最愛の人の幸せが私の幸せ【完】

mako

文字の大きさ
3 / 23

冷たい月光の下で

しおりを挟む
森の丘に夜の帳が降り始めるころ、ハインツとマリアは名残惜しそうに手を取り合っていた。

「ねえ、ハインツ。今日もありがとう。……ほんとに、夢みたい」

マリアが小さな声で呟くと、ハインツは優しく彼女の髪を撫でた。

「夢じゃないよ、マリア。君に会うたびに、僕は生きているって実感するんだ」

その言葉に、マリアの瞳が揺れた。

だが――その会話の背後で、無言の圧を放ちながら立ち尽くす男が一人。ファビウスだ。

「……お時間です、殿下。そろそろ王宮にお戻りを」

淡々と告げる声には、わずかに滲む苛立ちと憂い。

ハインツは名残惜しそうにマリアを見つめ、それでも王太子としての務めを思い出したかのように、小さく頷いた。

「……また来るよ。必ず」

マリアは寂しげに微笑み、手を離した。

その帰路、ハインツとファビウスの間に沈黙が流れる。夜風が吹き抜け、木々がささやく。

「ファビウス。君は、僕の選択をどう思う?」

不意に問われ、ファビウスは足を止めた。

「……それを問う前に、お答えいただきたいのは、殿下が“王”として何を望んでいるのか、ということです」

ハインツは眉を寄せた。

「……それは……国を正しく導くこと。民を幸せにし、戦のない平和な王国を築くこと」

「であればこそ、私は申し上げます。王太子にして公に婚約者候補すら立たぬ貴方が、町娘と密会を続けることが、いかに危ういことか――わかっておられるはずです」

その言葉に、ハインツの表情が曇る。

「分かってるさ。でも……マリアといると、僕は“人”でいられるんだ。王子でも、責任でもない、ただの“僕”として……」

その苦悩に、ファビウスは言葉を失った。

その翌日。

王宮では、次の夜会に向けて準備が進んでいた。

リディアンネ・フランクは、母に促され、ドレス選びの部屋にいた。

「この深紅のベルベットがいいでしょう? 王太子の視線を引くには最適よ」

母の声が響く中、リディアンネの視線はぼんやりと窓の外へと向けられていた。

(王太子殿下に……この私が、相応しいのかしら)

彼女の胸に去来するのは、憧れと諦め、そして、どこか満たされない空虚な感情。

そのとき――

「リディアンネ様、宰相補佐のファビウス様より、お手紙が届いております」

侍女が差し出した封筒には、ファビウスの家紋と、彼の筆跡があった。

(ファビウス様から……?)

中を開くと、そこにはこう記されていた。

《夜会にてお話ししたいことがあります。お時間をいただけますか。》

リディアンネは思わず眉をひそめた。

(なぜ、私に……?)

しかし、ファビウスの理知的で誠実な人物像が思い浮かぶと、彼女はそっと、頷いた。

「……行こう。私も、変わらなきゃ」

そして運命の夜会。

リディアンネは母の選んだ深紅のドレスではなく、自ら選んだ淡い月白のドレスに身を包み、夜会の会場へ足を踏み入れた。

それはまるで、夜の静けさをまとった花のような姿。

会場の端に立つファビウスが、彼女を見つけて、わずかに目を見開く。

「来てくださったのですね。ありがとうございます」

「……こちらこそ、お手紙を頂けて、驚きました。いったい、どんなご用件でしょう?」

ファビウスは一瞬、口を迷わせ――やがて、真剣な眼差しで彼女を見つめた。

「リディアンネ様。私は……貴女にお伝えしたいのです。王太子殿下の裏側にある、現実のすべてを」

彼女の瞳が揺れる。

「……それは、マリアという町娘の存在ですか?」

ファビウスの目が大きく見開かれた。

「知って……?」

リディアンネは、小さく微笑んだ。

「気づいてしまったんです。殿下の視線が、私たち令嬢には向いていないこと。そして、誰か特別な存在がいるのだと」

ファビウスは唇を噛んだ。

「リディアンネ様……貴女は、傷ついていないのですか?」

「ええ。でも、私はもう誰かの飾りでいたくない。私は、私の人生を選びたいのです」

そしてリディアンネは、思いもよらぬ言葉を続けた。

「ファビウス様。もし、殿下が王であることを放棄すると言ったら……貴方はどうなさいますか?」

その言葉に、ファビウスの表情が凍りつく。

――夜会の灯が揺れ、運命の歯車が、静かに軋み始めた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最強の私と最弱のあなた。

束原ミヤコ
恋愛
シャーロット・ロストワンは美しいけれど傲慢で恐ろしいと評判の公爵令嬢だった。 十六歳の誕生日、シャーロットは婚約者であるセルジュ・ローゼン王太子殿下から、性格が悪いことを理由に婚約破棄を言い渡される。 「私の価値が分からない男なんてこちらから願い下げ」だとセルジュに言い放ち、王宮から公爵家に戻るシャーロット。 その途中で馬車が悪漢たちに襲われて、シャーロットは侍従たちを守り、刃を受けて死んでしまった。 死んでしまったシャーロットに、天使は言った。 「君は傲慢だが、最後にひとつ良いことをした。だから一度だけチャンスをあげよう。君の助けを求めている者がいる」 そうしてシャーロットは、今まで自分がいた世界とは違う全く別の世界の、『女学生、白沢果林』として生きることになった。 それは仕方ないとして、シャーロットにはどうしても許せない問題があった。 白沢果林とはちょっぴりふとましい少女なのである。 シャーロットは決意する。まずは、痩せるしかないと。

オネエな幼馴染と男嫌いな私

麻竹
恋愛
男嫌いな侯爵家の御令嬢にはオネエの幼馴染がいました。しかし実は侯爵令嬢が男嫌いになったのは、この幼馴染のせいでした。物心つく頃から一緒にいた幼馴染は事ある毎に侯爵令嬢に嫌がらせをしてきます。その悪戯も洒落にならないような悪戯ばかりで毎日命がけ。そのせいで男嫌いになってしまった侯爵令嬢。「あいつのせいで男が苦手になったのに、なんであいつはオカマになってるのよ!!」と大人になって、あっさりオカマになってしまった幼馴染に憤慨する侯爵令嬢。そんな侯爵令嬢に今日も幼馴染はちょっかいをかけに来るのでした。

もう無理だ…婚約を解消して欲しい

山葵
恋愛
「アリアナ、すまない。私にはもう無理だ…。婚約を解消して欲しい」 突然のランセル様の呼び出しに、急いで訪ねてみれば、謝りの言葉からの婚約解消!?

さようなら、初恋

芙月みひろ
恋愛
彼が選んだのは姉だった *表紙写真はガーリードロップ様からお借りしています

春告げ鳥

朝山みどり
恋愛
春告げ鳥が鳴く季節、わたしは一人の男性と出会った。彼の穏やかな笑顔と声には、いつも春告げ鳥の鳴き声が重なっていた。その春、彼は戦争へ向かい、「笑って待っていてね」と言い残して去る。振り返らなかった背中を、わたしは今も忘れられない。呼び止めなかった後悔を胸に、わたしは毎年、春告げ鳥の声を聞きながら待ち続けた。 年月が流れ、体は衰え、終わりが近いことを静かに悟るようになる。今年の春、いつもより早く春告げ鳥が鳴き、窓の外に彼の姿が現れる。若い頃のまま、照れたように笑い、迎えに来たのだと自然に理解できた。待つことは苦ではなく、人生そのものだった。約束どおり笑って待ち続けたわたしは、春告げ鳥の声に背中を押され、再会の笑顔へと歩み出す。今年の春告げ鳥は、少し早く、それでちょうどよかった。 なろうにも投稿しております。

完結 振り向いてくれない彼を諦め距離を置いたら、それは困ると言う。

音爽(ネソウ)
恋愛
好きな人ができた、だけど相手は振り向いてくれそうもない。 どうやら彼は他人に無関心らしく、どんなに彼女が尽くしても良い反応は返らない。 仕方なく諦めて離れたら怒りだし泣いて縋ってきた。 「キミがいないと色々困る」自己中が過ぎる男に彼女は……

なくなって気付く愛

戒月冷音
恋愛
生まれて死ぬまで…意味があるのかしら?

【完結】婚約者様。今、貴方が愛を囁いているのは、貴方が無下に扱っている貴方の婚約者ですわよ

兎卜 羊
恋愛
「お願いです、私の月光の君。美しい貴女のお名前を教えては頂けませんでしょうか?」 とある公爵家での夜会。一人テラスに出て綺麗な夜空を眺めていた所に一人の男性が現れ、大層仰々しく私の手を取り先程の様な事をツラツラと述べられたのですが…… 私、貴方の婚約者のマリサですけれども? 服装や髪型にまで口を出し、私を地味で面白味の無い女に仕立てるだけでは飽き足らず、夜会のエスコートも誕生日の贈り物すらしない婚約者。そんな婚約者が私に愛を囁き、私の為に婚約破棄をして来ると仰ってますけれど……。宜しい、その投げられた白い手袋。しかと受け取りましたわ。◆◆ 売られた喧嘩は買う令嬢。一見、大人しくしている人ほどキレたら怖い。 ◆◆ 緩いお話なので緩いお気持ちでお読み頂けましたら幸いです。 誤字脱字の報告ありがとうございます。随時、修正させて頂いております。

処理中です...