野良ドールのモーニング

森園ことり

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 コーヒーの紙コップをゴミ箱に捨てて帰ろうとしたら、入口から茉美が駆けるようにして入ってきた。僕と目が合い、いた、というように笑う。

「帰るとこ?」
「うん」
「コーヒー付き合ってよ」

 茉美はカフェオレを選び、僕はお茶のペットボトルを買った。
 さっき巧といた席にまた戻る。

「さっきまで巧といたんだよ。もうバイト行ったけど」
「へえ。巧、なんか言ってた?」
「特には」

 茉美はくるんと内巻きにカールしたボブヘアの髪先を指でつまんだ。前髪が随分短くなっている。髪色も少し明るい。

「美容院行った?」

 僕がそう訊くと、茉美は嬉しそうにこくこく頷いた。

「初めての色にしてみたんだ」
「おしゃれな感じだね」
「でしょー。りょーちゃんもたまには髪色変えてみたら?」

 笑って流す。髪色なんて変えたら、正子さんになんて言われるかわからない。

「樹奈のことだけど、しかたなかったと思うよ。聞いたけど、コーヒースタンドに何度も誘われてたんだって?」
「あ……うん」
「ちゃんと説明しないとそりゃ誤解するよね。樹奈も反省してたから許してあげて」
「説明?」
「樹奈、コーヒースタンドのお兄さんに気があるんだよ。だからせっせといつも通ってるの」
「えっ」

 コーヒースタンドのお兄さん。
 あの、ピアスにロン毛で髭まではやしてた長身の男のことか?

「ロン毛で髭の人?」
「そうだよ。クサカさんて言うんだって」
「クサカ……樹奈と仲いいの?」
「どうだろ? 私と一緒に行ってた時は全然喋れてなかったけど。名前だって、同僚からクサカって呼ばれてたから知ったらしいし」

 僕と行ってた時も、樹奈は彼と挨拶すらしていなかった。

「そうだったんだ」

 茉美は僕の顔をちらちら見た。

「やっぱショック?」
「いや。謎がとけてよかった」

 樹奈はロン毛髭に会いに行ってたんだ。

「でもなんで僕を連れてったんだろ」

 一人の方が話しかけやすいだろうに。

「いつも一人で行ってたら、友達いないみたいに思われちゃうって気にしてたからね。最初は私を誘ってくれてたけど、私がしつこく『連絡先聞きなよ』とかせっついたから、嫌になったみたい」

 そうだったんだ。

「巧誘ったら、あいつすぐ誤解して樹奈口説くでしょ。でもりょーちゃんならそういうこともないから選ばれたんじゃないかな」
「口説くどころか告白しちゃったけど」
「あちゃー、そうでした。まあ、ほんとに樹奈、反省してたから許したげてね」
「それはもういいけど……」

 樹奈ってああいうタイプが好きだったんだ。
 でも、樹奈も茉美も知らないんだろうか。
 あのロン毛髭、僕が店の前を通りかかった時、同僚の女の子とイチャイチャしてたんだけど。きゃっきゃしながら肘でつつきあいっこしてた。
 あれってイチャイチャだよな。普通の同僚ってああいうことしないよな。僕と美帆さんがああいうことしてたらおかしいように、絶対おかしいよな、あれは。
 でもここで僕がそんなことを言えば、茉美は眉をひそめるだろう。

「ふられた腹いせにクサカさんの悪口言ってたよ」とか樹奈に囁くかもしれない。

 それは避けたい。
 だから僕はなにも言わずに、茉美のお気に入り美容師の話を聞きながら、お茶を飲み続けた。





 土曜日の朝、アパートのドアがどんどんどんと強めに叩かれた。
 寝ぼけながら布団の中で目を覚まし、時間を確認するとまだ八時。
 どんどんどん。

「りょーちゃん、おはよー」

 のんきだけど大きな声。
 柳子だ。
 僕は布団から身を起こして、ドアに向かって声をかけた。

「約束したの午後だよねー?」

 週末の午前中は寝坊することに決めている。いつも朝早くからファミレスで働いてるんだ。休みの日ぐらいゆっくり寝ていたい。
 そう柳子にもちゃんと説明して、近所の案内は午後からにしてもらったのに。

「そうだけど、一緒にモーニング食べにいきたくなったー」

 モーニング?
 僕はため息をつきながら身を起こしてドアを開けにいった。

「おはよー」

 ドアを開けると、小花柄のふんわりしたワンピースを着た柳子が笑っていた。髪もちゃんときれいに巻いて、パッと見、お姫様かお人形みたいだ。
 てのひらには桃色おにぎり。
 僕は当たり前のようにそれを受け取った。

「服、買ったの?」

 この子、お金ないよな。

「必要な服買うお金、正子さんが貸してくれた。これ、どう? 安かったけど可愛いでしょ?」
「……うん。じゃあ、着替えるから十分待って」
「お邪魔していい?」
「だめです。自分の部屋で待ってて。迎えに行くから」
「わかった。早くしてね」

 柳子が身を翻して部屋に戻っていくと、なにかふわっといい匂いがした。香水? シャンプー? 正子さんからいくら借りたんだよ。
 デニムパンツの黒のスウェット、グレーのパーカーを羽織って家を出ると、二個隣の柳子の部屋のドアをノックした。

「どうぞー」

 出てきてよ。モーニング行くんでしょ?
 でも仕方なくドアを少し開けた。

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