夏の金色のスター・フロント

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2章

衛星の子どもと近海の子ども

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 昔の姿をした建物が多い近海の中でもとくにりっぱなこのお屋敷は、いつもは昔の生活を紹介する資料館として使われている。
 ライが衛星に帰るまで、僕たちはこのお屋敷で暮らすことに決まっている。どうやらライには、なるべく近海らしい暮らしを体験してほしいと考えているようだ。
 玄関の先にある三つの和室はふすまでしきられているだけで、全部ひらくと教室の二倍くらいの広さになる。いつもはこの広間に昔の近海で使われていた生活道具なんかが展示されているけれど、一週間前に別の建物に移動させていた。
 藤彦兄ちゃんが言うには、資料館のものを別の場所に移動させることなんて、めったにないらしい。それくらい、町の人たちはこの交流プロジェクトに力を入れているそうだ。
 もちろんここに来たことは何度もあるけれど、展示のガラスケースがなくなった部屋はいつもより広い感じがする。ここで何日も暮らすんだと思ったら、なんだか不思議だ。
 お屋敷には僕の家族と資料館を管理している役場の人、さらに近所のおばちゃんたちも集まっていた。みんな掃除したり料理をしたり、ライをむかえる準備をしている。
 僕も手伝おうかと思ったけど、声をかける前に「きい兄ちゃん!」という結の声に呼ばれてしまう。僕はくるりとまわれ右をして、廊下へ向かった。
 そこには、あいかわらず二人にしっかり手をむすばれているライもいた。
「ねえっ、ライ君が『これ何』って」
 結がそう言って、柱の上のウサギの形をした金属のかざりを指さした。
「これは『釘かくし』っていうんだよ。柱に打ってある釘の頭が見えるとみっともないからって、昔の人はこんな道具で隠してたんだ」
 ライはふむふむとうなずいたあとで「ありがとう」とおれいを言ってくれた。ライにおれいを言われると、不思議なくらいうれしかった。
「うおーっ、兄ちゃんすげー!」
 ついでに、結と累にもほめられた。だけど調子に乗った二人はそれから「あれはなに?」「あれは?」といろんな場所を指さして聞いてきた。
「そんなにまとめて聞くなよ!っていうかさ、お前たちは関係ないだろ?」
 二人はつまらなそうに口をとがらせる。その時、近くを藤彦兄ちゃんが通りかかった。
「藤彦兄ちゃーん!きい兄ちゃんがね、しつもんしたら怒るよー」
「気にせず質問してやれ。紀一がライ君の先生なんだから、なんでも知ってるはずだぞー」
 ひひひっ、といじわるな笑い声をたてて、藤彦兄ちゃんが去っていく。それを聞いた累と結はうれしそうに笑って、マシンガンみたいないきおいで質問を再開した。
 ひどいよ、藤彦兄ちゃん…。
 準備が終わると僕とライもやっと開放されて、みんなで広間に集まった。
 長いテーブルを並べた食卓には鳥の唐揚げにリーフサラダにオードブル、それに近海の郷土料理であるマスのお寿司とかが並んでいる。
 ライのポケットから出てきたトントが、本物の犬みたいにぜんぶの料理の前に顔を近づけていた。それを見た累と結が「かわいい!」と黄色い声をあげ、さっそく手をのばす。
 ライはテーブルの目立つ場所につかされて、あらためて自己紹介をした。
「ら…ライ・ミトハ・カグヤです。七番衛星都市カグヤからきました…」
 フジヤマの時と同じ言葉だけど、さっきよりも声が小さい。話すライは下を向いているし、くちびるも少しふるえていた。
 きんちょうするのも当たり前だろう。ここにいるのはみんな初めて会う人だし、環境が生まれ育った場所とはぜんぜんちがうんだから。
 でも、どうしてライは一人なんだろう?今のライを見ていたら、急に気になった。
 はじめての交流プロジェクトなんだから、トラブルが起こる可能性もあるだろう。それなのにカグヤの人がいないってことは、ライにとって危険なことじゃないだろうか?
 期間中の僕たちの生活は、藤彦兄ちゃんがめんどうを見てくれることになっている。僕はそれで安心だけど、ライの場合はそうはいかないだろう。少なくとも一人くらいは、保護者がわりの人がついてくるのが普通な気がする。
 ここにいるみんなだって、そんなライを心配しているみたいだ。自己紹介が終わったライに、はげますように大きなはくしゅを送っていたのだから。
 それからはみんなも自己紹介をして、歓迎パーティーをかねたお昼ごはんがはじまった。
 そうなると、時間がたつのはあっという間だ。お母さんをはじめとした町の女の人はライにいろいろ質問しているし、あんまりヒートアップするとおじいちゃんや男の人たちが注意して口ゲンカがはじまるし、累と結はあいかわらずライにまとわりついてるし。
 おとなしいライが困っていないか心配だったけど、このにぎやかさが近海人だ。悪いけど、ガマンしてもらうしかないだろう。みんなと話しているライはニコニコ笑っていて、そんなに嫌そうじゃないのがせめてもの救いだった。
 こうして一時間がたち、二時間がたつと、集まっていた町の人も少なくなっていく。
 だんだんさみしくなっていくけど、しかたがない。だって大人は仕事や夕食の準備があるし、おまけに今はお祭りの準備でとくにいそがしい時期なんだから。
 それは僕も同じだ。食器を洗ってから時計を見たら、出かける時間が近づいていた。
 広間にもどるとほとんどの人はいなくなってて、やけにがらんとしていた。大きな座布団に頭を乗せて、累と結がうとうとしている。
「ねえ、藤彦兄ちゃんとライ君は?」
 たずねると、二人が重たそうにまぶたをひらいた。
「奥の部屋にいたよお」
「うん、先生とお話してた…」
「え、先生?」
 思いもよらない言葉を聞いて、どきりとした。
「ねえ、先生って誰のこと?」
 僕が聞いても、二人の返事はない。完全に眠ってしまったようだ。
 これだから子供は…なんて怒ってもしかたないか。僕だってまあまあ子供だし。
 ここの廊下は英語のLみたいな形になってて、つき当たりを曲がった先に奥の間というもう一つの和室がある。そこに謎の「先生」がいると聞いて、歩くペースがあがった。
 トラムの中で、町長さんも「先生によろしく」なんてことを言っていた。累たちが言っていた先生と同じ人なんだろうか。
 もしかしたらその人が、ライの保護者なのかもしれない。なにか理由があって、遅れて来たってことなんだろうか。でも、どのタイミングでこの家に入ってきたんだろう。 
 疑問はつきなかったけど、本人に会ったら謎もとけるだろう。僕はますます早足になって、奥の部屋に急ぐ。入口の前に立つと、ふすまをゆっくり横にひいた。
「…あれ?」   
 奥の部屋にいたのはライと藤彦兄ちゃんだけ。いや。犬モードのトントもいた。
「紀一、どうした?」
 ままばたきばかりをくりかえす僕に、藤彦兄ちゃんが聞いてくる。その言葉で、そもそも藤彦兄ちゃんを探していたことを思い出した。 
「ええっと…これから、サギリの練習に行ってくるから」
「そっか。今日も練習の日だったな」
 なっとくした藤彦兄ちゃんが、ふっと笑顔になる。サギリとはお祭りで演奏する笛のことで、シャギリという別の地方の言いかたが変わって伝わったものだ。
「練習は集会所だろ?がんばれよ」
「…うん」
 しっかり送り出されてしまった僕は、謎を一つ残してこの場をはなれることになった。

 サギリの練習を終えて町組の集会所を出た時にはもう、町はまっくらだった。
 僕の家や集会所がある高宮町は本町通の近くで、お屋敷まで五分もかからない。
 お屋敷の中はすごく静かだった。すごく広いし、みんな帰ってしまったせいで、よけいそんな気がするのかもしれない。しんとした夜の空気がわたる音さえも聞こえてきそうだ。
 廊下に出ると、つきあたりにある調理場の入口から光がこぼれていた。奥の間のふすまのすき間も、ぼんやりと白い。
 調理場では、藤彦兄ちゃんが包丁で野菜をきざんでいた。となりでぐつぐつ音をたてているお鍋の中では、黄色い麺がゆれている。
「冷し中華?これって晩ごはん?」
「当たり。さっきもたくさん食べたけど、一〇日なんてあっという間だからな。ライには地球のいろんな料理を食べてほしいんだよ」
 軽快に野菜をきざみながら、藤彦兄ちゃんは楽しそうに話す。だけど急にまじめな表情になって、僕に質問してきた。
「ところで紀一、明日のスケジュールは考えてるのか?」
「え、スケジュール?」
「なんだ、おぼえてなかったのか?一週間前に話したのに」
 その言葉で、やっと思い出した。だけど一週間前はライの質問に答えられるように町の歴史とかを猛勉強してたころだし、おまけに夏休みの宿題も終わってなくてあわててたし、先のことだと思って後まわしにしているうちにすっかり忘れてしまっていた。
「そうだったね。じゃあ、どうしようかな…午前中は琵琶湖で釣りをして、しばらくたったらみんなも学校が終わるだろうから、野球するとか?」
「お前なあ。それじゃ、クラスの友達と遊ぶのと変わらないだろ」 
 お鍋の麺をざるにうつしながら、藤彦兄ちゃんがため息をついた。お湯の流れる音がかぶっても聞こえるんだから、その大きさはかなりのものだ。
「おぼえてるな?このプロジェクトは、近海の子供に自分で考えて行動する力をつけてもらうのも目的の一つなんだ。だからライ君にどんなもてなしをするのか、なにを学んでもらうか、みんな紀一が決めるんだぞ。どうして二日も休みをもらったのか、よく考えろよ」
「わかったよ。でもさ、一から考えるなんて難しいよ。ライ君が何をしたいのかもわからないし、どうしたら喜んでくれるのかもわからないし」
「それなら、本人に聞いたらいいじゃないか。ちょうど料理ができたし、よんできてくれ」
 無言でうなずいて、僕は調理場を出た。
 ふすまをしめて空気がしんとなると、奥の間からかすかな声がした。
「…はい、わかってます」
 とぎれとぎれのライの言葉といっしょに、知らない誰かの声が聞こえてくる。
「近海の人は…いだろう…たじゃないか…」
「…うん…たしかに先生の言うとおりで…」
 先生?口から出そうになった言葉を、なぜかガマンしてしまった。 
 ライは今、先生と話をしてる。ここにいるらしいのに一度も会っていない、謎の人物と。
 その先生がいると思ったら、急にきんちょうしてきた。近づくだけでドキドキする。
 ふすまのとってに手をかけて、力を入れ…ようとした時だった。
「堀部ーっ!いるーっ?」
 玄関のほうから、大きな声が聞こえてきた。僕のよく知っている、女子の声だ。
「紀一!お客さんだぞお!」
 これは藤彦兄ちゃんの声。僕はしかたなく方向転換をして、玄関へむかった。
 あかりをつけて引き戸をあける。家の前には、四人の子供が立っていた。
「よかった!玄関が暗かったからさ、いないかと思って心配になっちゃった」
 先頭に立って声をはずませた女の子は、染井貴子(そめい たかこ)だ。染井は僕と同じクラスだし、同じ町組に住んでいるご近所さんでもある。ちょっと前まで、いっしょにサギリの練習をしたばかりだ。その後ろにいるのは四年生の原さなえって女子と、大川俊一・大川卓司という三年生と一年生の男子の兄弟。みんな高宮町に住んでいて、サギリの演奏仲間でもある。
 そこで僕は、帰る前に話したことを思い出した。まさか…と思って下のほうを見ると、原と大川兄弟の手には花火がいっぱい入った袋やバケツがあった。予感的中だ。
「花火、やるの?今から?」
「そうだよ。だって約束したじゃん」
 軽く日焼けした顔で、染井がむじゃきに笑う。  
 花火の約束をしたのは本当だ。練習が終わったあとでライの話になって「花火が残ってるから、みんなでやろう」ってことになったのだ。でも、今日やるとは一度も言ってない。
 サギリの練習が終わったあとは、みんなでおしゃべりをして過ごすのが習慣になっていた。今日はライがいるから僕だけ先に帰ったんだけど、残っていた四人でこんな計画をたてていたらしい。
「ねえ、留学生君はどこにいるの?」
 染井はうんと背伸びして、奥をのぞこうとする。やっぱり染井のねらいはライらしい。
 でも、これはライにとってもいいことにちがいない。学校に行ったら今日のお昼よりもきんちょうするかもしれないし、一人でも知り合いがいたほうが気持ちが楽になるはずだ。それに、日本の夏の風物詩である花火を体験させたら、ライは絶対に喜ぶだろう。
「ちょっと待ってて」
 言い残して、調理場にもどる。藤彦兄ちゃんに報告するためだ。
「高宮のサギリチームがきてるのか。遊びにか?」
「うん。ライ君と花火がしたいんだって」
 花火と聞いた時、藤彦兄ちゃんの顔つきがかたくなった…ように見えた。
「花火だったら、注意して遊ぶんだぞ」
 どことなく強い口調だった。大事なお客様であるライに、ケガがないようにしろってことなのかな。僕はそう思って、しっかり首をたてにふった。
「それじゃあ、夕食はおあずけだな。紀一、ライ君をよんでくれ」
「わかった。ライ君!ちょっと来て!」
 大きな声でよぶと、奥の間のふすまがひらいてライが出てきた。少し遅れてトントもいっしょうけんめい走ってくる。「先生」の姿は、そこにはなかった。
「どうしたの?」
「同じ町の子たちがきたんだ。みんな、ライ君と花火がしたいんだって」
「はなび?」
「日本の夏のお楽しみだよ。せっかくだから、いっしょにやろう」
 ライは花火がどんなものかわかってないようだったけど、こくんと首をたてにふった。
 玄関先にあらわれたライを見て、四人が同時に「わあ~っ!」とおどろきの声を出す。染井と原の女子二人の声が、とくに大きかった。
「すごい!髪の毛も、目の色もすごくきれい。衛星の人って、みんなこうなの?」
「ライ君は特別なんだよ。衛星の中でも、ライ君みたいな目や髪の子はあまりいないんだって」
「へえ~」
 染井が前に出て、じいっとライを見つめる。困ったライが、ちょっと後ろに下がった。
「染井、あんまりじろじろ見ないで。ライ君はまだきんちょうしてるんだ」   
「あっ、そうなんだ。ごめんね」
 染井はあわてて体をひくと、ライに向かってにっこりと笑いかけた。
「はじめまして、染井貴子です。学校では同じクラスになるんだ。よろしくね」 
「うん、よろしく」
 染井があいさつをすると、ライがやっとほほえんだ。
「あっ、藤彦兄ちゃん!」
 奥から出てきた藤彦兄ちゃんに気がついて、最年少の大川卓司が声をはずませた。
 藤彦兄ちゃんは高宮町の子供みんなにとって、大好きでたよりになる存在だった。
「練習でつかれてるだろ?少し休んでいくか?」
「はーい!」
 声をそろえて返事をすると、みんなお屋敷の中にあがってきた。
 資料館の時とはちがうお屋敷の姿に、みんなおどろいているようだった。広間のテーブルの前に腰をおろしても、なんだかそわそわしている。
 でも、みんなが落ちつかないのは別の理由もあるはずだ。それはもちろん、まだ会ったばかりの不思議な姿の少年…ライだ。
 僕が麦茶を持ってもどってくると、みんなライの近くにすわっていた。
 自己紹介の続きをしていたらしく、ちょうど大川俊一の話が終わったところだった。兄貴が言い終わると、待ちきれなかった卓司がライの肩をたたく。
「僕はその弟で、大川卓司っていうんだ!よろしくね」
「おとうと?じゃあ、二人は兄弟?」
 卓司が大きくうなずくと、ライはめずらしそうに俊一と卓司を順番に見た。
 そういえば、累と結を紹介した時も不思議そうな顔をしてたっけ。ライにとって、兄弟はそんなにめずらしいものなんだろうか。
「じゃあ…紀一君と、俊一君と、卓司君も兄弟?」
「え?ちがうよ。どうしてそう思ったの?」
「紀一君も卓司君も、藤彦さんがお兄さんなんでしょ?だったら、みんな兄弟でしょ?」
 広間が急に、しーんと静かになった。だけど何秒かして、みんながいっせいに爆笑する。
「ちがうよ!たしかに『兄ちゃん』って呼んでるけど、藤彦兄ちゃんは兄弟じゃないんだ。近所に住んでるし、小さいころから一緒に遊んでくれてたから、ずっとそうよんでるんだ」
「ふーん。家族じゃなくても、お兄さんなんだ」
 ライの声がやけにまじめだったのが、ますますみんなの笑いをさそった。
「ライ君っておもしろいね!ねえ、ライ君のまわりには兄弟がいるおうちってなかったの?もしかして、カグヤの家族ってみんな一人っ子?」
「ひとりっこ?」
「そう!お父さんとお母さんと、子供が一人しかいないおうちのこと」
「おとうさん?おかあさん?」
 さらにぽかんとするライを見て、僕たちの顔から笑いが消えた。
「えっ…ちょっと待って。ライ君、お父さんとお母さんって言葉もめずらしいの?」
 当たり前だと言うように、ライが首をたてにふった。
「どういうことなの?それって、カグヤの子には家族がいないってこと?」
「家族はいるよ!カグヤに住んでいる人は、みんな家族なんだ」
 ライがあわてて声をあげた。だけど僕たちはそれを聞いて、おたがいの顔を見る。みんな、困っているような表情をしていた。
「ライ君の言うとおりだ。カグヤいる人たちはみんな家族で、カグヤにいる大人がみんなライ君のお父さんとお母さんなんだ」
 お菓子の乗った大皿を持って、広間に藤彦兄ちゃんが入ってきた。
「藤彦兄ちゃん、それってどういうこと?」
「カグヤで子供が生まれると、すぐに同じ部屋に運ばれることになっているんだ」
「え…そんなことしたら、親は自分の子供がわからなくなっちゃうよね?」
 たずねる染井の声は、少しふるえていた。
「そうだよ。カグヤではそれでいいんだ。子供は生まれた時からカグヤの教育システムで大人になるまでめんどうを見るし、すべての大人はすべての子供にたいして同じ責任を持つ。みんなひとしく『カグヤの子供』として、しっかりと育てるんだよ。血のつながりを知っているのは、お医者さんと管理局のごく一部の人だけだ」
 藤彦兄ちゃんの説明に、僕たちは言葉をうしなった。
「地球では、大切な人を家族って言うんでしょ?カグヤには、僕をうんでくれた人がいる。名前をつけてくれた人もいる。勉強を教えてくれる先生や、ごはんをつくってくれる人や、病気をなおしてくれる人もいる。みんな僕の大切な人だ。だからみんな、僕の家族なんだ」
 ライの言葉に「まちがってる」とか「おかしい」とか言う人は一人もいなかった。でも「そうなんだ」って安心している人もいない。すごくもやもやした気分だ。
「学校でいろんなことを教わったかもしれないけど、衛星と地上のちがいは数えきれないくらいあるんだ。それを知るのも勉強だから、いろんなことを聞いたらいいぞ」
 藤彦兄ちゃんはそう言って、テーブルの上に大皿を置いた。
 広間は急に静かになった。さっきはあんなにライに話しかけたがっていた卓司さえ、下を向いてお菓子を口にはこんでいる。ライからまた思いもよらない話を聞かされるんじゃないかと、怖がっているようにも見えた。
 僕はすぐに、みんなに「花火に行こう」と声をかけた。

 静まりかえった夜の道に、僕たちの足音が強くひびく。この町では街灯の光も昔みたいにぼんやりとしていて、空にのぼった大きな月が一番のあかりだった。
 お屋敷の中ではライにくっついていたみんなも、何となく距離をおいて歩いている。僕は近くにいるライのことも気にしながら、染井とクラスのことを話していた。
 まだ夏休みが終わったばかりだし、クラスにはひさしぶりに会う友達がおおい。だからあの子は夏休みにこんなことがあったらしいとか、あいつはどこに行ったとかの情報交換をしていた。僕はおもに男子の話で、染井はおもに女子の話といった感じで。
 そのとちゅうで、染井がふっと表情をくもらせた。
「…そういえば、今日も来なかったね。瑠香ちゃん」
 その名前を聞いた瞬間、胸のあたりがチクリと痛んだ。
「一日とか二日だけだったら病気かなって思うけど、夏休みが終わってから一度も学校来てないよね。堀部、最近瑠香ちゃんに会った?」
 聞いてきた染井から、思わず目をそらしてしまった。
「なんでだよ。俺が小椋にわざわざ会うわけないじゃん」
「なんでってことはないでしょ?前はよく家に行ってたのに」
 ぶっきらぼうに返事をした僕に、染井もちょっと怒って言いかえした。
「…やっぱり、おばあちゃんのことなのかな」
 染井がひとり言みたくつぶやく。そして僕も、ひとり言を聞き流すようにだまっていた。
 公園といっても、これといった遊び道具があるわけじゃない。言ってしまえばただの広場なんだけど、こうして花火をやる時には絶好のスポットだった。
 みんなでバケツに水をはったり、センサーキャンドルを出したりと準備を進める。だけど花火がどんなものか知らないライは、ぽつんと立ってそのようすをながめるだけだった。
 この花火では、もっとライに話しかけよう…そうしないと、ライとの間にすごく距離がひらいてしまう。不安になっていた僕は、そんなことを強く考えていた。
 準備がすむと、僕は二本の花火を持ってライに近づく。そのうちの一本を、持ち手を向けてライにさしだした。
「これが花火なんだ。みんなでやってみせるから、最初は見ててよ」
 花火を受けとったライは、ますます不思議そうに目をぱちくりさせた。
 センサーキャンドルは三角形の置物みたいな形をしている。底にあるボタンを押して地面に置き、一〇秒くらいたつと先から自動的に火がつくようになっている。
 時間になり、キャンドルに火がついた瞬間。ライの体がびくりとふるえたようだった。
 最初にキャンドルに近づいたのは卓司だった。花火の先に火がうつると、プシューッとはげしい音と一緒に緑色の炎がふき出す。原も続き、俊一も弟の花火から火をわけてもらうと、公園はたちまち緑やピンクや青といったキレイな色の炎で明るくなった。
 僕も自分の持っていた花火に火をつけて、すぐライに近づいた。体がふるえてるみたいだけど、きんちょうしているんだろうか。
「どう?きれいでしょ」
「うわあ…ひ…」
「そう、火!火なのにこんな色に光るんだ!すごいでしょう?」
 僕が近づくと、ライが後ずさりした。遠くから、藤彦兄ちゃんが声をかけてくる。
「おい紀一!ライ君に無理させるなよ!」
「大丈夫だって、ライ君も楽しいはずだから!」
 よく見たら、花火を持っているほうの手が少し前に出ていた。チャンスだと思った僕は、自分の花火をライの花火の先に近づける。火はすぐに燃えうつって、ライの花火からも緑色の炎が飛び出した。それを見たライの目が、怖いくらい大きくひらく。
「わああああああああああああああ!」
 とてつもない悲鳴が、公園にひびきわたった。
「ひっ、火だあ!」
 ライは花火を捨てることもできず、ぴんと腕をのばしてさけぶ。これはまずいと気がついた僕はすぐに水の入ったバケツを持って、ライのそばに走った。
「ライ君っ、この中に入れて!」
 花火をバケツにつっこむと「じゅっ」という音をたてて火が消える。ライのおびえた表情はひいていったけど、今度は目をキッとつりあげて、怖い顔で僕をにらんだ。
 おどろいた僕の手から、力いっぱいバケツを取りあげる。ライはそのまま、近くでこっちを見ていた卓司のほうにかけだした。
 びっくりして動けない卓司に向かって、ライはバケツの水をかける。卓司が持っていた花火が消えるのをたしかめると、ほかのみんなのほうに走り出した。
 みんな花火を持ったまま、悲鳴みたいな声を出して逃げまわる。
「落ちついて!ライ君は花火を消そうとしてるんだ!」
 僕の声を聞いて、みんな花火を近くの地面に落とした。ライはバケツに残った水を、次々と花火の上にまいていく。ライの横顔はまっ赤で、さっきまでとはちがう人みたいに怖い。
 最後の花火の火が消えると、ライはすぐに公園を出て行った。僕は声をかけられず、そんなライの後ろ姿を見ていることしかできなかった。
「花火は中止だ。みんな、すぐに帰れ」  
 藤彦兄ちゃんが静かな声で伝えると、ライのあとを追った。
 しんとなった公園に、卓司の泣き声がひびく。染井が近づいて、頭をなでた。
「卓司、だいじょうぶだよ。ライ君は帰ったから」
 染井が優しく語りかけるうちに、卓司の泣き声が小さくなっていく。
「…さっきのライ君、すごく怖かったね。私たち、花火してただけなのに」
 原の言葉に、僕以外のみんながうなずいた。このままじゃまずいと思った僕は、あわてて口をひらく。
「きっと、なにか理由があるんだよ!すごく火を怖がるようなワケがさ…」
「だからダメなんだよ」
 染井のするどい声が、僕の言葉をさえぎった。
「ちょっと花火を見ただけであんなに怖がるような子だったら、これからどうしてあげたらいいのかもわからないし」
「それは…そうかもしれないけど」
 さっきのライの姿を思い出すと、ちがう意見が浮かんでこない。
「さっき家で聞いた話だってさ、わけわからなかったもん。本当のお父さんやお母さんもしらないのが普通なんて思ってる子と、どうコミュニケーションとったらいいと思う?」 
 僕はなにも言えなかった。
 泣きやんだ卓司の肩をぽんとたたいて、染井が歩き出す。原と俊一もすぐに続いた。
 だれもいなくなった公園には、大川兄弟が忘れていった花火が残されていた。僕は花火と転がったバケツをひろって、お屋敷までの道をとぼとぼと歩いていった。
 お屋敷に帰ってみると、広間にいたのは藤彦兄ちゃん一人だけだった。
「ライ君は?」
「奥の間にいるよ」
 藤彦兄ちゃんはなにかの仕事をしているらしく、マイクロパッドがうつし出す空間表示に文字を打ちこみながらこたえる。
 ライはさっきの出来事のせいで、とじこもってしまったのだろうか。僕はその場にぐったりと腰をおろして、藤彦兄ちゃんにたずねた。
「ライ君ってさ、すごく花火を怖がってたよね。どうしてなんだろう?」
「それは、本人に聞いてみたらいいんじゃないか」
 つきはなすような言いかただった。僕はがっかりして、今まではりつめていた力が急に抜けていくのを感じた。
 たまたま交流プロジェクトで近海の代表に選ばれたってだけで、どうしてこんな苦労をしないといけないんだろう?さっきの染井の話だって、僕がライの案内役じゃなかったらぜったいに賛成してた。ライを理解する自信がないのは、僕だって同じなんだ。
 そんな気持ちが強くなってきた僕は、藤彦兄ちゃんにこんなことを言った。
「藤彦兄ちゃん、明日の計画なんだけどさ…何もしないことにするよ」
「理由は?ライ君がそうしたいって言ったのか?」
「聞かなくってもわかるよ。花火だけであんなに怖がるなら、地球は怖いことばっかりだもん。だったら最初から何もしないで、だまって帰る時がくるのを待ってたほうがいいと思うけど」
 藤彦兄ちゃんの手が、ぴたりと止まった。ふりかえり、迫力のある目つきで僕を見る。
「本当なのか?紀一は本当にライ君のことを考えて、そんなことを言ってるのか?」
 うなずけなかった。藤彦兄ちゃんは、僕が逃げたいと思っていることを見ぬいているとわかったからだ。
 何も言えずにうつむいていると、怖い顔をしていた藤彦兄ちゃんがふっと笑顔を見せた。
「そうだな…なんでも紀一に考えさせるのは、さすがにかわいそうだったな。ごめん」
 あやまられるとは思ってなくて、僕はびっくりして顔をあげる。
「あそこまでとは思わなかったが、ライ君が火を怖がるのは理由があるんだ。カグヤではな、小さいころから火っていうのはすごく恐ろしいものだと教えられているんだよ」
「どうして?」
「衛星っていうのは、でっかい宇宙に浮かんでいる小さな空気のカプセルみたいなものだ。ひとたび火が広がれば、中の酸素なんてすぐなくなってしまう。学校で習っただろう?」
 話を聞いて、一学期にやった理科の実験を思い出す。
 ガラスのビンに火のついたキャンドルを入れてふたをしめるという、かんたんな実験だ。完全にふたをしめると、マッチの火はすぐに消えてしまった。
 浅井先生は「火っていうのは、燃える時に酸素を使うんです。ビンの火がすぐに消えたのは、中の酸素がなくなってしまったからなの」って説明してたっけ。
 つまり衛星は、あのビンみたいなものなんだ。火が広がるとすぐに酸素がなくなって、そこにいる人たちはみんな…僕はぶるりと体をふるわせた。
「だからカグヤでは料理も火を使わないし、火をあつかえるのも『ヒフセ』っていう特別な人だけだ。ライ君が火を怖がるのは、自分や仲間を守るために当たり前のことなんだよ」
 その話を聞いて、やっとライがあんなことをした理由がわかった。
「カグヤの子供たちが生みの親をしらないことも、それと同じなんだよ」
「え?どういうこと?」
「衛生の中では、かぎられた人だけでささえあって生きていかないといけない。もしもそこに住む人たちの関係が悪くなってしまうと、その影響がいろんなところに広がって、生活するのが大変になってしまうんだよ。まるで、火があっというまに燃え広がってしまうみたいに。だから『みんなが家族』って思えるしくみをつくって、まわりの人を同じくらい大切に思えるようにしているんだ」
 藤彦兄ちゃんの話を、僕はだまって聞いていた。少しでもライやカグヤの人たちのことを「おかしい」なんて思ったのが、ますます申しわけなくなってくる。
「たしかに衛星の子供と近海の子供の間には、すぐには理解できないことがたくさんある。でもな、だからってあきらめちゃだめなんだ。相手をわかろうとする気持ちを忘れないで、考える努力を続けないといけないんだよ」
「そうか。ごめんね、藤彦兄ちゃん」
「俺にあやまらなくていい。それよりも、ライ君のことはたのんだぞ。大変かもしれないけど、この役目は紀一じゃないとだめなんだ」
「わかった。ありがとう」
 僕は立ちあがって、ライに会うために広間を出た。
 奥の間の前で深く息をすう。それから、ふすまを軽くノックした。
「ライ君、入っていい?」
 少し時間がたってから、「いいよ」と小さな声がかえってきた。
 ゆっくりとふすまをひく。奥の間の電気はついてなくて、トントの顔だけがかすかに部屋をてらしている。ぼんやりと浮かぶライは下を向いて、ひざをかかえていた。
「さっきはごめんね。火がそんなに怖いものだって、知らなかったんだ」
 ライはこぶしをぎゅっとにぎって、うなずいた。
「だけどね、これはわかってくれないかな?地上ではふつうに火を使うんだよ。もちろん火事は怖いし、気をつけないといけないんだけど…でも、すごく大切なものでもあるんだ」
 僕の話をじっと聞いていたライは、深くうなずいた。
「火が大切なのは、カグヤも同じだよ。だから火を使えるヒフセの人たちはすごく尊敬されてるし、みんなヒフセなりたいって思ってる」
「そうなんだ。じゃあ、僕たちと同じだね」
 ゆっくりと顔をあげたライの口は、ほっとしたように笑っていた。ちょっとでもライと心がつながった気がして、僕も安心した。
「ねえ、あかりをつけていいかな?えっと…ここの照明はどうやってつけるんだろ」
 使ったことがない部屋だし、しかもまっくらだし、あかりをつける方法がわからない。困ってきょろきょろしていると、先にライが動いた。
「トント、ライト」
 トントの顔が強く光って、部屋の奥までてらしだす。
「すごい!トントって、こんなこともできるんだ」
「うん。トントはいろんな機能があるんだ」
 説明したあとで、ライはぺこりと頭をさげた。 
「ごめん…火を使うってわかった時から、ガマンしようと思ったんだ。だけど自分の持ってる棒から火が出たのを見たら、怖くてどうしたらいいかわからなくなっちゃったんだ」
「あやまるのは僕のほうだよ。何も言わないで、花火に火をつけちゃったんだから」
 それを聞いたライの表情が、ふっとゆるんだ。安心してくれたみたいだ。
「でも、今度からは約束してよ。ガマンしないで、いやなことがあったらちゃんと僕に言うって。あと、やりたいことや好きなこととかも…あ、そうだ」
 僕はそこで、大事なことを思い出した。
「じつはさ、明日のスケジュールをまだ決めてないんだ。だから、ライ君の希望があったら教えてよ。近海のまわりで行きたい場所とか、したいことってない?」
 ライの目が一瞬、ぱっと大きくなった。だけどすぐに顔をそむけて、困ったようにうつむいてしまう。この反応は、絶対になにかある。
「ライ君、約束しよう。思ってることはなるべく伝えるって。僕もがんばるから」
 それでもライは迷っているようだった。かなり時間があいてから、やっと口をひらいた。
「じつは…あるんだ。ここでやりたいことが」
「本当に?どんなこと?」
「ソーシキ船の行き先を知りたい」
 ライの返事を聞いて、今度は僕がだまってしまった。
 ライの言った「ソーシキ」という言葉が「葬式」だって気がつくまで、かなりの時間がかかった。「葬式船」が何かを思い出すまでにかかった時間はもっと長い。
「葬式船って、もしかして…衛星で亡くなった人たちを乗せた船のこと?」
 「うん」ライがはっきりとこたえる。混乱して、すぐに言葉が浮かんでこない。
「フジヤマにおりてくるエレベーターには、カグヤで亡くなった人が乗る葬式船がある」  
 友達からその話を聞いた時は、誰かが流した怪談めいたうわさ話だとしか思っていなかった。
 それが本当だってだけでも、僕にはすごいおどろきだった。しかもライが、その行き先を探しているなんて。
「僕が地球にあがるって決まった時に、みんなにたのまれたんだ。葬式船であがっていった人たちがどんな場所にいるのか、ちゃんと見てきてほしいって」
 話すたびにライの声は大きくなって、しんけんさが伝わってくる。
 でも、僕はしょうじき困ってしまった。葬式船の行き先なんてすぐには思いつかないし、何よりも藤彦兄ちゃんがそんなスケジュールを賛成してくれるとは思えなかったからだ。
 …でも、ライは約束を守って自分のお願いを教えて伝えてくれた。そして僕は、ライの希望にこたえるって約束していた。ここで約束をやぶることなんて、できるはずがない。
「わかった。じゃあ明日、いっしょに葬式船の行き先を調べよう」
「本当に、手伝ってくれるの?」 
 すぐには信じられなかったのか、ライは何度も「本当に?」をくりかえす。
 そのたびに僕がうなずいたのを見て、ライの顔にもやっと笑みが浮かぶ。もしかしたら、ライの本気の笑顔を見るのははじめてだったかもしれない。
 細めたライの瞳の中で、コスモスブルーがゆれている。
 宇宙でもわずかな子供しかやどしていない、不思議の青。だけど僕たちと同じように笑っているライには、今までずっと感じていた特別な雰囲気はなかった。
 力になろう。ライの姿に心を動かされた僕も、強くそう思う。
「がんばろうライ君…いや、今からライってよばせてよ。僕のことも『紀一』でいいから」
「わかった。よろしくね、紀一」
 僕たちはしっかりと視線をかよわせて、大きくうなずく。
 これでやっと、僕たちの交流プロジェクトが動き出したような気がした。
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