最愛の人の幸せが私の幸せ【完】

mako

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冷たい月光の下で

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森の丘に夜の帳が降り始めるころ、ハインツとマリアは名残惜しそうに手を取り合っていた。

「ねえ、ハインツ。今日もありがとう。……ほんとに、夢みたい」

マリアが小さな声で呟くと、ハインツは優しく彼女の髪を撫でた。

「夢じゃないよ、マリア。君に会うたびに、僕は生きているって実感するんだ」

その言葉に、マリアの瞳が揺れた。

だが――その会話の背後で、無言の圧を放ちながら立ち尽くす男が一人。ファビウスだ。

「……お時間です、殿下。そろそろ王宮にお戻りを」

淡々と告げる声には、わずかに滲む苛立ちと憂い。

ハインツは名残惜しそうにマリアを見つめ、それでも王太子としての務めを思い出したかのように、小さく頷いた。

「……また来るよ。必ず」

マリアは寂しげに微笑み、手を離した。

その帰路、ハインツとファビウスの間に沈黙が流れる。夜風が吹き抜け、木々がささやく。

「ファビウス。君は、僕の選択をどう思う?」

不意に問われ、ファビウスは足を止めた。

「……それを問う前に、お答えいただきたいのは、殿下が“王”として何を望んでいるのか、ということです」

ハインツは眉を寄せた。

「……それは……国を正しく導くこと。民を幸せにし、戦のない平和な王国を築くこと」

「であればこそ、私は申し上げます。王太子にして公に婚約者候補すら立たぬ貴方が、町娘と密会を続けることが、いかに危ういことか――わかっておられるはずです」

その言葉に、ハインツの表情が曇る。

「分かってるさ。でも……マリアといると、僕は“人”でいられるんだ。王子でも、責任でもない、ただの“僕”として……」

その苦悩に、ファビウスは言葉を失った。

その翌日。

王宮では、次の夜会に向けて準備が進んでいた。

リディアンネ・フランクは、母に促され、ドレス選びの部屋にいた。

「この深紅のベルベットがいいでしょう? 王太子の視線を引くには最適よ」

母の声が響く中、リディアンネの視線はぼんやりと窓の外へと向けられていた。

(王太子殿下に……この私が、相応しいのかしら)

彼女の胸に去来するのは、憧れと諦め、そして、どこか満たされない空虚な感情。

そのとき――

「リディアンネ様、宰相補佐のファビウス様より、お手紙が届いております」

侍女が差し出した封筒には、ファビウスの家紋と、彼の筆跡があった。

(ファビウス様から……?)

中を開くと、そこにはこう記されていた。

《夜会にてお話ししたいことがあります。お時間をいただけますか。》

リディアンネは思わず眉をひそめた。

(なぜ、私に……?)

しかし、ファビウスの理知的で誠実な人物像が思い浮かぶと、彼女はそっと、頷いた。

「……行こう。私も、変わらなきゃ」

そして運命の夜会。

リディアンネは母の選んだ深紅のドレスではなく、自ら選んだ淡い月白のドレスに身を包み、夜会の会場へ足を踏み入れた。

それはまるで、夜の静けさをまとった花のような姿。

会場の端に立つファビウスが、彼女を見つけて、わずかに目を見開く。

「来てくださったのですね。ありがとうございます」

「……こちらこそ、お手紙を頂けて、驚きました。いったい、どんなご用件でしょう?」

ファビウスは一瞬、口を迷わせ――やがて、真剣な眼差しで彼女を見つめた。

「リディアンネ様。私は……貴女にお伝えしたいのです。王太子殿下の裏側にある、現実のすべてを」

彼女の瞳が揺れる。

「……それは、マリアという町娘の存在ですか?」

ファビウスの目が大きく見開かれた。

「知って……?」

リディアンネは、小さく微笑んだ。

「気づいてしまったんです。殿下の視線が、私たち令嬢には向いていないこと。そして、誰か特別な存在がいるのだと」

ファビウスは唇を噛んだ。

「リディアンネ様……貴女は、傷ついていないのですか?」

「ええ。でも、私はもう誰かの飾りでいたくない。私は、私の人生を選びたいのです」

そしてリディアンネは、思いもよらぬ言葉を続けた。

「ファビウス様。もし、殿下が王であることを放棄すると言ったら……貴方はどうなさいますか?」

その言葉に、ファビウスの表情が凍りつく。

――夜会の灯が揺れ、運命の歯車が、静かに軋み始めた。

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