散った桜は何処へいく ~失った愛に復活はあるのか~

mizuno sei

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25 新しい門出は前途多難?

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 二月の終わり、、奥多摩の一角の木々に囲まれた丘陵地には、一週間ほど前に降った雪が、まだ所々に消えずに残っていた。しかし、その日、この丘の上に続く道は、何台ものトラックが行き来し、丘の上に立つ石造りの大きな館の内も外も、人々の賑やかな声と熱気に溢れ、周囲に残った雪を溶かしてしまうかのようだった。

 ここに元々あった洋館のリフォームが終わり、新しい家具や引越の荷物を運び入れる運送業者にてきぱき指示しているのは、この館の新しい女主人であった。まだ、少女と言っていいほど若く、彼女が三歳になる娘がいる母親だとは誰も思わないだろう。
 その女主人である紫門真由香は、すでに赤坂にあった屋敷をはじめ、夫の紫龍が残した遺産をすべて処分し、使用人たちにも、退職金代わりに相応の金を渡して解雇していた。そして、残った金の半分ほどを、いくつかの福祉団体と「女性が生き生きと働ける社会を作る会」に寄付した。それでも、まだ十数億の金が手元に残ったが、それは、彼女がこれまで払った犠牲に対する正当な代償であり、これからの新しい生活に向けての大切な資金だった。

 新しい生活の手始めに、彼女はこの古い洋館を買い取り、いろいろな人の意見を聴きながら一ヶ月を費やして、有名な建築家に内外のリフォームを委託した。
「どお?お母さん┅┅気に入った?」
 荷物の搬入が一段落した。真由香は、二階の窓から外を眺めている母親のそばへ行って声をかけた。
 この半月ほどで随分病状が回復した母親は、微笑んで頷いた。
「ええ、とても気に入ったわ。空気も良いし、静かだし、何よりこの眺めが素晴らしいわね┅┅こんな素敵なお家に住めるなんて、夢みたいよ┅┅ありがとう、真由ちゃん┅┅」
「うん┅┅お母さんの病気はストレスが大敵なんだから、何も心配しないでここでゆっくり暮らしていれば、きっと治るから┅┅」
「ええ┅┅ありがたくそうさせてもらうわ┅┅優衣ちゃんや新しく生まれてくる赤ちゃんのお世話は、任せておいて」
「ま、まだ気が早すぎるわよ、もう┅┅」
 真由香は母親の笑い声に背を向けて、包装紙やテープ類などのゴミを拾い集めながら、一階へ降りていった。

「ママー、誰かきたよー」
 庭で木の葉を集めて遊んでいた優衣が、門の方を指さしながら叫んだ。
 真由香が玄関に出て、緩やかな坂になっている門の方に目をやると、引き締まった体つきのスーツ姿の女が、軽やかな足取りで坂を登ってきながら真由香に手を振った。

「真由香さん、お久しぶり」
「飯田さん、お久しぶりです。あの、その節はお世話になりました」
 飯田礼奈はにこやかな笑顔で真由香の前まで来ると、片目をつぶってウインクし、Vサインをした。
「にひひィ┅┅あの時に比べると、また一段と輝いてきれいに見えるわよ」
「か、からかわないで下さい┅┅あ、あの、どうぞ、中へ┅┅」
「ママ、赤くなってるゥ」
 木の葉を手にした優衣が、母親を見上げながら言った。
「ゆ、優衣、変なこと言ってないで、ほら、中に入って手を洗ってきなさい。手を洗ったら、おばあちゃんを呼んできて」
「はーい」

 娘を家の中に入れると、真由香は一つ小さなため息を吐いて、まだ赤い顔のまま礼奈の方を見た。
「すみません、引っ越しの荷物がまだ整理できてなくて、散らかったままですけど、どうぞ中へ┅┅」
「はい、おじゃまします」

 一階は玄関を入ると、大きなホールになっていて、右側にカウンター付きのバーとソファ、テーブルが並んだ応接スペース。左側は家族のティータイム用のリビング。その横に階段があり、緩やかにカーブして二階へとつながっている。奧の右手にオープンキッチン、左手に食堂、その途中にトイレと地下への階段があった。
「素敵なお屋敷ね┅┅中世のヨーロッパ貴族の館って感じ?」
 応接スペースのソファに座りながら、礼奈は目を輝かせていた。
「ありがとうございます。ここ、優君、あ、いや優士郎が、ずっと前から目を付けていた物件だったらしくて┅┅彼、自然が好きだから┅┅」
「ふうん、普段は優君って呼んでるんだ┅┅ふふ┅┅いいなあ、高校生っぽくて┅┅」
「もう、そうやってすぐからかうんだから┅┅」
 カウンターの奧でコーヒーを淹れていた真由香が、赤くなりながら答える。

「ふふ┅┅うれしいのよ、わたしも┅┅真由香さんは幸せにならないといけないって、わたしだけじゃなく皆そう思っているから┅┅」
「み、皆って┅┅」
「わたし、鹿島さん、ロゼのマスター、ルミ子さん、和田さん、それから神様も┅┅ふふ┅┅」
 真由香は熱いものがこみ上げてきて、思わず泣きそうになりながらコーヒーをカップに注いだ。
「それで、どんな?デートはちゃんとしてるんでしょう?」
「え、ええ、まあ┅┅」
「ここのところ鹿島さんも、また忙しそうだからねえ┅┅何回ぐらいしたの?」
「さ、三回かな┅┅」
「ええっ、三回?たった?一ヶ月で三回って、週に一回弱ってこと?」
 コーヒーとクッキーを運んできた真由香は、どうしようもなさそうにうつむいて、おずおずとカップやクッキーの容器をテーブルに並べる。
「んん┅┅そりゃあ、鹿島さん忙しいし、仕方ないかもしれないけど┅┅家やホテルに泊まったりとかは?」
 真由香は悲しげに首を振る。

「あら、いらっしゃいませ┅┅真由香の母です」
 優衣を腕に抱いて真由香の母が挨拶に現れた。
「初めまして、鹿島さんの友人で、飯田礼奈といいます」
「紫門優衣です。三歳です」
「あら、良い子ねえ。それに、お母さんそっくりで┅┅きっと美人になるわよお」
 礼奈の言葉にうれしそうに笑う娘を見ながら、真由香は立ち上がって、バーのカウンターに置いたクッキーとミルク、紅茶のトレイを取りに行った。
「優衣、降りて┅┅向こうでおばあちゃんと食べなさい」
「えー、やだ、ここで食べたい」
 真由香は、礼奈の言葉とは裏腹に、優衣が紫龍にそっくりな気がしてならなかった。
「ママはお客様と大事なお話をしているの。わかるわね?」
「はーい┅┅」
 優衣はしょんぼりしながらも、頷いて祖母の腕から降りると、反対側のリビングへ歩いて行く。
「ごゆっくりなさってくださいね」
 真由香の母親は、トレイを受け取るとそう言って去って行った。

「お母さん、まだお若いわね」
「ええ、まだ四十半ばですから┅┅でも、腸に潰瘍ができる持病があって、ずっと、入退院を繰り返してきたんです」
「そう┅┅苦労してあなたを育ててこられたのね┅┅」
 礼奈はそう言って、コーヒーをブラックのまま一口飲んだ。
「あら、これって、もしかしてモカマタリ?」
「あ、はい、香りが好きで、注文して取り寄せてます┅┅」
「んん┅┅美味しい┅┅」

「あ、あの、飯田さん┅┅」
 礼奈は真由香の悲しげな表情に驚いて、カップを置いた。
「どうしたの?」
「は、はい、あの、さっきのお話のことなんですが┅┅」
「さっきの?ええっと、確かデートのことだったわよね?」
 真由香はこくりと頷くと、切羽詰まったような顔で礼奈に言った。
「あの┅┅わたしたち、まだキ、キスもしていないんです┅┅こ、これって、おかしいですよね?」

 礼奈はあっけにとられて、口を開けたまま真由香を見つめていた。
「そうなの?なんで?」
「な、なんでって言われても┅┅」
「おかしいでしょう┅┅あなた、まだ怖がってるの?子供まで産んでるのに?」
 真由香は身も蓋もなくて、身を縮めながら首を振った。
「┅┅怖くはないです┅┅あ、あの┅┅ゆ、優士郎は、全然求めてこないんです┅┅や、やっぱり、わたしの方から求めたほうがいいんでしょうか┅┅」

 礼奈はため息を吐いて、頭を抱えた。
「はああ┅┅ということは、なに?五年前、もう六年前か、付き合って以来、一度もキスをしてない、ましてや、セックスも、ペッティングも┅┅あなたたちって、何?プラトニックラブ教の信者?馬鹿でしょ┅┅」
 さんざんな言われように、真由香はしょげ返り、離れたところで聞いていた母親は思わず苦笑した。
「ああ、でも┅┅事態は思ったより深刻かもしれない┅┅」
 礼奈のつぶやきに、真由香は優士郎が言った「いくつもの高い壁」という言葉を思い出した。

「や、やっぱり┅┅わたしになんか、触りたくないんでしょうか?」
「ううん、そんなことはないと思う┅┅でも、やっぱりためらいがあるのね┅┅これは、あなたのせいじゃなく、鹿島さんの心の問題よ┅┅」
 真由香は、事態が深刻だと言った礼奈の言葉の意味を理解した。
(飯田さんは、わたしのせいじゃないって言ったけど、これはわたしが原因なんだわ┅┅出会ってから、あの人にはキス一つ許さなかった┅┅しかも、他の男には体を与えて、子供まで産まされて┅┅これって、彼からすれば、ひどい裏切りだわ┅┅ううん、ひどいどころじゃすまない虐待行為┅┅一生治らない心の傷を負わせたんだ┅┅)

 いつしか、真由香の目からは涙が溢れ、ポトポトと床にこぼれ落ちていた。
「真由香さん┅┅心配しないで。今こそ、あなたの〝与える愛〟を惜しみなく彼に注ぐ時よ」
 真由香は涙に濡れた顔を上げて礼奈を見つめた。
「今、鹿島さんがあなたに触れようとしない理由は、推測すると三つある┅┅まず一つは、
あなたが愛してもいない男に抱かれて、望まない妊娠を┅┅」

 礼奈はそこで言葉を切り、リビングスペースにいる優衣と真由香の母親の方を見た。優衣は無邪気にクッキーを食べながら、覚えたアニメの主題歌を、身振り手振りしながら歌っていた。母親は小さく頷いて、礼奈に心配せず話すように無言で背中を押した。

 礼奈は、母親に感謝を込めて小さく頭を下げると、話を続けた。
「┅┅つまり、あなたがセックスに対して嫌悪感を持っているのではないか、と疑っていること。二つ目は、正式に結婚するまでは、節度を守ろうと考えていること。三つ目だけど┅┅これは、あなたには理解できないことかもしれないけど┅┅男には変なプライドがあってね┅┅他の男と比べられるのをとても嫌がるのよ┅┅」
 真由香は、眉をひそめて小首を傾げた。
 礼奈はちょっと言いにくそうに、視線をあちこちにさまよわせながら続けた。
「┅┅ええっと、つまりね┅┅将来あなたが鹿島さんに抱かれたとき、前のご主人の時と比べて物足りないって感じたとしたら、それは、鹿島さんにとって決定的な致命傷になるってこと┅┅もちろん、あなたはそう思っても、絶対口には出さないでしょう┅┅でも、男からは女に直接聞けないことだけに、ずっと心の中に疑念として残っていくのよ┅┅」
 
 真由香は聞き終わると、何度も頷きながらテーブルを見つめていたが、やがて涙をハンカチで拭い、何か吹っ切れたような表情で顔を上げた。
「よくわかりました┅┅飯田さんはすごいですね。心理カウンセラーのドクターみたい┅┅」
「あ、あはは┅┅まあ、近いものではあるけどね┅┅それで、どうなのです?三つとも、鹿島さんの心から消し去る自信はありますか?」

 真由香はようやく少し笑顔を見せて頷いた。
「はい。三つの理由は全部必要のないものですから┅┅一つ一つ、心を込めて誤解を解いていけば、きっと解決できると思います┅┅本当言うと、もっと、彼の心の奥の深い傷、わたしが彼に与えた傷が原因だと思っていたんです┅┅」
 礼奈も微笑みを浮かべて言った。
「それを彼が克服できたから、あなたへの愛を復活させたのよ。もちろん、まだ、完全に傷は癒えていないけれど┅┅さっきの三つを解決していく中で、自然に癒えていくと思うわ┅┅それをやり遂げることが、これからあなたが努力すべき一番大切なことよ┅┅」
 真由香は本来の笑顔を見せて、しっかりと頷いた。
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