ合わせたりして本来の機能を逸脱しない範囲で介入することはできる。
ここから更にもう一歩進めてみる。生命の断片をも使役できるのであれば、生命を構成する細胞を使役することも可能ではないか。個体としての生命ではなく、細胞一つ一つに対して『植物使役』で成長や複製の指令を出せるのではないか。
細胞レべルの操作に際しても、細胞内小器官に植物の要素を組み込むことで『植物使役』の対象にできるだろう。つまり精霊ドリアードの力で細胞に葉緑体を移植することで強制的に植物細胞という扱いにするのだ。細胞に植物を融合させることで『植物使役』による介入が可能になれば、DNAを使役することで細胞分裂を促進して細胞一つから元の生物を復元できるはずだ。
つまり、灯の手から灯のクローンを作成できるはずだ。それが霰の新しい願い。異世界での新しい目標。
「また会えるよね」
灯の手に頬ずりする。当時は幼くてよくわからなかったが、今は自信を持って言える。
きっと灯が霰の初恋だった。霰は灯のことが好きだった。保護者としてではなく、人間として好きだった。
神庭邸にいたときより他人と接するようになってわかってきたが、灯のような人間は滅多にいない。何の前置きも無しで他人に無限の好意を向けられるというのは極めて稀有な才能なのだ。そんなものを向けられたら、こっちだって好きになってしまう。灯は優しいし強いし頑張るし、何よりも霰たちのことを第一に考えていた。
霰と霙は、灯と姫裏の会話を全て盗み聞いていた。そこら中の生物と意思疎通できる『動物使役』と『植物使役』をもってすれば壁も天井もあってないようなものだ。そのときは灯が何に悩んでいるのかよくわからなかったが、もうだいぶわかるようになってきている。「子供好き」にはとても良い意味とそんなに良くない意味がある。
だが、そんなことは別にどうでも良かった。灯が良くない人なら、霰も一緒に良くない人になろう。生命を弄り回して、もっと悪いことをして灯と再会しよう。
「よし」
霰は自分の髪の毛を千切って小瓶に入れた。
次の実験はこの髪の毛の細胞に葉緑体を組み込み、自分のクローンを作るところから始めようと思う。
霰と霙は一卵性双生児だから、それは霰のクローンであると同時に霙のクローンでもある。別にどっちでもいいが、とりあえず霙ということにするつもりだ。いつも隣にいた霙の記憶と比較すれば、クローンがどれだけ上手く作れたか評価しやすい。
正直なところ、霰としては霙は別にいてもいなくてもいい。とはいえ灯は霰と霙が同じくらい好きだっただろうし、もともと三人で暮らすのが灯の望みだった。今のところは霙っぽいものも一緒に作っておくつもりだ。
「またね。灯さん」
霰は灯の手を元に戻して小さく手を振った。実験は順調だ。そろそろ外の空気を吸いに行こう。
「霰ちゃん!」
古代樹の洞を出た途端、眩しい日差しと共に空からドラゴンが舞い降りてきた。上に乗った小百合が笑顔で手を振って呼びかけてくる。
「……朝?」
霰は薄暗い闇の中で目を覚ました。
壁際で厚く重なった葉の間から辛うじて漏れる薄い光で、外では太陽が昇っていることを確認する。この光量からするとまだ正午は回っていないくらいだろう。
昨日は何時に寝たのかもよく覚えていない。小百合にはちゃんとベッドで寝なさいと怒られるだろうが、そろそろ実験も正念場だ。あまりここから離れたくない。
「いて」
立ち上がろうとして低い天井に頭をぶつけた。
子供の成長は早い。わずか一年で霰の背はどんどん伸びてきて、自分でも自分のサイズを掴み切れないことが増えてきた。眠そうだった目つきも少し鋭くなってきたし、手足も丸みが消えてすらりとしてきた。
とりあえず『植物使役』を発動して木の天井を少し押し上げる。狭い方が落ち着くとはいえ、背筋くらいは伸ばせないことには窮屈だ。
「さてと」
一つ伸びをして歩き出す。
ここは天まで届く巨大な古代樹の洞の中だ。全てが生きた植物で出来ており、直線のパーツは一つもない。霰の匙加減一つでぐるぐると曲がりくねって動く生きた家。
キノコや蔦が無数に生える木肌の上を裸足で歩く。壁面には年季の入った樹皮を蔦が何重にも覆っている。むせかえるような木の香りが一杯に充満していて湿度が高い。
「よっと」
蔦のカーテンを潜り、多少は整理された区画に足を踏み入れた。
壁を覆う緑などは通路と同じだが、中央には加工した木材で組んだデスクや椅子や棚が備え付けられている。棚の中にはガラス瓶が並び、水が満ちて葉や枝がいくつも浮かんでいた。
隅の方にある、木が絡まってできた大きな檻に手を伸ばす。
中には奇妙な獣が一匹横たわっている。小さなウサギによく似ているが、頭からは奇妙な角が生えている。その角は木の枝のように茶色くささくれ立ち、途中で枝分かれしていた。よく見れば足元の爪も前歯も尖った植物の棘。身体の堅い部位が悉く植物に置き換えられているのだ。
霰が『植物使役』を発動すると、ウサギは勢いよく立ち上がった。霰が右手を上げるのに合わせて右手を上げ、手をひっくり返すと逆立ちして応じる。
「よし!」
霰は小さくガッツポーズをした。また一つ仮説を立証して前に進んだ。
この区画は霰のラボだ。主な研究内容は「『植物使役』の対象となる植物とはどこまでを含むのか」である。かつて神庭邸で読んだ生命科学の本で得た知識を頼りに、霰は境界を探り続けている。
そもそも、動物と植物の境は実はそれほどはっきりしたものではない。両方の性質を兼ねるプランクトンは多くいるし、キノコやワカメだって厳密に言えば動物でも植物でもない。更に異世界では動物とも植物とも付かないモンスターが多く生息している。アルラウネやマンドラゴラは葉や根を持ち光合成できるが、動物のように手足を持ち動き回ることもできる。
これらの曖昧な事例については、だいたい全て『植物使役』の対象に入ることを確認している。『植物使役』でプランクトンを集めたり、ワカメを急成長させたり、マンドラゴラを動き回らせたりすることが出来るのだ。判定はかなり緩く、植物っぽい要素が含まれていればそこそこ使役できる。
ここから更にもう一歩進めてみる。動物と植物の狭間にいるような生物を使役できるのであれば、動物に植物を掛け合わせた生物も使役できるのではないか。幸いにも、異世界では異種の生物が融合することはそれほど珍しくない。木の精霊ドリアードを使役し、試しにウサギに対して世界樹ユグドラシルの枝を組み込んでみたのがこのユグドラビット(仮)だ。
そして今、ユグドラビット(仮)は『植物使役』で使役できることを確認した。
ならば、後天的に植物を組み込めば大抵の生物は使役対象に入ることになるだろう。それはドリアードの扱い次第で『植物使役』は極めて汎用性の高い生命操作能力になることを意味する。
「ふふ」
霰は一人でにやつきながら隅の地面に手を付いた。ぴたりと閉じた壁面が縦に割れ、秘密の小部屋が顔を出す。
これはもちろん灯の真似だ。『建築』もどきもだいぶ上手くなってきた。建材は生きた植物に限るが、『植物使役』で住居や設備を作ることは容易い。元々この住処もそうやって作った。
入念にカモフラージュした壁の奥から、霰は小さな木箱を取り出した。蓋を開けると中には手首から切断した細く白い手が入っている。姫裏の目を盗み、川辺で死体から回収した灯の手だ。
霰は手に優しく口付けた。
「おはよう、灯さん」
以前、霙が『動物使役』で死体合成獣を作り出すのを見て気付いたことが一つある。血肉や臓物のような、個体としての生命を成さない断片もギリギリ使役対象に入るということだ。もちろん独立した生命として自在に動かすことは出来ないが、寄せ集めたり繋ぎ合わせたりして本来の機能を逸脱しない範囲で介入することはできる。
ここから更にもう一歩進めてみる。生命の断片をも使役できるのであれば、生命を構成する細胞を使役することも可能ではないか。個体としての生命ではなく、細胞一つ一つに対して『植物使役』で成長や複製の指令を出せるのではないか。
細胞レべルの操作に際しても、細胞内小器官に植物の要素を組み込むことで『植物使役』の対象にできるだろう。つまり精霊ドリアードの力で細胞に葉緑体を移植することで強制的に植物細胞という扱いにするのだ。細胞に植物を融合させることで『植物使役』による介入が可能になれば、DNAを使役することで細胞分裂を促進して細胞一つから元の生物を復元できるはずだ。
つまり、灯の手から灯のクローンを作成できるはずだ。それが霰の新しい願い。異世界での新しい目標。
「また会えるよね」
灯の手に頬ずりする。当時は幼くてよくわからなかったが、今は自信を持って言える。
きっと灯が霰の初恋だった。霰は灯のことが好きだった。保護者としてではなく、人間として好きだった。
神庭邸にいたときより他人と接するようになってわかってきたが、灯のような人間は滅多にいない。何の前置きも無しで他人に無限の好意を向けられるというのは極めて稀有な才能なのだ。そんなものを向けられたら、こっちだって好きになってしまう。灯は優しいし強いし頑張るし、何よりも霰たちのことを第一に考えていた。
霰と霙は、灯と姫裏の会話を全て盗み聞いていた。そこら中の生物と意思疎通できる『動物使役』と『植物使役』をもってすれば壁も天井もあってないようなものだ。そのときは灯が何に悩んでいるのかよくわからなかったが、もうだいぶわかるようになってきている。「子供好き」にはとても良い意味とそんなに良くない意味がある。
だが、そんなことは別にどうでも良かった。灯が良くない人なら、霰も一緒に良くない人になろう。生命を弄り回して、もっと悪いことをして灯と再会しよう。
「よし」
霰は自分の髪の毛を千切って小瓶に入れた。
次の実験はこの髪の毛の細胞に葉緑体を組み込み、自分のクローンを作るところから始めようと思う。
霰と霙は一卵性双生児だから、それは霰のクローンであると同時に霙のクローンでもある。別にどっちでもいいが、とりあえず霙ということにするつもりだ。いつも隣にいた霙の記憶と比較すれば、クローンがどれだけ上手く作れたか評価しやすい。
正直なところ、霰としては霙は別にいてもいなくてもいい。とはいえ灯は霰と霙が同じくらい好きだっただろうし、もともと三人で暮らすのが灯の望みだった。今のところは霙っぽいものも一緒に作っておくつもりだ。
「またね。灯さん」
霰は灯の手を元に戻して小さく手を振った。実験は順調だ。そろそろ外の空気を吸いに行こう。
「霰ちゃん!」
古代樹の洞を出た途端、眩しい日差しと共に空からドラゴンが舞い降りてきた。上に乗った小百合が笑顔で手を振って呼びかけてくる。
応援ありがとうございます!
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