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沈みゆく花の影
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夏が終わりを告げるころ、モルディアン王国の王宮には秋の気配が静かに訪れていた。窓から差し込む光が、庭園の紅葉を黄金色に染め上げる。けれど、その美しさに目を留める者は少なかった。
今、王宮では次の祝賀舞踏会の準備が話題の中心だった。王太子ハインツと公爵令嬢リディアンネ・フランク――このふたりが婚約者として初めて揃って人前に姿を現す式典が、目前に迫っていたのだ。
「リディアンネ様、お顔色がとても良くなられましたわね」
「ええ。少し前まではあまり話しかけにくい雰囲気がありましたけれど、最近は……優しくて穏やかで、まるで白百合のよう」
廊下の片隅。令嬢たちのささやきが、マリアの耳に届く。声の主は、侯爵家の娘リル=セイクリッドと、伯爵家の次女ナディアだった。二人は華やかな衣装を揺らしながら、満面の笑みで語り合っていた。マリアは笑顔を保ったまま、扇で口元を隠した。
(ふぅん……“白百合”ですって)
まるで口の中に砂を噛んだような気分だった。
彼女の視線の先では、リディアンネが公女たちに囲まれていた。物静かで、控えめな令嬢。けれど、その態度が“謙虚”と評され、逆に上品さと賢さの象徴として見られはじめていた。
かつて、マリアは自分が選ばれたことに絶対の自信を抱いていた。町娘という立場から、王太子に見初められた自分こそが“本物のシンデレラ”だと。だが今、リディアンネは人々の評価を静かに変えていっている。彼女は声高に自分を主張しない。けれど誰かに呼びかけられれば、柔らかい微笑みと簡潔な言葉で穏やかに応じる。
それが、周囲に「芯のある優しさ」として映っていることに、マリアは気づいていた。
(どうして……どうしてあんな地味な子が……)
マリアは思わず、手にした扇を強く握りしめた。
舞踏会の準備会議が行われた日、マリアは廊下の陰から王太子とリディアンネのやり取りを見ていた。ハインツは、優しい眼差しでリディアンネに話しかけていた。目の奥には、はっきりとした敬意と、どこか柔らかな親しみが浮かんでいる。
(あの目……私に向けていた時と、同じじゃない)
いいえ――違う。
今のハインツは、リディアンネを“見て”いる。
表面的なドレスでも、立場でもない。リディアンネというひとりの人間に、真っ直ぐに向き合っている。マリアの胸の奥に、冷たい焦りがじわりと滲んでいった。
その日の夜、マリアは愛用の香水瓶を机の上に落とした。ぱしん、という軽い音と共に、瓶は床に転がる。
「……違う、わたしは負けてなんかない」
そう呟きながらも、マリアの手は小刻みに震えていた。彼女はまだ“王太子の心は自分のもの”だと思いたかった。けれど、ほんのわずかながら――心の底で理解していた。
王子様は、もう自分だけを見ていない。
今、王宮では次の祝賀舞踏会の準備が話題の中心だった。王太子ハインツと公爵令嬢リディアンネ・フランク――このふたりが婚約者として初めて揃って人前に姿を現す式典が、目前に迫っていたのだ。
「リディアンネ様、お顔色がとても良くなられましたわね」
「ええ。少し前まではあまり話しかけにくい雰囲気がありましたけれど、最近は……優しくて穏やかで、まるで白百合のよう」
廊下の片隅。令嬢たちのささやきが、マリアの耳に届く。声の主は、侯爵家の娘リル=セイクリッドと、伯爵家の次女ナディアだった。二人は華やかな衣装を揺らしながら、満面の笑みで語り合っていた。マリアは笑顔を保ったまま、扇で口元を隠した。
(ふぅん……“白百合”ですって)
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かつて、マリアは自分が選ばれたことに絶対の自信を抱いていた。町娘という立場から、王太子に見初められた自分こそが“本物のシンデレラ”だと。だが今、リディアンネは人々の評価を静かに変えていっている。彼女は声高に自分を主張しない。けれど誰かに呼びかけられれば、柔らかい微笑みと簡潔な言葉で穏やかに応じる。
それが、周囲に「芯のある優しさ」として映っていることに、マリアは気づいていた。
(どうして……どうしてあんな地味な子が……)
マリアは思わず、手にした扇を強く握りしめた。
舞踏会の準備会議が行われた日、マリアは廊下の陰から王太子とリディアンネのやり取りを見ていた。ハインツは、優しい眼差しでリディアンネに話しかけていた。目の奥には、はっきりとした敬意と、どこか柔らかな親しみが浮かんでいる。
(あの目……私に向けていた時と、同じじゃない)
いいえ――違う。
今のハインツは、リディアンネを“見て”いる。
表面的なドレスでも、立場でもない。リディアンネというひとりの人間に、真っ直ぐに向き合っている。マリアの胸の奥に、冷たい焦りがじわりと滲んでいった。
その日の夜、マリアは愛用の香水瓶を机の上に落とした。ぱしん、という軽い音と共に、瓶は床に転がる。
「……違う、わたしは負けてなんかない」
そう呟きながらも、マリアの手は小刻みに震えていた。彼女はまだ“王太子の心は自分のもの”だと思いたかった。けれど、ほんのわずかながら――心の底で理解していた。
王子様は、もう自分だけを見ていない。
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