散った桜は何処へいく ~失った愛に復活はあるのか~

mizuno sei

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19 礼奈、真由香と対面する ①

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 酒井の運転する車の後部座席では、既に優士郎が寝転んで寝息を立てていた。
「鹿島さん、夕べも徹夜だったみたいだな┅┅無理し過ぎじゃないか?」
 助手席の飯田礼奈は、夕べ途中まで一緒だったことは言わず、バックミラーで優士郎の無邪気な寝顔を見て微笑む。
「何を言っても、聞かない人だからね┅┅」
「えっ、そうか?飯田君の言うことは、鹿島さん、けっこう聞いてるイメージだけど┅┅」
「そ、そんなことないよ┅┅うまくはぐらかされるっていうか┅┅」
「ああ、そうそう、はぐらかすのうまいよなあ。それでいて、肝心なところはビシッと決める。男の俺が惚れるんだから、女も惚れるよなあ、ハンサムだし┅┅なあ、飯田君」
「ふふ┅┅わたしに探りを入れようなんて、十年早いわよ」
 酒井は苦笑しながら、車のヘッドライトを点ける。すでに、日は沈み、辺りも夕闇に沈み始めていた。

 
 二〇四四年が幕を開けてから十日が過ぎた。
 その日は土曜日で、朝からどんより曇り、今にも雨か雪が降ってきそうな空模様だった。真由香は娘と朝食を済ませ、リビングで一緒にテレビの子供番組を見ていた。と、そこへメイドの一人が来客を告げに来た。
「えっ┅┅鹿島さんの知り合い?すぐにお通しして┅┅」
 真由香は急に動悸が激しくなり、あたふたし始める。

「優衣、お母さん、お客様が来たから、隣の部屋に行くから、ここでテレビを見ていてね。何か用事があったら、咲恵さんにお願いするのよ」
「うん、わかった」
 娘の髪を撫でた後、真由香はオーディションを受ける少女のような気分で応接室へ向かった。

 豪邸の応接室に通された飯田礼奈も、周りの豪華な家具や美術品を見回しながら、真由香と同じ緊張感を味わっていた。聞けば、この豪邸の今の主人は一八歳のとき、元の持ち主の男と結婚し、夫が昨年死んでからは一人娘と五人の使用人と一緒に暮らしているという。まさに絵に描いたようなシンデレラ物語の主人公だ。

 部屋の横のドアが静かに開き、シンプルな白のカシミアのセーターにツイードのゆったりとしたスカートを穿いた若い女が現れた。一見この豪邸にはそぐわない質素な身なりに見えたが、それがいかにも彼女にふさわしいと、礼奈は感じた。

「ようこそいらっしゃいました。小野真由香です」
「初めまして。飯田礼奈と申します」
礼奈は改めて目の前にいる年下の同性を見ながら、胸が締め付けられるような感覚を覚えていた。先祖にヨーロッパ系の血が入っているのだろうか。化粧っ気はほとんど無いのに、透き通るような白い肌、小さな細い顔に通った鼻筋、長い睫毛に縁取られた大きな愛らしい目、小柄だがすらりとした細身で均整の取れた体つき、すべてが丹精込めて造られた人形を思わせた。
(ああ、こりゃ勝負になんないわ┅┅いや、でも、相手は非処女、子持ち。こっちは正真正銘未婚の処女だ、負けるな、礼奈!)

「あの┅┅どうぞこちらへ┅┅」
「あ、ええ、どうも┅┅失礼します」
 出鼻をくじかれて、無理に笑みを浮かべながら礼奈はソファに座った。
「あの┅┅飯田さんは、その┅┅か、鹿島さんとお知り合いとか┅┅ええっと、どんなご関係┅┅あ、いえ┅┅どんなお知り合いですか?」
(おっ┅┅向こうもかなり動揺してるみたいね┅┅関係を知りたい、そりゃそうだよねえ)
「ああ、ええっと┅┅わたし、実は占い師なんです」
「う、占い師?」

 礼奈はとっさの思いつきに従うことにした。最初は正直に、鹿島の部下で心理学を専門にしていると自己紹介するつもりだった。しかし、相手の警戒を解き、本音を引き出すには、心理学より占いの方が良いだろうという判断だった。
「はい。心理学をベースにした、科学的な占いをキャッチフレーズにしています┅┅」

 優士郎と占い、まるで正反対のものだと真由香は思った。多少夢見がちなところはあるが、当時の彼は、あくまでも論理的かつ科学的な思考をする人だった。
「┅┅鹿島さんとは、何でも話せる気の置けない友人といったところです」
「┅┅そうですか。それで、今日はどんなご用でしょうか?」

 真由香の目に一瞬浮かんだ嫉妬の色を、礼奈は見逃さなかった。
「ええ、実は最近、彼が元気が無いような気がして┅┅でも、それを正直に誰かに明かして甘えるような人ではありませんので、得意の占いを使って、彼の悩みを聞き出そうと思ったんです┅┅」
 真由香はごくりと息を飲んで、思わず身を乗り出すようにして頷いた。
(おお、すごい食いつきだね。まだそんなに彼のことが気になるんだ┅┅)

 礼奈は胸に小さな痛みを感じながらも続けた。
「┅┅そうしたら、彼の悩みの原因が、過去の出来事に起因していることが分かりました┅┅」
 真由香は再び息を飲み込んで、高鳴る心臓の音を隠すように両手で押さえた。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
 緊迫した空気を破るような声がして、メイドがドアを開き、二人のそばへ紅茶とケーキを持って近づいてきた。
「ありがとう。飯田さん、紅茶でよろしかったですか?」
「ええ、ありがとうございます。んん、良い香り┅┅アールグレイですね?」
(鹿島先輩の好きな紅茶か┅┅泣かせるわね)

 礼奈は一口紅茶をすすって、ふうっと小さく息を吐いた。
「そういえば┅┅つかぬ事をお聞きしますが、先ほどあなたは、ご自分の名前を旧姓で名乗られましたね。今は、確か紫門さんですよね?なぜ、旧姓で┅┅」
 真由香は目を伏せて小さく頷いた。そして、再び強い意志をたたえた目を上げて、礼奈を見つめた。
「飯田さん、ここへ来られたということは、わたしと鹿島さん、いいえ、優士郎との過去の関係を、ある程度彼からお聞きになっていると判断していいのでしょうか?」
(うん、なかなか頭の良い子だね┅┅優士郎と言い直すことで、いい加減なことを言ったら許さないとわたしに刃を向け、同時に自分への覚悟も示したんだね)

 礼奈は微笑みを浮かべながら頷いた。
「ええ┅┅大まかにですが、あなたと鹿島さんが別れたいきさつ辺りを中心に┅┅」
「そうですか┅┅じゃあ、わたしと紫門龍仁が交わした約束のことも┅┅」
「はい、知っています」
「さっきのご質問への答えは、その約束の期限が切れたということですわ。今はまだ戸籍上は、紫門真由香ですが、近いうちに旧姓に戻す手続きをして、この家も、財産もすべて処分して、母と娘と三人で暮らすつもりです」

 覚悟を感じてはいたものの、目の前のまだ二十歳を過ぎたばかりの未亡人の覚悟は、礼奈の想像の上をいっていた。
「そうでしたか┅┅理由は分かりました。ただ、ちょっと意地悪なことを言いますが、もし、ご主人が生きておられたら、できなかったでしょうね?」
 真由香にとって、最も弱い部分だと知った上で、礼奈はあえてその問いをぶつけた。ところが、相手の答えは、また礼奈を驚かせた。

「ええ、確かに紫門は許さなかったでしょう。だから、黙って家を出て行く覚悟でしたわ。無理矢理連れ戻しに来たら、死ぬつもりでした。でも、その約束の日、一月十八日の一ヶ月前に、あの人は死んだのです」
「娘さんを置いて死ぬつもりだったと?」
「ええ。娘には何の罪もありません。しばらくは悲しむでしょうが、まだ二歳です。わたしも小さい頃に父親を亡くしていますからわかるんです。ちゃんと、生きていってくれるはずです」
「それは、母親として無責任ではないですか?」
 思わず口にした正論に、しかし、礼奈自身が何か浮ついた嫌悪感を感じていた。

 真由香は微かに微笑んでいた。礼奈から見ると、ぞっと背筋が寒くなるような美しくも冷酷な微笑みだった。
「知ったことではありません┅┅あの男の娘ですから┅┅」

 たかが恋、たかが恋人の男一人、そんなもの忘れて、この豪邸で何不自由なく一生暮らせば、彼女も娘も幸せなはずではないか。しかも、恋人の男は、もう彼女をあきらめてしまっているのだ。どう考えても、人生を捨ててしまうのはばかげている。
(常識的、現実的な人なら、当然そう考えるわね)
「娘さんを愛していないと┅┅」
「いいえ、もちろん愛しています。わたしがそばにいるかぎり、娘に悲しい思いはさせないし、立派に育てて見せますわ」
(一見、さっきの彼女の言葉と矛盾している。でも、それを矛盾させないもの┅┅たぶん、それが、今、彼女が求めているもの┅┅すべてのカギ┅┅)

「もう一杯、紅茶をもらえますか?」
「ああ、ごめんなさい、気づかなくて┅┅」
 礼奈は核心に入る前に、心を落ち着かせた。
「真由香さん┅┅とお呼びしていいかしら?」
「はい。そう呼んで下さい」
 礼奈は、相手の儚げな笑顔をうっとりと見つめながら、紅茶を口へ運んだ。
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