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心がほどける場所
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それは、冬の風が少し和らいだ午後のことだった。
リディアンネは、白と薄桃色のストールを肩に掛けながら、控えめにミレイユの屋敷を訪れていた。
王都の北東に位置するシュタイン伯爵家の館は、外観こそ重厚な石造りであったが、屋内は驚くほど柔らかな色合いで整えられていた。白とクリーム色を基調とした室内に、暖炉の炎が静かに揺れている。
ミレイユが案内したのは、南向きの小さなサンルーム。
窓の外にはガラス越しの温室が広がり、冬の冷気に晒されることなく、色とりどりの草花が咲いていた。
「お越しくださって嬉しいです、リディアンネ様」
ミレイユは、あの日と同じような優しい笑顔を浮かべていた。
「……ご招待、ありがとうございました」
リディアンネは、いつものように丁寧にお辞儀をして席に着く。
ミレイユは、銀のティーポットからローズヒップティーを注ぎながら、自然に話を始めた。
「この場所、わたくしの“秘密の逃げ場”なのです。社交の顔を外して、ただ“女の子”に戻れるところ」
「……それは、素敵ですね」
「リディアンネ様にも、そういう場所があればいいのにと思って」
リディアンネは、少しだけ戸惑った表情を浮かべたあと――ふっと笑った。
「わたくしには……あまりそういう居場所がなかったので」
「じゃあ、今日からここを、あなたの居場所にしてくださいな」
ミレイユはおどけたように笑ってみせた。
リディアンネは一瞬目を見開き、それから――
「……うふふ」
小さな、小さな笑い声をこぼした。
ミレイユがはっとしたように目を細める。
「今、笑われました?」
「……わたくし、そんなにひどい顔をしておりましたか?」
「ううん、とても綺麗なお顔。……でも、その笑顔はきっと、ずっと閉じ込められていたのでしょう?」
ミレイユの言葉に、リディアンネの胸の奥がじんわりと熱を帯びていく。
――誰かと、ただ笑って会話をする時間。
それは貴族令嬢としての振る舞いや、誰の妻になるかといった打算のない、
“ただの女の子”として過ごすひとときだった。
しばらくして、ティーセットの横に出された小さな洋菓子に目を落としながら、ミレイユはふいに話題を変えた。
「王太子殿下のこと……お好きですか?」
リディアンネの手が、ほんの少し止まった。
「……“推し”として、見つめていただけです。最初から……殿下は、わたくしとは違う世界の方」
「今も?」
その問いに、リディアンネは答えなかった。けれど――
(今も……?)
自分の胸に投げかけられたその問いが、静かに波紋を広げていくのを感じていた。
その夜。
馬車で公爵家の屋敷へ戻るリディアンネは、窓の外の月をぼんやりと見上げながら、
はじめて“心がほどけた”という感覚を味わっていた。
(……笑っていた。わたし……誰かと一緒にいて、笑っていた)
誰に見せるでもない、仮面を外した笑顔。
それが、こんなにも温かく、こんなにも胸に残るものだと、リディアンネは知らなかった。
一方そのころ。
王宮では、ハインツが一人、書斎で静かに書を読んでいた。
けれど内容はまったく頭に入ってこない。
(……笑っているところを、見たことがない)
リディアンネの笑顔――それを、彼はまだ見たことがなかった。
だからこそ、今、見たいと思っている自分がいた。
(……俺は、何を求めているんだ?)
マリアとの未来。それはもう確定した道のはずだった。
けれどリディアンネと会うたびに、その未来が不確かなものに思えてくる。
そして、カトリーナ・ノイマンもまた、茶会の一報を耳にしていた。
「……ふぅん。シュタイン家の令嬢と、リディアンネ様がね」
暖炉の前で脚を組みながら、琥珀のワインを揺らす。
「可愛らしいご友人関係。……でも、どこまで持つかしら?」
その目には、静かなる火が灯っていた。
リディアンネは、白と薄桃色のストールを肩に掛けながら、控えめにミレイユの屋敷を訪れていた。
王都の北東に位置するシュタイン伯爵家の館は、外観こそ重厚な石造りであったが、屋内は驚くほど柔らかな色合いで整えられていた。白とクリーム色を基調とした室内に、暖炉の炎が静かに揺れている。
ミレイユが案内したのは、南向きの小さなサンルーム。
窓の外にはガラス越しの温室が広がり、冬の冷気に晒されることなく、色とりどりの草花が咲いていた。
「お越しくださって嬉しいです、リディアンネ様」
ミレイユは、あの日と同じような優しい笑顔を浮かべていた。
「……ご招待、ありがとうございました」
リディアンネは、いつものように丁寧にお辞儀をして席に着く。
ミレイユは、銀のティーポットからローズヒップティーを注ぎながら、自然に話を始めた。
「この場所、わたくしの“秘密の逃げ場”なのです。社交の顔を外して、ただ“女の子”に戻れるところ」
「……それは、素敵ですね」
「リディアンネ様にも、そういう場所があればいいのにと思って」
リディアンネは、少しだけ戸惑った表情を浮かべたあと――ふっと笑った。
「わたくしには……あまりそういう居場所がなかったので」
「じゃあ、今日からここを、あなたの居場所にしてくださいな」
ミレイユはおどけたように笑ってみせた。
リディアンネは一瞬目を見開き、それから――
「……うふふ」
小さな、小さな笑い声をこぼした。
ミレイユがはっとしたように目を細める。
「今、笑われました?」
「……わたくし、そんなにひどい顔をしておりましたか?」
「ううん、とても綺麗なお顔。……でも、その笑顔はきっと、ずっと閉じ込められていたのでしょう?」
ミレイユの言葉に、リディアンネの胸の奥がじんわりと熱を帯びていく。
――誰かと、ただ笑って会話をする時間。
それは貴族令嬢としての振る舞いや、誰の妻になるかといった打算のない、
“ただの女の子”として過ごすひとときだった。
しばらくして、ティーセットの横に出された小さな洋菓子に目を落としながら、ミレイユはふいに話題を変えた。
「王太子殿下のこと……お好きですか?」
リディアンネの手が、ほんの少し止まった。
「……“推し”として、見つめていただけです。最初から……殿下は、わたくしとは違う世界の方」
「今も?」
その問いに、リディアンネは答えなかった。けれど――
(今も……?)
自分の胸に投げかけられたその問いが、静かに波紋を広げていくのを感じていた。
その夜。
馬車で公爵家の屋敷へ戻るリディアンネは、窓の外の月をぼんやりと見上げながら、
はじめて“心がほどけた”という感覚を味わっていた。
(……笑っていた。わたし……誰かと一緒にいて、笑っていた)
誰に見せるでもない、仮面を外した笑顔。
それが、こんなにも温かく、こんなにも胸に残るものだと、リディアンネは知らなかった。
一方そのころ。
王宮では、ハインツが一人、書斎で静かに書を読んでいた。
けれど内容はまったく頭に入ってこない。
(……笑っているところを、見たことがない)
リディアンネの笑顔――それを、彼はまだ見たことがなかった。
だからこそ、今、見たいと思っている自分がいた。
(……俺は、何を求めているんだ?)
マリアとの未来。それはもう確定した道のはずだった。
けれどリディアンネと会うたびに、その未来が不確かなものに思えてくる。
そして、カトリーナ・ノイマンもまた、茶会の一報を耳にしていた。
「……ふぅん。シュタイン家の令嬢と、リディアンネ様がね」
暖炉の前で脚を組みながら、琥珀のワインを揺らす。
「可愛らしいご友人関係。……でも、どこまで持つかしら?」
その目には、静かなる火が灯っていた。
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