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「あ、池間君」
見つかってしまった。
彼女が手招きしたので、僕はいい匂いがする公園の中に入っていった。公園の裏手の家の庭に白いジャスミンが咲いている。
僕は軽く頭を下げてから灰野さんの隣に座った。
「お昼ご飯ですか」
「そう。正子さんお手製の焼肉おにぎり。いる?」
おにぎりの中に、焼肉のタレの匂いがぷんぷんする肉がたっぷり入っている。
「いえ、モーニングを食べてきたばかりなので」
「あぁ、今日、水曜か。池間君のお休みの日だ」
正子さんに聞いたのだろう。
「そうなんです。灰野さんは教室ですか?」
灰野さんは公民館の部屋を借りて、小中学生に絵を教えている。たまに青空教室もやって、写生なんかもしにいくらしい。
と、正子さんから聞いた。
「午後からね。行きたくないなぁ」
そう言って、空を見上げながら灰野さんはもぐもぐおにぎりを食べた。
「絵を教えるの、大変なんですか?」
「そういうわけじゃないんだけどね」
灰野さんは画家として生きている。
画家としての収入がもっと増えることが理想なんだろうけど、そううまくはいかない。年に一回は個展を開いているが、なかなか作品は売れない。
これも、正子さんから聞いた。
「いまって、インターネットでいろいろできるみたいですよね。作品の投稿サイトとか、自分の絵をグッズにして販売するとか。わからないけど、調べたら色々ありそうですよね」
そうだね、と灰野さんは言って、携帯マグに入っているなにかをごくごく飲んだ。
「そういうのでうまく稼げたらいいんだけど、なんか考えるだけで面倒でね。絵を描く以外のことができない私です」
「僕、なにか調べてみましょうか」
「ううん、大丈夫」
灰野さんはやっとおにぎりを一個食べ終えると、横に置いてある象のアップリケがついた黄色い巾着袋の中を覗いた。
男のこぶし大の大きなおにぎりがまだ二つ入っている。
「私を食べ盛りの野球少年とでも思ってるのかな」
彼女は小さくゲップをすると顔しかめて、慌てて巾着袋の口を絞った。
「いま、どういう作品描いてるんですか?」
「宇宙」
「宇宙、ですか」
「宇宙って、実際見たらどんな感じなんだろうね。私は怖い感じがするんだけど。見たら感動とかすんのかな、やっぱり」
「怖いですか?」
「怖いでしょ。空気ないんだから。池間君はロマン感じたりする? 宇宙、行きたい?」
「僕、車酔いするんで、乗り物はちょっと……」
「私も。それでかな。怖いの」
灰野さんの宇宙の絵ってどんなのだろう。
「あ、『旋律』でもらったんですけど、食べます? お腹いっぱいでしょうけど」
マークさんにもらったドーナツを、紙袋から取り出して差し出した。小ぶりのドーナツが五個入っている。
「正子さんたちとみんなでって」
「満腹でも甘いものは入るんだよな」
いただきますと灰野さんはドーナツを手にとって、嬉しそうに食べはじめた。
食べこぼしを狙って鳩たちが僕らのまわりで騒ぎだす。
空腹ではないが僕も一つ食べることにした。
灰野さんは今日も灰色の上下だ。
「灰野さんて、いつも灰色の服ですよね」
彼女は膝の上に落ちたドーナツの食べこぼしを手で払った。鳩たちがばさばさまた騒ぐ。
「そうね。前は黒着てたんだけど、『威圧感あるよ』って正子さんに注意されたから、灰色にしたの。白は汚れやすいから、その中間の色ね。今度は『作業服』って言われたけど、もうどうでもいいわ」
「名前からその色を選んでるんだと思ってました」
「それもあるわよ。まあ、もらいものの服なら黄色でも赤でも着るけどね。自分で選ぶとなると、なに買ったらいいかわかんないし」
灰野さんは小さく息を吐いた。
「池間君。私、ちょっと太ったと思わない?」
「そうですか。見た感じわからないですけど」
「三キロも太ったのよ。正子さんがあれもこれも食べろってお皿にてんこ盛りにするせいだと思う。このまえ、ご飯の量を少し減らして欲しいって頼んだらすごい剣幕で怒られたわ。私ももう五十を過ぎて、消化能力が落ちてきたから、量が多いのはきついのよ。そう説明してもだめ。最近ね、私、ご飯の時間がちょっと憂鬱なの。胃薬も欠かせないし」
「そんなにですか」
「そうよ。だから、池間君がちょっとうらやましい。あなた、いくら正子さんが誘ってもご飯にこないでしょ。偉いわよね。自分の意志をきっちり押し通して。見習いたいもんだわ」
ふぅ、と彼女はまた息を吐いた。
「ごめんね、引き止めて。休みだから用事もあるんでしょ」
「いえ、部屋に帰って昼寝するだけですから」
「それは立派な用事よ。私も昼寝したいもんだわ」
「教室が終わったらしてください」
「そうよね。生きるって大変。昼寝して絵だけ描いてたいわ」
僕はまたファミレスの閉店のことを思い出してしまった。
早く帰って寝よう。
*
見つかってしまった。
彼女が手招きしたので、僕はいい匂いがする公園の中に入っていった。公園の裏手の家の庭に白いジャスミンが咲いている。
僕は軽く頭を下げてから灰野さんの隣に座った。
「お昼ご飯ですか」
「そう。正子さんお手製の焼肉おにぎり。いる?」
おにぎりの中に、焼肉のタレの匂いがぷんぷんする肉がたっぷり入っている。
「いえ、モーニングを食べてきたばかりなので」
「あぁ、今日、水曜か。池間君のお休みの日だ」
正子さんに聞いたのだろう。
「そうなんです。灰野さんは教室ですか?」
灰野さんは公民館の部屋を借りて、小中学生に絵を教えている。たまに青空教室もやって、写生なんかもしにいくらしい。
と、正子さんから聞いた。
「午後からね。行きたくないなぁ」
そう言って、空を見上げながら灰野さんはもぐもぐおにぎりを食べた。
「絵を教えるの、大変なんですか?」
「そういうわけじゃないんだけどね」
灰野さんは画家として生きている。
画家としての収入がもっと増えることが理想なんだろうけど、そううまくはいかない。年に一回は個展を開いているが、なかなか作品は売れない。
これも、正子さんから聞いた。
「いまって、インターネットでいろいろできるみたいですよね。作品の投稿サイトとか、自分の絵をグッズにして販売するとか。わからないけど、調べたら色々ありそうですよね」
そうだね、と灰野さんは言って、携帯マグに入っているなにかをごくごく飲んだ。
「そういうのでうまく稼げたらいいんだけど、なんか考えるだけで面倒でね。絵を描く以外のことができない私です」
「僕、なにか調べてみましょうか」
「ううん、大丈夫」
灰野さんはやっとおにぎりを一個食べ終えると、横に置いてある象のアップリケがついた黄色い巾着袋の中を覗いた。
男のこぶし大の大きなおにぎりがまだ二つ入っている。
「私を食べ盛りの野球少年とでも思ってるのかな」
彼女は小さくゲップをすると顔しかめて、慌てて巾着袋の口を絞った。
「いま、どういう作品描いてるんですか?」
「宇宙」
「宇宙、ですか」
「宇宙って、実際見たらどんな感じなんだろうね。私は怖い感じがするんだけど。見たら感動とかすんのかな、やっぱり」
「怖いですか?」
「怖いでしょ。空気ないんだから。池間君はロマン感じたりする? 宇宙、行きたい?」
「僕、車酔いするんで、乗り物はちょっと……」
「私も。それでかな。怖いの」
灰野さんの宇宙の絵ってどんなのだろう。
「あ、『旋律』でもらったんですけど、食べます? お腹いっぱいでしょうけど」
マークさんにもらったドーナツを、紙袋から取り出して差し出した。小ぶりのドーナツが五個入っている。
「正子さんたちとみんなでって」
「満腹でも甘いものは入るんだよな」
いただきますと灰野さんはドーナツを手にとって、嬉しそうに食べはじめた。
食べこぼしを狙って鳩たちが僕らのまわりで騒ぎだす。
空腹ではないが僕も一つ食べることにした。
灰野さんは今日も灰色の上下だ。
「灰野さんて、いつも灰色の服ですよね」
彼女は膝の上に落ちたドーナツの食べこぼしを手で払った。鳩たちがばさばさまた騒ぐ。
「そうね。前は黒着てたんだけど、『威圧感あるよ』って正子さんに注意されたから、灰色にしたの。白は汚れやすいから、その中間の色ね。今度は『作業服』って言われたけど、もうどうでもいいわ」
「名前からその色を選んでるんだと思ってました」
「それもあるわよ。まあ、もらいものの服なら黄色でも赤でも着るけどね。自分で選ぶとなると、なに買ったらいいかわかんないし」
灰野さんは小さく息を吐いた。
「池間君。私、ちょっと太ったと思わない?」
「そうですか。見た感じわからないですけど」
「三キロも太ったのよ。正子さんがあれもこれも食べろってお皿にてんこ盛りにするせいだと思う。このまえ、ご飯の量を少し減らして欲しいって頼んだらすごい剣幕で怒られたわ。私ももう五十を過ぎて、消化能力が落ちてきたから、量が多いのはきついのよ。そう説明してもだめ。最近ね、私、ご飯の時間がちょっと憂鬱なの。胃薬も欠かせないし」
「そんなにですか」
「そうよ。だから、池間君がちょっとうらやましい。あなた、いくら正子さんが誘ってもご飯にこないでしょ。偉いわよね。自分の意志をきっちり押し通して。見習いたいもんだわ」
ふぅ、と彼女はまた息を吐いた。
「ごめんね、引き止めて。休みだから用事もあるんでしょ」
「いえ、部屋に帰って昼寝するだけですから」
「それは立派な用事よ。私も昼寝したいもんだわ」
「教室が終わったらしてください」
「そうよね。生きるって大変。昼寝して絵だけ描いてたいわ」
僕はまたファミレスの閉店のことを思い出してしまった。
早く帰って寝よう。
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