野良ドールのモーニング

森園ことり

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 あのピアノは白ドレスのものだったんだろうか。

 一夜明けても僕は昨日のことを、あれこれ思いめぐらしていた。
 トースト二枚にコーンスープを飲んで家を出る。自転車でファミレスに向かいながら、白ドレスと樹奈の顔がかわるがわる脳裏に現れた。

 そういえば、二人に一つだけ共通点があった。髪型だ。栗色のロングヘア。少しウェーブがかかっている。
 でも顔つきは似てない。樹奈はぱっちりした目の可愛い感じで、白ドレスは切れ長の目の美人系だ。
 僕は樹奈の顔を無理矢理頭から追い出すと、別のことを考えようとした。でもうまくいかない。今日も大学で会うだろう。ため息しか出てこない。

「おはようございまーす」

 開店前のファミレスが僕は好きだ。客のいないフロアに大きな窓から朝日が静かに射しこんでいる。

「おはよ、りょーちゃん」

 声がして振り返ると、白い大きなリボンをした白ドレスが笑いながら手を振っていた。チョコレート色のパンツの制服を着ている。うちは男女同じ制服だ。

「ここの制服、けっこう可愛いよね」
「今日からなんですか?」
「うん。よろしくね。いろいろ教えてくださいよ」

 こっちのほうが聞きたいことがいろいろある。
 というか、名前。まだ聞いてない。

「あの、お名前うかがってもいいですか?」

 彼女はにっこり笑った。

「南川柳子(みながわりゅうこ)。二十一歳だよ。りょーちゃんの名前は店長から聞いた」

 そうなんだ。てか、いきなり、りょーちゃんて。

「あの、うちのアパートで暮らすことになったみたいで……」
「そうそう。正子さんが部屋貸してくれたの。いいひとだよね」
「なんでうちのアパートなんですか?」

 他にもアパートならいくらでもあるのに。

「別に。部屋探して歩いてたら、正子さんにちょうど会って、お部屋見せてもらった感じ」

 そんな偶然あるか?

「誰かに聞いたんじゃなくて? あそこが僕のアパートだって」

 柳子はぷっと吹き出して笑い出した。

「自意識過剰。怖いよ」

 は? 怖いのは君だろうが。
 まあいい。あのアパートはファミレスからも近いし、なにより家賃が安い。おそらく不動産屋に入って一番安いところを教えてもらったんだろう。

「昨日のピアノ、柳子さんが弾いてたんですよね?」
「立ち聞き? 怖い怖い」

 怖いはやめてくれ。

「ピアニストか何かなんですか?」

 売れないピアニストとか。だとしたら、食うに困って行き倒れていたということもなくはないのかなって。勝手な想像だ。

「残念ながら違います」
「学生さんとか?」
「なぁに、いきなり質問攻めだ。怖い怖い」

 ふぅん。話したくないのか。それなら仕方ない。

「具合のほうはどうなんですか?」
「いい感じだよ。昨日りょーちゃんにいっぱいご飯食べさせてもらったから。また今度おごってね」

 こっちがおごって欲しいぐらいなんだけど。

「当面の生活費とか大丈夫なんですか?」

 無一文じゃないのか?

「正子さんが貸してくれた。お給料入ったら返す約束」

 正子さん、そんなに柳子のことが気に入ったのか。あのひとが初対面の子に生活費を貸すなんて相当だ。

「ピアノが弾けてよかったですね。正子さん、絵とか音楽とか芸術をやってる人が好きなんですよ」
「へえ、そうなんだ。そういえば、『絵を描いたり、楽器弾けたりする?』とは訊かれたな。それでピアノを弾いてみたわけだけど、確かに喜んではもらえたみたい」

 やがて他のスタッフたちも出勤してきた。
 みんな柳子を見てもさほど驚かない。
 店長も今日は早くやってきて、みんなの前で簡単に柳子を紹介した。

「今日から一緒に働くことになった南川柳子さんです」

 みんな、適当に拍手。

「南川柳子です。よろしくお願いします!」

 柳子は元気よくみんなに挨拶した。昨日行き倒れていたとは思えないぐらいはきはきと。





「柳子ちゃん、フロアのお皿下げてきてくれる?」
「りょうかいでーす」

 開店して三十分。既に柳子は同僚たちに馴染んでてきぱき仕事している。
 美帆さんとの連携もバッチリ。柳子が今日から平日フルタイムで出られることになったので、久しぶりに大さんは昼頃からの半日シフトに戻った。
 大さんは二歳と四歳の娘さんがいるので、保育園の送り迎えの時間を避けたいのだ。最近は近所に住む母親に頼んでいたらしいが、これで以前のシフトに戻れる。さぞやほっとしていることだろう。

 心配で柳子を見ていると、慣れたようにテーブルからテーブルに移動して、お皿を下げていく。「失礼します、お皿お下げしてよろしいでしょうか」お客様への声がけも笑顔で滑らかだ。
 床に落ちていた紙ナプキンも見落とさず歩きながら拾い上げる。ドリンクバーのチェックや、お客様が片付けスペースに置いていった皿などもこまめにピックアップしている。お客様が来店するメロディが流れれば「いらっしゃいませー」よく声も出している。
 美帆さんと目が合うと、(なかなかやるじゃない)というように目を丸くした。

「あの子新入り?」

 トキコさんは柳子をじろじろ見ながら、僕に早速探りをいれてくる。

「はい。今日からです」
「やけに慣れてるわね。前にもこういうとこで働いてたのかしら」
「さあ」

 確かに、ファミレスでの仕事経験でもありそうなぐらい仕事に馴染んでいる。
 カワセさんは新聞に目を落としながら、会話には加わらない。今日はまだアヤメさんは現れない。彼女は毎日来るわけではないのだが。

 そのせいかトキコさんは機嫌がいい。カワセさんの新聞を取り上げて、来月の連休にどこかおいしいものでも食べにいかないかと誘っている。
 何事もなく十一時になると僕はロッカーに向かった。着替えをすましてスタッフルームに行くと、柳子がカルピスを飲みながらチョコレートを食べていた。糖分取り過ぎだろ。

「お疲れ様です。どうでした、初日の感想は」

 水を一杯飲みながら訊ねると、柳子は口の端を黒く汚しながらにいと笑った。

「まあまあ楽しかった」

 へえ、たいしたもんだ。普通は緊張したり疲れたりするもんだけど。いや、甘いものを貪っているのはやっぱり疲れたからか。

「昼から来る大さんはやさしい人だから、なんでも聞いて大丈夫ですよ」

 柳子は僕を見ながらチョコレートをぱくぱく食べている。

「りょーちゃん、明日は仕事ないんだって?」
「水曜と土日は休みなんです」
「じゃあ、土日、ここらへん案内してよ。私まだ土地勘ないからお店とかどこにあるかわかんないの」
「それなら正子さんに……」

 聞けばいい、と言いかけたけれど、待てよ。日曜は浅草に誘われたのを仕事があると嘘をついて断った。息をひそめて家にこもるよりは、柳子に町案内をするほうがいいかもしれない。

「……いいですよ。案内します」
「やったー。じゃあ、迎えに行くね」

 って、同じアパートだから歩いて数秒だけど。

「これから大学でしょ?」
「正子さんに僕のこと聞いたんですか?」
「まあね~」

 余計なことは話さないで欲しい。まあ、樹奈のことは正子さんも知らないわけだけど。
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