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王太子と側近
しおりを挟む『殿下、こちらはいかがいたしましょうか?』
決裁を待つ部下の声に、ウィリアムは椅子に深くもたれ、大きく伸びをした。
『兄上は何と?』
『ミハエル様はご納得のご様子で――』
男が言い終えるよりも早く、ウィリアムは顎を軽く突き出す。
『なら、それでいい。進めて』
簡潔な指示に、男は一瞬だけ安堵の色を浮かべ、いそいそと頭を垂れて執務室を後にした。
その足音が完全に遠のいたのを確認してから、窓際に立っていたアンドリュー・オルコックが、呆れたように口を開く。
『おいおい、本気で大丈夫かよ。仮にもお前はこの国の王太子だぞ?』
幼馴染であり、側近でもあるアンドリューの言葉を、ウィリアムはどこか楽しげに聞き流す。
『だって無駄だろ? 兄上が納得した案件を、私がもう一度考え直す時間がもったいない。これは合理的って言うんだ』
アンドリューは手にしていたペンを机に置き、肩をすくめた。
『……合理的ね。けど城内じゃ、もっぱら“ミハエル殿下推し”の声で溢れてるぞ?』
ウィリアムは長い脚を組み替え、優雅に微笑む。
『だね。兄上は品行方正で、努力を惜しまない人だ。人望が厚いのも当然だよ。だから異論はない。何なら私も推してるし』
『……なんでそんな他人事なんだよ。比べられるのは他でもない、お前自身だろ』
『そうだね。で? アンディは何か反論でもある?』
『ねえよ!ただな……ミハエル殿下の力が大きくなればなるほど、追い込まれるのはお前なんだぞ?』
案じる視線を横目に、ウィリアムはケラケラと笑い、席を立った。
両開きの窓を押し開けると、春の風が執務室を吹き抜ける。
再びアンドリューに向き直り、ウィリアムは小さく口角を上げた。
『だとしても、王太子はこの私だ。幸か不幸かはさておき、誰の意思もこれを覆すことはできない。この国では血が絶対だ。どれだけ兄上が優秀でも、どれほど鍛錬を積んでも――それは変わらない』
淡々と語るその声とは裏腹に、ウィリアムの表情はどこか寂しげだった。
彼の苦悩を誰よりも知るアンドリューは、それ以上言葉を重ねることができず、ただ沈黙するしかなかった。
―――。
しばらくの静寂の後、先ほどまでの空気が嘘だったかのように、ウィリアムがぱっと声を上げる。
『そうそう、アンディ。仕事だ』
『……はいはい』
いつもの調子に怪訝そうな顔をしながら近づくと、ウィリアムは一枚の釣書を差し出した。
……リラ王国?
『リラ王国の……第一王女?』
『そうみたいだね』
……え?
『ってか、これ……』
困惑するアンドリューに、ウィリアムは満面の笑みで言い放つ。
『婚儀の手配を頼む』
アンドリューは目を見開いた。
『待て待て、誰の!?』
『誰のって……お前な。私の婚儀でなければ、何でお前に頼むんだよ』
『いや、そりゃそうだけど! 聞いてないし!』
リラ王国といえば、大陸でもこのサザン王国と並ぶ大国だ。
その王女との婚儀となれば、規模も影響も計り知れない。
『うん。今、初めて話したからね』
……おいおい。
『いつ決まったんだよ』
『さっき』
……はぁ?
露骨に不機嫌になるアンドリューを見て、ウィリアムは肩をすくめる。
『怒るなら父上にどうぞ? たぶん、まだ王城にいるよ』
促されて「はいそうですか」となるはずもなく、アンドリューは苦虫を噛み潰したような顔でウィリアムを睨む。
当の本人は、心底楽しそうに笑っていた。
……ったく。お前も、お前の親も、どうしてこう似てるんだ。
『びっくりだよね。リラ王女だってさ。完璧な王女像から考えれば、兄上の方がよっぽど似合いそうなのに……因果なものだ』
――王太子はお前だからな。仕方ねぇよ。
アンドリューはそう胸中で呟き、深いため息とともに気持ちを切り替えた。
かくして彼は、また一つ厄介な任務へと向かうことになるのだった。
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