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続編
成人編
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大賢者と弟子と神様と 1
そこは、大海の中にポツンと浮かぶ小さな島だった。小さいといっても果てしなく広がる海と比べた話だ。人間にとっては十分大きな島だ。
この星にある3つの大陸や島々からは等しく距離を置き、意図して近づく者以外はどんな国や人間とも交流はない。そして、意図して近づく者は、たいてい人間ではなかった。
何より、この島までは果てしなく遠い。一番近い中央大陸(グランベーダ)の南端の街からも、船で行くなら10日以上かかる。およそ日本からハワイまでの距離と同じだ。
島の周りは急峻な山脈で囲まれている。と言うと、火山島かと勘違いしそうだが、火山ではなく、ある種族の魔法によって人工的に作られた山脈であった。
今、この島の中央部に広がる大草原に、一頭の白い竜が大きな翼を広げて降り立った。
「ありがとう、シルビラ。明後日、またお願いね」
竜の背中から草原に降り立ったのは、金髪に明るい茶色の瞳の12,3歳ほどの少年。どこかの学校の制服を着て、モスグリーンの厚手のローブを羽織っている。
彼は、グランベーダの北にあるボース辺境伯領から竜に乗って、わずか4時間足らずでこの絶海の孤島に帰って来た。そう、この島は彼の故郷だったのだ。
白い竜は、少年にしか聞こえない念話のようなもので何事か言うと、翼をゆっくりとはためかせて空中に浮かび、少年の頭上で一回輪を描いてから右手の山脈の方へ飛び去って行った。
竜に手を振った少年は、少し視線をずらして大草原の中央部に立つ建造物に目を向けた。その建造物は大草原の真ん中に、細い円柱のようにまっすぐに天空に向かって立っている。その先端は見えない。青い空の彼方でかすんで見えなくなっている。
少年はおもむろに呪文を唱え始める。すると、彼の足元に白い魔法陣が浮かび上がり、薄緑色の光を発し始めた。そして、その光が一瞬強くなったとき、少年の姿は消え、光と魔法陣も消えていた。
次に彼が姿を現したのは、白い壁に囲まれた小さな部屋だった。足元には、今消えようとしている魔法陣と光があった。少年は転移魔法を使ったのである。その後、彼はにこにこしながら何もない壁のある部分に手のひらを押し当てた。すると、壁がドアの大きさの空間が開き、少年はうきうきと駆け足でその部屋から走り出て行った。
「お師匠さま~~、ただ今帰りました~~。聞いてください、お師匠様、王都の学園で……」
少年は走って螺旋階段を駆け上がり、上の階の部屋のドアを勢いよく開いた。そして、その円形の部屋の奥の机に座って何か書き物をしていた黒いローブの人物に、勢い込んで話しかけたのだが……。
ゴツン、という音が響き、少年は思わず頭を抱えてその場にうずくまった。
「っ! いったぁ~~~……な、何で殴るんですか、お師匠様ぁ?」
黒いローブの人物は手に持った杖で、コンコンとさらに少年の頭を叩きながら立ち上がった。背丈は少年より少し高いくらい。銀色の髪は背の中ほどまで伸び、透き通るような白い肌に、深い海の底のような濃紺の瞳を持つ少女だった。
「まず、声がうるさい。それと、言いつけを守らなかった。今日は食事抜き」
「ええええっ、そんなあ~~……いたっ! もう勘弁してくださいよぉ、お師匠様ぁ~」
この《天空の塔》の主、〝大賢者メサリウス〟は机から離れると、小さなため息を吐きながら、まだ不機嫌な表情のまま、床に幾つか置いてある動物型のぬいぐるみクッションの中で、お気に入りのドラゴンに腰を下ろして少年を見つめた。
「タクトよ、あれほど言い聞かせたであろう? それなのに、なぜ、ルート・ブロワーに警戒されるような言動をとった?」
少年、タクト・アマーノは頭を抑えながら苦笑した。
「やっぱり見てたんですか?」
「当然だ。お前はすぐ調子に乗るからな、心配だったが、その心配通りになった」
タクトはぷうっと頬を膨らませて、トラのクッションに座る。
「だってさ、僕だって少しくらいブロワー先生にいい所見せたいじゃない。せっかく顔見せに行って、なんだ、大したことないなんて思われたくないし……」
タクトはそう言うと、ふてくされて床に寝転んだ。
メサリウスは小さなため息を吐いて、ふっと口元に笑みを浮かべた。
タクトがエンシャントドラゴンに咥えられて、彼女の元へ届けられた日のことをふと思い出す。
この世界の9歳の少年に転生したタクトは、いきなりドラゴンの巣で目覚め、理由も分からないまま、大きな口に咥えられて横向きの状態で山脈からこの塔まで飛んできたのである。しばらくは酷いパニック状態だった。まあ、当然と言えば当然である。
天野拓人はルートと同じ時代の日本で生きていた少年である。だが、彼は6歳の時、筋肉が萎縮し、やがて全身が動かなくなる不治の病を発症した。しかも進行が早かった。6歳の時からずっと車いすとベッドでの生活だった。
だが、彼は明るく決して心を折ることはなく、最後まで病と闘い続けた。彼の支えはアニメと、当時発売されて間もないVRMMORPGだった。彼の両親は決して裕福ではなかったが、1台百万円近くする大型のこのゲーム機を、惜しげもなく息子のために買い与えた。
拓人はこのゲームの中の世界に夢中になった。この世界で、彼は自由に手足が動かせ、冒険しながら多くの仲間たちと旅を楽しむことができた。
ベッドで動けなくなった体だったが、彼は幸せだった。眠る時間以外は、ずっとこのゲームの世界の中にいた。そしていつしか、彼はこのゲームの中で最強の魔法剣士になっていた。
彼は、両親にもこのゲームにログインするように願い、両親もその願いを聞いて他のゲーム機を貸してもらいログインした。
両親が見たものは、その世界の中で生き生きと、本当に楽しそうに生きている息子の姿だった。そして、彼の周囲にはたくさんの仲間達がいた。
拓人は満面の笑顔で両親にこう言った。
「父さん、母さん、本当にありがとう。この世界に出会えて、僕は本当に幸せだったよ」
やがて、最後の日が訪れた。
仲間たちと共に、魔王四天王の1人を見事に倒した直後、拓人はがっくりと地面に倒れ込んで、二度と立ち上がることはなかった。仲間の転移魔法で、両親が待つ家に帰り、両親の腕に抱かれて、拓人は幸せそうに微笑みながら天国に召された。
両親が慌ててログアウトし、病院に駆けつけた時、すでに拓人の生命維持装置は音を失くし、グラフもただ直線を記録するだけだった。
『やあ、よく来たな』
拓人は白い世界で意識を取り戻し、そんな声を聞いた。顔を上げて見ると、人の姿をした光の塊が彼の側に座っていた。
「ここは……天国? あなたは、もしかしなくても神様ですか?」
拓人にとって、アニメやゲームで神界や転生はおなじみだったので、戸惑うよりもワクワクする気持ちの方が強かった。
『うむ、まあそんなところじゃ。わしはこの辺りの宇宙を管理しておるティトラという者じゃ。それでじゃな……』
「へえ、神様も分業制なんですね? じゃあ、他にも神様がたくさんいらっしゃるんですか?」
『う、うむ、そういうことじゃ。それでな……』
「はい、転生ですよね? お願いします。できれば、魔法が使えて、冒険ができる世界がいいです」
ティトラ神は呆れたようにしばらく沈黙し、その間に拓人は独り言のように勝手にしゃべっていた。
「ああ、それと前世の記憶もできればそのままのほうがいいかな……あと、やっぱりチート能力ですよね。う~~ん、どんな能力がいいかなぁ……」
『おぬし、人の話を聞く気はあるかのう?』
神様の少し冷やかさを込めた言葉に、拓人はあっと小さな声を上げて、しおらしく頭を下げた。
「すみません。嬉しくて浮かれちゃいました」
『ふむ、まあ喜んでくれるのはありがたいが……よいか、少し説明するのでしっかり聞くのじゃ』
「はい、分かりました」
拓人がしっかり頷くと、ティトラ神はようやくほっとしたように穏やかな声で語り始めた。
大賢者と弟子と神様と 2
『まず、この神界に招かれるのは特別な魂だけじゃ。普通は、1つ下の天界で魂の浄化を受けた後、その結果によっていくつかの輪廻の輪の中へ入ってゆく。そして、再び地上の生き物に生まれ変わる。ただし、前世の生き物と同じかどうかは前世の生き方次第じゃがのう……』
神の説明に拓人はふんふんと頷きながら聞いている。
「そうなんだ……でも、僕は何も特別なことはしてませんよ?」
ついついまた口を挟んでしまい、神の視線を感じて、拓人は慌てて口を押えて頭を下げた。
神はため息のようなものを漏らした後、説明を続ける。
『さて、おぬしのことじゃが……とある星に転生してもらい、我らの手伝いをしてもらいたいのじゃ』
「手伝い、ですか?」
『うむ。なに、難しいことではない。その星には、おぬしと同じ国で生まれた先輩が転生しておるのじゃが、その先輩が間違った道に進まぬよう監視してもらいたい。ただし、その者が明らかに道を踏み外したら、それを阻止し、場合によっては滅ぼしてもらうかもしれぬ』
ティトラ神の言葉に、拓人はしばし驚きに口をきけなかった。
『ああ、そう心配せんでも良いぞ。その者が道を踏み外す確率は極々小さいからのう。ただ、その者の持つ力は、その世界を滅ぼすのに十分な、強力なものじゃ。万が一のことを考えて、おぬしに、そのセーフティガード役をやってもらいたい。どうじゃ? やってくれるか?』
拓人はしばらく頭に手をかきながら考えていたが、やがて顔を上げた。
「えっと……とても難しそうなので、その……僕は出来れば自由に冒険しながら生きてみたいと……」
『ふむ、かまわぬぞ。要はその者といつでも接触できる関係を築くことと、その者を止められるだけの力を身に着けてくれればよいのじゃ。それに、おぬしを手助けしてくれる心強い保護者もおるのでな』
「保護者?」
『うむ。おぬしは親のいない特別な存在として転生する。じゃが、親代わりに世話をし、導いてくれる者がいる。その者に従ってやるべきことをやってもらえば、あとは自由に生きるがよいぞ』
拓人は人生経験が少なく、自分の置かれた立場を十分に吟味するすべを持たなかった。だが、転生してある程度自由に生きられることを神様が約束してくれたので、それ以上迷う理由も無かった。
「あの、もう1つだけお尋ねしていいですか?」
『うむ、何じゃな?』
「僕が転生する世界って、魔法が使えますか?」
『うむ、剣と魔法の世界じゃ』
「転生、お願いします」
こうして、天野拓人はプロボアの星に転生した。タクト・アマーノとして……。
転生したタクトに前世の記憶はなかった。神によると、前世の記憶を残すのは特別なことで、かなり面倒な事でもあるらしい。だからよほどのことがない限り、前世の記憶を残してやることはない、ということだ。
ただ、その代わりタクトにはスペシャルな能力が与えられていた。それが《全能魔法》というスキルだった。文字通り、すべての魔法に精通し、それが使えるという驚異的な能力だった。
「……ねえ、お師匠様、聞いてます?」
「ん? ああ、聞いている。彼の研究発表はそんなに面白かったのか?」
「うん。やっぱりブロワー先生はただ者じゃないね。まだ、全部の合成魔法は使えないみたいだけど、光属性と闇属性、それに無属性に対する考え方の方向は正しかった……」
タクトはそこまで言うと、起き上がり、クッションの上に座り直した。
「確かに、神様たちが警戒するのは分かるなぁ。でも、まあ魔法の打ち合いになったら、僕の方が上だね。ふふん……」
タクトがまた調子に乗り始めた。
「……いくらブロワー先生が頑張っても、生きている間にすべての属性の最上級魔法を獲得するのは無理でしょう? お師匠様だって、不老不死になってから300年以上経ってやっとすべての魔法が使えるようになったわけだし……普通の人間にはとうてい不可能なんじゃないかな。その点、僕は今でもすべての魔法が使えるわけだし……」
メサリウスは、タクトが年齢相応の無邪気さと世間知らずのために調子に乗りすぎていることを知っている。だが、彼が自信過剰になるだけの力を持っていることもまた事実だ。
(そろそろ、次の段階に進むべき時かもしれぬ……)
「タクトよ、ルート・ブロワーと戦うことを前提に考えているようだが、それはあくまでも万策が尽きた後の話だ。分かっておるか?」
師であり育ての親でもあるメサリウスの冷ややかな声に、拓人は一瞬口を開いたまま師の顔を見つめた。
「あ、はい、もちろんですよ。あはは……神様の言いつけは守ります。僕は、ブロワー先生の監視役、陰から協力もする、ですよね?」
「うむ、分かっておるならよい。それと、冬休みになったら、新たな修行を始める」
「おおっ……どんな修行ですか?」
「詳しいことは冬休みになってからだ。厳しい修行とだけ言っておく」
それを聞いて、タクトは嫌がるどころかむしろ楽し気に目を輝かせて頷いた。
「分かりました。ふふ……もっと強くなるためなら、頑張りますよ。ああ、でも、これ以上強くなったら、ますますブロワー先生との差が開いちゃいますね。んん……ま、いいか」
(タクトよ、その過剰な自信と油断がいかに危険なものか、それを身に染みて知るための修行だ……《全能魔法》は確かにすごい能力だ。もはや神に近いともいえるかもしれぬ。だがな、お前が使えるのはあくまで既存の魔法のすべてということだ。お前は、自分の力で新しい魔法を産み出したことがない。だから、既存にない魔法に出会った時、恐らくパニックになり、命を落とすことになるやもしれぬ……。
その既存にない魔法を産み出すことこそ《創造魔法》の恐ろしさであり、ルート・ブロワーの真の力なのだ。つまり、《全能魔法》より《創造魔法》が上位の能力なのだ。もちろん、それを使いこなせるかどうかは資質に依存するがな。ルート・ブロワーは恐らく、その資質が十分に備わっている……タクトよ、今のままでは、お前はルート・ブロワーには勝てぬということだ)
メサリウスは無邪気にぬいぐるみと遊んでいるタクトを眺めながら、心の中でつぶやいた。
「さて、メシにするか」
メサリウスは、何気なくそう言って立ち上がった。
「えっ? あ、あの、僕は……」
情けない顔で見つめる愛弟子に、ほとんど表情を変えたことがないメサリウスが思わず頬を緩めて微笑んだ。
「久しぶりに帰ってくる弟子のために、わざわざロックバードの卵と肉、角マグロまで取り寄せたのだ。無駄にするのは罪であろう?」
「っ! お師匠さまあ~~、大好きです~~、一生ついて行きます~~」
「うるさいっ」
「あああ、お師匠さま~~」
騒がしい師匠と弟子の声が次第に螺旋階段の下の方へ遠ざかっていった。
黒龍のダンジョンにて
「うぬうう……平民の分際で生意気な……」
ボース辺境伯領の領都グランバルドの貴族街の一角にある館の主、ラドロフ・コーエン子爵は窓の外をにらみつけながら吐き捨てた。
彼もこの国の多くの貴族同様、領地を持たない言わば〝お勤め貴族〟の1人である。そして、彼らが等しく切望しているのが「いつの日か大きな功績を上げて、領地を賜る」ことだった。
彼らの多くは大貴族の寄子になって、領地経営の経済・軍事面の官僚として働いている。よほどのことがない限り、大きな功績を上げる機会はなかった。
だから、1年前、降って湧いたように訪れた大きなチャンスに、コーエン子爵は内心の歓喜を隠せなかったものである。
そのチャンスとは、彼が経理を管轄する王立子女養成所ボース校に、ある《特別な生徒》が入学したことだった。なぜ特別かというと、実は、その生徒は伝説の《大賢者》の弟子だったからである。
神話の中の存在だった《大賢者》が実在することを証明したのは、他ならぬ彼の主人であるボース辺境伯だった。
1年前の夏の終わりのある日、伯爵は、領都の神殿の司祭から「ティトラ神のお告げ」があったという報告を受けた。そのお告げとは、
『本日、大賢者メサリウスとその弟子が領主の屋敷を訪れる。話を聞くように』というものだった。伯爵は半信半疑ながらも、予定を変更して執務室で待機していた。すると、昼近く警備の兵士が慌てふためいて報告に駆け込んできたのである。兵士が言うには、突然屋敷の上空に白い巨大なドラゴンが現れて、すぐに飛び去ったかと思えば、その去った後の空からフワフワと2人の人物が降りてきたという。
伯爵は慌てて屋敷を飛び出し、庭に立っていた2人の人物の前に走り寄った。そしてうやうやしい態度であいさつをし、屋敷の中へ招き入れたのである。
その後、コーエン子爵は伯爵の屋敷に呼び出され、1人の少年を紹介された。伯爵は少年の出自をありのままコーエン子爵に明かした。それだけ、子爵のことを信頼していたのだろう。そして、少年が訳あってボース校に入学すること、そのため、少年の生活面であらゆる援助や便宜を図ってやるように子爵に命じた。
伯爵は、少年とその保護者である大賢者が語った《極秘事項》については子爵にも話さなかったが、最後にこう厳命した。
「よいか、ラドルフ、タクト君は大切な使命を大賢者様から託されている。そして、今後王都の子女養成所のブロワー教授と深く関わることになるだろう。今年の王都の学園祭でブロワー教授はタクト君のことを初めて知ることになるだろう。教授が余計な警戒心を持たぬよう、ファングラウから伝えさせるのだ」
コーエン子爵はこの降って湧いたような重大任務に大張切りで取り組んだ。その結果が今回のファングラウ所長の失敗につながってしまったのである。
「も、申し訳ございません。私がもう少し言い方を考えればよかったのですが……」
ファングラウ男爵(所長)はコーエン子爵の腹心の部下である。青ざめた顔でうなだれる男爵に、子爵は首を何度か振ってから振り返った。
「もうよい。それより、タクト様のご機嫌は?」
「は、はい、大変喜んでおられました。ブロワー教授と話ができて揚げ菓子までもらったと」
「そうか……分かった。今後もタクト様のことはよろしく頼む」
コーエン子爵は良くも悪くも典型的な貴族だった。主や国への忠誠心が強く、命じられたことは全身全霊、それこそ命がけでやり遂げる使命感を持つ。だが、反面、貴族の優位性を信じて疑わない頑なな性格だった。
ファングラウ男爵が頭を下げて部屋を出て行った後、コーエン子爵は外出の準備をして、昼前に屋敷を出るととある場所へ向かった。
♢♢♢
学園祭が終わると、各地の王立子女養成所は3日間の休日となる。
ルートはその初日、リーナとジークとともに久しぶりにパーティを組んで《黒龍のダンジョン》に潜っていた。
商会本部の副支配人をベネット・ペンジリーに引き継いだジークは、この1週間近く、リーナや従魔のリム、ラム、シルフィーとともに嬉々として《黒龍のダンジョン》攻略に励んでいた。
「うん、やっぱりルートが一緒だとはかどるな。もう13階に到達だ」
「でも、けっこう強い魔物が出るんだね。気を引き締めて行かないと危ないかも」
「ん、ここから先は、罠も多くてややこしいのが増える。あたしが前を行く」
斥候役をリーナが引き受けて13階への階段を下り始めた。
《黒龍のダンジョン》については、リーナとジークが綿密な情報を集めてくれていたし、ギルドが地図を販売(かなり高価だったが)していたので、攻略済みの36階層までは迷うことはない。ただ、深層に進むほど現れる魔物は強くなり、罠も手の込んだ物になっていた。今の所、何階層まであるのか分かっていないが、50階層くらいはありそうだというもっぱらの噂だった。
今回ルートたちが目指すのは30階層だ。休みは3日なのでダンジョン内で1泊し、2日の夕方には帰る予定である。一応、従魔たちのレベルアップがメインの目的だったが、ルートにはリーナやジークには秘密のもう1つの目的があった。それは、18階の1つ目の階層ボス部屋を攻略し、宝箱をゲットすることだ。
ここの宝箱は情報によると、金貨の確率が高いが、時折質の良い宝石が入っていることがあるという。ルートが目指すのは、その宝石だ。
(お金で買うのもいいけど、ダンジョンボスを倒して得た宝石で作った婚約指輪なら、リーナももっと喜んでくれるはず)
そう、来月に迫った15歳の誕生日に、ルートは改めてリーナにプロポーズして、婚約指輪を贈ろうと心に決めていた。
「おっと、こいつは厄介な奴が出やがったな」
16階の途中に、地図には無かった大きな空洞があり、そこは魔物溜まりになっていた。ルートたちに先行していた2組のパーティが、協力して魔物たちと戦っていたが、すでにケガ人が数人出ていてかなり苦戦していた。
魔物の大半は武装したスケルトン兵だったが、そいつらを指揮しているのがぼろぼろの魔法使いのローブを着て杖を持ったスケルトン。おそらくスケルトンメイジだろう。禍々しい闇の魔力がその体から外に溢れ出ているのが、ルートの目にははっきり見えた。
2組のパーティ8人は、解析で見た所、全員まあまあのステータスで、おそらくDかCランクだろう。スケルトン兵くらいならさほど苦戦はしないはずだ。苦戦している原因は、やはり魔法使いによって統率された動きと、後方から飛んで来る魔法攻撃だろう。
「リーナ、ケガ人を安全な場所へ。ジーク、魔法を盾で防御して。リムとラムはスケルトンたちをやっつけてくれ」
「「了解」」。ピョンピョン。
ルートの指示で一斉に動き出す。
(あいつが進化したら〝リッチ〟になるのかな? そうなる前に倒さないと……)
ルートは気配遮断を発動しながら、壁沿いに素早くスケルトンメイジの近くへ移動していった。そして、解析でそいつを鑑定した。
《名前》 ダークスケルトンメイジ
《種族》 魔族
《性別》 ♂
《年齢》 ???
《職業》 ダンジョンマスターの眷属
《状態》 興奮
《ステータス》
レベル : 35
生命力 : 388
力 : 250
魔力 : 664
物理防御力: 182
魔法防御力: 358
知力 : 536
敏捷性 : 123
器用さ : 295
《スキル》 統率 Rnk4 闇属性魔法 Rnk5
魔法耐性 Rnk4 火属性魔法 Rnk4
威嚇 Rnk3 空間魔法 Rnk4
(やばっ……これ、ダンジョンボスクラスの強さじゃないか? シルフィー、向こう側へ飛んで行って奴の目を引き付けてくれ)
ルートは肩掛けバッグの中からシルフィーを呼び出すと、そう言って飛び立たせた。骸骨魔導士の黒い目がシルフィーを捉える。杖を向けて、魔法を放つ構えを見せた。
その隙をルートは逃さない。無詠唱で光魔法のセイントアローを放つ。
「っ!なにっ、魔法防御?」
ルートは驚きに思わず声を上げた。
6本の光の矢は確かに油断していた骸骨魔導士の頭に突き刺さったと思われた。しかし、その瞬間、まるで見えない障壁にぶつかったように光の矢は消滅してしまったのである。
(魔法耐性の効果……? いや、今のはまるで結界のような……結界、もしかして……)
ルートはVOMPを使って観察した。すると、骸骨魔導士の周囲を魔力のベールが覆っていることが分かった。やはり、何らかの結界が守っているらしい。
骸骨魔導士は、ルートの存在に気づき、主敵と見定めたようだった。杖を向けると、いきなりファイヤーアローを放ってきた。
もちろん、ルートは魔法と物理の防御結界を発動済みだ。普通の魔法では何の影響もない。
「リーナ……」
ルートは敵の方に注意を向けながら、スケルトン相手に無双しているリーナに呼びかけた。
「……奴は魔法の防御結界を掛けている。物理攻撃しか通じないようだ」
それだけで、リーナはルートの望みを理解した。
「ん、まかせて」
リーナはダガーを構え直すと、加速で一気に前方へ駆け出した。
ダンジョンボス 1
「ウガゥゥゥッ!」
リーナの神速の接近に対して、骸骨魔導士はまったく対応できなかった。リーナがダガーーを光のような速度で一閃しながら背後へと駆け抜ける。
ガキィィンッ……。
甲高い金属音が洞窟の中に響き渡った。それはリーナのダガーが何かと激しくぶつかり合った音に違いなかった。
(なっ! 物理防御も持っていたのか?)
「リーナ、大丈夫か?」
「ん、大丈夫。でも、こいつ固い。手が痺れた」
「うん、どうやら物理結界もあるらしい。僕が何とかするから、他の雑魚をお願い」
「ん、分かった」
リーナは頷くと、杖を向けて魔法を放とうとする骸骨魔導士から素早く逃れて、ジークの背後へ走り込んだ。
(う~ん、どうしたものか……っ! うん、よし、結界には結界を、だ)
ルートはふと思いついた策をさっそく実行してみることにした。イメージはごく単純である。〝骸骨魔導士を丸ごと結界に閉じ込めること〟だ。丸い透明なカプセルで魔物の周囲を囲み、それを魔法で実体化する。
「グガッ?」
ダークスケルトンメイジは、自分の周囲を突然強い魔力が覆ったのは気づいたが、それが何なのか理解できず、その場からとっさに逃げようとした、ができなかった。
「よし、この間に雑魚どもを……っと、ああ、もう終わったんだね」
30匹近くいた骸骨兵たちは、すでに仲間と従魔たちがあっという間に殲滅していた。
「お、おい、ルート、お前何をした?」
ジークは前方を見ながら、気味悪そうな顔で尋ねた。
そこには、横倒しになって何やら不快な声で騒いでいる骸骨魔導士がいた。ジークたちにもうっすらと丸い結界のボールが見えていた。
「ああ、そいつ魔法も物理攻撃も効かなかったから、とりあえず結界の中に閉じ込めておいた……ん? どうかしたの?」
ルートの答えに、ジークとリーナはぽかんと口を開けてルートを見ていたが、やがてため息を吐いてつぶやいた。
「まあ、ルートだからな……」
「ん、いつものこと……」
ルートは常々生徒たちに、『魔法で一番大事なのはイメージする力』だと教えていた。だが、それがなかなか伝わらないことに焦りも感じていた。イメージさえあれば、魔法で大抵のことはできる、とルートは信じていたが、実はそれは間違いだった。いや、正確に言うと間違いではなかったが、イメージをそのまま実現できるのは《創造魔法》の力によるところが大きかった。誰にでもできることではなかったのである。
「いよいよボスの部屋か……」
3人の行く手には大きな黒い扉が聳え立っていた。18階の1つ目のダンジョンボスの部屋である。ただし、扉の前には先行していた2組のパーティが順番待ちをしていた。ルートたちは彼らの後ろに並んで雑談を始めた。
「まったく、驚いたぜ。いきなり実体が消えて魔力の塊になるなんてなぁ」
ジークが言っているのは16階の骸骨魔導士のことである。あの後、結界に捕えた骸骨魔導士をどうしようかと相談していた時、その結界の中の骸骨魔導士がいきなり消え始め、黒紫色の魔力が充満し始めたのだ。しかも、内部の結界は消滅し、ルートが作った外側の結界もひびが入って魔力が外へ漏れ出してきたのだ。
ルートたちは慌てたが、よく見ると、内部にキラキラ光る紫色の魔石があった。ルートは素早くセイントアローの矢でその魔石を打ち砕いた。それですべては終わった。魔物が復活することはなく、魔力は空中に拡散して消えていった。
「ん、初めて見た。魔物って結局は魔力でできてるってこと?」
「うん、そういうことだね。ただし、それはダンジョンの中の魔物が特別ってことさ。外の世界の魔物は倒しても消えないし、骨や肉もちゃんとあるだろう? ダンジョンの魔物は、ダンジョンコアが魔力で計画的に創り出しているんだよ」
ルートの話になるほどと頷いているのは、ジークやリーナだけではなかった。ルートたちの前のパーティの5人のうち後ろの2人が、興味深そうにこちらを見て頷いていた。
「あの、ちょっといいですか?」
2人の内、黒い帽子を被りローブを着た魔法使いらしい赤毛の少女が、おずおずと声を掛けてきた。
「ああ、いいぜ、なんだい?」
一番近くのジークが返事をすると、少女はぺこりと頭を下げて3人を見回した。
「私、メールといいます。魔導士です。こっちはラビドで弓士。Cランクパーティ《青炎の剣》で後方支援をやっています。先ほどは、危ない所を助けていただきありがとうございました」
そう言って、2人は丁寧に頭を下げた。
「ああ、横からつい手を出してしまって、こちらこそ申し訳ない。僕たちは《時の旅人》、一応Bランクかな。このリーナだけはAランクだけどね。僕はルートで魔導士。こっちはジーク、盾役兼戦士。そして、リーナ、斥候だよ」
「やはり高ランクの方々だったんですね。先ほどお話されていたことが耳に入って来て、とても興味深かったので……すみません、盗み聞きのような真似をして」
冒険者にしては礼儀正しく、言葉遣いも丁寧な少女に、ルートたちは好感を抱いた。
「いや、気にしないでいいよ。聞こえるような声でしゃべっていた僕の責任だからね。それで、何か聞きたい事でも?」
ルートの問いに少女は目を輝かせながら頷いた。
「はい、あの、さっき16階の魔物を倒されるところを見ていたのですが……同じ魔法使いとして、とても興味深い魔法を使われていたので、よかったらお聞きしたいと……」
「ああ、あれね……ええっと、結界の応用みたいなものかな」
「け、結界っ?」
メールは思わず驚きの声を上げたが、そのために前の方のパーティの者たちまで、何事かと近づいて来た。
「あ、す、すみません、大きな声出して……あんまり驚いたもので……あ、あの、結界魔法が使えるんですか?」
ルートは以前、結界を作れる魔導士は少なく、宮廷魔導士でも数えるほどしかいないということを聞いていた。普段何気なく使っている魔法だけに、つい気軽に口にしたことを後悔した。
「う、うん、使えるけど……」
「おいおい、そんな与太話を仲間に吹き込むんじゃねえよ」
1人の大柄でいかつい顔の男が、剣呑な声色でルートたちの前に歩み寄って来た。恐らく、メールたちのパーティのリーダーなのだろう。
(あ~、やっぱりこんなテンプレ展開になるのか……)
ルートは心の中でため息を吐き、思わず苦笑した。
ところが、それを見た男はバカにされたと勘違いしたらしい。
「おい、なに笑ってやがる。さっきは、断りもなく手出ししやがって……まあ、助けになったから黙って見過ごしてやったが、本来なら規約違反でギルドに訴えていたところだ。分かっているのか?」
男の言葉に、ジークとリーナが殺気立つのが気配で分かった。
ルートは慌てて2人を手で制すると、男に向かって頭を下げた。
「申し訳ない。とっさに手を出してしまったのは僕の責任だ。ギルドに訴えてもらっても構わないよ」
「けっ……ちょっと魔法が使えるからって、調子に乗るんじゃねえよ」
男はそう言い捨てると、メールとラビドを促して去って行った。メールとラビドは申し訳なさそうな顔で何度も小さく頭を下げながら離れていった。
「ウウゥ……助けてもらったくせに、あの言い草……ムカつく……」
リーナが狼の唸り声を上げて相当おかんむりである。だが、ルートに何度か優しく頭から背中へかけて撫でられ、ようやくふうっとため息を吐いて怒りを収めた。
「ごめん、迷惑かけたね」
ルートが謝ると、2人は首を振って両側からルートの肩を抱きしめた。
「お前が謝ることはないさ。まあ、自分たちのふがいなさに対する怒りをこっちにぶつけたってところだろう。冒険者によくいるタイプだな」
「ん、弱い奴ほどよく吠える。ルートはよく我慢した。わたしももう少し我慢強くならないといけない。反省」
3人は顔を見合わせて、ようやく笑顔に戻る。
それからしばらく待っていると、前方の大扉が青白く光り始めた。扉が開かないということは、中で戦っていたパーティが全滅したか、あるいは途中で退場したかのどちらかである。
ほとんどのダンジョンのボス部屋は同じ仕組みになっている。つまり、1組のパーティが中に入ると扉が閉まり、決着がつくまで開くことはない。ボスが倒されると、扉が開き、ある一定の時間になるまでボスは再生されない。扉は開かれたままで次の階層への道も消えている。ボスが再生されると、再び扉が閉まる。その際、扉は魔力を帯びていろいろな色の光を放ち始めるのだ。そして、次のパーティが入ると、その光は消える。
つまり、扉が開かないまま光り始めるということは、ボスの討伐に失敗したということなのだ。
冒険者たちはダンジョン探索の必需品として、ダンジョンから抜け出すための転移魔法アイテム《シルフの羽》を携帯している。だから、ボス戦で危機に陥っても、このアイテムを使えば最低でも全滅は免れる。だが、中には無謀にもこのアイテムを持たずに挑戦したり、ボスがあまりに強くて(あるいはパーティが弱すぎて)、アイテムを使う前に全滅してしまうパーティも稀にいるのだ。
メールたちのパーティが扉を開いて中に入っていった。次が、いよいよルートたちの番である。まあ、1パーティおよそ15~20分で決着がつく。そんなに長く待つこともないだろう、と思っていたら、5分も経たないうちに扉が青白く光り始めた。
ルートたちは顔を見合わせて首を傾げた。一体どっちなのか。早々と討伐したのか、それとも……。3人は嫌な予感を抱きながら、頷き合って扉を一緒に開いていった。
ダンジョンボス 2
ボス部屋の中に入ると奥の祭壇のような場所に明かりが灯った。人の気配はなかったが、部屋の中央にどす黒い大量の血の跡が残っていた。
やはり、前のパーティは何らかの危機的状況に陥り、全滅したか、一部のメンバーだけで脱出したようだ。メールはCランクと言っていたので、ここのボスはかなり強い魔物に違いない。
「ん! ルート、ジーク、いた、あそこ……」
リーナが鋭い感知能力で敵の出現に気づいたらしい。薄暗い祭壇の上の方を見つめて身構えた。
「ほう、こいつは珍しいのが出てきたな」
「ああ、驚きだな……最初のボスにこれを出すか? でも、まあ、僕たちには……」
「ああ、相性は悪くない」
「ん、刻み殺す」
そいつは、天井の岩に紛れて擬態していたのだろう。しかし、間抜けなことに頭に被った金色の王冠を隠していなかった。まあ、祭壇に気を取られてうかつに近づいたパーティは、上からの急襲にやられたかもしれない。だが、感知能力に優れたリーナやルートには通用しなかった。
「グギャギャッ」
そいつは不快な笑い声のようなものを発しながら、ドスンと祭壇の前に飛び降りてきた。
《名前》 リザードキング
《種族》 魔族
《性別》 ♂
《年齢》 ???
《職業》 ダンジョンマスターの眷属
《状態》 興奮
《ステータス》
レベル : 40
生命力 : 655
力 : 312
魔力 : 487
物理防御力: 390
魔法防御力: 213
知力 : 226
敏捷性 : 188
器用さ : 285
《スキル》 統率 Rnk5 水属性魔法 Rnk5
物理耐性 Rnk4 闇属性魔法 Rnk4
槍術 Rnk5
威嚇 Rnk4
※ 竜神の加護 : 物理防御+100、水属性魔法の威力増加
「うおっ、こいつけっこう強いよ。物理耐性に竜神の加護も持っている。水魔法には気を付けて」
「「了解っ!」」
ルートの言葉に、ジークとリーナが頷いて、配置に着いた。
いつも通り、ジークが前面で盾役、リーナがその後ろで遊撃、ルートが後方からの魔法支援と回復である。
「グギャアアッ」
一声奇声を上げると、3m近いトカゲの化け物が、銀色に輝く巨大な十文字槍を振り回しながら走り出し、戦闘が開始された。
グガーンッ……
大きなドーム部屋に重々しい金属のぶつかり合う音が響き渡った。
「ぐっ、ぬううっ、どっせいいっ」
キングリザードの重い一撃を大楯で受け止めたジークは、ズズッと後退したが、物理と魔法の防御結界に守られ、ボーグが鍛えた特別製の盾のおかげで何の被害も受けなかった。そして、力比べならジークも負けていない。
槍を力任せに押し付けてくるリザードキングを、逆に押し返し、シールドバッシュを放つ。
「グワッ」
リザードキングの巨体が、浮き上がり、3mほど吹き飛ばされる。だが、何とか倒れるのを逃れてのけぞりながらも踏ん張った。
そこへ、リーナが神速で追い打ちをかける。
「のろまっ、そのまま倒れていなさい」
「ギャッ」
リーナのダガーの一撃は軽いが、特別製のダガーは魔物の固い鱗や外皮を切り裂いて、初めてのダメージを与えた。
そのダガーは、王都に来る前、ルートが彼女にプレゼントしたものだ。ルートが《合成》のスキルで鉄、ミスリル、アダマンタイトの合金を作り、ボーグが鍛成した逸品である。耐久性と切れ味を重視したが、何と言っても特徴は付与された特性だろう。ボーグはそれまで武具への特性を2つまでしか付与できなかったが、このダガーには3つの特性を付与することができた。ボーグにとって初めてのことであり、鍛冶師としての進化を確認した瞬間でもあった。
付与された特性は、回避+50、魔法防御・弱、そして物理貫通の3つである。中でもすごいのが「物理貫通」だ。どんなに硬い物でも、また物理攻撃耐性があっても、ダメージが与えられるという、腕力の弱いリーナにはありがたい特性なのだ。
さて、リーナの攻撃で仰向けに倒れたリザードキングは、慌てて体をひねって立ち上がろうとしたが、ルートがそれを許さなかった。
「アイスフィールド」
ルートの声とともに、リザードキングの周囲の地面が一瞬のうちに厚い氷に覆われる。リザードキングは四つん這いのまま手足を氷で拘束されてしまった。
「グギャアアァッ……ガアアア……」
頭や尻尾を必死に動かして何とか束縛から逃れようと暴れる魔物に、ジークとリーナが襲い掛かる。
ジークは尻尾の攻撃をかわしながらジャンプし、大きな背中に飛び乗り、その固い鱗とトゲトゲの武装に覆われた体に幅広のバスタードソードを叩きつける。
ジーナは魔物の周囲を目まぐるしく動き回りながら、皮膚の柔らかい喉や脇、間接部をダガーでめった切りにしていく。
「ゴアアアア……ギギャアアアア」
苦痛の叫びをあげるリザードキングは、苦し紛れに頭を激しく振り回しながら、ウォーターボムやスプラッシュなどの水属性魔法を口から吐き出し始めた。もちろんそれらがルートたちに当たることはなかったが、辺り一面が土砂降りのような状態になった。
「っ! むうっ……」
突然、魔物の横にいたリーナが呻きながら地面に膝をついた。
「どうした、リーナ、大丈夫か?」
ルートがリーナの異変に気づいたと同時に、ジークも呻き声を上げて魔物の背中から飛び降りた。
「ん? これは、闇属性の魔法か? 2人ともこっちへ早くっ」
ルートはウィンドボムで魔物をけん制しながら叫んだ。
リーナとジークがふらつきながらもなんとかルートの元まで帰ってくる。《解析》で2人の状態を確認すると、毒の他に麻痺、酩酊などの複数の状態異常に冒されていた。
ルートは2人に光属性の回復魔法セイントヒールを掛けて様子を見る。
「どう? 毒は消えたみたいだけど……」
「ん……まだ少し足が痺れているけど、気持ち悪さはなくなった」
「ああ、大丈夫だ、動けるぜ。しかし、ありゃ、何だったんだ? 毒耐性が効かないなんて」
2人はようやく息を吐きながら、険しい表情で、まだ喚き続けている魔物を見つめた。
「うん、今《解析》で見ているけど……やっぱり闇属性の魔法みたいだね。『ダークアノマリー』って言うらしい」
「聞いたことない」
「俺も初めて聞く魔法だな。まあ、とにかく早いとこ始末しようぜ」
ルートは頷いて、バッグから従魔たちを外に出した。
「よし、僕が光魔法であいつの闇魔法を打ち消すから、その後みんなで総攻撃だ……」
そう言ってから、一人一人に役割を指示する。
「ルートが大魔法で一気に消し去った方が早い」
リーナが面倒くさいという口ぶりでルートを見た。
「う、うん……あ、ほら、リムたちのレベルアップが目標だったし、あいつの魔石も欲しいし……」
ルートは、簡単に倒してしまうと宝箱の中身がしょぼくなるのではないか、という自分でもちょっと浅ましいかなと思う理由を隠して、何とか納得してもらう。
「じゃあ、行くか」
ジークの声とともに、ルートファミリーが一斉に魔物に襲い掛かっていく。
「セイントエリアッ」
ルートが上級光属性魔法を唱え、フィールド全体から闇属性魔法を完全に消滅させる。
「野郎、いい加減に……」
「くたばって……」
ポヨ~~ン!
「ピッ、ピ――ッ!」
スライムたちが魔物の口に張り付いて塞ぐと、後はタコ殴り状態である。いかにHPが高いキングリザードでも、5分ともたなかった。
「おお、魔石けっこう大きい」
キングリザードが黒い魔力の霧となって消滅すると、後には紫色の拳よりやや大きい魔石が落ちていた。リーナが拾ってルートに手渡す。
「ありがとう。うん、上質な魔石だ。お前たちも、よく頑張ったな」
ルートは魔石を受け取ってカバンに入れると、従魔たちにも声を掛けて撫でてやる。
「おい、ルート、あれ……」
ジークがにやりと笑みを浮かべながらルートの肩をつついた。
彼が指さす先には、祭壇の上に銀色に輝く宝箱があった。いよいよ、お目当てのお楽しみタイムである。
「じゃあ開けるよ」
ルート声に、ファミリー全員が目を輝かせて宝箱を見つめながら頷く。
ルートがおもむろに蓋を開いた。
「「おおっ」」、ピョンピョン、「ピ~~ッ」
中に入っていたのは、2つの青く透明な宝石だった。
(よしっ、当たりだっ! なになに……ほう、《水竜の涙》ね。ふむふむ……)
《水竜の涙》
※ 魔力を大量に含んだ酸化アルミニウムとチタンの化合物結晶。魔宝石の一種。
※ 武具やアクセサリーとして装備可能。身に着けると、水属性魔法耐性・中、魔力増加+120、体力回復速度増加・弱の効果が付与される。
めちゃくちゃすごい宝石だった。
ルートは改めて自分の運の強さに驚く。あとでしっぺ返しが来ないか、少々不安になった。
その後、ルートたちは予定通り30階層まで探索を終えた。途中、26階でハイオークの群れ12匹と遭遇した以外は、特に問題も無く無事に帰途に就いた。ハイオークの群れは、さすがにまともにやり合うとケガが心配だったので、ルートが合成魔法のブリザードで一気に氷漬けにした後、一匹ずつ叩き壊して魔石とドロップアイテムを回収するというやり方で処理した。
「なかなかの収穫だったな。今日は久々の宴会といかないか?」
ギルドで魔石やドロップアイテム、素材を買い取ってもらうと、全部で30万ベニーを越える収入があった。
「そうだね。ただし、あんまり飲み過ぎないでよね、義父(とう)さん?」
「お、おう、分かったぜ、義(む)息子(すこ)よ」
2人のおかしな会話に、リーナが思わずプッと吹き出す。
「あはは……よし、じゃあ、義息子に義娘よ、市場で買い出しだ、行くぞ」
照れて赤くなった顔を隠すように、ジークが2人の前に立って大股で歩き出す。
その後ろから、ルートとリーナは顔を見合わせてクスクス笑いながら手をつないで追いかけていくのだった。
貴族というものは
そこは、ボース辺境伯領の領都から少し離れた港町バウデス、その町で最も大きな商会の建物の中。その会長室で難しい顔で密談しているのは、スノーデン商会の会長レブロン・スノーデンとラドルフ・コーエン子爵だった。
「……ふむ、お話は分かりましたが……」
50歳を過ぎ、茶髪の所々に白い毛が混じり始めた背の高いたくましい体つきの男が、顎の下で手を組みながら言葉を切った。頭の中では、貴族とのつながりと商売上の損得を天秤にかけて目まぐるしく計算しているのだろう。
「奴の商会にダメージを与えられれば、お前の商会にも相応の利益があるだろう? それに、ブライズ連合国との優先交易権は以前からの願いだったではないか」
コーエン子爵は、何を悩むことがあるのかという上から目線でしかものを考えられない。
「そう簡単な話ではないのですよ……」
スノーデンはそう言って小さなため息を吐くと、おもむろに立ち上がって窓の方へ歩み寄る。
「……タイムズ商会は、今やこの国で五指に入る大商会です。下手をすると、その大商会との戦争になる。そんなリスクを避けながら立ち回るとなると、相応の計画と莫大な資金が必要になります……時間が必要です」
「……よかろう。多少時間はかかっても良い。とにかく、あの生意気な平民の小僧に痛い思いをさせらるならな」
「なぜ、そこまで彼を? いや、理由は聞きますまい。ただ、私の知る限りでは、彼はガルニア侯爵や王室とも良好な関係を築いております。少しでも計画が外部に気づかれそうになったときは、即座に手を引かせていただきます。そこは事前にご了解いただきたい」
「ふん……仕上げはこちらでやる。せいぜい足がつかぬようにやってくれ」
コーエン子爵はそう言うと、立ち上がって帽子を被りながらドアの方へ歩いていく。
子爵が部屋を出て行った後、スノーデンは大きなため息を吐いて自分の椅子に座り込んだ。もともと男爵家の次男である彼は、貴族というものがどんな人種か身に染みて知っている。そして、平民になった自分の無力さも嫌と言うほど理解していた。
彼は、しかたなく手近にあるメモ用紙を引き寄せると、力ない手でペンを握り、何かを書き始める。それは、夕闇が部屋の中を覆い、メイドが夕食の時間を知らせに来るまで続けられた。
それから10日ほどが過ぎた頃、タイムズ商会の王都支店の店長室で、ベネット・ペンジリーは資料を見つめながら、険しい表情で机を指で叩いていた。
やがて、彼は資料を机に放り投げると、椅子に掛かっていた上着を手に、急いで部屋の外へ出て行った。
「ちょっと出かけてくる。帰りは遅くなるかもしれないから、閉店後は鍵を閉めて帰ってくれ」
副店長にそう言い置いて、彼は厳しい表情のまま、店の外へ出て行った。
20分後、彼の姿は王都の郊外に建つ大きな屋敷の門の前にあった。頑丈な鉄の門の両側に立っている2mを越える石のゴーレムに向かって、彼は帽子を取りながら丁寧な口調で語りかけた。
「タイムズ商会王都支店のペンジリーです。バハード顧問にお取次ぎをお願いします」
それに対して2体のゴーレムは、手を胸に当てて頭を下げた後、左側のゴーレムが門を開いて中に入るように手を動かした。
いつもながらすごい魔法技術だな、と感心しながらペンジリーは礼を言って門の中へ入っていく。
広い庭の中の石畳の通路を歩いていると、屋敷の入り口が開いて中から長身の男とお腹のふくらみが少し目立ち始めた夫人が迎えに出てきた。
「ベネットさん、ようこそ。おひさしぶりね」
「よお、ベネット、珍しいな」
「大奥様、バハード顧問、ご無沙汰いたしております」
「まあ、忙しいから仕方ないさ。俺が仕事を押し付けてしまってすまないな」
「いえいえ、滅相もございません。大役をお任せいただいて見に余る光栄だと思っております」
今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの大商会の副会頭が、平身低頭であいさつをする。
「さあさあ、入って。あなた、書斎の方がいいかしら?」
妻ミーシャの問いに、ジークはペンジリーの方を見てから頷いた。
「そうだな。ベネット、急ぐのか?」
副会頭直々に、しかも1人でここへ来たことから、ジークはよほど急ぎの案件だろうと推測した。
「はい。ですが、よければ会頭に直接お話した方が良いと思います。お帰りを待たせていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。じゃあ、それまで俺が簡単に話を聞いておこう」
「じゃあ、夕食も一緒でいいわね。ゆっくりしていってね」
「きょ、恐縮です。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
ぺこぺこと頭を下げるベネットの肩を叩いて、ジークは二階の書斎へ彼を連れて行った。
「大奥様のご出産は、2月の中頃でしたか?」
「ああ、その頃だな。あはは……この俺が父親だぜ? 自分でも信じられないよ」
2人は談笑しながら部屋の中へ入っていく。
「それで……何があったんだ?」
ソファに向かい合って座ると、さっそくジークが尋ねた。
「はい。実は、ここ一週間で、乳液の原料である大豆油、テンサイ糖、香料用の生花などが軒並み品薄で値上がりしております。それも、急激な上がり方でして……幸い、蜂の巣や薬草などは自家生産なので影響はありませんが……」
「ふむ、つまり、その値上がりの仕方が普通ではない、ということだな?」
ペンジリーは深刻な顔で頷いた。
「はい。原因を調査しましたところ、生産地では特に不作やトラブルが発生した形跡はありません。それで、詳しく調べたところ、いくつかの商会が大量にこれらの品を買い付けておりました」
「ほう……他の商会も乳液作りに手を出し始めたってことか?」
ジークの言葉にペンジリーは小さく首を振った。
「いいえ。わが商会の乳液製法は、レシピがあっても簡単に真似できるようなものではありません。しかも、大量に買い付けた商会のほとんどは、化粧品とは無関係な物品をこれまで扱ってきております」
「ふうむ……確かにおかしいな。そのいくつかの商会が共同出資して、新しい工房を作ったとか……」
「今の所、そういう情報は上がってきておりませんが、あり得る話ではあります。ただし、その場合、会頭に匹敵する錬金術士がいるということが前提ですが……」
確かにペンジリーが言う通りだ、とジークも頷く。乳液に使う乳化剤の生成や生花から香料を取り出す方法などは、確かに商業ギルドに特許申請してあり、一定の特許料を払えばレシピを買い取ることができる。しかし、そのレシピに書かれているたくさんの複雑な魔法陣は、解読することも困難なら発動させることはさらに困難なものであった。つまり、ルート並みの知識と魔力操作技術がなければ不可能なレシピなのである。
「そうなると、そいつらがやっていることは謎だな……嫌がらせ、か?」
ペンジリーは真剣な顔で頷いた。
「それが一番納得できる答えです。しかし、彼らにどんなメリットがあるのか、さっぱり分からないもので……会頭にお尋ねすれば、何か手がかりが掴めるのではないかと……」
「ああ、そうだな」
2人はそれから熱心に対策を話し合いながら、ルートの帰りを待った。
さて、今回の事件は、やがてルートが本格的にこの世界の政治の仕組みやシステムそのものに関わる発端となったのだが、肝心の首謀者であるコーエン子爵にはそもそもそんな大事になるという自覚はなかった。
彼はただ、貴族としてのプライドを傷つけた〝平民〟に、お仕置きをして身の程をわきまえさせようと考えただけである。ただし、貴族社会の厄介事も十分知っている彼は、法に触れたり、腹を探られたりしないように極力用心深く行動した。そういうところへの努力は惜しまないのが貴族だった。
しかし、彼は決定的なミスを犯していることに気づかなかった。貴族至上主義の彼には、単なる〝平民〟にしか見えないルート・ブロワーの力が、理解できるはずもなかったのである。
波紋
「へえ、そんなことが起きてたんだ……」
学園の仕事を終えて帰って来たルートは、さっそくペンジリーとジークから報告を聞いた後、まるで他人事のような感想を口にした。
「おい、ルート、いいのか? このままじゃ……」
ジークが心配になって咎めたが、ルートはにこりと微笑んで答えた。
「ああ、乳液のことなら心配しなくていいよ。油は大豆油以外の物でも代用できるし、香りは今まで北のラベンダーを使っていたけど、リンドバル辺境伯から自分のところのバラもぜひ使ってくれと頼まれていたんだ。バラの香りを新製品として使えばいいだろう? ただ……」
ルートはそこで顎に手をやって、にやりと笑みを浮かべながら続けた。
「そのいくつかの商会がどんな目的で買い占めているのかは、気になるね」
彼はそう言ってから、じっとテーブルを見つめて考えていたが、やがて顔を上げてペンジリーに目を向けた。
「ベネットさん、2つお願いできますか?」
「はい、何なりと」
「ええっと、1つは、大豆油の代わりになるバターや生クリームの生産を増やして、乳液工場へ回し、大豆油の不足分を賄うように指示してください。バターや生クリームから乳化剤を生成する生産ラインは、2、3日中に僕が工場へ行って作りますので。
それと、2つ目ですが、買い占めをやっている商会の《共通点》を調べてください。きっと何か出てくるはずです」
ペンジリーの目がランプの光にキラキラと輝いている。欲しい答えとともに、自分の得意とする調査分析の方向を示してもらったことで、ぱっと展望が開けたように感じた。
「分かりました。お任せください。……香料はバラにそのまま切り替えればよろしいのですね?」
「ああ、はい、そのままで大丈夫です。リンドバル支店への連絡だけお願いします」
「よし、じゃあ俺も久しぶりに商会の仕事を手伝うか。ベネット、何でも用事を言いつけてくれ」
「助かります。じゃあ、調査の方をジェミーたちと手分けしてお願いします」
《タイムズ商会》の首脳たちが、密かに動き出した。
「あら、この乳液、容器が変わったのね?」
「はい、容器だけではございませんよ。どうぞ、蓋を取って匂いをお確かめください」
「んん……とても優雅な香り。バラかしら?」
「はい、新製品のバラの香りのクリーム乳液です。よりお肌のしっとり感がアップいたしました」
王都の《タイムズ商会》は、今日も朝からたくさんのお客が押し寄せ、大盛況だった。一階の日用雑貨、ドラッグ、武具売り場、2階のスイーツ売り場とカフェ、そして3階のフードコート、どの売り場にも貴族や平民が分け隔てなく商品を見て回っている。
時折、体がぶつかったとかで貴族が怒鳴り始める場面もあるが、すぐに店員が駆け寄って来て、トラブルを仲裁する。タイムズ商会で務めるにあたり、まず研修を受けるのが、こうしたトラブルへの対応術だった。
基本、タイムズ商会では貴族も平民も同じお客として分け隔てしない。それは、各地の支店でも徹底して貫かれている最も大切な方針の1つだ。だから、それを気に食わない、わがままを通そうとする貴族の客は店から出て行ってもらう。そのため、何度か嫌がらせや中傷を受けたことはあるが、それに妥協や謝罪をすることはなかった。去る者は追わず、来る者は拒まず、暴力には暴力で対抗した。やがて、「この商会には下手に手を出すべからず」という貴族の間での暗黙の了解が生まれた。その過程には、王都の子女養成所に通う貴族の子女たちの陰からの応援があったことは言うまでもない。
同じ日、ボース辺境伯領の領都グランバルドの大通りにある《タイムズ商会》グランバルド支店。この日、店を訪れた女性客の多くは、一階のドラッグ売り場の一角に貼られた広告の前で嘆きの声を上げていた。
『お客様各位へ。
長らくご愛用いただいておりました本商会の《スキン乳液》及び《洗顔用石鹸》は、原材料の不足と急激な値上がりのため、生産することができなくなり、誠に遺憾ながら販売を中止することになりました。ご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解のほど、よろしくお願いいたします。
タイムズ商会会長 ルート・ブロワー』
女性客たちが悲鳴に近い声を上げて騒いでいる傍らで、ソフト帽を目深に被った貴族らしき男が、柱の陰でこらえきれないように口を押えて笑い声を漏らしていた。
「くっくっく……よくやったぞ、スノーデン」
その男は柱の陰から出ると、騒いでいる女性たちの背後へゆっくりと歩いていった。
(では、仕上げといこうか。ふふふ……)
男は軽く咳ばらいをすると、フロアー中に聞こえる声で叫び始めた。
「ああ、何ということだ。いきなり販売中止とは……どこの店でも、販売を中止する前には、在庫の処分をするはず。それもなしにいきなりとは、納得できん。責任者、責任者を出したまえ」
それを聞いた一部の、恐らくはその男の協力者と思われる貴族の婦人たちが、口々に叫び出した。
「ああ、そうですわ。きっと在庫があるはずよ」
「ええ、本当ですわ。あるなら出すべきです。皆さん、そうお思いですわよね?」
婦人たちの声に、賛同する声が続いた。
「皆様、お静かにお願いします。私はこのフロワーの責任者、シェーラ・アルバスです」
ドラッグ売り場レジの奥から、30代前半の背の高い女性が出てきて落ち着いた声で客たちに呼びかけた。
「おお、君が責任者か。我々は遠くからわざわざ買いに来ているのだ。在庫品が少しでもあるなら、売るべきではないか?」
男の言葉に、女性責任者は丁寧に頭を下げてから、淀みのない口調で答えた。
「大変申し訳ございません。販売中止は会長命令ですので、ご要望にはお応えできかねます」
「ふふ……かまわん、在庫があるなら出してもらおう。私はラドルフ・コーエン子爵だ。たかが平民出の会長に拒否する権利などない。さあ、早く持ってきたまえ」
男は身分を明かして、女性責任者に詰め寄ったが、シェーラ・アルバスは毅然とした口調で答えた。
「お言葉ですが、我が商会ではお客様を身分によって差別することはございません。どうぞ、お引き取りを」
(ふははは……そうだ、その言葉が聞きたかったのだよ)
コーエン子爵は心の中で狂喜しながらも、演技を続けて大げさに叫んだ。
「な、何と……貴族の御婦人方、お聞きになりましたか? この店は、はっきりと貴族なんぞ、歯牙にもかけぬと言いましたぞ」
決してそこまではシェーラも言っていないのだが、近くにいた協力者である何人かの婦人たちも驚いたように口々に叫んだ。
「ええ、ええ、はっきりとこの耳で聞きましたわ。何という無礼なお店でしょうか」
「これは、他の貴族の奥様方にもお話しないといけませんわね」
彼女たち以外の客たちは、むしろさっきから引き気味で、その場から離れていく者たちも多かった。
結局、コーエン子爵とその協力者たちは、その後もしばらく店や商会そのものを中傷する言葉をまくし立てた後、ようやく引き上げていった。
「何、タイムズ商会が、私をないがしろにしただと? どういうことだ?」
王都にある別宅で、領都からの使いの者からの報告を聞いていたボース辺境伯は、怪訝な顔で使いの文官を問い詰めた。
「は、はっ、タイムズ商会の者が、この領内の貴族には品物は売らないと申したそうでございます」
辺境伯は、それを聞いてますます険しい顔になって顎に手をやった。
彼は、ルートとはラニト帝国との戦争において共に戦ったし、王城でも何度も顔を合わせ話もした周知の間柄である。彼が会長を務める商会が、そんな理不尽なことをするとは、とうてい思えなかった。
「誰がそのことを聞いたのだ?」
「はっ、コーエン子爵様です」
「ふむ……分かった。下がって良い」
文官が退出すると、辺境伯はしばらく考えてから1通の手紙を書き始めた。
異世界が発展しない理由 1
王都の街に冬の訪れを告げる冷たい西風が吹き始めた11月の第3週のある日、学園のルートの研究室に、1通の手紙が届けられた。差出人はボース辺境伯だった。
ルートは予想通りと言った顔で手紙の封を切り、中味を読み始めた。
2日後、ルートは教師になって初めて午後から公休を取って、とある場所へ出かけて行った。
「王立子女養成所のブロワーです。ボース辺境伯様にお会いするために参りました」
「はっ、伺っております。どうぞ、お通り下さい」
ルートが向かった先は、辺境伯の王都屋敷ではなく、王城であった。
なぜ、辺境伯が自分の屋敷ではなく、王城へルートを招いたのか、ルートには何となく察しがついていた。
広場を抜けて内門への階段を上っていくと、門の脇に王の侍従長であるセルバン男爵が立っていた。
「ルート様、よくおいで下さいました」
「お久しぶりです、セルバンさん」
顔なじみの侍従長は、にこやかにルートを出迎え、王城の中へ案内していく。男爵はもう70歳を越えているはずだが、ピンと背筋が伸び、歩き方もかくしゃくとしている。かつては騎士として武勇でならしたのも伊達ではない。
2人はなごやかに雑談しながら、2階の奥にある王の執務室まで歩いていった。
「ブロワー教授がおいでになりました」
執務室のドアをノックして、セルバン男爵が中に声を掛ける。
「うむ。入ってくれ」
王が返事をし、男爵がドアを開けてルートを中へ入れた。
「どうぞ、中へ。ただ今お茶をお持ちします」
ルートは男爵に礼を言って部屋の中へ入っていく。
「ルート、仕事中に呼び出してすまなかったな」
執務室のソファには、オリアス王とボース辺境伯が向かい合って座っていた。
「そうですね。午後の授業の生徒たちにはすまないことをしました」
「あははは……相変わらず手厳しいな。まあ、こちらへ来て座ってくれ」
王はいつもの如く、家族に対するようにリラックスした様子だったが、ボース辺境伯の表情は硬く、かなり緊張しているようだった。
ルートは、2人の間にあるもう1つの横幅の狭いソファに腰を下ろした。
「さて、さっそく要件に入ろうと思うが、イアン、よいか?」
王は辺境伯に向かってそう問いかけた。
ボース辺境伯は頷くと、ルートの方へ向き直って言葉を選ぶようにしながらこう語った。
「ルート殿、実は一週間ほど前、領地から報告があってな、ルート殿の《タイムズ商会》が、我が領内の貴族には一部の商品を売らぬ、と言っておるというものであった。私は、何かの間違いだろうと思い、密かに調べさせたのだ。そこから、思いがけない事実がいろいろと出てきてな……」
辺境伯は、そこで言いにくそうにいったん言葉を切った。
ルートは、やはりその話かと頷き、話を始めようとしたが、その前に辺境伯が不意に話の方向を変えてルートに問い掛けた。
「ルート殿、先月の学園祭の折、わが校のファングラウ所長と話をしたと思うが、その時の内容は覚えておられるか?」
「ああ、はい、覚えています。確かアマーノ君のことで、ファングラウ男爵が、彼が今後僕に接触してくるので、いろいろ便宜を図ってほしいと。ただし、彼については一切詮索するなとおっしゃいましたね。あまりにも怪しい内容だったので、つい、『今後、彼に対して最大限の警戒をするつもりだ』と返事をしました。
男爵は、辺境伯様からの命令だとおっしゃっていましたが?」
ルートの答えに、辺境伯は思わず頭を抱えてため息を吐いた。
「はああ……やはりそうか……」
辺境伯はそうつぶやいた後、顔を上げてルートに向かって頭を下げた。
「すまぬ、ルート殿。今回の騒動はすべて私の言葉が足りなかったことが原因だ」
「えっ? あ、いや、どうか頭を上げてください。よく分からないので、説明していただいていいですか?」
ルートが慌ててそう言うと、辺境伯は頷いて話を始めた。それは簡単に言うと、以下のような内容だった。
辺境伯は、領都からの報告を聞いた後、手紙で側近に報告の内容を詳しく調査するように命じた。その結果、《タイムズ商会》が、領内で「乳液」と「洗顔石鹼」を売らないというのは事実だった。だが、報告にあった「貴族を狙い撃ちにする」ようなものではなく、原材料の不足によりやむなく販売中止になったというものだった。
さらに、辺境伯に今回の報告をさせたコーエン子爵が、どうやら自ら商会に赴いて抗議したこと、奥方の友人の2人の貴族の夫人に、一緒に商会へ行くように依頼したことなどが明らかになった。
辺境伯は、なぜコーエン子爵がそこまでの行動を起こしたのか、理解できなかったので、子爵を直接王都へ召喚し、理由を問い詰めた。すると、彼はこう言ったという。
『ブロワーという男は不遜で危険な人物です。彼はファングラウにはっきりと、タクト様に対して最大限の警戒をする、と言ったそうです。つまり、辺境伯様のご意向にあからさまに逆らうと宣言したのです。これは放置できないと考えました』
「……コーエンが行き過ぎた行動をとったのは事実だ。だが、元はと言えば、私がファングラウに指示した時の言葉が原因であった。タイムズ商会には多大な迷惑をかけた、すまぬ」
そう話し終えて、改めて謝る辺境伯に、ルートは首を振った後こう言った。
「なるほど。おかげで、根元にあるものが見えてきました……これをご覧ください」
ルートはそう言うと、カバンから2組の紙束の資料を取り出して、王と伯爵に手渡した。
「それは、王都の商会の調査員による調査報告です」
王と辺境伯は資料に目を通していたが、最後のページにある《まとめと推測》を読んで、驚いたようにルートに目を向けた。
「ご覧になった通り、原料の買い占めを行った3つの商会は、すべて辺境伯様の領都にあるスノーデン商会から頼まれて買い占めを行っていたことが分かりました。ただし、スノーデン商会がなぜそんなことをしたのか、目的は分かりませんでした。でも、今の辺境伯様のお話を聞いて、謎が解けました。
《まとめと推測》に書かれているように、恐らくスノーデン商会に依頼した人物がいる。そして、その人物は、僕か商会に対して恨みを抱いている。この2つは当たっていたようです……」
「何ということだ……すべてコーエンが仕組んだ、ルート殿を陥れるための自作自演だったということか……何と言うことだ……信頼していた部下だったのに……」
辺境伯は再び頭を抱えて蹲ってしまった。
「ルートよ、事情は理解した。ただ……決してイアンに悪気があったわけではない。そこは分かってやってくれ」
王の言葉に、ルートは首を振ると、やりきれないような表情で小さなため息を吐いた。
「もちろん、分かっています。ただ、根本的な原因は他にあると思っています……まあ、今はそのことは置いておきましょう」
ルートはそう言うと、傷心の辺境伯をいたわるように声を掛けた。
「辺境伯様、今回のことは、僕も首謀者を引っ張り出すためとはいえ、少しやり過ぎたと思っています。《乳液》と《洗顔石鹸》は、来週から普通どおりの値段で販売を再開します。1つお聞かせいただきたいのですが、元々の原因である、アマーノ君のことについて、なぜそこまで情報制限をなさるのか、できる範囲でかまいません、教えていただけませんか?」
異世界が発展しない理由 2
ルートの問いに、辺境伯に代わって王が答えた。
「うむ。そのことも伝えようと、こうしてきてもらったのじゃよ」
その言葉を引き継ぐように、ボース辺境伯が続けて語った。
「実は、アマーノ君を必要以上に警戒しないようルート殿に伝えてくれ、と私に頼まれたのは、アマーノ君の保護者のお方でな……そして、そのお方は、自分のことはルート殿に明かしても構わないとおっしゃった。ただ、そうは言われてもな、簡単にそのお方のことを明かしてよいものかと、迷ったあげく陛下にご相談したのだ」
「うむ。わしもイアンからその話を聞いたときは信じられなかった。そして、これは簡単に明かすべきことではないと思い、イアンに秘密にするよう命じたのじゃ。今回の原因と言うなら、わしのその判断であったかもしれぬ」
王は申し訳なさそうに、ルートを見つめながらそう言った。
「……つまり、タクト君の保護者は、陛下でさえも口にされるのもはばかられるほどのお方ということですか?」
ルートの問いに、王はしっかりと頷いた。
「うむ、そういうことじゃ……なにしろ、神話や伝説の中の存在じゃからのう」
「し、神話や伝説?」
これにはさすがのルートも驚かざるを得ない。
王は頷くと、少し間を置いてルートを見つめながら言った。
「そのお方は、《大賢者メサリウス》様なのじゃ」
ルートは思わずあっと声を上げたまま、呆然となった。
もちろん、ルートはその名前を知っている。ただし、それは創世伝説よりさらに古い神代の物語に出てくる名前であり、神々と人間との関りを教えるための寓話、おとぎ話と考えられているものの中に出てくる名前だったのだ。
「……それは、確かなことですか?」
「ああ、疑問を持つのも当然じゃ。だが、イアンの話を聞けば、真実であると信じざるを得ないだろう……」
王に促されて、ボース辺境伯は、1年半前の祭司の神託のこと、メサリウスとタクトがドラゴンに騎乗して現れたこと、などを語った。ただし、メサリウスが絶対に秘密だと釘を刺していた〝タクトが神から託された使命〟については黙っていた。
「分かりました。確かに信じざるを得ないようですね。だとすると、大賢者様は、タクト君を通して何か僕に用事があるのか、それとも、タクト君の使命にとって僕が邪魔なのか、利用したいのか……その辺りは何か聞いておられませんか?」
ルートの何もかも見通したような鋭い質問に、ボース辺境伯は必死にポーカーフェイスを維持しながら、首を振った。
「いや、そこまでは聞いていない。だが、自分のことを明かしてもよいと言っておられるのだから、ルート殿に害を及ぼすようなお考えはないと考えてよいのではないかな」
事情を知っている王も、辺境伯の言葉に頷き、彼を擁護するように言った。
「うむ。わしも心配するには及ばぬと思うぞ。恐らく、タクト・アマーノというたぐいまれな天才をご自分の後継者に育てたいのではないか? そのために、ルート、お主の力添えを願っておられるのだと思うぞ」
確かに、話を聞く限りでは王の考えが一番納得いくものであった。
しかし、ルートの考えは少し違った。だが、この場では王と辺境伯に話を合わせておく方がいいだろう。
「なるほど。それなら、僕も協力は惜しみません。そうお伝えください」
ルートの言葉に、王と辺境伯の顔にようやくほっとしたような笑みが浮かんだ。
♢♢♢
「ふむ、やはりそうであったか……」
学園に帰ったルートは、その足でリーフベル所長のもとを訪れ、これまでのいきさつと王城での話を語った。
それを興味深げに頷きながら聞いていたハイエルフの大魔導士は、開口一番、感慨深い様子で言った。
「……学園祭の打ち上げの折、お前と話をしたが、その時は確信を持てなかった。じゃが、恐らく《大賢者メサリウス》ではないかと、推測はしておったのじゃ」
「もし、本当にそうだとすると、大賢者は不老不死の存在なのですか?」
ルートの問いにリーフベルは頷いた。
「伝説によると、メサリウスは人間たちに魔法というものの存在と使い方を教えた後、神の世界に迎えられ、生きながら神になったと言われておる。真偽のほどは定かではないが、それが本当であるなら、神になったというより、〝不滅の肉体〟を手に入れたと言う方が分かりやすいであろうな……」
「どう違うんですか?」
ルートは首を傾げながら尋ねた。
リーフベルはテーブルの上に上がると、ルートの前に立って講義を始めた。
「人間は神にはなれぬ。これは絶対じゃ。そもそも神と人間は全く別の存在なのじゃ。だが、メサリウスは不老不死の存在となった。とすれば、肉体そのものを不老不死のものに換えたということになる。ルートよ、お前も実際に不老不死の存在を何度も見たことがあるはずじゃ……」
そう言われて、ルートは顎に手を当てながら懸命に考え始める。
「何度も見たことがある?……」
リーフベルはいかにも楽し気にルートが苦悶する様子を眺めている。
(何度も見たことがある、特別な存在か……魔物かな? でも、ゴブリンやオークは成長し、年老いていく。アンデッドはある意味不老不死だけど……)
ルートは低く唸りながら考え続け、そしてクラウスやジャスミンのことを思い浮かべた時、閃いた。
「……っ! もしかして、ダンジョンの魔物、ですか?」
ルートの答えにリーフベルは満足げな笑顔を見せて、エルフの喜びの舞を始める。すると、空中から美しい光の花びらが降り注ぎ始めた。
「その通りじゃ。ダンジョンの魔物は討伐されなければ、そのまま永久に存在し続ける。それは、彼らが『魔素そのもので造られた存在』だからじゃ。つまり、魔素で造った不老不滅の肉体に、己の魂を移し込んだ存在、それが大賢者メサリウスじゃ。そして、我々はこれを《ホムンクルス》と呼ぶ……」
「っ! ホムンクルス……」
ルートはその訳語を聞いて、前世で読んだラノベやゲームに出てくる狂った錬金術師を思い浮かべた。人間の素材を使って造り出された〝不完全な人造人間〟、それがルートのホムンクルスのイメージだった。
地球の科学を学んだルートからすれば、まず不老不死というのは絶対に不可能なこと、生きとし生けるものは必ず死を迎える、というのが生命に対する前提条件だった。
そもそも、いくら魔法の力で不老不死の肉体を造ろうと、そこに寿命がある《脳》を移植して意味があるのか? リーフベル先生は、《魂》を移し込む、と言ったが、《魂》とはいったい何なのか。
次から次に湧き上がる疑問に、ルートは眉間にしわを寄せて考え込んでいた。
「……問題は、なぜ、大賢者がわざわざタクトという少年の保護者になり、ルートと接触しようとしているか、ということじゃ」
ルートから見ると、こちらもほとんど不老不死と思えるハイエルフの大魔導士が、窓の外に目をやりながらつぶやいた。
異世界が発展しない理由 3
なぜ、大賢者がタクトを通してルートと接触してきたのか、その理由はルートにも分からなかった。ただ、はっきりと感じられることはあった。
「メサリウスさんの意図は分かりません。でも、間違いなく神様が関わっているでしょうね」
ルートはそう言いながら、神の意図について推理を深めていった。
「ふむ、まあ間違いなかろうのう……やれやれ、ビオラにドラト、今度はタクトにメサリウスか。まあ、次から次へと、神も厄介事を押し付けてくるのう……」
リーフベルはため息を吐きながら、いつの間にかルートの膝の上に座り込んでいた。
彼女の言葉に心の中で同意しながら、ルートは漠然とした自分の考えを確かめるように、言葉を紡ぎ始めた。
「……初めて教会でティトラ神と話をした時、神はこう言ったんです。僕が前世で暮らしていた地球のことを『試しに造った特別な星』だと……僕はその言葉がずっと気になっていて、何が特別なんだろうって……今住んでいるこの星との違いは、まず『魔法が存在しない』ということ。そのため、魔物やダンジョンも存在しない。それが、一番はっきりとした違いです……」
「ふむ……まるで想像もつかんが、平和な世界ではあるようじゃな?」
「平和……そうですね……いや、そうとも言えませんね。地球には、人間以外の獣人やエルフ、ドワーフなどもいません。だから、こちらの世界のような種族間の争いはありません。でも、人間同士の争いはあり、短い間に何百万人も死ぬような大きな戦争が何度か起こりました。魔法は存在しなくても、科学技術が恐ろしく発達し、最上級の攻撃魔法に匹敵する兵器が存在しています。しかも、それを数か国が何万発も使えるほど所持して、お互いににらみ合っている状態でした……」
「恐ろしいのう……どこの世界も、人間の欲がおのれ自身を滅ぼす、ということじゃな」
「でも、神はこう言ったんです。『地球の現状にはおおむね満足している』と……」
「ふん、勝手なものじゃな。人間の命など、いくら失われようと気にはせぬということか」
ルートは小さく頷くと、膝に座ったリーフベルの金色の髪を撫でながら続けた。
「そう、そこに思い至った時、地球とこの星のもう1つの違いに気づいたんです……」
リーフベルはルートの方へ顔を向けて、興味深げに見つめた。
「ふむ、それは?」
「はい……簡単に言うと、この星、いや、地球以外の人間が住む星は、恐らく皆同じだと推測するのですが……『神と人間との距離が近い』ということです。それも、異常なほどに……」
「ほほう、面白いのう……そのことが、今回の件にも関係があると?」
「直接ではありませんが、根っこの部分でつながっている気がします……」
ルートは前置きすると、自分の推測を続けた。
「僕はこれまでにいくつか前世の知識を使って、地球で使われていた技術をこの世界に持ち込みました。これは、神様たちにとって都合が悪いことだったのではないか……」
「ふ~む……よく分からんが……」
「ええっとですね……僕は、地球とこの星の違いにばかり目が向いていたのですが、逆に共通点は何かと考えたときに、先ほど言った神様の『地球に満足している』という言葉がヒントになったんです。地球の何に神様が満足しているか、それはたぶん、『神に祈りを捧げる』人々の数ではないか、と……。
この星や地球以外の星では、神がスキルを降授したり、直接神託を下したりして、神に対する人々の親近感というか依存度が半端ないですよね。それほど、神との距離が近い。ならば、地球よりもっと『神に祈りを捧げる』人が多いんじゃないか、そう思ったんですが、実際はそうでもないんです。なんというか、あまりにも近すぎて、逆に感謝の念が薄いっていうか……」
ルートがそこまで語った時、リーフベルの顔に悪企みを思いついたような笑みが浮かんだ。
「なるほどのう……ふふふ……なんとなくお前が言いたいことが分かってきたぞ。つまりじゃ、神が欲しておるのは、なるべく多くの人間の『祈り』である、ということじゃな?」
ルートは微笑みながら頷く。
「はい。それも、できるだけ強い『祈り』ではないか、と。だから、僕が地球の技術で、この星の人々の生活を豊かにすると、神への感謝が薄れてしまう。もちろん、僕は科学が進歩しすぎないように注意をしているんですが、神様には危険な人間に見えるんでしょうね。
神様と人間が近い星は、科学が進歩しない。魔法があるし、神様が手助けしてくれるからです。でも、神様にとって一番欲しい『祈り』もなかなか強くならない……」
「ふふふ……ルートよ、集団魔法というものを知っておるか?」
「あ、はい。ラニト帝国との戦争の時、何度か目にしました」
「うむ。複数の人間が、同じ魔法を思い浮かべて同時に発動すれば、より威力が強くなる。数が多ければ多いほど、その威力は増していく。これを、『祈り』に当てはめるとどうじゃ?」
ルートは、リーフベルが自分の考えをきちんと理解してくれたことを嬉しく思いながら、しっかりと頷いた。
「たぶん魔力に似た『大きな力』が、神のもとへ届けられる……」
「うははは……面白い、実に面白いのう。そう考えると、神がいろいろと人間に試練や災難を与えるのも、それによって人間が神にすがり、祈るのを期待しておるからだと考えられるな」
「はい。そして、そこから今回の大賢者様が神と取り交わした契約は、恐らく、僕に対する『監視』であり、神が望む方向への『導き』ではないかと……もしかすると、もう1つ、必要な時には『抹殺』することも含まれているかもしれません。タクト君は、そのための刺客ということかもしれませんね」
こともなげに神の真意を口にするルートを、リーフベルは何とも言えない気持ちで見つめた。
「心配するでない。わしが、そんなことはさせぬ。まあ、これからじっくりと、向こうの出方を見てやろうではないか」
「あはは……そうですね。僕も簡単に始末されるつもりはありません。まだまだ、この世界でやるべきことはたくさん残っていますから」
リーフベルは立ち上がると、再びテーブルに上ってニヤニヤしながらルートを見つめた。
「〝やるべきこと〟のう……ふふ……そういえば、リーナとの結婚式はもうすぐじゃなかったか?」
ルートはドキッとしながら、目を泳がせた。
「ああ、ええっと、その……彼女に承諾をもらったら、12月の25日に式を挙げようかと……」
「なんじゃ、まだ承諾はもらっていなかったのか?」
「は、はい……正式なものは、まだ……」
「まどろっこしいのう……まあ、お前らしいといえばそうじゃが……よし、来月の25日じゃな。贈り物を楽しみにしておくがよいぞ」
その後、ルートとリーフベルは結婚式のやり方などの話で大いに盛り上がった(主にリーフベルがしゃべったのだが)。どうやら、ルートとリーナの結婚式は、質素に静かな雰囲気で、というルートの願いとは真逆の方向へと進みそうだった。
成人の儀と婚約
ルートは15歳の誕生日に、故郷のポルージャの教会で、知人たちが多数列席する中、厳かな雰囲気の中で《成人の儀》の臨んだ。
この世界では、王族・貴族も含めて、誕生日を祝う風習がない。ただ、例外は、生まれた時と成人と認められる15歳の誕生日である。
ルートは前世の風習を捨てきれず、幼い頃から母親や娼婦たちの誕生日には、ささやかなプレゼントを贈ったり、ちょっとしたご馳走を作って祝ってきた。それが次第に街の人々にも知られるようになり、少しずつ浸透しつつあった。街が経済的に豊かになり、人々の暮らしにも余裕が生まれてきたからでもあった。
「ルート・ブロワー、汝の年齢が成人に達したと認め、ティトラ神の名において、ここに証明書を授けん」
この日成人を迎えた十数人の若者たち一人ひとりに、司祭が身分証のような金属製のカードを手渡していく。前世の成人式によく似た儀式だった。
「おめでとう、ルート。あなたはいつでも私の誇りよ」
「ありがとう、母さん」
儀式を終え、教会の外へ出たルートの前には、家族も同然の元娼婦たち、ボーグ、カミル、マリクをはじめとするリープ工房の職人たち、タイムズ商会や関連業種で働く職員や労働者たち、果ては顔なじみの冒険者や街の人たちまでが集まって、母のミーシャを最初に次々と親しい者たちがお祝いの言葉を掛けていく。
「皆さん、どうもありがとう。ここまでこれたのも、ひとえに皆さんのお陰だと感謝しています。今日は今までの感謝の気持ちを込めて、タイムズ商会の2階のレストランと中央広場を貸し切りにして、料理と酒をふるまいたいと思います。もちろんすべて無料です。どうか、心ゆくまで楽しんで、僕の感謝の気持ちを受け取ってください」
ルートの言葉に、身内たちはもちろん、同じ成人の儀で集まった他の家族たちまで一斉に歓声を上げた。
「やったーっ! 俺たちも参加していいんですか?」
「あ、あたしたちもいいのかい? タイムズ商会の身内じゃないけど……」
「ええ、もちろんです。こうしてここで一緒に儀式を受けたのも何かの縁でしょう。遠慮なく参加してください」
ルートの言葉に、再び歓声が上がる。特にうるさく騒いでいるのは冒険者たちだった。ただ酒にただの料理を食べ放題なのだ。懐の寂しい駆け出し冒険者たちにとっては、ルートが神にも等しく見えたことだろう。
特別に招待状をもらった者たちが、続々とタイムズ商会本店の裏にある2軒の屋敷が建つ広い敷地に集まって来ていた。すでに何人かは、広場で街中の人たちと騒ぎ、酒を飲んでいた。そんな広場や本店2階のレストランから聞こえてくる喧噪を聞きながら、集まった人々は思い思いに酒や料理を口にしながら、楽し気に歓談していた。
「え~、皆さん、今日はお忙しい中にこうして集まっていただき、本当にありがとうございます……」
ルートが玄関の階段の上に立って挨拶を始めると、どこからともなく拍手が鳴り始め、それが広い庭中に広がっていった。
「感謝するのはこっちの方だよ、ルート。ミーシャの子供に生まれてきてくれてありがとうよ。あたしたちのルートでいてくれて、ほんとに、あり、ありが、とう、ううっう……」
拍手の中から、今やガルバンの店の副支配人として貫禄を身に着けたマーベルが叫んだ。だが、すぐに泣き崩れるところは、相変わらず情にもろい彼女らしかった。
そのマーベルの横には、可愛い金髪の幼児を連れたベーベがいて、マーベルの涙を拭いてやりながら、ルートに手を振っていた。
「……ありがとう、愛してるよ、マーベル、べーべ。あはは……さて、今日は皆さんに大事なお知らせがあります……」
ルートはそう言うと、後ろに控えていたリーナの方を向いて、手招きした。
白いドレスに身を包んだリーナは、頬を赤くしながらおずおずとルートの横に出てくる。
「……今日、僕は皆さんに、ここにいるリーナと正式に婚約したことをお知らせします」
ここで、大歓声と拍手が起きるだろうと予想していたルートだったが、招待客たちは、『何だ、今さら』という顔できょとんとしていた。
「ああ、ルート、すまんが、俺たちはお前とリーナはもう結婚していると思っていたぞ」
ボーグの言葉にカミルとマリクもうんうんと頷いている。
「ちょ、ちょっと待ってよ、親方。結婚するなら、ちゃんと皆さんにお知らせしますよ」
ルートが戸惑いながら弁明する。
「くそ真面目だねぇ、相変わらず……ふひひひ……そんなまどろっこしいことせんでも、好き合ってる同士なら、早いとこ赤ん坊こさえて親を喜ばせてやんな」
《公衆浴場ガルバン》のオーナー、イボンヌが楽し気な様子でからかう。そして、それを皮切りに、周囲の人たちも、赤くなったルートとリーナを一斉に冷やかし始めた。
「本当はもうおなかに赤ちゃんがいたりして……きゃはっ」
「あり得るぜ。なんせ、手の早いジークの義息子だからな」
「ミーシャの方が早いなんて、おかしいよ」
「お、おい、お前ら、こっちまで巻き込むんじゃねえ」
「は、恥ずかしいわ」
冷やかしのとばっちりを受けたジークとミーシャが、後ろで身もだえていた。
ルートとリーナは顔を見合わせて思わず苦笑しながら、ここは予定を強行することにした。
「え~っと、とにかく、僕たちの婚約を皆さんに認めてもらったということで、指輪の交換をしたいと思います。これは、先日、王都の黒龍のダンジョンに僕とリーナとジークで潜った時、ダンジョンボスを倒して手に入れた魔石で作った指輪です」
ルートはそう言うと、ポケットからケースを取り出して、蓋を開いた。
おおっ、というどよめきが起きる。遠くからでも、その大きさと美しい青い輝きが見えたからだ。
ルートはその2つの指輪の一方をリーナに渡し、もう一方を自分が取り上げ、彼女と向かい合った。そして、先ずはルートがリーナの手を取って細く美しい薬指に指輪を通す。リーナは涙ぐんだ目でルートにはにかみながら、今度はルートの指に指輪を通した。
そして、2人は同時にその指を、集まった人々の方へ掲げて見せる。
「おめでとうっ!」
「おめでとう、お幸せに!」
さすがにこの時は、からかう者はおらず、一斉に祝福の言葉と拍手が巻き起こった。
そこから先は、もう、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだった。深夜遅くまで続いたバカ騒ぎだったが、近所からの苦情はなかった。なぜなら、この日は街中のほとんどの人が、広場を中心に街のあちこちで騒いでいたからである。
翌日、ポルージャの街は異様に静かで、臨時休業する店が多かったという。
そこは、大海の中にポツンと浮かぶ小さな島だった。小さいといっても果てしなく広がる海と比べた話だ。人間にとっては十分大きな島だ。
この星にある3つの大陸や島々からは等しく距離を置き、意図して近づく者以外はどんな国や人間とも交流はない。そして、意図して近づく者は、たいてい人間ではなかった。
何より、この島までは果てしなく遠い。一番近い中央大陸(グランベーダ)の南端の街からも、船で行くなら10日以上かかる。およそ日本からハワイまでの距離と同じだ。
島の周りは急峻な山脈で囲まれている。と言うと、火山島かと勘違いしそうだが、火山ではなく、ある種族の魔法によって人工的に作られた山脈であった。
今、この島の中央部に広がる大草原に、一頭の白い竜が大きな翼を広げて降り立った。
「ありがとう、シルビラ。明後日、またお願いね」
竜の背中から草原に降り立ったのは、金髪に明るい茶色の瞳の12,3歳ほどの少年。どこかの学校の制服を着て、モスグリーンの厚手のローブを羽織っている。
彼は、グランベーダの北にあるボース辺境伯領から竜に乗って、わずか4時間足らずでこの絶海の孤島に帰って来た。そう、この島は彼の故郷だったのだ。
白い竜は、少年にしか聞こえない念話のようなもので何事か言うと、翼をゆっくりとはためかせて空中に浮かび、少年の頭上で一回輪を描いてから右手の山脈の方へ飛び去って行った。
竜に手を振った少年は、少し視線をずらして大草原の中央部に立つ建造物に目を向けた。その建造物は大草原の真ん中に、細い円柱のようにまっすぐに天空に向かって立っている。その先端は見えない。青い空の彼方でかすんで見えなくなっている。
少年はおもむろに呪文を唱え始める。すると、彼の足元に白い魔法陣が浮かび上がり、薄緑色の光を発し始めた。そして、その光が一瞬強くなったとき、少年の姿は消え、光と魔法陣も消えていた。
次に彼が姿を現したのは、白い壁に囲まれた小さな部屋だった。足元には、今消えようとしている魔法陣と光があった。少年は転移魔法を使ったのである。その後、彼はにこにこしながら何もない壁のある部分に手のひらを押し当てた。すると、壁がドアの大きさの空間が開き、少年はうきうきと駆け足でその部屋から走り出て行った。
「お師匠さま~~、ただ今帰りました~~。聞いてください、お師匠様、王都の学園で……」
少年は走って螺旋階段を駆け上がり、上の階の部屋のドアを勢いよく開いた。そして、その円形の部屋の奥の机に座って何か書き物をしていた黒いローブの人物に、勢い込んで話しかけたのだが……。
ゴツン、という音が響き、少年は思わず頭を抱えてその場にうずくまった。
「っ! いったぁ~~~……な、何で殴るんですか、お師匠様ぁ?」
黒いローブの人物は手に持った杖で、コンコンとさらに少年の頭を叩きながら立ち上がった。背丈は少年より少し高いくらい。銀色の髪は背の中ほどまで伸び、透き通るような白い肌に、深い海の底のような濃紺の瞳を持つ少女だった。
「まず、声がうるさい。それと、言いつけを守らなかった。今日は食事抜き」
「ええええっ、そんなあ~~……いたっ! もう勘弁してくださいよぉ、お師匠様ぁ~」
この《天空の塔》の主、〝大賢者メサリウス〟は机から離れると、小さなため息を吐きながら、まだ不機嫌な表情のまま、床に幾つか置いてある動物型のぬいぐるみクッションの中で、お気に入りのドラゴンに腰を下ろして少年を見つめた。
「タクトよ、あれほど言い聞かせたであろう? それなのに、なぜ、ルート・ブロワーに警戒されるような言動をとった?」
少年、タクト・アマーノは頭を抑えながら苦笑した。
「やっぱり見てたんですか?」
「当然だ。お前はすぐ調子に乗るからな、心配だったが、その心配通りになった」
タクトはぷうっと頬を膨らませて、トラのクッションに座る。
「だってさ、僕だって少しくらいブロワー先生にいい所見せたいじゃない。せっかく顔見せに行って、なんだ、大したことないなんて思われたくないし……」
タクトはそう言うと、ふてくされて床に寝転んだ。
メサリウスは小さなため息を吐いて、ふっと口元に笑みを浮かべた。
タクトがエンシャントドラゴンに咥えられて、彼女の元へ届けられた日のことをふと思い出す。
この世界の9歳の少年に転生したタクトは、いきなりドラゴンの巣で目覚め、理由も分からないまま、大きな口に咥えられて横向きの状態で山脈からこの塔まで飛んできたのである。しばらくは酷いパニック状態だった。まあ、当然と言えば当然である。
天野拓人はルートと同じ時代の日本で生きていた少年である。だが、彼は6歳の時、筋肉が萎縮し、やがて全身が動かなくなる不治の病を発症した。しかも進行が早かった。6歳の時からずっと車いすとベッドでの生活だった。
だが、彼は明るく決して心を折ることはなく、最後まで病と闘い続けた。彼の支えはアニメと、当時発売されて間もないVRMMORPGだった。彼の両親は決して裕福ではなかったが、1台百万円近くする大型のこのゲーム機を、惜しげもなく息子のために買い与えた。
拓人はこのゲームの中の世界に夢中になった。この世界で、彼は自由に手足が動かせ、冒険しながら多くの仲間たちと旅を楽しむことができた。
ベッドで動けなくなった体だったが、彼は幸せだった。眠る時間以外は、ずっとこのゲームの世界の中にいた。そしていつしか、彼はこのゲームの中で最強の魔法剣士になっていた。
彼は、両親にもこのゲームにログインするように願い、両親もその願いを聞いて他のゲーム機を貸してもらいログインした。
両親が見たものは、その世界の中で生き生きと、本当に楽しそうに生きている息子の姿だった。そして、彼の周囲にはたくさんの仲間達がいた。
拓人は満面の笑顔で両親にこう言った。
「父さん、母さん、本当にありがとう。この世界に出会えて、僕は本当に幸せだったよ」
やがて、最後の日が訪れた。
仲間たちと共に、魔王四天王の1人を見事に倒した直後、拓人はがっくりと地面に倒れ込んで、二度と立ち上がることはなかった。仲間の転移魔法で、両親が待つ家に帰り、両親の腕に抱かれて、拓人は幸せそうに微笑みながら天国に召された。
両親が慌ててログアウトし、病院に駆けつけた時、すでに拓人の生命維持装置は音を失くし、グラフもただ直線を記録するだけだった。
『やあ、よく来たな』
拓人は白い世界で意識を取り戻し、そんな声を聞いた。顔を上げて見ると、人の姿をした光の塊が彼の側に座っていた。
「ここは……天国? あなたは、もしかしなくても神様ですか?」
拓人にとって、アニメやゲームで神界や転生はおなじみだったので、戸惑うよりもワクワクする気持ちの方が強かった。
『うむ、まあそんなところじゃ。わしはこの辺りの宇宙を管理しておるティトラという者じゃ。それでじゃな……』
「へえ、神様も分業制なんですね? じゃあ、他にも神様がたくさんいらっしゃるんですか?」
『う、うむ、そういうことじゃ。それでな……』
「はい、転生ですよね? お願いします。できれば、魔法が使えて、冒険ができる世界がいいです」
ティトラ神は呆れたようにしばらく沈黙し、その間に拓人は独り言のように勝手にしゃべっていた。
「ああ、それと前世の記憶もできればそのままのほうがいいかな……あと、やっぱりチート能力ですよね。う~~ん、どんな能力がいいかなぁ……」
『おぬし、人の話を聞く気はあるかのう?』
神様の少し冷やかさを込めた言葉に、拓人はあっと小さな声を上げて、しおらしく頭を下げた。
「すみません。嬉しくて浮かれちゃいました」
『ふむ、まあ喜んでくれるのはありがたいが……よいか、少し説明するのでしっかり聞くのじゃ』
「はい、分かりました」
拓人がしっかり頷くと、ティトラ神はようやくほっとしたように穏やかな声で語り始めた。
大賢者と弟子と神様と 2
『まず、この神界に招かれるのは特別な魂だけじゃ。普通は、1つ下の天界で魂の浄化を受けた後、その結果によっていくつかの輪廻の輪の中へ入ってゆく。そして、再び地上の生き物に生まれ変わる。ただし、前世の生き物と同じかどうかは前世の生き方次第じゃがのう……』
神の説明に拓人はふんふんと頷きながら聞いている。
「そうなんだ……でも、僕は何も特別なことはしてませんよ?」
ついついまた口を挟んでしまい、神の視線を感じて、拓人は慌てて口を押えて頭を下げた。
神はため息のようなものを漏らした後、説明を続ける。
『さて、おぬしのことじゃが……とある星に転生してもらい、我らの手伝いをしてもらいたいのじゃ』
「手伝い、ですか?」
『うむ。なに、難しいことではない。その星には、おぬしと同じ国で生まれた先輩が転生しておるのじゃが、その先輩が間違った道に進まぬよう監視してもらいたい。ただし、その者が明らかに道を踏み外したら、それを阻止し、場合によっては滅ぼしてもらうかもしれぬ』
ティトラ神の言葉に、拓人はしばし驚きに口をきけなかった。
『ああ、そう心配せんでも良いぞ。その者が道を踏み外す確率は極々小さいからのう。ただ、その者の持つ力は、その世界を滅ぼすのに十分な、強力なものじゃ。万が一のことを考えて、おぬしに、そのセーフティガード役をやってもらいたい。どうじゃ? やってくれるか?』
拓人はしばらく頭に手をかきながら考えていたが、やがて顔を上げた。
「えっと……とても難しそうなので、その……僕は出来れば自由に冒険しながら生きてみたいと……」
『ふむ、かまわぬぞ。要はその者といつでも接触できる関係を築くことと、その者を止められるだけの力を身に着けてくれればよいのじゃ。それに、おぬしを手助けしてくれる心強い保護者もおるのでな』
「保護者?」
『うむ。おぬしは親のいない特別な存在として転生する。じゃが、親代わりに世話をし、導いてくれる者がいる。その者に従ってやるべきことをやってもらえば、あとは自由に生きるがよいぞ』
拓人は人生経験が少なく、自分の置かれた立場を十分に吟味するすべを持たなかった。だが、転生してある程度自由に生きられることを神様が約束してくれたので、それ以上迷う理由も無かった。
「あの、もう1つだけお尋ねしていいですか?」
『うむ、何じゃな?』
「僕が転生する世界って、魔法が使えますか?」
『うむ、剣と魔法の世界じゃ』
「転生、お願いします」
こうして、天野拓人はプロボアの星に転生した。タクト・アマーノとして……。
転生したタクトに前世の記憶はなかった。神によると、前世の記憶を残すのは特別なことで、かなり面倒な事でもあるらしい。だからよほどのことがない限り、前世の記憶を残してやることはない、ということだ。
ただ、その代わりタクトにはスペシャルな能力が与えられていた。それが《全能魔法》というスキルだった。文字通り、すべての魔法に精通し、それが使えるという驚異的な能力だった。
「……ねえ、お師匠様、聞いてます?」
「ん? ああ、聞いている。彼の研究発表はそんなに面白かったのか?」
「うん。やっぱりブロワー先生はただ者じゃないね。まだ、全部の合成魔法は使えないみたいだけど、光属性と闇属性、それに無属性に対する考え方の方向は正しかった……」
タクトはそこまで言うと、起き上がり、クッションの上に座り直した。
「確かに、神様たちが警戒するのは分かるなぁ。でも、まあ魔法の打ち合いになったら、僕の方が上だね。ふふん……」
タクトがまた調子に乗り始めた。
「……いくらブロワー先生が頑張っても、生きている間にすべての属性の最上級魔法を獲得するのは無理でしょう? お師匠様だって、不老不死になってから300年以上経ってやっとすべての魔法が使えるようになったわけだし……普通の人間にはとうてい不可能なんじゃないかな。その点、僕は今でもすべての魔法が使えるわけだし……」
メサリウスは、タクトが年齢相応の無邪気さと世間知らずのために調子に乗りすぎていることを知っている。だが、彼が自信過剰になるだけの力を持っていることもまた事実だ。
(そろそろ、次の段階に進むべき時かもしれぬ……)
「タクトよ、ルート・ブロワーと戦うことを前提に考えているようだが、それはあくまでも万策が尽きた後の話だ。分かっておるか?」
師であり育ての親でもあるメサリウスの冷ややかな声に、拓人は一瞬口を開いたまま師の顔を見つめた。
「あ、はい、もちろんですよ。あはは……神様の言いつけは守ります。僕は、ブロワー先生の監視役、陰から協力もする、ですよね?」
「うむ、分かっておるならよい。それと、冬休みになったら、新たな修行を始める」
「おおっ……どんな修行ですか?」
「詳しいことは冬休みになってからだ。厳しい修行とだけ言っておく」
それを聞いて、タクトは嫌がるどころかむしろ楽し気に目を輝かせて頷いた。
「分かりました。ふふ……もっと強くなるためなら、頑張りますよ。ああ、でも、これ以上強くなったら、ますますブロワー先生との差が開いちゃいますね。んん……ま、いいか」
(タクトよ、その過剰な自信と油断がいかに危険なものか、それを身に染みて知るための修行だ……《全能魔法》は確かにすごい能力だ。もはや神に近いともいえるかもしれぬ。だがな、お前が使えるのはあくまで既存の魔法のすべてということだ。お前は、自分の力で新しい魔法を産み出したことがない。だから、既存にない魔法に出会った時、恐らくパニックになり、命を落とすことになるやもしれぬ……。
その既存にない魔法を産み出すことこそ《創造魔法》の恐ろしさであり、ルート・ブロワーの真の力なのだ。つまり、《全能魔法》より《創造魔法》が上位の能力なのだ。もちろん、それを使いこなせるかどうかは資質に依存するがな。ルート・ブロワーは恐らく、その資質が十分に備わっている……タクトよ、今のままでは、お前はルート・ブロワーには勝てぬということだ)
メサリウスは無邪気にぬいぐるみと遊んでいるタクトを眺めながら、心の中でつぶやいた。
「さて、メシにするか」
メサリウスは、何気なくそう言って立ち上がった。
「えっ? あ、あの、僕は……」
情けない顔で見つめる愛弟子に、ほとんど表情を変えたことがないメサリウスが思わず頬を緩めて微笑んだ。
「久しぶりに帰ってくる弟子のために、わざわざロックバードの卵と肉、角マグロまで取り寄せたのだ。無駄にするのは罪であろう?」
「っ! お師匠さまあ~~、大好きです~~、一生ついて行きます~~」
「うるさいっ」
「あああ、お師匠さま~~」
騒がしい師匠と弟子の声が次第に螺旋階段の下の方へ遠ざかっていった。
黒龍のダンジョンにて
「うぬうう……平民の分際で生意気な……」
ボース辺境伯領の領都グランバルドの貴族街の一角にある館の主、ラドロフ・コーエン子爵は窓の外をにらみつけながら吐き捨てた。
彼もこの国の多くの貴族同様、領地を持たない言わば〝お勤め貴族〟の1人である。そして、彼らが等しく切望しているのが「いつの日か大きな功績を上げて、領地を賜る」ことだった。
彼らの多くは大貴族の寄子になって、領地経営の経済・軍事面の官僚として働いている。よほどのことがない限り、大きな功績を上げる機会はなかった。
だから、1年前、降って湧いたように訪れた大きなチャンスに、コーエン子爵は内心の歓喜を隠せなかったものである。
そのチャンスとは、彼が経理を管轄する王立子女養成所ボース校に、ある《特別な生徒》が入学したことだった。なぜ特別かというと、実は、その生徒は伝説の《大賢者》の弟子だったからである。
神話の中の存在だった《大賢者》が実在することを証明したのは、他ならぬ彼の主人であるボース辺境伯だった。
1年前の夏の終わりのある日、伯爵は、領都の神殿の司祭から「ティトラ神のお告げ」があったという報告を受けた。そのお告げとは、
『本日、大賢者メサリウスとその弟子が領主の屋敷を訪れる。話を聞くように』というものだった。伯爵は半信半疑ながらも、予定を変更して執務室で待機していた。すると、昼近く警備の兵士が慌てふためいて報告に駆け込んできたのである。兵士が言うには、突然屋敷の上空に白い巨大なドラゴンが現れて、すぐに飛び去ったかと思えば、その去った後の空からフワフワと2人の人物が降りてきたという。
伯爵は慌てて屋敷を飛び出し、庭に立っていた2人の人物の前に走り寄った。そしてうやうやしい態度であいさつをし、屋敷の中へ招き入れたのである。
その後、コーエン子爵は伯爵の屋敷に呼び出され、1人の少年を紹介された。伯爵は少年の出自をありのままコーエン子爵に明かした。それだけ、子爵のことを信頼していたのだろう。そして、少年が訳あってボース校に入学すること、そのため、少年の生活面であらゆる援助や便宜を図ってやるように子爵に命じた。
伯爵は、少年とその保護者である大賢者が語った《極秘事項》については子爵にも話さなかったが、最後にこう厳命した。
「よいか、ラドルフ、タクト君は大切な使命を大賢者様から託されている。そして、今後王都の子女養成所のブロワー教授と深く関わることになるだろう。今年の王都の学園祭でブロワー教授はタクト君のことを初めて知ることになるだろう。教授が余計な警戒心を持たぬよう、ファングラウから伝えさせるのだ」
コーエン子爵はこの降って湧いたような重大任務に大張切りで取り組んだ。その結果が今回のファングラウ所長の失敗につながってしまったのである。
「も、申し訳ございません。私がもう少し言い方を考えればよかったのですが……」
ファングラウ男爵(所長)はコーエン子爵の腹心の部下である。青ざめた顔でうなだれる男爵に、子爵は首を何度か振ってから振り返った。
「もうよい。それより、タクト様のご機嫌は?」
「は、はい、大変喜んでおられました。ブロワー教授と話ができて揚げ菓子までもらったと」
「そうか……分かった。今後もタクト様のことはよろしく頼む」
コーエン子爵は良くも悪くも典型的な貴族だった。主や国への忠誠心が強く、命じられたことは全身全霊、それこそ命がけでやり遂げる使命感を持つ。だが、反面、貴族の優位性を信じて疑わない頑なな性格だった。
ファングラウ男爵が頭を下げて部屋を出て行った後、コーエン子爵は外出の準備をして、昼前に屋敷を出るととある場所へ向かった。
♢♢♢
学園祭が終わると、各地の王立子女養成所は3日間の休日となる。
ルートはその初日、リーナとジークとともに久しぶりにパーティを組んで《黒龍のダンジョン》に潜っていた。
商会本部の副支配人をベネット・ペンジリーに引き継いだジークは、この1週間近く、リーナや従魔のリム、ラム、シルフィーとともに嬉々として《黒龍のダンジョン》攻略に励んでいた。
「うん、やっぱりルートが一緒だとはかどるな。もう13階に到達だ」
「でも、けっこう強い魔物が出るんだね。気を引き締めて行かないと危ないかも」
「ん、ここから先は、罠も多くてややこしいのが増える。あたしが前を行く」
斥候役をリーナが引き受けて13階への階段を下り始めた。
《黒龍のダンジョン》については、リーナとジークが綿密な情報を集めてくれていたし、ギルドが地図を販売(かなり高価だったが)していたので、攻略済みの36階層までは迷うことはない。ただ、深層に進むほど現れる魔物は強くなり、罠も手の込んだ物になっていた。今の所、何階層まであるのか分かっていないが、50階層くらいはありそうだというもっぱらの噂だった。
今回ルートたちが目指すのは30階層だ。休みは3日なのでダンジョン内で1泊し、2日の夕方には帰る予定である。一応、従魔たちのレベルアップがメインの目的だったが、ルートにはリーナやジークには秘密のもう1つの目的があった。それは、18階の1つ目の階層ボス部屋を攻略し、宝箱をゲットすることだ。
ここの宝箱は情報によると、金貨の確率が高いが、時折質の良い宝石が入っていることがあるという。ルートが目指すのは、その宝石だ。
(お金で買うのもいいけど、ダンジョンボスを倒して得た宝石で作った婚約指輪なら、リーナももっと喜んでくれるはず)
そう、来月に迫った15歳の誕生日に、ルートは改めてリーナにプロポーズして、婚約指輪を贈ろうと心に決めていた。
「おっと、こいつは厄介な奴が出やがったな」
16階の途中に、地図には無かった大きな空洞があり、そこは魔物溜まりになっていた。ルートたちに先行していた2組のパーティが、協力して魔物たちと戦っていたが、すでにケガ人が数人出ていてかなり苦戦していた。
魔物の大半は武装したスケルトン兵だったが、そいつらを指揮しているのがぼろぼろの魔法使いのローブを着て杖を持ったスケルトン。おそらくスケルトンメイジだろう。禍々しい闇の魔力がその体から外に溢れ出ているのが、ルートの目にははっきり見えた。
2組のパーティ8人は、解析で見た所、全員まあまあのステータスで、おそらくDかCランクだろう。スケルトン兵くらいならさほど苦戦はしないはずだ。苦戦している原因は、やはり魔法使いによって統率された動きと、後方から飛んで来る魔法攻撃だろう。
「リーナ、ケガ人を安全な場所へ。ジーク、魔法を盾で防御して。リムとラムはスケルトンたちをやっつけてくれ」
「「了解」」。ピョンピョン。
ルートの指示で一斉に動き出す。
(あいつが進化したら〝リッチ〟になるのかな? そうなる前に倒さないと……)
ルートは気配遮断を発動しながら、壁沿いに素早くスケルトンメイジの近くへ移動していった。そして、解析でそいつを鑑定した。
《名前》 ダークスケルトンメイジ
《種族》 魔族
《性別》 ♂
《年齢》 ???
《職業》 ダンジョンマスターの眷属
《状態》 興奮
《ステータス》
レベル : 35
生命力 : 388
力 : 250
魔力 : 664
物理防御力: 182
魔法防御力: 358
知力 : 536
敏捷性 : 123
器用さ : 295
《スキル》 統率 Rnk4 闇属性魔法 Rnk5
魔法耐性 Rnk4 火属性魔法 Rnk4
威嚇 Rnk3 空間魔法 Rnk4
(やばっ……これ、ダンジョンボスクラスの強さじゃないか? シルフィー、向こう側へ飛んで行って奴の目を引き付けてくれ)
ルートは肩掛けバッグの中からシルフィーを呼び出すと、そう言って飛び立たせた。骸骨魔導士の黒い目がシルフィーを捉える。杖を向けて、魔法を放つ構えを見せた。
その隙をルートは逃さない。無詠唱で光魔法のセイントアローを放つ。
「っ!なにっ、魔法防御?」
ルートは驚きに思わず声を上げた。
6本の光の矢は確かに油断していた骸骨魔導士の頭に突き刺さったと思われた。しかし、その瞬間、まるで見えない障壁にぶつかったように光の矢は消滅してしまったのである。
(魔法耐性の効果……? いや、今のはまるで結界のような……結界、もしかして……)
ルートはVOMPを使って観察した。すると、骸骨魔導士の周囲を魔力のベールが覆っていることが分かった。やはり、何らかの結界が守っているらしい。
骸骨魔導士は、ルートの存在に気づき、主敵と見定めたようだった。杖を向けると、いきなりファイヤーアローを放ってきた。
もちろん、ルートは魔法と物理の防御結界を発動済みだ。普通の魔法では何の影響もない。
「リーナ……」
ルートは敵の方に注意を向けながら、スケルトン相手に無双しているリーナに呼びかけた。
「……奴は魔法の防御結界を掛けている。物理攻撃しか通じないようだ」
それだけで、リーナはルートの望みを理解した。
「ん、まかせて」
リーナはダガーを構え直すと、加速で一気に前方へ駆け出した。
ダンジョンボス 1
「ウガゥゥゥッ!」
リーナの神速の接近に対して、骸骨魔導士はまったく対応できなかった。リーナがダガーーを光のような速度で一閃しながら背後へと駆け抜ける。
ガキィィンッ……。
甲高い金属音が洞窟の中に響き渡った。それはリーナのダガーが何かと激しくぶつかり合った音に違いなかった。
(なっ! 物理防御も持っていたのか?)
「リーナ、大丈夫か?」
「ん、大丈夫。でも、こいつ固い。手が痺れた」
「うん、どうやら物理結界もあるらしい。僕が何とかするから、他の雑魚をお願い」
「ん、分かった」
リーナは頷くと、杖を向けて魔法を放とうとする骸骨魔導士から素早く逃れて、ジークの背後へ走り込んだ。
(う~ん、どうしたものか……っ! うん、よし、結界には結界を、だ)
ルートはふと思いついた策をさっそく実行してみることにした。イメージはごく単純である。〝骸骨魔導士を丸ごと結界に閉じ込めること〟だ。丸い透明なカプセルで魔物の周囲を囲み、それを魔法で実体化する。
「グガッ?」
ダークスケルトンメイジは、自分の周囲を突然強い魔力が覆ったのは気づいたが、それが何なのか理解できず、その場からとっさに逃げようとした、ができなかった。
「よし、この間に雑魚どもを……っと、ああ、もう終わったんだね」
30匹近くいた骸骨兵たちは、すでに仲間と従魔たちがあっという間に殲滅していた。
「お、おい、ルート、お前何をした?」
ジークは前方を見ながら、気味悪そうな顔で尋ねた。
そこには、横倒しになって何やら不快な声で騒いでいる骸骨魔導士がいた。ジークたちにもうっすらと丸い結界のボールが見えていた。
「ああ、そいつ魔法も物理攻撃も効かなかったから、とりあえず結界の中に閉じ込めておいた……ん? どうかしたの?」
ルートの答えに、ジークとリーナはぽかんと口を開けてルートを見ていたが、やがてため息を吐いてつぶやいた。
「まあ、ルートだからな……」
「ん、いつものこと……」
ルートは常々生徒たちに、『魔法で一番大事なのはイメージする力』だと教えていた。だが、それがなかなか伝わらないことに焦りも感じていた。イメージさえあれば、魔法で大抵のことはできる、とルートは信じていたが、実はそれは間違いだった。いや、正確に言うと間違いではなかったが、イメージをそのまま実現できるのは《創造魔法》の力によるところが大きかった。誰にでもできることではなかったのである。
「いよいよボスの部屋か……」
3人の行く手には大きな黒い扉が聳え立っていた。18階の1つ目のダンジョンボスの部屋である。ただし、扉の前には先行していた2組のパーティが順番待ちをしていた。ルートたちは彼らの後ろに並んで雑談を始めた。
「まったく、驚いたぜ。いきなり実体が消えて魔力の塊になるなんてなぁ」
ジークが言っているのは16階の骸骨魔導士のことである。あの後、結界に捕えた骸骨魔導士をどうしようかと相談していた時、その結界の中の骸骨魔導士がいきなり消え始め、黒紫色の魔力が充満し始めたのだ。しかも、内部の結界は消滅し、ルートが作った外側の結界もひびが入って魔力が外へ漏れ出してきたのだ。
ルートたちは慌てたが、よく見ると、内部にキラキラ光る紫色の魔石があった。ルートは素早くセイントアローの矢でその魔石を打ち砕いた。それですべては終わった。魔物が復活することはなく、魔力は空中に拡散して消えていった。
「ん、初めて見た。魔物って結局は魔力でできてるってこと?」
「うん、そういうことだね。ただし、それはダンジョンの中の魔物が特別ってことさ。外の世界の魔物は倒しても消えないし、骨や肉もちゃんとあるだろう? ダンジョンの魔物は、ダンジョンコアが魔力で計画的に創り出しているんだよ」
ルートの話になるほどと頷いているのは、ジークやリーナだけではなかった。ルートたちの前のパーティの5人のうち後ろの2人が、興味深そうにこちらを見て頷いていた。
「あの、ちょっといいですか?」
2人の内、黒い帽子を被りローブを着た魔法使いらしい赤毛の少女が、おずおずと声を掛けてきた。
「ああ、いいぜ、なんだい?」
一番近くのジークが返事をすると、少女はぺこりと頭を下げて3人を見回した。
「私、メールといいます。魔導士です。こっちはラビドで弓士。Cランクパーティ《青炎の剣》で後方支援をやっています。先ほどは、危ない所を助けていただきありがとうございました」
そう言って、2人は丁寧に頭を下げた。
「ああ、横からつい手を出してしまって、こちらこそ申し訳ない。僕たちは《時の旅人》、一応Bランクかな。このリーナだけはAランクだけどね。僕はルートで魔導士。こっちはジーク、盾役兼戦士。そして、リーナ、斥候だよ」
「やはり高ランクの方々だったんですね。先ほどお話されていたことが耳に入って来て、とても興味深かったので……すみません、盗み聞きのような真似をして」
冒険者にしては礼儀正しく、言葉遣いも丁寧な少女に、ルートたちは好感を抱いた。
「いや、気にしないでいいよ。聞こえるような声でしゃべっていた僕の責任だからね。それで、何か聞きたい事でも?」
ルートの問いに少女は目を輝かせながら頷いた。
「はい、あの、さっき16階の魔物を倒されるところを見ていたのですが……同じ魔法使いとして、とても興味深い魔法を使われていたので、よかったらお聞きしたいと……」
「ああ、あれね……ええっと、結界の応用みたいなものかな」
「け、結界っ?」
メールは思わず驚きの声を上げたが、そのために前の方のパーティの者たちまで、何事かと近づいて来た。
「あ、す、すみません、大きな声出して……あんまり驚いたもので……あ、あの、結界魔法が使えるんですか?」
ルートは以前、結界を作れる魔導士は少なく、宮廷魔導士でも数えるほどしかいないということを聞いていた。普段何気なく使っている魔法だけに、つい気軽に口にしたことを後悔した。
「う、うん、使えるけど……」
「おいおい、そんな与太話を仲間に吹き込むんじゃねえよ」
1人の大柄でいかつい顔の男が、剣呑な声色でルートたちの前に歩み寄って来た。恐らく、メールたちのパーティのリーダーなのだろう。
(あ~、やっぱりこんなテンプレ展開になるのか……)
ルートは心の中でため息を吐き、思わず苦笑した。
ところが、それを見た男はバカにされたと勘違いしたらしい。
「おい、なに笑ってやがる。さっきは、断りもなく手出ししやがって……まあ、助けになったから黙って見過ごしてやったが、本来なら規約違反でギルドに訴えていたところだ。分かっているのか?」
男の言葉に、ジークとリーナが殺気立つのが気配で分かった。
ルートは慌てて2人を手で制すると、男に向かって頭を下げた。
「申し訳ない。とっさに手を出してしまったのは僕の責任だ。ギルドに訴えてもらっても構わないよ」
「けっ……ちょっと魔法が使えるからって、調子に乗るんじゃねえよ」
男はそう言い捨てると、メールとラビドを促して去って行った。メールとラビドは申し訳なさそうな顔で何度も小さく頭を下げながら離れていった。
「ウウゥ……助けてもらったくせに、あの言い草……ムカつく……」
リーナが狼の唸り声を上げて相当おかんむりである。だが、ルートに何度か優しく頭から背中へかけて撫でられ、ようやくふうっとため息を吐いて怒りを収めた。
「ごめん、迷惑かけたね」
ルートが謝ると、2人は首を振って両側からルートの肩を抱きしめた。
「お前が謝ることはないさ。まあ、自分たちのふがいなさに対する怒りをこっちにぶつけたってところだろう。冒険者によくいるタイプだな」
「ん、弱い奴ほどよく吠える。ルートはよく我慢した。わたしももう少し我慢強くならないといけない。反省」
3人は顔を見合わせて、ようやく笑顔に戻る。
それからしばらく待っていると、前方の大扉が青白く光り始めた。扉が開かないということは、中で戦っていたパーティが全滅したか、あるいは途中で退場したかのどちらかである。
ほとんどのダンジョンのボス部屋は同じ仕組みになっている。つまり、1組のパーティが中に入ると扉が閉まり、決着がつくまで開くことはない。ボスが倒されると、扉が開き、ある一定の時間になるまでボスは再生されない。扉は開かれたままで次の階層への道も消えている。ボスが再生されると、再び扉が閉まる。その際、扉は魔力を帯びていろいろな色の光を放ち始めるのだ。そして、次のパーティが入ると、その光は消える。
つまり、扉が開かないまま光り始めるということは、ボスの討伐に失敗したということなのだ。
冒険者たちはダンジョン探索の必需品として、ダンジョンから抜け出すための転移魔法アイテム《シルフの羽》を携帯している。だから、ボス戦で危機に陥っても、このアイテムを使えば最低でも全滅は免れる。だが、中には無謀にもこのアイテムを持たずに挑戦したり、ボスがあまりに強くて(あるいはパーティが弱すぎて)、アイテムを使う前に全滅してしまうパーティも稀にいるのだ。
メールたちのパーティが扉を開いて中に入っていった。次が、いよいよルートたちの番である。まあ、1パーティおよそ15~20分で決着がつく。そんなに長く待つこともないだろう、と思っていたら、5分も経たないうちに扉が青白く光り始めた。
ルートたちは顔を見合わせて首を傾げた。一体どっちなのか。早々と討伐したのか、それとも……。3人は嫌な予感を抱きながら、頷き合って扉を一緒に開いていった。
ダンジョンボス 2
ボス部屋の中に入ると奥の祭壇のような場所に明かりが灯った。人の気配はなかったが、部屋の中央にどす黒い大量の血の跡が残っていた。
やはり、前のパーティは何らかの危機的状況に陥り、全滅したか、一部のメンバーだけで脱出したようだ。メールはCランクと言っていたので、ここのボスはかなり強い魔物に違いない。
「ん! ルート、ジーク、いた、あそこ……」
リーナが鋭い感知能力で敵の出現に気づいたらしい。薄暗い祭壇の上の方を見つめて身構えた。
「ほう、こいつは珍しいのが出てきたな」
「ああ、驚きだな……最初のボスにこれを出すか? でも、まあ、僕たちには……」
「ああ、相性は悪くない」
「ん、刻み殺す」
そいつは、天井の岩に紛れて擬態していたのだろう。しかし、間抜けなことに頭に被った金色の王冠を隠していなかった。まあ、祭壇に気を取られてうかつに近づいたパーティは、上からの急襲にやられたかもしれない。だが、感知能力に優れたリーナやルートには通用しなかった。
「グギャギャッ」
そいつは不快な笑い声のようなものを発しながら、ドスンと祭壇の前に飛び降りてきた。
《名前》 リザードキング
《種族》 魔族
《性別》 ♂
《年齢》 ???
《職業》 ダンジョンマスターの眷属
《状態》 興奮
《ステータス》
レベル : 40
生命力 : 655
力 : 312
魔力 : 487
物理防御力: 390
魔法防御力: 213
知力 : 226
敏捷性 : 188
器用さ : 285
《スキル》 統率 Rnk5 水属性魔法 Rnk5
物理耐性 Rnk4 闇属性魔法 Rnk4
槍術 Rnk5
威嚇 Rnk4
※ 竜神の加護 : 物理防御+100、水属性魔法の威力増加
「うおっ、こいつけっこう強いよ。物理耐性に竜神の加護も持っている。水魔法には気を付けて」
「「了解っ!」」
ルートの言葉に、ジークとリーナが頷いて、配置に着いた。
いつも通り、ジークが前面で盾役、リーナがその後ろで遊撃、ルートが後方からの魔法支援と回復である。
「グギャアアッ」
一声奇声を上げると、3m近いトカゲの化け物が、銀色に輝く巨大な十文字槍を振り回しながら走り出し、戦闘が開始された。
グガーンッ……
大きなドーム部屋に重々しい金属のぶつかり合う音が響き渡った。
「ぐっ、ぬううっ、どっせいいっ」
キングリザードの重い一撃を大楯で受け止めたジークは、ズズッと後退したが、物理と魔法の防御結界に守られ、ボーグが鍛えた特別製の盾のおかげで何の被害も受けなかった。そして、力比べならジークも負けていない。
槍を力任せに押し付けてくるリザードキングを、逆に押し返し、シールドバッシュを放つ。
「グワッ」
リザードキングの巨体が、浮き上がり、3mほど吹き飛ばされる。だが、何とか倒れるのを逃れてのけぞりながらも踏ん張った。
そこへ、リーナが神速で追い打ちをかける。
「のろまっ、そのまま倒れていなさい」
「ギャッ」
リーナのダガーの一撃は軽いが、特別製のダガーは魔物の固い鱗や外皮を切り裂いて、初めてのダメージを与えた。
そのダガーは、王都に来る前、ルートが彼女にプレゼントしたものだ。ルートが《合成》のスキルで鉄、ミスリル、アダマンタイトの合金を作り、ボーグが鍛成した逸品である。耐久性と切れ味を重視したが、何と言っても特徴は付与された特性だろう。ボーグはそれまで武具への特性を2つまでしか付与できなかったが、このダガーには3つの特性を付与することができた。ボーグにとって初めてのことであり、鍛冶師としての進化を確認した瞬間でもあった。
付与された特性は、回避+50、魔法防御・弱、そして物理貫通の3つである。中でもすごいのが「物理貫通」だ。どんなに硬い物でも、また物理攻撃耐性があっても、ダメージが与えられるという、腕力の弱いリーナにはありがたい特性なのだ。
さて、リーナの攻撃で仰向けに倒れたリザードキングは、慌てて体をひねって立ち上がろうとしたが、ルートがそれを許さなかった。
「アイスフィールド」
ルートの声とともに、リザードキングの周囲の地面が一瞬のうちに厚い氷に覆われる。リザードキングは四つん這いのまま手足を氷で拘束されてしまった。
「グギャアアァッ……ガアアア……」
頭や尻尾を必死に動かして何とか束縛から逃れようと暴れる魔物に、ジークとリーナが襲い掛かる。
ジークは尻尾の攻撃をかわしながらジャンプし、大きな背中に飛び乗り、その固い鱗とトゲトゲの武装に覆われた体に幅広のバスタードソードを叩きつける。
ジーナは魔物の周囲を目まぐるしく動き回りながら、皮膚の柔らかい喉や脇、間接部をダガーでめった切りにしていく。
「ゴアアアア……ギギャアアアア」
苦痛の叫びをあげるリザードキングは、苦し紛れに頭を激しく振り回しながら、ウォーターボムやスプラッシュなどの水属性魔法を口から吐き出し始めた。もちろんそれらがルートたちに当たることはなかったが、辺り一面が土砂降りのような状態になった。
「っ! むうっ……」
突然、魔物の横にいたリーナが呻きながら地面に膝をついた。
「どうした、リーナ、大丈夫か?」
ルートがリーナの異変に気づいたと同時に、ジークも呻き声を上げて魔物の背中から飛び降りた。
「ん? これは、闇属性の魔法か? 2人ともこっちへ早くっ」
ルートはウィンドボムで魔物をけん制しながら叫んだ。
リーナとジークがふらつきながらもなんとかルートの元まで帰ってくる。《解析》で2人の状態を確認すると、毒の他に麻痺、酩酊などの複数の状態異常に冒されていた。
ルートは2人に光属性の回復魔法セイントヒールを掛けて様子を見る。
「どう? 毒は消えたみたいだけど……」
「ん……まだ少し足が痺れているけど、気持ち悪さはなくなった」
「ああ、大丈夫だ、動けるぜ。しかし、ありゃ、何だったんだ? 毒耐性が効かないなんて」
2人はようやく息を吐きながら、険しい表情で、まだ喚き続けている魔物を見つめた。
「うん、今《解析》で見ているけど……やっぱり闇属性の魔法みたいだね。『ダークアノマリー』って言うらしい」
「聞いたことない」
「俺も初めて聞く魔法だな。まあ、とにかく早いとこ始末しようぜ」
ルートは頷いて、バッグから従魔たちを外に出した。
「よし、僕が光魔法であいつの闇魔法を打ち消すから、その後みんなで総攻撃だ……」
そう言ってから、一人一人に役割を指示する。
「ルートが大魔法で一気に消し去った方が早い」
リーナが面倒くさいという口ぶりでルートを見た。
「う、うん……あ、ほら、リムたちのレベルアップが目標だったし、あいつの魔石も欲しいし……」
ルートは、簡単に倒してしまうと宝箱の中身がしょぼくなるのではないか、という自分でもちょっと浅ましいかなと思う理由を隠して、何とか納得してもらう。
「じゃあ、行くか」
ジークの声とともに、ルートファミリーが一斉に魔物に襲い掛かっていく。
「セイントエリアッ」
ルートが上級光属性魔法を唱え、フィールド全体から闇属性魔法を完全に消滅させる。
「野郎、いい加減に……」
「くたばって……」
ポヨ~~ン!
「ピッ、ピ――ッ!」
スライムたちが魔物の口に張り付いて塞ぐと、後はタコ殴り状態である。いかにHPが高いキングリザードでも、5分ともたなかった。
「おお、魔石けっこう大きい」
キングリザードが黒い魔力の霧となって消滅すると、後には紫色の拳よりやや大きい魔石が落ちていた。リーナが拾ってルートに手渡す。
「ありがとう。うん、上質な魔石だ。お前たちも、よく頑張ったな」
ルートは魔石を受け取ってカバンに入れると、従魔たちにも声を掛けて撫でてやる。
「おい、ルート、あれ……」
ジークがにやりと笑みを浮かべながらルートの肩をつついた。
彼が指さす先には、祭壇の上に銀色に輝く宝箱があった。いよいよ、お目当てのお楽しみタイムである。
「じゃあ開けるよ」
ルート声に、ファミリー全員が目を輝かせて宝箱を見つめながら頷く。
ルートがおもむろに蓋を開いた。
「「おおっ」」、ピョンピョン、「ピ~~ッ」
中に入っていたのは、2つの青く透明な宝石だった。
(よしっ、当たりだっ! なになに……ほう、《水竜の涙》ね。ふむふむ……)
《水竜の涙》
※ 魔力を大量に含んだ酸化アルミニウムとチタンの化合物結晶。魔宝石の一種。
※ 武具やアクセサリーとして装備可能。身に着けると、水属性魔法耐性・中、魔力増加+120、体力回復速度増加・弱の効果が付与される。
めちゃくちゃすごい宝石だった。
ルートは改めて自分の運の強さに驚く。あとでしっぺ返しが来ないか、少々不安になった。
その後、ルートたちは予定通り30階層まで探索を終えた。途中、26階でハイオークの群れ12匹と遭遇した以外は、特に問題も無く無事に帰途に就いた。ハイオークの群れは、さすがにまともにやり合うとケガが心配だったので、ルートが合成魔法のブリザードで一気に氷漬けにした後、一匹ずつ叩き壊して魔石とドロップアイテムを回収するというやり方で処理した。
「なかなかの収穫だったな。今日は久々の宴会といかないか?」
ギルドで魔石やドロップアイテム、素材を買い取ってもらうと、全部で30万ベニーを越える収入があった。
「そうだね。ただし、あんまり飲み過ぎないでよね、義父(とう)さん?」
「お、おう、分かったぜ、義(む)息子(すこ)よ」
2人のおかしな会話に、リーナが思わずプッと吹き出す。
「あはは……よし、じゃあ、義息子に義娘よ、市場で買い出しだ、行くぞ」
照れて赤くなった顔を隠すように、ジークが2人の前に立って大股で歩き出す。
その後ろから、ルートとリーナは顔を見合わせてクスクス笑いながら手をつないで追いかけていくのだった。
貴族というものは
そこは、ボース辺境伯領の領都から少し離れた港町バウデス、その町で最も大きな商会の建物の中。その会長室で難しい顔で密談しているのは、スノーデン商会の会長レブロン・スノーデンとラドルフ・コーエン子爵だった。
「……ふむ、お話は分かりましたが……」
50歳を過ぎ、茶髪の所々に白い毛が混じり始めた背の高いたくましい体つきの男が、顎の下で手を組みながら言葉を切った。頭の中では、貴族とのつながりと商売上の損得を天秤にかけて目まぐるしく計算しているのだろう。
「奴の商会にダメージを与えられれば、お前の商会にも相応の利益があるだろう? それに、ブライズ連合国との優先交易権は以前からの願いだったではないか」
コーエン子爵は、何を悩むことがあるのかという上から目線でしかものを考えられない。
「そう簡単な話ではないのですよ……」
スノーデンはそう言って小さなため息を吐くと、おもむろに立ち上がって窓の方へ歩み寄る。
「……タイムズ商会は、今やこの国で五指に入る大商会です。下手をすると、その大商会との戦争になる。そんなリスクを避けながら立ち回るとなると、相応の計画と莫大な資金が必要になります……時間が必要です」
「……よかろう。多少時間はかかっても良い。とにかく、あの生意気な平民の小僧に痛い思いをさせらるならな」
「なぜ、そこまで彼を? いや、理由は聞きますまい。ただ、私の知る限りでは、彼はガルニア侯爵や王室とも良好な関係を築いております。少しでも計画が外部に気づかれそうになったときは、即座に手を引かせていただきます。そこは事前にご了解いただきたい」
「ふん……仕上げはこちらでやる。せいぜい足がつかぬようにやってくれ」
コーエン子爵はそう言うと、立ち上がって帽子を被りながらドアの方へ歩いていく。
子爵が部屋を出て行った後、スノーデンは大きなため息を吐いて自分の椅子に座り込んだ。もともと男爵家の次男である彼は、貴族というものがどんな人種か身に染みて知っている。そして、平民になった自分の無力さも嫌と言うほど理解していた。
彼は、しかたなく手近にあるメモ用紙を引き寄せると、力ない手でペンを握り、何かを書き始める。それは、夕闇が部屋の中を覆い、メイドが夕食の時間を知らせに来るまで続けられた。
それから10日ほどが過ぎた頃、タイムズ商会の王都支店の店長室で、ベネット・ペンジリーは資料を見つめながら、険しい表情で机を指で叩いていた。
やがて、彼は資料を机に放り投げると、椅子に掛かっていた上着を手に、急いで部屋の外へ出て行った。
「ちょっと出かけてくる。帰りは遅くなるかもしれないから、閉店後は鍵を閉めて帰ってくれ」
副店長にそう言い置いて、彼は厳しい表情のまま、店の外へ出て行った。
20分後、彼の姿は王都の郊外に建つ大きな屋敷の門の前にあった。頑丈な鉄の門の両側に立っている2mを越える石のゴーレムに向かって、彼は帽子を取りながら丁寧な口調で語りかけた。
「タイムズ商会王都支店のペンジリーです。バハード顧問にお取次ぎをお願いします」
それに対して2体のゴーレムは、手を胸に当てて頭を下げた後、左側のゴーレムが門を開いて中に入るように手を動かした。
いつもながらすごい魔法技術だな、と感心しながらペンジリーは礼を言って門の中へ入っていく。
広い庭の中の石畳の通路を歩いていると、屋敷の入り口が開いて中から長身の男とお腹のふくらみが少し目立ち始めた夫人が迎えに出てきた。
「ベネットさん、ようこそ。おひさしぶりね」
「よお、ベネット、珍しいな」
「大奥様、バハード顧問、ご無沙汰いたしております」
「まあ、忙しいから仕方ないさ。俺が仕事を押し付けてしまってすまないな」
「いえいえ、滅相もございません。大役をお任せいただいて見に余る光栄だと思っております」
今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの大商会の副会頭が、平身低頭であいさつをする。
「さあさあ、入って。あなた、書斎の方がいいかしら?」
妻ミーシャの問いに、ジークはペンジリーの方を見てから頷いた。
「そうだな。ベネット、急ぐのか?」
副会頭直々に、しかも1人でここへ来たことから、ジークはよほど急ぎの案件だろうと推測した。
「はい。ですが、よければ会頭に直接お話した方が良いと思います。お帰りを待たせていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ。じゃあ、それまで俺が簡単に話を聞いておこう」
「じゃあ、夕食も一緒でいいわね。ゆっくりしていってね」
「きょ、恐縮です。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
ぺこぺこと頭を下げるベネットの肩を叩いて、ジークは二階の書斎へ彼を連れて行った。
「大奥様のご出産は、2月の中頃でしたか?」
「ああ、その頃だな。あはは……この俺が父親だぜ? 自分でも信じられないよ」
2人は談笑しながら部屋の中へ入っていく。
「それで……何があったんだ?」
ソファに向かい合って座ると、さっそくジークが尋ねた。
「はい。実は、ここ一週間で、乳液の原料である大豆油、テンサイ糖、香料用の生花などが軒並み品薄で値上がりしております。それも、急激な上がり方でして……幸い、蜂の巣や薬草などは自家生産なので影響はありませんが……」
「ふむ、つまり、その値上がりの仕方が普通ではない、ということだな?」
ペンジリーは深刻な顔で頷いた。
「はい。原因を調査しましたところ、生産地では特に不作やトラブルが発生した形跡はありません。それで、詳しく調べたところ、いくつかの商会が大量にこれらの品を買い付けておりました」
「ほう……他の商会も乳液作りに手を出し始めたってことか?」
ジークの言葉にペンジリーは小さく首を振った。
「いいえ。わが商会の乳液製法は、レシピがあっても簡単に真似できるようなものではありません。しかも、大量に買い付けた商会のほとんどは、化粧品とは無関係な物品をこれまで扱ってきております」
「ふうむ……確かにおかしいな。そのいくつかの商会が共同出資して、新しい工房を作ったとか……」
「今の所、そういう情報は上がってきておりませんが、あり得る話ではあります。ただし、その場合、会頭に匹敵する錬金術士がいるということが前提ですが……」
確かにペンジリーが言う通りだ、とジークも頷く。乳液に使う乳化剤の生成や生花から香料を取り出す方法などは、確かに商業ギルドに特許申請してあり、一定の特許料を払えばレシピを買い取ることができる。しかし、そのレシピに書かれているたくさんの複雑な魔法陣は、解読することも困難なら発動させることはさらに困難なものであった。つまり、ルート並みの知識と魔力操作技術がなければ不可能なレシピなのである。
「そうなると、そいつらがやっていることは謎だな……嫌がらせ、か?」
ペンジリーは真剣な顔で頷いた。
「それが一番納得できる答えです。しかし、彼らにどんなメリットがあるのか、さっぱり分からないもので……会頭にお尋ねすれば、何か手がかりが掴めるのではないかと……」
「ああ、そうだな」
2人はそれから熱心に対策を話し合いながら、ルートの帰りを待った。
さて、今回の事件は、やがてルートが本格的にこの世界の政治の仕組みやシステムそのものに関わる発端となったのだが、肝心の首謀者であるコーエン子爵にはそもそもそんな大事になるという自覚はなかった。
彼はただ、貴族としてのプライドを傷つけた〝平民〟に、お仕置きをして身の程をわきまえさせようと考えただけである。ただし、貴族社会の厄介事も十分知っている彼は、法に触れたり、腹を探られたりしないように極力用心深く行動した。そういうところへの努力は惜しまないのが貴族だった。
しかし、彼は決定的なミスを犯していることに気づかなかった。貴族至上主義の彼には、単なる〝平民〟にしか見えないルート・ブロワーの力が、理解できるはずもなかったのである。
波紋
「へえ、そんなことが起きてたんだ……」
学園の仕事を終えて帰って来たルートは、さっそくペンジリーとジークから報告を聞いた後、まるで他人事のような感想を口にした。
「おい、ルート、いいのか? このままじゃ……」
ジークが心配になって咎めたが、ルートはにこりと微笑んで答えた。
「ああ、乳液のことなら心配しなくていいよ。油は大豆油以外の物でも代用できるし、香りは今まで北のラベンダーを使っていたけど、リンドバル辺境伯から自分のところのバラもぜひ使ってくれと頼まれていたんだ。バラの香りを新製品として使えばいいだろう? ただ……」
ルートはそこで顎に手をやって、にやりと笑みを浮かべながら続けた。
「そのいくつかの商会がどんな目的で買い占めているのかは、気になるね」
彼はそう言ってから、じっとテーブルを見つめて考えていたが、やがて顔を上げてペンジリーに目を向けた。
「ベネットさん、2つお願いできますか?」
「はい、何なりと」
「ええっと、1つは、大豆油の代わりになるバターや生クリームの生産を増やして、乳液工場へ回し、大豆油の不足分を賄うように指示してください。バターや生クリームから乳化剤を生成する生産ラインは、2、3日中に僕が工場へ行って作りますので。
それと、2つ目ですが、買い占めをやっている商会の《共通点》を調べてください。きっと何か出てくるはずです」
ペンジリーの目がランプの光にキラキラと輝いている。欲しい答えとともに、自分の得意とする調査分析の方向を示してもらったことで、ぱっと展望が開けたように感じた。
「分かりました。お任せください。……香料はバラにそのまま切り替えればよろしいのですね?」
「ああ、はい、そのままで大丈夫です。リンドバル支店への連絡だけお願いします」
「よし、じゃあ俺も久しぶりに商会の仕事を手伝うか。ベネット、何でも用事を言いつけてくれ」
「助かります。じゃあ、調査の方をジェミーたちと手分けしてお願いします」
《タイムズ商会》の首脳たちが、密かに動き出した。
「あら、この乳液、容器が変わったのね?」
「はい、容器だけではございませんよ。どうぞ、蓋を取って匂いをお確かめください」
「んん……とても優雅な香り。バラかしら?」
「はい、新製品のバラの香りのクリーム乳液です。よりお肌のしっとり感がアップいたしました」
王都の《タイムズ商会》は、今日も朝からたくさんのお客が押し寄せ、大盛況だった。一階の日用雑貨、ドラッグ、武具売り場、2階のスイーツ売り場とカフェ、そして3階のフードコート、どの売り場にも貴族や平民が分け隔てなく商品を見て回っている。
時折、体がぶつかったとかで貴族が怒鳴り始める場面もあるが、すぐに店員が駆け寄って来て、トラブルを仲裁する。タイムズ商会で務めるにあたり、まず研修を受けるのが、こうしたトラブルへの対応術だった。
基本、タイムズ商会では貴族も平民も同じお客として分け隔てしない。それは、各地の支店でも徹底して貫かれている最も大切な方針の1つだ。だから、それを気に食わない、わがままを通そうとする貴族の客は店から出て行ってもらう。そのため、何度か嫌がらせや中傷を受けたことはあるが、それに妥協や謝罪をすることはなかった。去る者は追わず、来る者は拒まず、暴力には暴力で対抗した。やがて、「この商会には下手に手を出すべからず」という貴族の間での暗黙の了解が生まれた。その過程には、王都の子女養成所に通う貴族の子女たちの陰からの応援があったことは言うまでもない。
同じ日、ボース辺境伯領の領都グランバルドの大通りにある《タイムズ商会》グランバルド支店。この日、店を訪れた女性客の多くは、一階のドラッグ売り場の一角に貼られた広告の前で嘆きの声を上げていた。
『お客様各位へ。
長らくご愛用いただいておりました本商会の《スキン乳液》及び《洗顔用石鹸》は、原材料の不足と急激な値上がりのため、生産することができなくなり、誠に遺憾ながら販売を中止することになりました。ご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解のほど、よろしくお願いいたします。
タイムズ商会会長 ルート・ブロワー』
女性客たちが悲鳴に近い声を上げて騒いでいる傍らで、ソフト帽を目深に被った貴族らしき男が、柱の陰でこらえきれないように口を押えて笑い声を漏らしていた。
「くっくっく……よくやったぞ、スノーデン」
その男は柱の陰から出ると、騒いでいる女性たちの背後へゆっくりと歩いていった。
(では、仕上げといこうか。ふふふ……)
男は軽く咳ばらいをすると、フロアー中に聞こえる声で叫び始めた。
「ああ、何ということだ。いきなり販売中止とは……どこの店でも、販売を中止する前には、在庫の処分をするはず。それもなしにいきなりとは、納得できん。責任者、責任者を出したまえ」
それを聞いた一部の、恐らくはその男の協力者と思われる貴族の婦人たちが、口々に叫び出した。
「ああ、そうですわ。きっと在庫があるはずよ」
「ええ、本当ですわ。あるなら出すべきです。皆さん、そうお思いですわよね?」
婦人たちの声に、賛同する声が続いた。
「皆様、お静かにお願いします。私はこのフロワーの責任者、シェーラ・アルバスです」
ドラッグ売り場レジの奥から、30代前半の背の高い女性が出てきて落ち着いた声で客たちに呼びかけた。
「おお、君が責任者か。我々は遠くからわざわざ買いに来ているのだ。在庫品が少しでもあるなら、売るべきではないか?」
男の言葉に、女性責任者は丁寧に頭を下げてから、淀みのない口調で答えた。
「大変申し訳ございません。販売中止は会長命令ですので、ご要望にはお応えできかねます」
「ふふ……かまわん、在庫があるなら出してもらおう。私はラドルフ・コーエン子爵だ。たかが平民出の会長に拒否する権利などない。さあ、早く持ってきたまえ」
男は身分を明かして、女性責任者に詰め寄ったが、シェーラ・アルバスは毅然とした口調で答えた。
「お言葉ですが、我が商会ではお客様を身分によって差別することはございません。どうぞ、お引き取りを」
(ふははは……そうだ、その言葉が聞きたかったのだよ)
コーエン子爵は心の中で狂喜しながらも、演技を続けて大げさに叫んだ。
「な、何と……貴族の御婦人方、お聞きになりましたか? この店は、はっきりと貴族なんぞ、歯牙にもかけぬと言いましたぞ」
決してそこまではシェーラも言っていないのだが、近くにいた協力者である何人かの婦人たちも驚いたように口々に叫んだ。
「ええ、ええ、はっきりとこの耳で聞きましたわ。何という無礼なお店でしょうか」
「これは、他の貴族の奥様方にもお話しないといけませんわね」
彼女たち以外の客たちは、むしろさっきから引き気味で、その場から離れていく者たちも多かった。
結局、コーエン子爵とその協力者たちは、その後もしばらく店や商会そのものを中傷する言葉をまくし立てた後、ようやく引き上げていった。
「何、タイムズ商会が、私をないがしろにしただと? どういうことだ?」
王都にある別宅で、領都からの使いの者からの報告を聞いていたボース辺境伯は、怪訝な顔で使いの文官を問い詰めた。
「は、はっ、タイムズ商会の者が、この領内の貴族には品物は売らないと申したそうでございます」
辺境伯は、それを聞いてますます険しい顔になって顎に手をやった。
彼は、ルートとはラニト帝国との戦争において共に戦ったし、王城でも何度も顔を合わせ話もした周知の間柄である。彼が会長を務める商会が、そんな理不尽なことをするとは、とうてい思えなかった。
「誰がそのことを聞いたのだ?」
「はっ、コーエン子爵様です」
「ふむ……分かった。下がって良い」
文官が退出すると、辺境伯はしばらく考えてから1通の手紙を書き始めた。
異世界が発展しない理由 1
王都の街に冬の訪れを告げる冷たい西風が吹き始めた11月の第3週のある日、学園のルートの研究室に、1通の手紙が届けられた。差出人はボース辺境伯だった。
ルートは予想通りと言った顔で手紙の封を切り、中味を読み始めた。
2日後、ルートは教師になって初めて午後から公休を取って、とある場所へ出かけて行った。
「王立子女養成所のブロワーです。ボース辺境伯様にお会いするために参りました」
「はっ、伺っております。どうぞ、お通り下さい」
ルートが向かった先は、辺境伯の王都屋敷ではなく、王城であった。
なぜ、辺境伯が自分の屋敷ではなく、王城へルートを招いたのか、ルートには何となく察しがついていた。
広場を抜けて内門への階段を上っていくと、門の脇に王の侍従長であるセルバン男爵が立っていた。
「ルート様、よくおいで下さいました」
「お久しぶりです、セルバンさん」
顔なじみの侍従長は、にこやかにルートを出迎え、王城の中へ案内していく。男爵はもう70歳を越えているはずだが、ピンと背筋が伸び、歩き方もかくしゃくとしている。かつては騎士として武勇でならしたのも伊達ではない。
2人はなごやかに雑談しながら、2階の奥にある王の執務室まで歩いていった。
「ブロワー教授がおいでになりました」
執務室のドアをノックして、セルバン男爵が中に声を掛ける。
「うむ。入ってくれ」
王が返事をし、男爵がドアを開けてルートを中へ入れた。
「どうぞ、中へ。ただ今お茶をお持ちします」
ルートは男爵に礼を言って部屋の中へ入っていく。
「ルート、仕事中に呼び出してすまなかったな」
執務室のソファには、オリアス王とボース辺境伯が向かい合って座っていた。
「そうですね。午後の授業の生徒たちにはすまないことをしました」
「あははは……相変わらず手厳しいな。まあ、こちらへ来て座ってくれ」
王はいつもの如く、家族に対するようにリラックスした様子だったが、ボース辺境伯の表情は硬く、かなり緊張しているようだった。
ルートは、2人の間にあるもう1つの横幅の狭いソファに腰を下ろした。
「さて、さっそく要件に入ろうと思うが、イアン、よいか?」
王は辺境伯に向かってそう問いかけた。
ボース辺境伯は頷くと、ルートの方へ向き直って言葉を選ぶようにしながらこう語った。
「ルート殿、実は一週間ほど前、領地から報告があってな、ルート殿の《タイムズ商会》が、我が領内の貴族には一部の商品を売らぬ、と言っておるというものであった。私は、何かの間違いだろうと思い、密かに調べさせたのだ。そこから、思いがけない事実がいろいろと出てきてな……」
辺境伯は、そこで言いにくそうにいったん言葉を切った。
ルートは、やはりその話かと頷き、話を始めようとしたが、その前に辺境伯が不意に話の方向を変えてルートに問い掛けた。
「ルート殿、先月の学園祭の折、わが校のファングラウ所長と話をしたと思うが、その時の内容は覚えておられるか?」
「ああ、はい、覚えています。確かアマーノ君のことで、ファングラウ男爵が、彼が今後僕に接触してくるので、いろいろ便宜を図ってほしいと。ただし、彼については一切詮索するなとおっしゃいましたね。あまりにも怪しい内容だったので、つい、『今後、彼に対して最大限の警戒をするつもりだ』と返事をしました。
男爵は、辺境伯様からの命令だとおっしゃっていましたが?」
ルートの答えに、辺境伯は思わず頭を抱えてため息を吐いた。
「はああ……やはりそうか……」
辺境伯はそうつぶやいた後、顔を上げてルートに向かって頭を下げた。
「すまぬ、ルート殿。今回の騒動はすべて私の言葉が足りなかったことが原因だ」
「えっ? あ、いや、どうか頭を上げてください。よく分からないので、説明していただいていいですか?」
ルートが慌ててそう言うと、辺境伯は頷いて話を始めた。それは簡単に言うと、以下のような内容だった。
辺境伯は、領都からの報告を聞いた後、手紙で側近に報告の内容を詳しく調査するように命じた。その結果、《タイムズ商会》が、領内で「乳液」と「洗顔石鹼」を売らないというのは事実だった。だが、報告にあった「貴族を狙い撃ちにする」ようなものではなく、原材料の不足によりやむなく販売中止になったというものだった。
さらに、辺境伯に今回の報告をさせたコーエン子爵が、どうやら自ら商会に赴いて抗議したこと、奥方の友人の2人の貴族の夫人に、一緒に商会へ行くように依頼したことなどが明らかになった。
辺境伯は、なぜコーエン子爵がそこまでの行動を起こしたのか、理解できなかったので、子爵を直接王都へ召喚し、理由を問い詰めた。すると、彼はこう言ったという。
『ブロワーという男は不遜で危険な人物です。彼はファングラウにはっきりと、タクト様に対して最大限の警戒をする、と言ったそうです。つまり、辺境伯様のご意向にあからさまに逆らうと宣言したのです。これは放置できないと考えました』
「……コーエンが行き過ぎた行動をとったのは事実だ。だが、元はと言えば、私がファングラウに指示した時の言葉が原因であった。タイムズ商会には多大な迷惑をかけた、すまぬ」
そう話し終えて、改めて謝る辺境伯に、ルートは首を振った後こう言った。
「なるほど。おかげで、根元にあるものが見えてきました……これをご覧ください」
ルートはそう言うと、カバンから2組の紙束の資料を取り出して、王と伯爵に手渡した。
「それは、王都の商会の調査員による調査報告です」
王と辺境伯は資料に目を通していたが、最後のページにある《まとめと推測》を読んで、驚いたようにルートに目を向けた。
「ご覧になった通り、原料の買い占めを行った3つの商会は、すべて辺境伯様の領都にあるスノーデン商会から頼まれて買い占めを行っていたことが分かりました。ただし、スノーデン商会がなぜそんなことをしたのか、目的は分かりませんでした。でも、今の辺境伯様のお話を聞いて、謎が解けました。
《まとめと推測》に書かれているように、恐らくスノーデン商会に依頼した人物がいる。そして、その人物は、僕か商会に対して恨みを抱いている。この2つは当たっていたようです……」
「何ということだ……すべてコーエンが仕組んだ、ルート殿を陥れるための自作自演だったということか……何と言うことだ……信頼していた部下だったのに……」
辺境伯は再び頭を抱えて蹲ってしまった。
「ルートよ、事情は理解した。ただ……決してイアンに悪気があったわけではない。そこは分かってやってくれ」
王の言葉に、ルートは首を振ると、やりきれないような表情で小さなため息を吐いた。
「もちろん、分かっています。ただ、根本的な原因は他にあると思っています……まあ、今はそのことは置いておきましょう」
ルートはそう言うと、傷心の辺境伯をいたわるように声を掛けた。
「辺境伯様、今回のことは、僕も首謀者を引っ張り出すためとはいえ、少しやり過ぎたと思っています。《乳液》と《洗顔石鹸》は、来週から普通どおりの値段で販売を再開します。1つお聞かせいただきたいのですが、元々の原因である、アマーノ君のことについて、なぜそこまで情報制限をなさるのか、できる範囲でかまいません、教えていただけませんか?」
異世界が発展しない理由 2
ルートの問いに、辺境伯に代わって王が答えた。
「うむ。そのことも伝えようと、こうしてきてもらったのじゃよ」
その言葉を引き継ぐように、ボース辺境伯が続けて語った。
「実は、アマーノ君を必要以上に警戒しないようルート殿に伝えてくれ、と私に頼まれたのは、アマーノ君の保護者のお方でな……そして、そのお方は、自分のことはルート殿に明かしても構わないとおっしゃった。ただ、そうは言われてもな、簡単にそのお方のことを明かしてよいものかと、迷ったあげく陛下にご相談したのだ」
「うむ。わしもイアンからその話を聞いたときは信じられなかった。そして、これは簡単に明かすべきことではないと思い、イアンに秘密にするよう命じたのじゃ。今回の原因と言うなら、わしのその判断であったかもしれぬ」
王は申し訳なさそうに、ルートを見つめながらそう言った。
「……つまり、タクト君の保護者は、陛下でさえも口にされるのもはばかられるほどのお方ということですか?」
ルートの問いに、王はしっかりと頷いた。
「うむ、そういうことじゃ……なにしろ、神話や伝説の中の存在じゃからのう」
「し、神話や伝説?」
これにはさすがのルートも驚かざるを得ない。
王は頷くと、少し間を置いてルートを見つめながら言った。
「そのお方は、《大賢者メサリウス》様なのじゃ」
ルートは思わずあっと声を上げたまま、呆然となった。
もちろん、ルートはその名前を知っている。ただし、それは創世伝説よりさらに古い神代の物語に出てくる名前であり、神々と人間との関りを教えるための寓話、おとぎ話と考えられているものの中に出てくる名前だったのだ。
「……それは、確かなことですか?」
「ああ、疑問を持つのも当然じゃ。だが、イアンの話を聞けば、真実であると信じざるを得ないだろう……」
王に促されて、ボース辺境伯は、1年半前の祭司の神託のこと、メサリウスとタクトがドラゴンに騎乗して現れたこと、などを語った。ただし、メサリウスが絶対に秘密だと釘を刺していた〝タクトが神から託された使命〟については黙っていた。
「分かりました。確かに信じざるを得ないようですね。だとすると、大賢者様は、タクト君を通して何か僕に用事があるのか、それとも、タクト君の使命にとって僕が邪魔なのか、利用したいのか……その辺りは何か聞いておられませんか?」
ルートの何もかも見通したような鋭い質問に、ボース辺境伯は必死にポーカーフェイスを維持しながら、首を振った。
「いや、そこまでは聞いていない。だが、自分のことを明かしてもよいと言っておられるのだから、ルート殿に害を及ぼすようなお考えはないと考えてよいのではないかな」
事情を知っている王も、辺境伯の言葉に頷き、彼を擁護するように言った。
「うむ。わしも心配するには及ばぬと思うぞ。恐らく、タクト・アマーノというたぐいまれな天才をご自分の後継者に育てたいのではないか? そのために、ルート、お主の力添えを願っておられるのだと思うぞ」
確かに、話を聞く限りでは王の考えが一番納得いくものであった。
しかし、ルートの考えは少し違った。だが、この場では王と辺境伯に話を合わせておく方がいいだろう。
「なるほど。それなら、僕も協力は惜しみません。そうお伝えください」
ルートの言葉に、王と辺境伯の顔にようやくほっとしたような笑みが浮かんだ。
♢♢♢
「ふむ、やはりそうであったか……」
学園に帰ったルートは、その足でリーフベル所長のもとを訪れ、これまでのいきさつと王城での話を語った。
それを興味深げに頷きながら聞いていたハイエルフの大魔導士は、開口一番、感慨深い様子で言った。
「……学園祭の打ち上げの折、お前と話をしたが、その時は確信を持てなかった。じゃが、恐らく《大賢者メサリウス》ではないかと、推測はしておったのじゃ」
「もし、本当にそうだとすると、大賢者は不老不死の存在なのですか?」
ルートの問いにリーフベルは頷いた。
「伝説によると、メサリウスは人間たちに魔法というものの存在と使い方を教えた後、神の世界に迎えられ、生きながら神になったと言われておる。真偽のほどは定かではないが、それが本当であるなら、神になったというより、〝不滅の肉体〟を手に入れたと言う方が分かりやすいであろうな……」
「どう違うんですか?」
ルートは首を傾げながら尋ねた。
リーフベルはテーブルの上に上がると、ルートの前に立って講義を始めた。
「人間は神にはなれぬ。これは絶対じゃ。そもそも神と人間は全く別の存在なのじゃ。だが、メサリウスは不老不死の存在となった。とすれば、肉体そのものを不老不死のものに換えたということになる。ルートよ、お前も実際に不老不死の存在を何度も見たことがあるはずじゃ……」
そう言われて、ルートは顎に手を当てながら懸命に考え始める。
「何度も見たことがある?……」
リーフベルはいかにも楽し気にルートが苦悶する様子を眺めている。
(何度も見たことがある、特別な存在か……魔物かな? でも、ゴブリンやオークは成長し、年老いていく。アンデッドはある意味不老不死だけど……)
ルートは低く唸りながら考え続け、そしてクラウスやジャスミンのことを思い浮かべた時、閃いた。
「……っ! もしかして、ダンジョンの魔物、ですか?」
ルートの答えにリーフベルは満足げな笑顔を見せて、エルフの喜びの舞を始める。すると、空中から美しい光の花びらが降り注ぎ始めた。
「その通りじゃ。ダンジョンの魔物は討伐されなければ、そのまま永久に存在し続ける。それは、彼らが『魔素そのもので造られた存在』だからじゃ。つまり、魔素で造った不老不滅の肉体に、己の魂を移し込んだ存在、それが大賢者メサリウスじゃ。そして、我々はこれを《ホムンクルス》と呼ぶ……」
「っ! ホムンクルス……」
ルートはその訳語を聞いて、前世で読んだラノベやゲームに出てくる狂った錬金術師を思い浮かべた。人間の素材を使って造り出された〝不完全な人造人間〟、それがルートのホムンクルスのイメージだった。
地球の科学を学んだルートからすれば、まず不老不死というのは絶対に不可能なこと、生きとし生けるものは必ず死を迎える、というのが生命に対する前提条件だった。
そもそも、いくら魔法の力で不老不死の肉体を造ろうと、そこに寿命がある《脳》を移植して意味があるのか? リーフベル先生は、《魂》を移し込む、と言ったが、《魂》とはいったい何なのか。
次から次に湧き上がる疑問に、ルートは眉間にしわを寄せて考え込んでいた。
「……問題は、なぜ、大賢者がわざわざタクトという少年の保護者になり、ルートと接触しようとしているか、ということじゃ」
ルートから見ると、こちらもほとんど不老不死と思えるハイエルフの大魔導士が、窓の外に目をやりながらつぶやいた。
異世界が発展しない理由 3
なぜ、大賢者がタクトを通してルートと接触してきたのか、その理由はルートにも分からなかった。ただ、はっきりと感じられることはあった。
「メサリウスさんの意図は分かりません。でも、間違いなく神様が関わっているでしょうね」
ルートはそう言いながら、神の意図について推理を深めていった。
「ふむ、まあ間違いなかろうのう……やれやれ、ビオラにドラト、今度はタクトにメサリウスか。まあ、次から次へと、神も厄介事を押し付けてくるのう……」
リーフベルはため息を吐きながら、いつの間にかルートの膝の上に座り込んでいた。
彼女の言葉に心の中で同意しながら、ルートは漠然とした自分の考えを確かめるように、言葉を紡ぎ始めた。
「……初めて教会でティトラ神と話をした時、神はこう言ったんです。僕が前世で暮らしていた地球のことを『試しに造った特別な星』だと……僕はその言葉がずっと気になっていて、何が特別なんだろうって……今住んでいるこの星との違いは、まず『魔法が存在しない』ということ。そのため、魔物やダンジョンも存在しない。それが、一番はっきりとした違いです……」
「ふむ……まるで想像もつかんが、平和な世界ではあるようじゃな?」
「平和……そうですね……いや、そうとも言えませんね。地球には、人間以外の獣人やエルフ、ドワーフなどもいません。だから、こちらの世界のような種族間の争いはありません。でも、人間同士の争いはあり、短い間に何百万人も死ぬような大きな戦争が何度か起こりました。魔法は存在しなくても、科学技術が恐ろしく発達し、最上級の攻撃魔法に匹敵する兵器が存在しています。しかも、それを数か国が何万発も使えるほど所持して、お互いににらみ合っている状態でした……」
「恐ろしいのう……どこの世界も、人間の欲がおのれ自身を滅ぼす、ということじゃな」
「でも、神はこう言ったんです。『地球の現状にはおおむね満足している』と……」
「ふん、勝手なものじゃな。人間の命など、いくら失われようと気にはせぬということか」
ルートは小さく頷くと、膝に座ったリーフベルの金色の髪を撫でながら続けた。
「そう、そこに思い至った時、地球とこの星のもう1つの違いに気づいたんです……」
リーフベルはルートの方へ顔を向けて、興味深げに見つめた。
「ふむ、それは?」
「はい……簡単に言うと、この星、いや、地球以外の人間が住む星は、恐らく皆同じだと推測するのですが……『神と人間との距離が近い』ということです。それも、異常なほどに……」
「ほほう、面白いのう……そのことが、今回の件にも関係があると?」
「直接ではありませんが、根っこの部分でつながっている気がします……」
ルートは前置きすると、自分の推測を続けた。
「僕はこれまでにいくつか前世の知識を使って、地球で使われていた技術をこの世界に持ち込みました。これは、神様たちにとって都合が悪いことだったのではないか……」
「ふ~む……よく分からんが……」
「ええっとですね……僕は、地球とこの星の違いにばかり目が向いていたのですが、逆に共通点は何かと考えたときに、先ほど言った神様の『地球に満足している』という言葉がヒントになったんです。地球の何に神様が満足しているか、それはたぶん、『神に祈りを捧げる』人々の数ではないか、と……。
この星や地球以外の星では、神がスキルを降授したり、直接神託を下したりして、神に対する人々の親近感というか依存度が半端ないですよね。それほど、神との距離が近い。ならば、地球よりもっと『神に祈りを捧げる』人が多いんじゃないか、そう思ったんですが、実際はそうでもないんです。なんというか、あまりにも近すぎて、逆に感謝の念が薄いっていうか……」
ルートがそこまで語った時、リーフベルの顔に悪企みを思いついたような笑みが浮かんだ。
「なるほどのう……ふふふ……なんとなくお前が言いたいことが分かってきたぞ。つまりじゃ、神が欲しておるのは、なるべく多くの人間の『祈り』である、ということじゃな?」
ルートは微笑みながら頷く。
「はい。それも、できるだけ強い『祈り』ではないか、と。だから、僕が地球の技術で、この星の人々の生活を豊かにすると、神への感謝が薄れてしまう。もちろん、僕は科学が進歩しすぎないように注意をしているんですが、神様には危険な人間に見えるんでしょうね。
神様と人間が近い星は、科学が進歩しない。魔法があるし、神様が手助けしてくれるからです。でも、神様にとって一番欲しい『祈り』もなかなか強くならない……」
「ふふふ……ルートよ、集団魔法というものを知っておるか?」
「あ、はい。ラニト帝国との戦争の時、何度か目にしました」
「うむ。複数の人間が、同じ魔法を思い浮かべて同時に発動すれば、より威力が強くなる。数が多ければ多いほど、その威力は増していく。これを、『祈り』に当てはめるとどうじゃ?」
ルートは、リーフベルが自分の考えをきちんと理解してくれたことを嬉しく思いながら、しっかりと頷いた。
「たぶん魔力に似た『大きな力』が、神のもとへ届けられる……」
「うははは……面白い、実に面白いのう。そう考えると、神がいろいろと人間に試練や災難を与えるのも、それによって人間が神にすがり、祈るのを期待しておるからだと考えられるな」
「はい。そして、そこから今回の大賢者様が神と取り交わした契約は、恐らく、僕に対する『監視』であり、神が望む方向への『導き』ではないかと……もしかすると、もう1つ、必要な時には『抹殺』することも含まれているかもしれません。タクト君は、そのための刺客ということかもしれませんね」
こともなげに神の真意を口にするルートを、リーフベルは何とも言えない気持ちで見つめた。
「心配するでない。わしが、そんなことはさせぬ。まあ、これからじっくりと、向こうの出方を見てやろうではないか」
「あはは……そうですね。僕も簡単に始末されるつもりはありません。まだまだ、この世界でやるべきことはたくさん残っていますから」
リーフベルは立ち上がると、再びテーブルに上ってニヤニヤしながらルートを見つめた。
「〝やるべきこと〟のう……ふふ……そういえば、リーナとの結婚式はもうすぐじゃなかったか?」
ルートはドキッとしながら、目を泳がせた。
「ああ、ええっと、その……彼女に承諾をもらったら、12月の25日に式を挙げようかと……」
「なんじゃ、まだ承諾はもらっていなかったのか?」
「は、はい……正式なものは、まだ……」
「まどろっこしいのう……まあ、お前らしいといえばそうじゃが……よし、来月の25日じゃな。贈り物を楽しみにしておくがよいぞ」
その後、ルートとリーフベルは結婚式のやり方などの話で大いに盛り上がった(主にリーフベルがしゃべったのだが)。どうやら、ルートとリーナの結婚式は、質素に静かな雰囲気で、というルートの願いとは真逆の方向へと進みそうだった。
成人の儀と婚約
ルートは15歳の誕生日に、故郷のポルージャの教会で、知人たちが多数列席する中、厳かな雰囲気の中で《成人の儀》の臨んだ。
この世界では、王族・貴族も含めて、誕生日を祝う風習がない。ただ、例外は、生まれた時と成人と認められる15歳の誕生日である。
ルートは前世の風習を捨てきれず、幼い頃から母親や娼婦たちの誕生日には、ささやかなプレゼントを贈ったり、ちょっとしたご馳走を作って祝ってきた。それが次第に街の人々にも知られるようになり、少しずつ浸透しつつあった。街が経済的に豊かになり、人々の暮らしにも余裕が生まれてきたからでもあった。
「ルート・ブロワー、汝の年齢が成人に達したと認め、ティトラ神の名において、ここに証明書を授けん」
この日成人を迎えた十数人の若者たち一人ひとりに、司祭が身分証のような金属製のカードを手渡していく。前世の成人式によく似た儀式だった。
「おめでとう、ルート。あなたはいつでも私の誇りよ」
「ありがとう、母さん」
儀式を終え、教会の外へ出たルートの前には、家族も同然の元娼婦たち、ボーグ、カミル、マリクをはじめとするリープ工房の職人たち、タイムズ商会や関連業種で働く職員や労働者たち、果ては顔なじみの冒険者や街の人たちまでが集まって、母のミーシャを最初に次々と親しい者たちがお祝いの言葉を掛けていく。
「皆さん、どうもありがとう。ここまでこれたのも、ひとえに皆さんのお陰だと感謝しています。今日は今までの感謝の気持ちを込めて、タイムズ商会の2階のレストランと中央広場を貸し切りにして、料理と酒をふるまいたいと思います。もちろんすべて無料です。どうか、心ゆくまで楽しんで、僕の感謝の気持ちを受け取ってください」
ルートの言葉に、身内たちはもちろん、同じ成人の儀で集まった他の家族たちまで一斉に歓声を上げた。
「やったーっ! 俺たちも参加していいんですか?」
「あ、あたしたちもいいのかい? タイムズ商会の身内じゃないけど……」
「ええ、もちろんです。こうしてここで一緒に儀式を受けたのも何かの縁でしょう。遠慮なく参加してください」
ルートの言葉に、再び歓声が上がる。特にうるさく騒いでいるのは冒険者たちだった。ただ酒にただの料理を食べ放題なのだ。懐の寂しい駆け出し冒険者たちにとっては、ルートが神にも等しく見えたことだろう。
特別に招待状をもらった者たちが、続々とタイムズ商会本店の裏にある2軒の屋敷が建つ広い敷地に集まって来ていた。すでに何人かは、広場で街中の人たちと騒ぎ、酒を飲んでいた。そんな広場や本店2階のレストランから聞こえてくる喧噪を聞きながら、集まった人々は思い思いに酒や料理を口にしながら、楽し気に歓談していた。
「え~、皆さん、今日はお忙しい中にこうして集まっていただき、本当にありがとうございます……」
ルートが玄関の階段の上に立って挨拶を始めると、どこからともなく拍手が鳴り始め、それが広い庭中に広がっていった。
「感謝するのはこっちの方だよ、ルート。ミーシャの子供に生まれてきてくれてありがとうよ。あたしたちのルートでいてくれて、ほんとに、あり、ありが、とう、ううっう……」
拍手の中から、今やガルバンの店の副支配人として貫禄を身に着けたマーベルが叫んだ。だが、すぐに泣き崩れるところは、相変わらず情にもろい彼女らしかった。
そのマーベルの横には、可愛い金髪の幼児を連れたベーベがいて、マーベルの涙を拭いてやりながら、ルートに手を振っていた。
「……ありがとう、愛してるよ、マーベル、べーべ。あはは……さて、今日は皆さんに大事なお知らせがあります……」
ルートはそう言うと、後ろに控えていたリーナの方を向いて、手招きした。
白いドレスに身を包んだリーナは、頬を赤くしながらおずおずとルートの横に出てくる。
「……今日、僕は皆さんに、ここにいるリーナと正式に婚約したことをお知らせします」
ここで、大歓声と拍手が起きるだろうと予想していたルートだったが、招待客たちは、『何だ、今さら』という顔できょとんとしていた。
「ああ、ルート、すまんが、俺たちはお前とリーナはもう結婚していると思っていたぞ」
ボーグの言葉にカミルとマリクもうんうんと頷いている。
「ちょ、ちょっと待ってよ、親方。結婚するなら、ちゃんと皆さんにお知らせしますよ」
ルートが戸惑いながら弁明する。
「くそ真面目だねぇ、相変わらず……ふひひひ……そんなまどろっこしいことせんでも、好き合ってる同士なら、早いとこ赤ん坊こさえて親を喜ばせてやんな」
《公衆浴場ガルバン》のオーナー、イボンヌが楽し気な様子でからかう。そして、それを皮切りに、周囲の人たちも、赤くなったルートとリーナを一斉に冷やかし始めた。
「本当はもうおなかに赤ちゃんがいたりして……きゃはっ」
「あり得るぜ。なんせ、手の早いジークの義息子だからな」
「ミーシャの方が早いなんて、おかしいよ」
「お、おい、お前ら、こっちまで巻き込むんじゃねえ」
「は、恥ずかしいわ」
冷やかしのとばっちりを受けたジークとミーシャが、後ろで身もだえていた。
ルートとリーナは顔を見合わせて思わず苦笑しながら、ここは予定を強行することにした。
「え~っと、とにかく、僕たちの婚約を皆さんに認めてもらったということで、指輪の交換をしたいと思います。これは、先日、王都の黒龍のダンジョンに僕とリーナとジークで潜った時、ダンジョンボスを倒して手に入れた魔石で作った指輪です」
ルートはそう言うと、ポケットからケースを取り出して、蓋を開いた。
おおっ、というどよめきが起きる。遠くからでも、その大きさと美しい青い輝きが見えたからだ。
ルートはその2つの指輪の一方をリーナに渡し、もう一方を自分が取り上げ、彼女と向かい合った。そして、先ずはルートがリーナの手を取って細く美しい薬指に指輪を通す。リーナは涙ぐんだ目でルートにはにかみながら、今度はルートの指に指輪を通した。
そして、2人は同時にその指を、集まった人々の方へ掲げて見せる。
「おめでとうっ!」
「おめでとう、お幸せに!」
さすがにこの時は、からかう者はおらず、一斉に祝福の言葉と拍手が巻き起こった。
そこから先は、もう、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだった。深夜遅くまで続いたバカ騒ぎだったが、近所からの苦情はなかった。なぜなら、この日は街中のほとんどの人が、広場を中心に街のあちこちで騒いでいたからである。
翌日、ポルージャの街は異様に静かで、臨時休業する店が多かったという。
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